かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 2の5 追加版

2019-08-22 18:46:58 | 短歌の鑑賞

 鶴岡善久氏による追加版
  ※(鶴岡善久)とあるものは「森、または透視と脱臼」(「かりん」2000年2月号)
    より引用

   渡辺松男研究2の1(2017年6月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【無限振動体】P9~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放

  
5  するすると世界を抜けてゆくきのこ今宵は白く川の辺に佇つ
 
        (レポート)
 たとえばものを理解したとき、又別の境地に至った時、もとの場にいながら、そこを抜け出るような感覚がある。「概念を重たく被り耐えているコンイトイッポンシメジがんばれ」という4番歌と対称的に「するすると世界を抜けてゆく」とは、実際の伸びとそれ以上の意味を込めていよう。「川の辺」という場、「白く」「佇つ」という様を想像すると、きのこの傘が旅にあるものの笠のように思えて漂泊者めいた感じがする。(慧子)


      (当日意見)
★面白い歌ですね。(真帆)
★松男さんが歌いたいものは「いつもこちら側にいる自己同一的実体的作歌主体に
 とどまっているかぎり不可能」なんですから、そこから出ている歌を理屈で考え
 ても分からないですよね。映像としてこの世界を抜けていく茸を思い浮かべると
 私は楽しいです。三途の川だかわからないけど川のほとりに今宵は佇んでいて、
 明日は彼岸に行くのかもしれない。傘を旅人の笠に見立てるのは面白いし漂泊者
 というのは一つの興味深い捉え方だと思いますが、作者の意図はもうすこし違 
 う気がします。私はこの茸は一本か集団か迷いましたが、まあ無数の集団で帯か
 饂飩のようになってするすると世界を抜け出ていくのです。どこにも集団とは書
 いてないですけど。(鹿取)
★茸は繁殖力が強くていろんな所に出ちゃう。芝生の中とかに出ちゃう。本当だっ
 たら森の中に生えているはずの茸が、意外にも川のほとりに立っている。
  (T・S)
★確かに思いもよらないところに茸はポッと生え出てくるんだけど、「在ることの
 不思議、無いことの不思議」を詠いたい人にとって、彼が詠いたい事はそれでは
 ない。でも私は作者ではないので、意図はこうであろうと推測するだけですけど。
 全然松男さんの歌の本質的なところは掴めないんだけど、でも面白いから読みた 
 い。作者にはごめんなさいと思いつつ読んでいます。(鹿取)


     (後日追加)
 私は入眠次幻覚というのをしばしば体験するが、夢と違って自分はこのベッドで横たわっている事は分かっている。そこに何者かがやってくるのだが、ドアの外まで来たなというのは分かる。寝室のドアは鍵が掛かっているが、ドアの隙間を気体のようになってするりと入ってくる。そして何者かも形になる…(鹿取)


         (後日追加)2019年5月
 かくしてきのこは汚れた世界から脱出してとうとうと白く流れる川のほとりに屹立する。きのこがすべての生物の存在を代表するのである。(鶴岡善久・2000年)


コメント
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