日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

2つへの思い    20210919

2021-08-16 01:07:41 | 日記
 勉強と課題は違うと言う事に今更ながら意識させられる様に為るとはね。

だがそれもいいとも思える。それは世の中では一応体系的とされるものを知ることによって、業界での標準認識が学べるからだという事になるのか。この言葉を書き出す野に随分と時間を要したな。

一応感覚的には解っているだが、それを言葉として意識に登らせる形で纏めるのは相変わらず勇気と根気の要る行為だよな。この事に寄って自分自身の見方が確立されると思えば興味深いことではあるが。


そして勉強とは自分自身の興味の赴くままに知を探求できるという。之は此れで大事な行為ではあるんだよな自身にとって。

こういう事を学んできたんだよな。学ぶことが思ったよりも膨大で此処まで達するのでさえ苦労したものな。

単なる愚痴だな。



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認識できたこと   20210819

2021-08-16 00:41:05 | 日記
 父が私の言葉を解せない様に為ったのは何時頃からだろうか。そう思うとき直ぐには思い出せない事である。

そうする事を感じ始めたは漸く大学で勉強を始められ、自身と向き合う事を始められた時だっただろうか。それまでは知識と感覚だけで判断していたと思える。

それが考える事とはどういう事かと教えられ始めたときに、何を遣っているのか解らなく成ってソレを考え始めて、「考えることを考えている」のかと言うのが結論だった。そしてそのソレを意識しだした時から父が私の言葉を解せ無く為り始めて来た様に記憶している。

父に何度説明しても納得してもらえない事が多く為り、もういいという風に聞く耳を持たなく成ることが多く為っていった。

そして、しばしば納得したものは奇妙な事に、私が話した事を自分が考えた事の様に、錯覚する様に為って行った。最近ではそれはアフガニスタンの事など。

それまでにソレを間違った認識だと指摘すると、大変自尊心が傷つけられるのか、父は存在していても仕方がない、死にたいと言う様な反応を見せたりする。

何故そうなるのかと思う面もあるが自分がしたい、詰まりは学びたいと言うことが出来なかった過去が大いに関係しているのかもしれない。

そして、それでいて私を軽んじたりする事も多々あり、最近は次第にそういう認められないのが父なのかも知れないと最近思う様に成った。

 この認められないと言う事を私が認識出来なくて、現象としてだけの父の姿を見てきた様に思う。だからこそ私自身はとても傷付けられたりしていた。

その一例が昔から父は初めの約束を違える事を軽んじる傾向があり、そして、不平等を言いつつ自分の兄が滅茶苦茶な事を言って居るのにソレを受け入れ、自身の子である幼い私を助けてくれないという行為があたり。更には容易に見捨てると言う行為も幼い頃から度々あった。

その度に傷ついていたが、それも認識できないで居たんだよな。



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