鶴岡善久氏による追加版
※(鶴岡善久)とあるものは「森、または透視と脱臼」(「かりん」2000年2月号)
より引用
渡辺松男研究2の1(2017年6月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
【無限振動体】P9~
参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
2 倒木を埋めつくしたるうごめきのイヌセンボンタケ食毒不明
(レポート)
食毒不明ゆえにイヌセンボンタケは茸狩りからまぬかれ、あたりの倒木を埋め尽くすまで広がる。食毒不明なものが増殖してゆく不気味さをこめて「うごめき」という捉え方をする。「うごめき」は蠢きと書く。(慧子)
(当日発言)
★たぶん倒木を埋めつくして蠢いている無数のイヌセンボンタケのイメージが前の
1番の歌「森のかぜ茶いろのながれ光るなか無限振動体なるきのこ」にもあるの
かなあと思うのですが、読者には1番を読んだだけでは分からないですね。とこ
ろで、レポートに不気味とありますが、私は意見が違います。食毒不明というこ
とで不気味さを言いたいのではないし、増殖していくことに対しても気味悪がっ
ているわけではない。むしろありのままを言っていて、それはどちらかといえば
小気味よいのかなと思います。画像を見るとイヌセンボンタケは小さくて白っぽ
い茸で千本というくらいだから群生するんですね。食中毒の記録はないけど、ま
あ食べない方がいいでしょうとか茸図鑑には書いてありましたが。(鹿取)
★結句に食毒不明とあるので得体の知れない感じというのを表現されたのかと思い
ました。だから私は不気味と思いました。(真帆)
★食べる食べないは関係なく、ものすごい数の茸が無限のように蠢いているって想
像するだけで楽しいですね。森の光りの中で茸が揺れている、その風景だけで素
晴らしい。情景として浮かぶいい歌だと思います。(A・Y)
★景だけで楽しいという今みたいな鑑賞は作者は嬉しいんじゃないかな。それだけ
で圧倒的な風景ですよね。また、言葉に即して読むと慧子さんとか真帆さんとか
の鑑賞も当然アリなんですけれどね。(鹿取)
★歌集の始まりの歌なので無限振動体というのは自分にダブらせたのかなと思いま
した。何者にもこころを揺れ動かしている自分です。2首目は食毒不明だけどお
どろおどろしくはないキノコを出してくる。3首目はスパスパで明るい。小説で
もそうだけど、何だろう何だろうと読者を引き込んでゆく。そういう面白い組み
立てになっていると、そういう巧みさを思いました。(真帆)
★私は茸は茸と思っていますが、いろんな読みがあってもいいと思います。(鹿取)
(後日意見)
この一連を通して作者は茸にシンパシーを持って詠っているようだ。余談だが、「かりん」の松男特集号で「地に立てる吹き出物なりにんげんはヒメベニテングタケのむくむく」について、渡辺松男は「人間のたとえに使ってしまい、ヒメベニテングタケには申しわけないことをしたと思っています」と発言している。(鹿取)
(後日追加)2019年5月
倒木を埋めつくすイヌセンボンタケ。食べられるか否かは問題外。ただひたすらに渡辺松男は森の生命的起源を確認したいのである。(鶴岡善久・2000年)