日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

内的感覚の統合20170106-07

2017-01-06 00:00:23 | 日記
前に書いた、「感覚の日本語統合」

http://blog.goo.ne.jp/dark_angel_jam/e/18f1b223ca402ac40c84a3edf540a92c

から言葉の重なりが建築の土塀などに共通感覚があると記録した。

何週間も前から、何故私は昔大工の棟梁に成りたかったのか理解できない感覚だった。幼い日そう思ったのは単純に身近に其れに近い存在を見たからだと自身で納得させていた。


それでも何処か違うような気は時折して、その都度考えては疑問に思い、結論に達せず、そして何故か尊敬する祖父のことを思い、そしてまた幼い日の感覚を思い出そうとして、又、それを深く考えることなく月日が過ぎてしまった。


そして、漸くこの「感覚の日本語統合」を切っ掛けにして分かった。

大工の棟梁とは伝統を受け継ぐ存在であり、自身を情操させる感覚の象徴であったということ。また、それを思い描くときに祖父を思い出していたのは言語も得意であった祖父で日本語に特に興味を持っていたということ、そのこととそこから言葉を連想させていたということ。言葉は伝統を受け継いでいる文化であるということ。つまりは言葉は棟梁の道具であったのだ! 


だから、建てる時に道具がいいかげんだと、神経は磨り減るわ、グラつくわで、建てては崩れ〃でどうしようも無かった訳だ。


何故皆、読むことの処理が早くて、頭に入るのか分からなかったが、自身の内側として漸く腹に堕ちた。これは感覚的には運び入れられたと成るのかな(微笑)


あったっま悪いよな~。高校の頃なんか感覚なんて価値の無いモノなんて思って居たものな・・。

 武田邦彦が、感覚はとても大事だということを言って居て救われた気がしたんだよな。






コメント
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