渡辺松男研究2の25(2019年7月実施)
Ⅲ〈行乞〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P120~
参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、鹿取未放
レポーター:泉真帆 司会と記録:鹿取未放
184 もんもんとあがる煙のうらがわへ さみしいよ 光るのこぎりをおく
(レポート)
まず煙りの立ちあがる風景を見せ、一字アケを両端に配し「さみしいよ」とつぶやきをひびかせ、最終句で煙りの裏側へ、手にしていた「光るのこぎりをおく」。歌の眼目はいわずもがな「さみしいよ」の吐露にあるだろう。しかしなぜ、何がさみしいのか。手がかりは「煙」と「のこぎり」にあろう。一首を連作のなかで鑑賞し、前首に繋げれば農耕作業の歌ともとれ、後首につなげれば古墳作業の歌ともとれるが、むしろそのような限定した場面を想像するのは、この歌の場合つまらないように思う。ある「もんもん」と苦悩する重たげな煙りの裏側へ、こんなことをするのはもうイヤだといわんばかりに、冷たく凶器めく光る鋸をおいている、それが見えればじゅうぶんなのではないか。「さみしいよ」は置かれた立場の理不尽さから来るものか、狂おしい恋心からくるものか、その理由や原因はわからないが、さみしい抒情はたしかに手渡される。煙、さみしさ、光るのこぎり、の取り合わせがなんとも巧みだ。(真帆)
(当日意見)
★今、松男さんの挽歌を評論で書いているんですが、お母さんを焼く歌があって一時間ほどの
煙ってうたっているんですね。もしこれがお母さんを焼く煙だったら「もんもんと」も「さ
びしいよ」もよく分かりますね。古代の人はその焼き場の煙が天に昇って雲になるって考え
ていて、雲は亡き人の形代だったんですね。この歌はそういう指定が無いので、たき火の煙
かもしれないけど。結句の「光るのこぎりをおく」がこの作者にしか言えないことばです
ね。これは何なんでしょう?(鹿取)
★分からないけどものすごく好きな歌です。「煙の裏側」って何でしょう、普通、煙に裏
も表も無いですよね。光るのこぎりって鋭角的、シャープで透明、何なんですか。
(A・K)
★分からないけど、何か鋭いもの、何かえぐるもの、でもそれを置くんだから、それ棄て
ちゃう?それともお守りみたいにそこに置くの?(鹿取)
★もし、近親者を焼く煙だったら、そしてのこぎりを置く行為が葬儀に関連したものだっ
たら、理屈っぽくなってつまらないですね。この作者は、こう言ったら読者には分から
ないだろうとか、そういうことは忖度しない人なんですね。われわれはこう言っては分
からないだろうとか、これを言わないと分からないだろうとかいろいろ付け加えて説明
的な歌を作ってしまう。いちばん自分が言いたかったことが消えてしまう歌を作りがち
ですね。渡辺さんは自分の言いたいことだけを言う、人に分からないだろうとか考えな
い。すごいですね。(A・K)
★もくもくとだったら普通だけどもんもんとって選んでいる。細かいところには神経を使
っていますね。(真帆)
★「僕の歌はいい加減だからどんどん切って下さい」っていつか松男さんに言われました
けど、もしかしたら「光るのこぎり」は本人にも説明が付かないかもしれないですね。
でもそれは直観なんで、この言葉じゃ無いといけないのでしょうね。(鹿取)
(後日意見)
当日の鹿取発言の中の煙の歌は次のもの。(鹿取)
とほうもなきしじまを残し母はゆけり一時間ほどのみ空のけむり
『泡宇宙の蛙』
Ⅲ〈行乞〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P120~
参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、鹿取未放
レポーター:泉真帆 司会と記録:鹿取未放
184 もんもんとあがる煙のうらがわへ さみしいよ 光るのこぎりをおく
(レポート)
まず煙りの立ちあがる風景を見せ、一字アケを両端に配し「さみしいよ」とつぶやきをひびかせ、最終句で煙りの裏側へ、手にしていた「光るのこぎりをおく」。歌の眼目はいわずもがな「さみしいよ」の吐露にあるだろう。しかしなぜ、何がさみしいのか。手がかりは「煙」と「のこぎり」にあろう。一首を連作のなかで鑑賞し、前首に繋げれば農耕作業の歌ともとれ、後首につなげれば古墳作業の歌ともとれるが、むしろそのような限定した場面を想像するのは、この歌の場合つまらないように思う。ある「もんもん」と苦悩する重たげな煙りの裏側へ、こんなことをするのはもうイヤだといわんばかりに、冷たく凶器めく光る鋸をおいている、それが見えればじゅうぶんなのではないか。「さみしいよ」は置かれた立場の理不尽さから来るものか、狂おしい恋心からくるものか、その理由や原因はわからないが、さみしい抒情はたしかに手渡される。煙、さみしさ、光るのこぎり、の取り合わせがなんとも巧みだ。(真帆)
(当日意見)
★今、松男さんの挽歌を評論で書いているんですが、お母さんを焼く歌があって一時間ほどの
煙ってうたっているんですね。もしこれがお母さんを焼く煙だったら「もんもんと」も「さ
びしいよ」もよく分かりますね。古代の人はその焼き場の煙が天に昇って雲になるって考え
ていて、雲は亡き人の形代だったんですね。この歌はそういう指定が無いので、たき火の煙
かもしれないけど。結句の「光るのこぎりをおく」がこの作者にしか言えないことばです
ね。これは何なんでしょう?(鹿取)
★分からないけどものすごく好きな歌です。「煙の裏側」って何でしょう、普通、煙に裏
も表も無いですよね。光るのこぎりって鋭角的、シャープで透明、何なんですか。
(A・K)
★分からないけど、何か鋭いもの、何かえぐるもの、でもそれを置くんだから、それ棄て
ちゃう?それともお守りみたいにそこに置くの?(鹿取)
★もし、近親者を焼く煙だったら、そしてのこぎりを置く行為が葬儀に関連したものだっ
たら、理屈っぽくなってつまらないですね。この作者は、こう言ったら読者には分から
ないだろうとか、そういうことは忖度しない人なんですね。われわれはこう言っては分
からないだろうとか、これを言わないと分からないだろうとかいろいろ付け加えて説明
的な歌を作ってしまう。いちばん自分が言いたかったことが消えてしまう歌を作りがち
ですね。渡辺さんは自分の言いたいことだけを言う、人に分からないだろうとか考えな
い。すごいですね。(A・K)
★もくもくとだったら普通だけどもんもんとって選んでいる。細かいところには神経を使
っていますね。(真帆)
★「僕の歌はいい加減だからどんどん切って下さい」っていつか松男さんに言われました
けど、もしかしたら「光るのこぎり」は本人にも説明が付かないかもしれないですね。
でもそれは直観なんで、この言葉じゃ無いといけないのでしょうね。(鹿取)
(後日意見)
当日の鹿取発言の中の煙の歌は次のもの。(鹿取)
とほうもなきしじまを残し母はゆけり一時間ほどのみ空のけむり
『泡宇宙の蛙』