小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

鈴木その子

2008-10-05 01:16:34 | 医学・病気
鈴木その子

今では故人になってしまったが、ダイエット研究家の鈴木その子さん。
まあ、一言でいえば昔の日本人の食生活が良いということだろう。彼女は自説に自信を持ってて、本などで読んでもよく研究してて、生化学の代謝の知識の豊富さに感心した。彼女は他説を否定し、また自説を否定されることを怒る。私は別に否定しない。世に健康法の本は無数にある。健康法以外でも、宗教でも何でもハウツーものでは、我こそは真説と主張している本のいかに多いことか。ある説を主張している本があるかと思えばその正反対の説を主張している本もある。これでは読者がまよってしまう。では何が真実なのか。
一言でいって、そういうのは大抵、自分がそれをやって利いた場合が多い。だから、それはその人にとっては真実なのだ。しかし、人間は体質も性格も一人として同じ人はいない。自分にのみあてはまる真実を全ての人に敷衍している場合が多い。
ブルース・リー語録にもこういうのがある。
「私にとっての真実はあなたにとっての真実ではない」
「真実は限定されない」
それと自分の専門の視点で見てしまっている場合がある。私が研修医の時、指導医の先生からこんな話を聞いた。ある先生がいて、その先生は膵臓炎が専門だった。その先生にかかる患者は皆、膵臓炎と診断名がついてしまった。病理学者のウィルヒョウによって近代医学は臓器の病気という事がわかった。肝硬変は確かに肝臓の病気である。しかし人体は決して独立していない。人体はそれ自体、一国の経済のようなもので、全てが有機的に関連している。だから体の調子の悪い人は膵臓にも影響が出ていると言っても誤りではない。つまりその先生の考えは誤りではない。多くの人が自分の専門を持っていて自分の専門の視点から見てしまうため百花繚乱の健康法の書物が出来てしまうのである。
ではどうすればいいか。それは、自分にとっての真実を探すしかないのだ。

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