日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

教授と恥ずかしい経験と長年の疑問で謎と漸く  2023131

2022-12-10 22:25:48 | 日記
 https://blog.goo.ne.jp/dark_angel_jam/e/1c067e7139e12edfb7dd731bfd134ef3

この記事の時で何故か後にスタンフォード大学を卒業した教授の講義を受けた後に、笑みを浮かべられながら呼び止められたんだよな微笑。その教授が当時受け持っていなかったのに,私の他の講義での様子を話され知っていて驚いたんだよな。

そこでその教授に、何故そんな声を発してしまったのかと問われた時には何故そんな恥ずかしい場面をという心境に為ったが,正直に話そうと思った.

その正直な内容なものというのが,「「あっ」という声の後に言葉が続いたんですよ」という事を述べ,「その言葉が「今迄に,ずっと考えて探していたもので,疑問と謎だったものゝ答えが正に此れだ!」という心の声が思はず外界に声として出てしまったという何とも恥ずかしい事で」と.微笑」その後の教授は何とも合点がいったという顔をしていた.

もしかしたら,後で教授達が井戸端会議などをする時に,その講義で声を発してしまった教授に笑いの種を提供して,他の教授達にも同様の笑いを提供しまったのかもしれない.だとしても事実なのだから,当時は滅茶苦茶恥ずかしかったが,今思うととても良い経験だと思う.

受けたのはアルゴリズムという講義であったが,私の時代は情報という授業が無い高校時代の端境期であらゆる改善がされる前の見捨てられた世代.故に,その衝撃は大きかった.

しかし,その講義を受け続ける段階がその時点では何か「二段階足りない」様な気がしていたから自分から辞退したが,当然に本当は受けたかったが,頻繫に衝撃的なところが在って,心の声が常に外に漏れているんじゃないかと判らなくなり,此れは拙いなという思いからその判断をした二回か三回は出てしまった気はする.

それを受けてもあるが,それは何なんだろうと言うのが一番大きかったのかもしれないな.これか.

漸くだな.
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構造と構造性と興奮

2022-12-06 13:19:24 | 日記
 構造であるよな。その構造からの構造性。

常にこの事に苦労させられて来たのかもしれない。この事は情報科学では分野があるんだよな。

大変に興味深いし滅茶苦茶面白かったが一つ目の大学で初めての講義時は丸で解らなくて,けれども興奮して,それで講義中に思はず叫びそうになったんだよな。もしかしたら小さい叫び声が漏れたかもしれない恥ずかしい。

何と言っても一瞬周りの視線が向いた気がした時があったし(笑)周りには申し訳ないと言う気持ちですいませんすいませんと謝った記憶があるし(微笑)

何に興奮をしたのかというのは当時認識出来るか出来ないかの状態だったけど,「此れだ!!」という言葉に為らない思いと感情が浮かぶと同時に,何だか二段階か三段階先だという思いが同時にして,残念な気持ちになったんだよな。

それで,受けられたのは数回の講義だったけど,講義中に何度も「うはっ」という言葉を毎回発している気がして,これは周りに迷惑になるなという思いに至り,出席しないことにしたんだよな惜しかったが。

あらゆる事に関係しているのに,構造に目が向いていなかったものなぁ~,,,,あぁ~ぁ。
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先生と発達とマコトとアルス・マグナへ  202211301206

2022-11-29 17:38:04 | 日記
 課題を考えている時、様々な事が頭を過る。過去での経験や学習してきた過程やその時の疑問や先生に問うた時の応答としての返事。

勿論問うて応答してくれない先生や、その事ではないのになと言う様な応答をしてくる先生や、そんな事を聞くなと言う驚きの反応を示す、到底先生とは思えない反応の先生もいた。その有り得なく思えない反応を示したのは高校の頃で今の段階視点では先生ではなく教師だな。

そう言えば高校(追記・での)その存在は自分で先生ではなく、教師だといい放っていたか。その英語教師。

そんな事を思っていると教師という存在は学年が上がって行くに従って、先生と呼べる存在から教師と呼ぶ存在へと変化して来たんだなと、主観的な観測者としての視点では思える。詰まりは対象者として個の独立存在という事なのだろう。

この段階を経ると私の場合はマコトから先生と呼べる、或は思えるのは自分にとって、身体性の近しい存在で、且つその要素を受け容れ取り込みたい、或は通じる要素が何かしらあるということが必要なのだろうということ。

そして、この考えている時の中で頭は絶えず、小さい方へ小さい方へと焦点や視点が引っ張られるのでその度に、広角で見なければと意識して持っていき、その度に具体的な方法を試す。

(追記・それはあらゆるモノに当て嵌まり,夢中に為りそうな時に傍と気付き,)そうすると先程の書いていたものは中次のものであったなと認識し、又遣ってしまったと時間の経過に焦るのだ。

追記 何とか為らんものかなこの時間の浪費.解ってはいるがという感じか.此れであるな.
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睡眠と日常生活と思考  追記 20221129

2022-11-27 13:11:17 | 日記
 頭に思う文章の組み立てる速さが、改善したと思ったら今度は季節に対応できなくなって、水の様に血を便所に流すようになって一週間半くらい毎回行く度で身体が、貧血になってしまって、脈拍が上がり、息苦しくて、胸が痛く成るというかなりやばい状態になる。

しまいには変な眠気と思考出来なくなって、愈々やばいなと言う状況で、必死に考えると煎餅布団で寝ていた状態の屯田兵の話を思い出し、これが原因だという思いに居たり、圧迫が原因だなという思いにも至る。

貧血は本当にやばいな。現代は座る事が本当に多いからなだから負担がかかると症状が起きたりする。それから睡眠環境はこれからどういう状況に為るのかを意識しなければならないということを改めて認識させられた。

それで最近に為って漸く普通の思考に戻って来て考えられる様に成って来た。追い詰められるとそういう日常生活の事に目が向かなくなるから、危ないよな。
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表情の意味と文章組み立てと構造  20221127.28

2022-11-08 18:11:54 | 日記
 やはり段々と慣れてくると早くなってくるな.それに根本の原理を自分の思考に求められるというのは新たな挑戦だったのかもしれない.この事を考えた事によって自分が何を研究したかったのか浜崎洋介の話も含めて何だか全体像が朧げに見えてきた気がする.

今更かよと言う気もしなくもないが,この事が決まらなくて研究職を挫折する人も居る位だしな.全く愚かしいと言う程でもないのかもしれない.

何だか,文章が自然と発生する感覚を得る様になるというのも一つの成果だったしな.自分が日本語文法に付いての理解が不十分だったと言う事を改めて認識させられることに為るとはと言う感じだ.

一つ思ったのが何故古文が昔はよく取りあげられていたのかと言う事だよな.最近少しやってみて,古文が外国語の文章を学習する前段階にもなりうると言う事と情操と言う面にも向かう可能性があると言う事か.

だけど此れは自分で総合的に捉えるという姿勢で性質というモノに目が向いて居ないと非常に厳しいものだよな.小学生の頃に周りに性質ってどういう事なの?っと聞いて周ったが誰も明確に答える人が居なかったんだよな.その時にも祖父ならその質問に的確に答えられただろうねという祖母の悲哀な表情が忘れられない.

そういう顔の表情が昔は解らなかったんだから.
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