鶴岡善久氏による追加版
※(鶴岡善久)とあるものは「森、または透視と脱臼」(「かりん」2000年2月号)
より引用
渡辺松男研究2の2(2017年7月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
【蟹蝙蝠】P14~
参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取未放
15 釣り合えよ 今日死ぬ鳥のきょうの日と千年生きる木の千年と
(レポート)
「釣り合えよ」と初句切れ、一字アケの強さ。短命の鳥と、千年生きる樹木とを比較し、「釣り合えよ」と言っている。どうか生きとし生けるものの命の重さは、等しくあってくれたまえ、と詠っているのだと思う。(真帆)
(当日意見)
★祈りですよね。涙ぐましい気がします。松男さんの思考の形がよく見える歌で、
大好きな歌です。11番歌(ああ母はとつぜん消えてゆきたれど一生なんて青虫
にもある)ではお母さんと青虫を等価に置いていましたが、ここでは鳥と樹木で
すね。(鹿取)
(後日追加)2019年5月
死にゆく鳥のきょうの一日と千年生き続けてきた木の長大な年月の同一化とは、ほかならず渡辺松男の時間の認識が日常としての一般的時間の特質を大きく超越していることの証である。時間がその特質を超越(逸脱)するとき、時間は一瞬にして「無限」へ転化する。無窮の世界では鳥の一日と木の千年とが完璧なかたちで「釣り合う」のである。(鶴岡善久)