好きなキャラクターが居る物語とそうでない物語の違いは何なのだろうか。因みに好きなキャラクターはナルトでは「うちはイタチとオビトである」そして、そうでないキャラクターの代表例は宇宙戦艦ヤマトである。
宇宙戦艦ヤマトに付いては昔からそうであった。昔とは初めて見た時の小学生の時で何回か再放送されて丁度宇宙戦艦ヤマトが世間でも受け容れられて、有名になり大人気の時期でもあって、当時学校で好きでもないのに曲を歌わされて、誰もが宇宙戦艦ヤマトに付いて楽しそうにしているのをみて不思議に思っていた。
それは上級生に行く程に顕著で、先生達まで夢中になっている節があって、私には何もというか誰にも感情移入出来なくて、全体の大まかな物語として観ていたが、何故なんだろう。
という思いだけが募り、そして世間や世の中的に、何故この作品がこんなにも人気なんだろうかという思いだけが募り、初めから観ていないからか?という思いから、始めから観る事にした。けれども始めから観てもそれ程にというか、当初の思いと変わらず自分に特別に響いてくるものが無かった。
それは現在でも、宇宙戦艦ヤマトに付いて必ず物語の中で自分が思い入れられる人が居るという風に、監督と思われる人が評していたが今回も特に居ない様に思えた。心理学的に言えば思い入れられる人は詰りは自分に似ている人という事になるのだが、この作品は何時も何故か存在しない不思議な作品なんだよな。
宇宙戦艦ヤマトに付いては昔からそうであった。昔とは初めて見た時の小学生の時で何回か再放送されて丁度宇宙戦艦ヤマトが世間でも受け容れられて、有名になり大人気の時期でもあって、当時学校で好きでもないのに曲を歌わされて、誰もが宇宙戦艦ヤマトに付いて楽しそうにしているのをみて不思議に思っていた。
それは上級生に行く程に顕著で、先生達まで夢中になっている節があって、私には何もというか誰にも感情移入出来なくて、全体の大まかな物語として観ていたが、何故なんだろう。
という思いだけが募り、そして世間や世の中的に、何故この作品がこんなにも人気なんだろうかという思いだけが募り、初めから観ていないからか?という思いから、始めから観る事にした。けれども始めから観てもそれ程にというか、当初の思いと変わらず自分に特別に響いてくるものが無かった。
それは現在でも、宇宙戦艦ヤマトに付いて必ず物語の中で自分が思い入れられる人が居るという風に、監督と思われる人が評していたが今回も特に居ない様に思えた。心理学的に言えば思い入れられる人は詰りは自分に似ている人という事になるのだが、この作品は何時も何故か存在しない不思議な作品なんだよな。