小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

ゴミ袋の有料化

2008-10-01 04:37:31 | Weblog
私の住んでる市ではゴミ袋が有料になった。
コンビニでゴミ袋をまとめ買いするのは、さほど面倒ではないが。
しかし、何のために高い市民税を払っているのか。
私はこんな市長も市議会も全く信用していない。

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相模川の橋

2008-10-01 04:31:59 | Weblog
相模川は神奈川県の中央を流れる大きな川である。
いくつか橋があるが、海老名方面と厚木市を結ぶ所はいつも渋滞である。
大きな橋が二本あるが、それでも渋滞である。
なぜもう一本、橋をかけないのだろう。
橋は高速道路と違って距離はほんのわずかである。
橋をもう一本つくったら、車の流れがスムースになり、それにかかる費用以上の経済効果は間違いなくある。

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民主党の選挙公約

2008-10-01 04:07:27 | Weblog
とうとう麻生太郎氏が総裁になってしまった。残念である。

民主党は次期選挙で、高速道路の無料化というのを選挙公約にしているが、これは無茶苦茶である。高速道路の料金はバカ高い。そのため私は高速道路は極力つかわない。しかし、逆に言うなら高速の料金は確実な国の収入源なのである。
こういう確実にとれる所を財源にするというのは経済の原則なのである。高速道路をつくるのにかけたバカ高い国民の税金も出来た高速道路の通行料金で、かなりとりもどせるのである。

高速を無料にした場合、どういう経済的メリットがあるか。個人としては高速をつかう人が少しは増えるだろう。地方の観光に行く人もほんの少しは増えるかもしれない。だがそれで地方の活性化が起こるだろうか。やはり高速を無料にしても大して変わらないだろう。

流通会社では高速の無料化によって会社の負担が少しは減るだろう。だが、それもたいした影響は出ないだろう。

選挙に勝つために、国民受けする事をアピールして、もし本当に政権とれたらどうするのだろう。

以前、村山内閣が、野党の時「自衛隊は憲法違反である」とはっきり主張して自民党を責めた。社会党だから当然である。それが与党になったら、一変して海上自衛隊の護衛艦に乗って笑顔で双眼鏡を手にしていたあのバカ面は忘れられない。

はたして民主党はあんな国民受けするだけの滅茶苦茶な選挙公約を守るだろうか。



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車嫌い

2008-10-01 01:20:37 | 考察文
車嫌い

私は車が嫌いである。理由はいくつもある。車なんて所詮、他人が作ってくれたものだからである。車の運転技術なんて一ヶ月もあれば身につくものである。老人でも運動神経ゼロの人でも車なんて運転できる。所詮、他人がつくってくれた物であり、金で買えるものである。私は高級車に乗ってイキがってる人間が嫌いである。私自信はどうかと言えば、私は免許を取ったのは大学の時だが、車を買ったのは大学を卒業して研修医になってからである。当直にどうしても必要だったからだ。だが、今ではもう車なしでは生活できない。だが、私は新車は絶対、買わない。35万以上の車は絶対、一生、買わないだろう。高級車に乗ってイキがるのがみっともないからである。世間ではそれがカッコイイらしい。価値観が正反対である。
実はそれ以外にも私が車を嫌う理由があるのである。
それが私の潜在意識でどの程度、影響しているのかは、私にもわからない。私の伯母(父の姉)は私が高校一年の時、車にはねられて死んだ。はねた相手は大学生で免許とりたての学生だった。私は事故を見ていないが、伯母の最期は悲惨だったらしい。「痛い、痛い」と泣き叫びながら死んだらしい。伯母は生まれて、三月以内に小児麻痺に感染した。そのため、伯母は一生片足をひきずって歩く人生だった。伯母はそのため結婚も出来なかった。それで私をよくかわいがってくれた。だが、私は伯母がそれほど好きではなかった。伯母は宮城道雄の弟子で生田流の琴の免許皆伝だった。父は不自由な姉を慮って伯母と祖母が住んでいる家の近くに家を建てた。伯母の家では、いつも弟子に琴の稽古をしていた。伯母の家に行くといつも琴の音が聞こえてきた。弟子は50人位いた。ただでさえ、伯母の人生はかわいそうであった。それが私が高校一年の時、車にはねられて死んでしまったのである。人の死顔を見たのも葬式に出たのも、その時がはじめてである。父親はひいた大学生を憎んだ。彼は私立の夜間部の学生だった。ひいた時、「やっちゃったんだからしかたがないだろう」と反射的にせよ、怒鳴った事も父を怒らせた。はした金の保険金でおしまいである。大学生は、もちろん顔を出さず、全て彼の父親が事故の対応をした。私は伯母に愛着を持っていなかったので、相手を憎む気も起こらなかったし、伯母の死に悲しみも感じなかった。私の伯父(父の兄)も喘息重積発作で若くして死んだ。私の祖母(父の母親)はもう死んでいるが、息子と娘を失った母親の気持ちとはどんなものだろう。祖母は思いを言葉にあらわさない忍耐強い人だった。祖母もその後、車にはねられ、足を骨折した。相手は仕事で車に乗っていた。父親は祖母が、それによって寝たきりになる事をおそれた。しかし、祖母は子供の時から負けず嫌いで、一生懸命、リハビリして、元通りに回復した。私も去年、ダンプにはねられた。私の家は交通事故被害者一家である。高校の時はオートバイの免許が取りたかったが、そういう事もあって父が許してくれなかった。
所詮、車なんて走る鉄の人殺し機械である。

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