かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 2の184

2019-08-05 19:57:44 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の25(2019年7月実施)
     Ⅲ〈行乞〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P120~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放

184 もんもんとあがる煙のうらがわへ さみしいよ 光るのこぎりをおく

          (レポート)
 まず煙りの立ちあがる風景を見せ、一字アケを両端に配し「さみしいよ」とつぶやきをひびかせ、最終句で煙りの裏側へ、手にしていた「光るのこぎりをおく」。歌の眼目はいわずもがな「さみしいよ」の吐露にあるだろう。しかしなぜ、何がさみしいのか。手がかりは「煙」と「のこぎり」にあろう。一首を連作のなかで鑑賞し、前首に繋げれば農耕作業の歌ともとれ、後首につなげれば古墳作業の歌ともとれるが、むしろそのような限定した場面を想像するのは、この歌の場合つまらないように思う。ある「もんもん」と苦悩する重たげな煙りの裏側へ、こんなことをするのはもうイヤだといわんばかりに、冷たく凶器めく光る鋸をおいている、それが見えればじゅうぶんなのではないか。「さみしいよ」は置かれた立場の理不尽さから来るものか、狂おしい恋心からくるものか、その理由や原因はわからないが、さみしい抒情はたしかに手渡される。煙、さみしさ、光るのこぎり、の取り合わせがなんとも巧みだ。(真帆)


     (当日意見)
★今、松男さんの挽歌を評論で書いているんですが、お母さんを焼く歌があって一時間ほどの
 煙ってうたっているんですね。もしこれがお母さんを焼く煙だったら「もんもんと」も「さ
 びしいよ」もよく分かりますね。古代の人はその焼き場の煙が天に昇って雲になるって考え
 ていて、雲は亡き人の形代だったんですね。この歌はそういう指定が無いので、たき火の煙
 かもしれないけど。結句の「光るのこぎりをおく」がこの作者にしか言えないことばです 
 ね。これは何なんでしょう?(鹿取)
★分からないけどものすごく好きな歌です。「煙の裏側」って何でしょう、普通、煙に裏
 も表も無いですよね。光るのこぎりって鋭角的、シャープで透明、何なんですか。
    (A・K)
★分からないけど、何か鋭いもの、何かえぐるもの、でもそれを置くんだから、それ棄て
 ちゃう?それともお守りみたいにそこに置くの?(鹿取)
★もし、近親者を焼く煙だったら、そしてのこぎりを置く行為が葬儀に関連したものだっ
 たら、理屈っぽくなってつまらないですね。この作者は、こう言ったら読者には分から
 ないだろうとか、そういうことは忖度しない人なんですね。われわれはこう言っては分
 からないだろうとか、これを言わないと分からないだろうとかいろいろ付け加えて説明
 的な歌を作ってしまう。いちばん自分が言いたかったことが消えてしまう歌を作りがち
 ですね。渡辺さんは自分の言いたいことだけを言う、人に分からないだろうとか考えな
 い。すごいですね。(A・K)
★もくもくとだったら普通だけどもんもんとって選んでいる。細かいところには神経を使
 っていますね。(真帆) 
★「僕の歌はいい加減だからどんどん切って下さい」っていつか松男さんに言われました
 けど、もしかしたら「光るのこぎり」は本人にも説明が付かないかもしれないですね。
 でもそれは直観なんで、この言葉じゃ無いといけないのでしょうね。(鹿取)


         (後日意見)
 当日の鹿取発言の中の煙の歌は次のもの。(鹿取)
とほうもなきしじまを残し母はゆけり一時間ほどのみ空のけむり
                   『泡宇宙の蛙』

コメント
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