日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

対数関数とデュープス

2018-12-15 00:05:01 | 日記
 対数関数に付いての理解すべき深度については以前書いた。ソレを踏まえた上で、その事を理解してみると、人にとって、大きい意味の対数とはどういう意味に為るのだろうかと思った。


以前書いたことはそれを正しく認識することに留まって居たと思う。多くの人がその先へは行っていないんじゃないかと文章などを見ると思える。これもGHQのWIGPの影響なのか解らないが。


そうした事を前提として先へ進んでみると、この事は人の認識状態の事何じゃないだろうかということに行き着く。ある二つの事がある場合について、最大でも人はこの様な認識の仕方をするというということを言っているのではないだろうか。


おそらく祖父が生きていたらこんな風に言うんじゃないだろうかという事を想像させる。


此処まで来れば、自分のモノの一つになった気がする。


感覚との統合が起こったから解るんだな。もう一つ数学の歴史学習しているが、成る程と納得させる事柄とも重なる。数学に限らず歴史は物事の対数的理解なんだなーっと言うことも理解させる。


この事を考えてみると、世界で議論されているCOPなどの環境問題などの西洋人の議論は敢えて間違った方へ誘導しているのか、分からなくて、結果的にそういう風に工作活動になってしまっているのか疑問にも思う。


最近興味を引いている戦略の話のものではデュープスというらしいが(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする