小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

昨日、外来診療を見学した

2008-10-10 05:02:29 | 医学・病気
昨日、外来診療を見学した。
大学のポリクリ以来である。
前夜、不眠で睡眠薬を飲んでも眠れなかった。
そのため、朝が辛かった。
居眠りしながら見学したりしたら、印象を悪くしてしまう。ので、やめようかとも思った。私はこの大学の医局とは、つながりを持ちたいのである。
しかし、やっぱり決断して行った。
もちろんスーツにネクタイをしめて、白衣も持って。

午前中は感動した。
人の命を救う事に較べたら、小説を書く事など、くだらない事のように感じられた。こういう経験は何度もしている。
表現したいものがある人は、芸術をとるか、行動をとるか、に悩まされる事になる。

昼休みの後もカルテを読んでいた。
私は病院に行くと、いつも思う事なのだが、全てのカルテを読みつくしたい衝動にかられる。実際、以前、ある内科、外科の病院では、徹夜で、一晩で病院のカルテを全部、読んだこともある。医療は演繹的ではなく帰納的に学んだ方がいいのである。

午前中は、ついうとうとして転びそうになってしまった。
午後も、外来診療があって、かなりたくさんの患者を見れた。
だんだん、どういう疾患が多くて、どういう治療をするかがわかってきた。
一度、見るか見ないかは天と地の、あるいは雲と泥の違いがある。
一度見ると、もう、その科の様子がわかるのである。
私が、一を聞いて十を知る、能力があるのではなく、一つを見て奥深いものを知ると、他も奥深い事が、想像できるのである。氷山の一角を見ると、氷山があるという事が実感できるのである。
一日でもいいから、ある科を見ると、その科の様子がほとんどわかってしまう。

しかし夕方になると、もう厭きてきた。同じ事の繰り返しである。
一日で厭きてしまうのに、それを一生やるなんて私には拷問よりつらいような気がする。
東大の経験30年の非常勤の先生が無給で診療していた。
びっくりした。
理由は、一つの大学では、その大学のやり方があって、視野が狭くなるから、他大学のやり方で診療する事が視野を広くする勉強になるからだと言う。そして、大学とのつながりをもつことによって、その大学に紹介することが出来るからだという。

医者は皆、真面目な人ばかりである。

やはり医者は偉い、とつくづく感じた。

私も一応、医者の端くれなのに、医者が、そんな患者のような事を言うのはちょっとおかしい。やはり私は医者の端くれに過ぎない。

そして思う事だが、医学とは人間の差別心を無くしてしまう学問である。

人の顔に美人や不美人はあっても、病気や人体の臓器に美人や不美人はないのである。



駐車場が満車だったので、路上駐車した。思った通り、しっかり駐車禁止のシールを貼られてしまった。ので、帰りに警察署に寄った。
で、警察官に話しかけた。

私「拳銃はニューナンブ38口径ですね」
彼「よく知ってますね。でも他にもあります」
私「リボルバーですか。オートマチックですか」
彼「・・・・」
私「柔道は何段ですか」
彼「無段」
私「剣道は」
彼「初段」
○(彼、交通反則告知書と納付書を書いて渡す)
彼「これを銀行か郵便局で支払ってください」

私は数日前、ウィンカーをつけずに止めた。すぐに違法駐車の巡回車が来て、ナンバーをひかええ始めた。私があわてて行ったら、やめた。頭にきたので、その後、少し、その巡回車をつけてやった。路上の人が笑ってた。



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