「陰に光を当てる作家」という表現が似合う五木寛之さんに惹かれます。
熱中世代・大人のランキング(BS朝日)に五木寛之が登場しました(2018.3.10)。
彼の原点は、平壌で迎えた終戦。
当時日本が占領し、日本人もたくさん住んでいた。
政府は「危険はない、そこに留まるように」と嘘をつき、しかし軍上層部はさっさと内地(日本)へ逃げて民間人は置き去りにされた。
国とは都合が悪くなると嘘をつき保身に走り市民は犠牲になるのが世の常である。
無防備の状態となった平壌にソ連軍(先発隊は丸刈り&タトゥーだらけの囚人部隊)が進軍してきて、男は殺され、女はレイプされた。
しかし彼らが兵舎に帰るときに歌を歌いながら歩いているのを偶然みかけた。
そのハーモニーが天井の音楽のように美しい。
悪行の限りを尽くす姿と美しい歌声のギャップが埋まらない。
ロシア人とはどんな人々なんだろうか?
彼は帰国した後、その疑問を解くべく大学へ進んでロシア文学を専攻した。
戦争が終わり、帰国した兵士たちが口にした言葉を私は忘れられません。
「わたしは“生き残り”ではない、“死に損ない”だ。仲間の兵士に申し訳ない」
同じ言葉が引き揚げ者である五木さんの口からも漏れたことに驚きました。
敗戦後の戦地では「お先にどうぞ」という人は生き残れない。
他人を押しのけてでも生き抜く覚悟があるものだけが生き残る。
だから、引き揚げ者は皆、後ろめたい気持ちを抱いている。
五木氏は50歳の時に重度の鬱病にかかり、数年間休筆した。
その間、龍谷大学で仏教を学んだ。
そこで親鸞の思想に出会った。
親鸞は平安時代末期に活動した僧侶で、当時の日本は血で血を洗う戦いに明け暮れ、現世での幸福など望むべくもなく、自分の行いを振り返っても極楽へいけるはずがない、という「生きるも地獄、死ぬも地獄」というすさんだ時代だった。
親鸞は「悪人正機」を唱え、「悪人こそ救われるべきである、さあお経を唱えよう」と説いたのであった。
そのシチュエーションに五木氏は自分がぴったりはまるように感じた。
正しいことを奨励するだけでは宗教とはいえない。
罪の意識を抱えながら生き続けなくてはいけない人々を救うのが宗教である。
彼はのちに「親鸞」という小説を完成させたのであった。
<番組内容>
1932年、福岡生まれ。33歳の時に「さらばモスクワ愚連隊」で作家デビュー。翌年には「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を受賞。「青春の門」「親鸞」などベストセラーを次々に生み出し活躍を続ける。その半生は激動の時代と共にあった。12歳の時、朝鮮半島で終戦を迎え、その後極限状態での引き揚げを経験した。これまでほとんどメディアで語ることのなかった、五木さんにとっての戦争と今とは。そして半世紀を超えた作家生活の中での2度の休筆。ベストセラー作家が自ら抱えた複雑な思いを聞きます。
そして85歳の今、五木さんが提案する豊かな人生の生き方とは。
「青春の門」23年ぶりに連載再開
1969年に週刊誌で連載を開始した「青春の門」。8部16冊に及ぶ作品は、シリーズ累計発行部数2200万部を超える大ベストセラーとなった。2017年には23年の時を経て連載を開始した。なぜ今連載再開したのか…、そして85歳で描く20代の主人公とは…。五木さんにとって「青春の門」とはどのような存在なのかに迫る。
