日々雑感

読んだ本やネット記事の感想、頭に浮かんでは消える物事をつらつら綴りました(本棚7)。

バートランド・ラッセルの「幸福論」

2017-12-25 07:28:24 | エッセイ
 NHK・100分de名著70(2017年11月)は、バートランド・ラッセルの「幸福論」。

 興味があり視聴したところ・・・あまり得るところがありませんでした。
 何となく「ストレスを回避するために発想転換で自分をだますスキル」に尽きてしまうような印象を受けました。
 現在、精神疾患の補助治療として普及している「認知行動療法」の流れですね。

 その発想とは、「目の前のことにとらわれるな、宇宙という視点から見れば、ごくごく些細なこと」。

■ バートランド・ラッセルの「幸福論」
100分de名著70
 バートランド・ラッセルの「幸福論」。アランやヒルティの「幸福論」と並んで、三大幸福論と称され、世界的に有名な名著です。この名著を記したラッセルは、イギリスの哲学者でノーベル文学賞受賞者。核廃絶を訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」で知られる平和活動家でもあります。そんな彼が58歳のときに書いたのがこの「幸福論」です。
 なぜラッセルはこの本を書いたのでしょうか? 平和活動に邁進したため、ケンブリッジ大学を追われ6ヶ月も投獄された経験をもつラッセルですが、それでも決してゆるがない幸福があるというのが彼の信念でした。思春期には、自殺すら考えたこともあるラッセル。しかし、そんな彼を思いとどまらせたのは、「知へのあくなき情熱」と「自分にとらわれないこと」でした。それは、その後の人生を生きる上での原点であり、どんな苦境にも負けない支えとなりました。
 専門領域で、数理哲学を大成した書といわれる「プリンキピア・マセマティカ」を書き上げ、一つの仕事を成し遂げたと考えた彼は、今後は、後世の人々のために「人生いかにいくべきか」「幸福になるにはどうしたらよいか」といった誰もがぶつかる問題を、自らの原点を踏まえて考究し書き残そうとしたのです。
 ラッセルの「幸福論」のキーワードは「外界への興味」と「バランス感覚」。人はどんなときにでも、この二つを忘れず実践すれば、悠々と人生を歩んでいけるといいます。そして、それらを実践するために必要な思考法や物事の見方などを、具体例を通して細やかに指南してくれるのです。まさに、この本は、人生の達人たるラッセルの智慧の宝庫といえるでしょう。
 番組では、指南役に、市井の中で哲学することを薦める哲学者・小川仁志さんを招き、ラッセル「幸福論」に秘められたさまざまな智慧を読み解いていきます。

第1回:自分を不幸にする原因
ラッセルは、「幸福論」を説き起こすにあたり、「人々を不幸にする原因」の分析から始める。その最たるものはネガティブな「自己没頭」。それには、罪の意識にとりつかれ自分を責め続ける「罪びと」、自分のことを愛しすぎて他者から相手にされなくなる「ナルシスト」、野望が巨大すぎるが故に決して満足を得ることができない「誇大妄想狂」の3つのタイプがある。いずれも自分自身にとらわれすぎることが不幸の原因であり、ラッセルは、自分自身への関心を薄め、外界への興味を増進していくことを薦める。第一回は、ラッセル自身の人生の歩みを紹介しながら、人々を不幸にしてしまう原因を明らかにしていく。

第2回:思考をコントロールせよ
不幸を避け幸福を招き寄せるには「思考のコントロール」が最適であると考えるラッセルは、その訓練法を具体的に伝授する。「悩みを宇宙規模で考える」「無意識へ働きかける」「退屈に耐える」「比較をやめる」……誰もが一歩ずつ踏み出せるちょっとした実践の積み重ねが深刻な悩みの解消へとつながっていくというのだ。第二回は、不幸に傾きがちなベクトルをプラスに転換する「思考のコントロール方法」を学ぶ。

第3回:バランスこそ幸福の条件
人は何かにつけ一方向に偏りがち。それが幸福になることを妨げているというラッセルは、絶妙なバランスのとり方を提案する。たとえば「努力とあきらめ」。避けられない不幸に時間と感情をつぎこんでも意味はない。潔くあきらめ、その力を可能なことに振り向けることで人生はよりよく進むという。また、趣味などの「二次的な興味」を豊かにしておくと、もっと真剣な関心事がもたらす緊張をときほぐす絶好のバランサーになるという。第三回は、極端に走りがちな人間の傾向性にブレーキをかける、ラッセル流のバランス感覚を学んでいく。

