団塊世代への期待
震災世代の出現について書きました。震災世代が新しい日本を形成していくのではないかという期待もあります。震災世代が苦悩を背負って新しい社会課題を作りだすのかもしれません。少なくとも、震災前までの我々は後世に大きな負担を残し、まだ性懲りなく負担の先送りを作り続けています。
今日は、震災世代ではなく、団塊世代への期待です。
その数とバイタリティと主張性を、現役を退いた後地域で発揮してくれると期待しています。
数年前、団塊世代の集団リタイヤの話が話題になりました。
しかしその期待と恐れは、年金支給の先送りと定年の引き上げによって先送りされたと思います。
日本を動かすのは、新しい世代とともに、地域に帰ってきた団塊世代の人たちではないかと私は考えます。
恒常的な電力不足、底なしの円高、その他の多くの理由で日本企業は外に出ていくしか道はありません。
残された人たちは、いままでの産業経済社会とは違った経済社会を立ち上げなければならないものと感じます。
少し前から、工業生産とは違った文化芸術活動が評価され、新しい資産を形成していますが、地域に無数に残された課題に取り組むことはどうでしょう。
それらは、利益追求する企業活動としては成り立ちません。行政が公益事業として担当すれば、税の無駄遣いになりかねません。年金で何とか余生の家計を確保した人たちで、この社会活動に取り組み社会起業がどんどん起きることを期待します。
そこには新しい雇用も生まれるでしょう。震災世代と手を組むことも可能です。
地域は思いのほか守旧的です。そこに摩擦は起こると思います。
団塊世代はそれを乗り越える力をもっています。
旅行やゴルフを思い切り楽しむ、家庭菜園や読書三昧で引きこもる。そうでなくて、今度は金に縛られず、組織に縛られず直接見える対象に、築いてきた能力を分けていただき、日本を支えてほしいものだと感じます。
ちょっと前の世代の私共は、たいして役に立てず、そろそろ本当の役立たず(tatters)になって去りつつあります。
震災世代の出現について書きました。震災世代が新しい日本を形成していくのではないかという期待もあります。震災世代が苦悩を背負って新しい社会課題を作りだすのかもしれません。少なくとも、震災前までの我々は後世に大きな負担を残し、まだ性懲りなく負担の先送りを作り続けています。
今日は、震災世代ではなく、団塊世代への期待です。
その数とバイタリティと主張性を、現役を退いた後地域で発揮してくれると期待しています。
数年前、団塊世代の集団リタイヤの話が話題になりました。
しかしその期待と恐れは、年金支給の先送りと定年の引き上げによって先送りされたと思います。
日本を動かすのは、新しい世代とともに、地域に帰ってきた団塊世代の人たちではないかと私は考えます。
恒常的な電力不足、底なしの円高、その他の多くの理由で日本企業は外に出ていくしか道はありません。
残された人たちは、いままでの産業経済社会とは違った経済社会を立ち上げなければならないものと感じます。
少し前から、工業生産とは違った文化芸術活動が評価され、新しい資産を形成していますが、地域に無数に残された課題に取り組むことはどうでしょう。
それらは、利益追求する企業活動としては成り立ちません。行政が公益事業として担当すれば、税の無駄遣いになりかねません。年金で何とか余生の家計を確保した人たちで、この社会活動に取り組み社会起業がどんどん起きることを期待します。
そこには新しい雇用も生まれるでしょう。震災世代と手を組むことも可能です。
地域は思いのほか守旧的です。そこに摩擦は起こると思います。
団塊世代はそれを乗り越える力をもっています。
旅行やゴルフを思い切り楽しむ、家庭菜園や読書三昧で引きこもる。そうでなくて、今度は金に縛られず、組織に縛られず直接見える対象に、築いてきた能力を分けていただき、日本を支えてほしいものだと感じます。
ちょっと前の世代の私共は、たいして役に立てず、そろそろ本当の役立たず(tatters)になって去りつつあります。
でもtattersさん個人のポテンシャルはまだ高いと思うのですが。
団塊世代の地域社会での奉仕が強く望まれます。高度成長で逃げ切った人と、逃げ切れずにあえいでいる人に分けられると思いますが、逃げ切った人は75歳まで社会奉仕を義務と考えるべきです。奉仕の仕方として、培ったスキルを発揮してほしいです。単純労働ボラではありません。