26日にロシア人の動画を見てしまう理由が漸く分かった。
祖母と同じ母語であって、その上から日本語を話していたということだったんだと。祖母は完璧な発音の筈の日本語で、今回気付けたのは奇妙な間違えをしたことがあったのを思い出したからだ。ということは完璧だと思っていても、音域パターンが何かしらの特徴があるということか?それ故に何か掴みきれない様な感覚かあったのだろうか?
そう言えば祖母は叔母と話している時に聞いたこともない言葉で話していた事も思い出した。その聞いたことのない言葉の発音の中にロシア人ユーチューバーの話していた言葉の発音があって思い出し、確信したのだ。
そんな事を思い出すと、祖母の話してくれた事で祖父との馴れ初めの話を思い出す。その時の話が何だが奇妙に感じたのは出来過ぎていた様に思ったからだ。恐らく何か辻褄が合わない事があるのだろうという感じ。
そこで言語学習する上で、一番効果的という話を聞いたことを思い出す。一番効果的なのは言語の互いの交換というか学習であると。以前マックで働いていて一念発起して、ブログに書いていた人が教えてくれた事と繋がる。何処かの大学でも推奨していたんじゃなかったか。その大学の問題も内情を知る教授から直接聞いて確かにという確信も得たが。
そして、此処まで分かってきたのは武田邦彦の誠を重んじてきたからだなっと改めて気付かされる。
初めの時点で狂っていたので何が重きを置く事なのか解らなくなって居たというのは大いにある。言葉と行動が伴っていなかったのでソレそのものが曖昧になり、実感出来なかったということか。それ故に、何がソレで存在しても、ソレだと気付かず思えず、混乱と混沌の海へと言う感じか。
祖母と同じ母語であって、その上から日本語を話していたということだったんだと。祖母は完璧な発音の筈の日本語で、今回気付けたのは奇妙な間違えをしたことがあったのを思い出したからだ。ということは完璧だと思っていても、音域パターンが何かしらの特徴があるということか?それ故に何か掴みきれない様な感覚かあったのだろうか?
そう言えば祖母は叔母と話している時に聞いたこともない言葉で話していた事も思い出した。その聞いたことのない言葉の発音の中にロシア人ユーチューバーの話していた言葉の発音があって思い出し、確信したのだ。
そんな事を思い出すと、祖母の話してくれた事で祖父との馴れ初めの話を思い出す。その時の話が何だが奇妙に感じたのは出来過ぎていた様に思ったからだ。恐らく何か辻褄が合わない事があるのだろうという感じ。
そこで言語学習する上で、一番効果的という話を聞いたことを思い出す。一番効果的なのは言語の互いの交換というか学習であると。以前マックで働いていて一念発起して、ブログに書いていた人が教えてくれた事と繋がる。何処かの大学でも推奨していたんじゃなかったか。その大学の問題も内情を知る教授から直接聞いて確かにという確信も得たが。
そして、此処まで分かってきたのは武田邦彦の誠を重んじてきたからだなっと改めて気付かされる。
初めの時点で狂っていたので何が重きを置く事なのか解らなくなって居たというのは大いにある。言葉と行動が伴っていなかったのでソレそのものが曖昧になり、実感出来なかったということか。それ故に、何がソレで存在しても、ソレだと気付かず思えず、混乱と混沌の海へと言う感じか。