小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

ひさしぶりにテニスをやった

2008-10-11 22:45:53 | 武道・スポーツ
夜、久しぶりにテニスをやった。
一番近いテニススクールで。
昼、慶応の「秋祭」で元気にダンスしている人達を見ていたら、私も体を動かしたくなった。ビジターがあればいいのだが、ここは無い。一回だけ無料で体験で参加させてくれる。以前にやってしまった。しかし一回だけの無料体験レッスンも、一年以上やらなければ、時効である。
久しぶりに汗をかいた。水泳だのジムだのは、休みたくなったら休めるからダメである。

数日前、体力の基本はランニングだと思って、ランニングシューズを買った。
私もランニングをはじめようと思っている。ジムのランニングマシンではダメである。
政治家の鈴木宗男は、ランニングをかかさずやっていて、私はそういう人は偉いと思っている。
ブルース・リーもランニングを日課としていた。


「格闘は策略をもって行なうゲームである」
とブルース・リーは言っているが、テニスも全く同じである。
相手はどのくらいの技術レベルとか、どういう性格とか、どういうクセを持っているとかを読まねばならない。
ボサッとしていてはダメなのである。
これは、シングルスでもダブルスでも言える。

ちなみに、最近オートテニスが少なくなった。
理由はオートテニスをやる人が少ないからで、やっても上手くならないから、やらないのだそうだ。

私はこの意見には反対である。
やり方を間違えなければ、オートテニスは上達に無意味ではないのだ。
確かにオートテニスのボールは死んだボールである。
オートテニスはスピードを一定にして、繰り返し打つべきものだと私は思っている。単調な味気の無い練習だが。しかし、そうするとラケットを握る手首の固定が出来るようになるのだ。
いわば、空手の練習における空突きの訓練のようなものである。
使い方を誤らなければ、オートテニスは決して死んだボールでも、無意味な練習でもない。

この事は、ホームページの「武道・スポーツ上達法」に書いた。

バッティングセンターは近くにある。ので、たまに行って打つ。
野球のバッティングのスイングとテニスのスイングとは無関係ではない、と私は思っている。










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慶応大学の「秋祭」に行った。

2008-10-11 19:40:14 | Weblog
今日は慶応大学湘南キャンパスの「秋祭」に行った。
ここの大学の図書館は市民なら使えて、車で10分で行けて、しかも夜11時まで開館している。
そのため、よく利用した。いい図書館なのだが、ちょっと空調が悪く、むしむしするので、そこが難点である。ので、利用しなくなった。

慶応の中等部、高等部もある。
慶応の生徒は知的でエレガントである。
慶応の女子中学生を見て、つい、「うっ。可愛い」と思ってしまった。
こういう心理は精神医学的に、ロリータ・コンプレックス、と言われている。


今日の「秋祭」は、学園祭とは違うだろう。
色々な学部の教室とか見たかったが、やってなかった。
ステージでダンスを何度もやっていた。




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