De cela

あれからいろいろ、昔のアルバムから新しい発見まで

父の日記帳:8月16日

2009-08-16 09:40:55 | 自分史エピソード
8月16日晴れ
寝覚めが悪く夜が明けた。女房は勝手でことこと音をさせていた。その音を聞いてうとうととしておきる。炉はまだ火が焚きつけたなかった。かまどもやうやう火が付き始めたばかりだ。6時に間もない炉辺で湯を沸かして茶を飲みタバコを吸う。牛の草を刈りに出る元気もない。
ラジオを聞いても天皇陛下が民草に深く○しんえん遊ばせて米英と和を結ぶに至る次第をくどくどと繰り返している。しかしそれで収まるかどうかが問題だ。軍人が承知するかどうかが問題だ。ここ数日の様子でどんな変化が表れてくるか知れぬ。東京の方は相当騒いでいるという噂も耳にした。厚木辺へ兵隊がビラをまいているという者もいる。最後の一戦を決行するという意気なのだ。国民の多くもそれに心を寄せている。しかし勝ちぬけるとは思っていない。国民が全滅するまで戦うというのだ。敗戦のみじめさを見るより死を選ぶというのだ。和を乞うことに賛同するものもあった。一時の屈辱をしのんで百年後の基を作ろうというのだ。友軍機が空を飛んだ。どうも形勢が不穏なので沼田と相談して明日から壕堀を続けることにした。今日夕刻、渡辺の日除けを沼田と仕上げる。午後、牛の草刈りに向山まで行って八分目ばかり刈ったらつくづくいやになって帰る。畑も田んぼも働いている人は一人もいない。みな仕事なぞ手につかぬと言っている。川には真っ黒に日焼けした子供たちが水浴をしていた。今日は敵機も来ないのでさびしいような安心のような言いようのない心地だ。
日除け作る今日一日のゆとりかな
戦いのひまにつくりし日除けかな

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2 コメント

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Unknown (マーブル)
2009-08-16 12:16:01
終戦当時の生の記録ですから私の世代には迫力を感じます。私の歴史(?)で何故か戦時中の記録だけが欠落しています。杉並で空襲に会い我が家にも焼夷弾8~10発を落とされ、自分の家だけは消しとめてから隣家まで迫った火を避け空地まで逃げたところへ、また焼夷弾の落下で、父は私を押し倒しその上に覆いかぶさるように臥せったのですが、今でも焼夷弾の落下音とその時の父の温もりを感じます。結局、その頃から急に風向きが変わって、阿佐ヶ谷駅から隣家までを消失、我が家は一部燃えただけで残りましたが・・
終戦の前日は当時在籍した学校の教官が家へ見えて、私の上級学科編入と明日は戦争が終わるという事を教えて帰りました。
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明日戦争が終わる (tatter's)
2009-08-16 18:00:53
マーブルさん
そう言っておられた先生はすごい方ですね。一般の国民は詔書まで知る由もなかったのですから。
でも何かあるということから冷静に考えれば終戦の詔であることは予想はつきましたね。
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