かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の一首鑑賞 3

2020-05-12 17:32:16 | 短歌の鑑賞
  ブログ版清見糺鑑賞1        【さねさし相模】2004年4月
           かりん鎌倉支部(渡部慧子、鹿取未放) 
 
3 一休の、良寛の恋おもうときわれは年端もゆかぬおとこぞ
      「かりん」1994年2月号

 いわゆる頓知で知られる一休宗純禅師(一三九四~一四八一)は、鎌倉時代の人で八十七歳で亡くなる晩年の十年ほど、盲目の旅芸人森(しん)(しん)と恋愛関係にあった。自作の漢詩集『狂雲集』にその濃艶な恋の歌を載せている。権威を否定し、悟りも否定し、女犯(にょぼん)(にょぼん)、飲酒、肉食をし、破戒僧とも生き仏とも呼ばれた。
 一方、無邪気に子供達と手まりをついて遊んだという伝説の良寛(一七五八~一八三一)は江戸時代の人。七十歳の時、三十歳の貞心尼と恋に落ち、七十四歳で亡くなるまで恋愛関係にあったと言われている。
 しかし、彼ら二人の僧の心の内はどうだったのだろうか。飄々とした悟りの果てのすずしい気分だったのか、修羅の地獄だったのか。
 それにしても二人の僧の見事な老いらくの恋を思うとき、〈われ〉はまだ「年端」もゆかないおとこだという。「年端もゆかぬ」とは普通「少年」とか「子供」とかに繋げて使う語で、この年五十八歳の男を「年端もゆかぬ」とは言えないだろう。そこをそう言い切ったところがこの歌の見所であろう。自分などは老いらくの恋をした二人の僧に比べればまだ人生経験の足りない若造で、二人の僧の足下にも及ばないけれど恋の面では一脈通じるところもありますよという気負いである。
 ちなみに、二年後、一休についてはこんな歌も詠んでいる。(鹿取)
  ぬばたまの剣林地獄におとされて一休禅師とまみえたきものを
                 「かりん」1996年6月号
  

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