朝鮮半島で迎えた終戦 引き揚げの記憶
両親とも教師だった家に生まれた五木さん。生後三か月で両親と共に朝鮮半島に渡る。子供の頃は深夜に図書館に忍び込んで本を読むほど読書に夢中だった。そんな五木さんが終戦を迎えたのは中学1年生の時、場所は平壌だった。瞬く間にソ連軍の侵攻に合い、生活の場を奪われた。命からがら日本へ引き揚げた五木さんが今なお残る戦争の記憶を語った。
華やかな作家人生も 2度の休筆
33歳で作家デビューを果たし、小説現代新人賞を受賞。その翌年2作目の「蒼ざめた馬を見よ」では直木賞受賞した。以降生み出す作品は次々とベストセラーに。そんな五木さんだが、40歳頃と50歳頃の2度休筆した時期があった。人気作家が書くことをやめた背景にはどのような思いがあったのか、またその時に出会った宗教人「親鸞」について聞いた。
豊かな人生後半の生き方とは…
2017年に発表したエッセー「孤独のすすめ」。人生後半の生き方を伝えているこの本は、発行部数30万部を超えるベストセラーとなっている。そんな作品の題材となった「孤独について」街の人はどのように考えているのか、聞いた。その答えは実に様々なもので五木さんも思わず感嘆の声を上げた。五木さんが思う「孤独」とはどのようなものなのか、またすすめるというその裏側の気持ちに迫る。
五木さんの生活信条とは
「髪を年に4回しか洗わない」「大学生以降病院には行ったことがない」という都市伝説のような噂を持つ五木さん。長年の疑問を鴻上進藤がぶつけたが、その答えにスタジオ中驚きの声が上がった。五木さんの持つ独自の生活信条、人生哲学の一端が垣間見える。
※作家・五木寛之
1932年福岡県生まれ、生後間もなく朝鮮に渡り、47年に引き揚げる。
52年早稲田大学露文科入学。57年中退後、PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門 筑豊編』ほかで吉川英治文学賞を受賞。また英文版『TARIKI』は2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門)に選ばれた。02年に菊池寛賞を受賞。10年に刊行された『親鸞』で毎日出版文化賞を受賞。
著書に『蓮如』『大河の一滴』『林住期』など多数。独自の批評、評論活動でも知られ、エッセイ集『風に吹かれて』は総計460万部のロングセラーになっている。
現在、泉鏡花文学賞、吉川英治文学賞などの選考委員をつとめる。
熱中世代・大人のランキング(BS朝日)に五木寛之が登場しました(2018.3.10)。
彼の原点は、平壌で迎えた終戦。
当時日本が占領し、日本人もたくさん住んでいた。
政府は「危険はない、そこに留まるように」と嘘をつき、しかし軍上層部はさっさと内地(日本)へ逃げて民間人は置き去りにされた。
国とは都合が悪くなると嘘をつき保身に走り市民は犠牲になるのが世の常である。
無防備の状態となった平壌にソ連軍(先発隊は丸刈り&タトゥーだらけの囚人部隊)が進軍してきて、男は殺され、女はレイプされた。
しかし彼らが兵舎に帰るときに歌を歌いながら歩いているのを偶然みかけた。
そのハーモニーが天井の音楽のように美しい。
悪行の限りを尽くす姿と美しい歌声のギャップが埋まらない。
ロシア人とはどんな人々なんだろうか?