第4回:他者と関わり、世界とつながれ!
「幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味をもっている人」と結論づけるラッセル。客観的な生き方とは、自我と社会が客観的な関心や愛情によって結合されている生き方であり、「自由な愛情と広い興味をもつ」とは、自分の殻に閉じこもるのではなく、外に向けて人や物に興味を広げている状態のことだという。真の幸福は他者や社会とつながることによってもたらされるのだ。第四回は、ラッセルのその後の平和活動にもつながる、自我と社会との統合を理想とした、独自の幸福観を明らかにしていく。

<プロデューサーAの“こぼれ話”>
哲学を机上から解き放つ

 哲学者・小川仁志さんとの出会いは、同じく哲学者の萱野稔人さんとの対談本「闘うための哲学書」を読んだことでした。カント「永遠平和のために」を番組で取り上げるための参考にしようと思って読んだのですが、カントの解釈については、萱野さんの考え方に共感し、講師に抜擢したのでした。
 ただ、立場は異なるとはいえ、小川さんがエネルギッシュに議論を続ける姿にとても興味を持ちました。小川さんの議論は、哲学を単なる訓詁注釈の対象にするのではなく、現実の問題を分析し、解決するヒントにしようという姿勢に貫かれていました。
 興味につられ、最初に手にとった小川さんの著作が「市役所の小川さん、哲学者になる 転身力」。読んでみて驚きました。「エリート街道まっしぐら」からの挫折。ひきこもり体験。どん底から立ち上がるために手にした「杖」が哲学だったこと。「絶えず外に向けて関心を持ち続け幸福を目指していく姿勢」。どこかで読んだことがあるなと考え続け、はたと思い当たったのがラッセル「幸福論」でした。
 果たして、直観は当たっていました。ちょうど一年前、取材で山口大学を訪ねたときのこと。解説してもらう候補の一冊としてラッセル「幸福論」の内容をまとめたレジュメをお見せして説明をしていると、「今、思うと、ぼくは、ラッセルの『幸福論』をそのまま実践していたのかもしれませんね」と、ぽろりとおっしゃったのです。
 この言葉に心を強くしました。小川さんに解説してもらえたら、単に机上の学問ではなく、「生きた知恵」としての哲学を伝えることができるのでは、と確信したのです。まさに、番組の中でも、小川さんは自らが生きてきた足跡を随所の交えながら、ラッセルの考え方をわかりやすく伝えてくださいました。実際の人生体験に裏打ちされているがゆえに、とても説得力のある内容になったのではないかと思っています。
 「行動する哲学者」を標榜する小川さんですが、その姿はラッセルと重なります。小川さんは、哲学研究をするだけではなく、その知識を生かして、山口の街づくりに取り組んだり、市民とともに哲学について語らう「哲学カフェ」を主宰するなど、八面六臂の活躍をされています。番組の打ち合わせ中に、ふと「哲学カフェってどんな雰囲気ですか?」とお尋ねすると、「ちょうど今やっているように、縦横無尽に素朴な質問が飛び交う…こんな感じが哲学カフェなんですよ」と笑っている姿が印象的でした。みなさんも、番組を通じて「哲学カフェ」の雰囲気を感じていただけるとうれしいです。


 こんな考え方はいかがでしょう?

 現代社会では、人類(男女)平等、人間に優劣を付けることは隠蔽され、小学校の運動会の徒競走では順位がつかないところもあると聞きます。
 しかし、私もあなたも、この世に生を受けた時点で既に競争社会の勝者なのです。
 一回の射精では約1億の精子が放出されます。
 そのうち卵子に侵入できるのは1つだけ。
 つまり、1億の仲間の死の上に、あなたの生は成り立っているのです。
 
 「死んだら消えていなくなりたいから、私は臓器提供をしない」という意見。
 いえいえ、死んでもなくなることは不可能です。
 なぜって、体が焼かれて灰になっても、物質が形を変えるだけで、この地球上から元素はなくならないからです。
 逆に言うと、現在生きているこの体も、先祖からの遺伝子は特異的ですが、自然界の動植物からエネルギーを取り込んで生きていますから、自然界と有機的に結びついています。
 「では宇宙に散骨すれば地球上から消えることができる」という意見もあるでしょう。
 でも、宇宙から消えることはできませんね。

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