彼は帰国した後、その疑問を解くべく大学へ進んでロシア文学を専攻した。
戦争が終わり、帰国した兵士たちが口にした言葉を私は忘れられません。
「わたしは“生き残り”ではない、“死に損ない”だ。仲間の兵士に申し訳ない」
同じ言葉が引き揚げ者である五木さんの口からも漏れたことに驚きました。
敗戦後の戦地では「お先にどうぞ」という人は生き残れない。
他人を押しのけてでも生き抜く覚悟があるものだけが生き残る。
だから、引き揚げ者は皆、後ろめたい気持ちを抱いている。
五木氏は50歳の時に重度の鬱病にかかり、数年間休筆した。
その間、龍谷大学で仏教を学んだ。
そこで親鸞の思想に出会った。
親鸞は平安時代末期に活動した僧侶で、当時の日本は血で血を洗う戦いに明け暮れ、現世での幸福など望むべくもなく、自分の行いを振り返っても極楽へいけるはずがない、という「生きるも地獄、死ぬも地獄」というすさんだ時代だった。
親鸞は「悪人正機」を唱え、「悪人こそ救われるべきである、さあお経を唱えよう」と説いたのであった。
そのシチュエーションに五木氏は自分がぴったりはまるように感じた。
正しいことを奨励するだけでは宗教とはいえない。
罪の意識を抱えながら生き続けなくてはいけない人々を救うのが宗教である。
彼はのちに「親鸞」という小説を完成させたのであった。
<番組内容>
1932年、福岡生まれ。33歳の時に「さらばモスクワ愚連隊」で作家デビュー。翌年には「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を受賞。「青春の門」「親鸞」などベストセラーを次々に生み出し活躍を続ける。その半生は激動の時代と共にあった。12歳の時、朝鮮半島で終戦を迎え、その後極限状態での引き揚げを経験した。これまでほとんどメディアで語ることのなかった、五木さんにとっての戦争と今とは。そして半世紀を超えた作家生活の中での2度の休筆。ベストセラー作家が自ら抱えた複雑な思いを聞きます。
そして85歳の今、五木さんが提案する豊かな人生の生き方とは。
「青春の門」23年ぶりに連載再開
1969年に週刊誌で連載を開始した「青春の門」。8部16冊に及ぶ作品は、シリーズ累計発行部数2200万部を超える大ベストセラーとなった。2017年には23年の時を経て連載を開始した。なぜ今連載再開したのか…、そして85歳で描く20代の主人公とは…。五木さんにとって「青春の門」とはどのような存在なのかに迫る。
朝鮮半島で迎えた終戦 引き揚げの記憶
両親とも教師だった家に生まれた五木さん。生後三か月で両親と共に朝鮮半島に渡る。子供の頃は深夜に図書館に忍び込んで本を読むほど読書に夢中だった。そんな五木さんが終戦を迎えたのは中学1年生の時、場所は平壌だった。瞬く間にソ連軍の侵攻に合い、生活の場を奪われた。命からがら日本へ引き揚げた五木さんが今なお残る戦争の記憶を語った。
華やかな作家人生も 2度の休筆
33歳で作家デビューを果たし、小説現代新人賞を受賞。その翌年2作目の「蒼ざめた馬を見よ」では直木賞受賞した。以降生み出す作品は次々とベストセラーに。そんな五木さんだが、40歳頃と50歳頃の2度休筆した時期があった。人気作家が書くことをやめた背景にはどのような思いがあったのか、またその時に出会った宗教人「親鸞」について聞いた。
豊かな人生後半の生き方とは…
2017年に発表したエッセー「孤独のすすめ」。人生後半の生き方を伝えているこの本は、発行部数30万部を超えるベストセラーとなっている。そんな作品の題材となった「孤独について」街の人はどのように考えているのか、聞いた。その答えは実に様々なもので五木さんも思わず感嘆の声を上げた。五木さんが思う「孤独」とはどのようなものなのか、またすすめるというその裏側の気持ちに迫る。
五木さんの生活信条とは
「髪を年に4回しか洗わない」「大学生以降病院には行ったことがない」という都市伝説のような噂を持つ五木さん。長年の疑問を鴻上進藤がぶつけたが、その答えにスタジオ中驚きの声が上がった。五木さんの持つ独自の生活信条、人生哲学の一端が垣間見える。
※作家・五木寛之
1932年福岡県生まれ、生後間もなく朝鮮に渡り、47年に引き揚げる。
52年早稲田大学露文科入学。57年中退後、PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門 筑豊編』ほかで吉川英治文学賞を受賞。また英文版『TARIKI』は2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門)に選ばれた。02年に菊池寛賞を受賞。10年に刊行された『親鸞』で毎日出版文化賞を受賞。
著書に『蓮如』『大河の一滴』『林住期』など多数。独自の批評、評論活動でも知られ、エッセイ集『風に吹かれて』は総計460万部のロングセラーになっている。
現在、泉鏡花文学賞、吉川英治文学賞などの選考委員をつとめる。