こんばんは(*^_^*)
少し、秋らしくなってしのぎやすくなりましたね。
東京はそのようなかんじですが、皆さまのお住まいのところでは
いかがですか?また‘’東京の素敵な日和‘’をお話ししたいのですが、
今日は少し、家について。
私の実家は、東京郊外の地方都市にあります。
親はその地域の中で4回、引っ越して、2回家を建て
リフォームを2回しています。
最初の家は庭が広いけれど、隣とつながった小さな家。
私はそこで生まれました。
平屋の純日本家屋。
玄関、書斎、和室が2間、台所。そんな家。
一旦、母の母が亡くなり、私が2歳の時に、祖父の家に
住みました。
祖父は医者で、家は当時としてはかなりのお屋敷。
私は2歳半くらいからの記憶が断片的にあります。
祖母のお葬式の日からの記憶です。
二階建てで、医院併用住宅。自宅部分の1階に洋間の応接室、
祖父の和室の部屋、台所、和室の居間、女中さんの部屋、
旅館のような大きな階段、二階に私たちの住む和室が何部屋か、
祖父が亡くなる2、3年を二世帯で暮らしていました。
亡くなってから、元いた小さな家を改装して、居間と
ダイニングの洋室を増築して、住んでいました。
父は早く自分で家を建てたかったらしく、そこには
2年ちょっとしか住みませんでした。父は程なく土地を
購入して新築する計画を立てました。
設計士に依頼して、半年くらい打ち合わせをしておりました。
何回かは、私たち子供も連れて行ってもらい、
父は完成した設計図を5歳の私にも子供扱いせずに見せて
家の間取りを詳しく説明してくれました。私は、
妹と一緒の部屋でしたが、自分達だけの部屋が出来ることを
すごく嬉しく楽しみにしていたことを覚えています。
神主さんが来る地鎮祭、木造在来の上棟式、建築中の大工さん
への差し入れ、すべて私たちも親に参加させてもらいました。
家が建ったのは小学1年の夏でしたが、お姉さんになったからと
バスに乗って1人で、大工さんの差し入れのお使いを
頼まれたことがあります。
正直、”初めてのお使い”のように、出来ないと嫌がったりもした
のですが、大丈夫とおだてられて、行くことができました。
すごく嬉しかったですし、自信もついたと思います。
親としては、その後、バス通学になる私の予備訓練つもり
だったようです。
そんなふうに家族で建つのを楽しみした家だったので、
引っ越しの日の嬉しさと言ったらなかったです。
そういう喜びを、小さな私にも共有させてくれた親には
感謝ですね(*^_^*)
父は、広い庭に早速、私たちの為に、専用の砂場を作り
遊べるように庭の真ん中に芝生を植え、敷地の回りや半分に
植木屋を入れました。
私たち兄弟はその庭で、砂場遊びをし、遊びに来た友達と
芝生でだるまさんが転んだなどをしました。
敷地の半分は庭!!父は子供たちの為に広い庭が
欲しかったのです。
土地は南に細長い形でしたが、まんべなくどの部屋にも
長い時間、日を入れたかったらしく、南東向きに建って
いました。
西日も暑かった。。とにかく、太陽を感じる家でした。
間取りは、居間、ダイニングキッチン、8畳間、書斎、
2階に子供部屋を2部屋。そんなに大きな家では
ありませんでした。
夫婦、子供三人の5人家族が、それぞれ、成人するまで
その家に住みましたが、小さかった時は、その必要最小限?
の間取りは家族が仲良くまとまりつつも、それぞれに居場所の
ある間取り、そして、子供たち3人がすべて、中学生になり
広い庭が必要なくなると父は、庭を潰して、1階に夫婦の為の
綺麗な和室と大きな応接間、新しい書斎、2階にもう一部屋を
増築しました。
古い書斎は書庫となりました。
その広さと部屋数は、家族に合っていたと思います。
その後、子供たちが独立すると、その家と土地を売り
住みやすそうに開発が行き届いた郊外のベットタウンに
夫婦2人には贅沢な間取りの家をハウスメーカーで
建てました。
親はその時は設計士は頼まず、完成した家の感じや構造が明確な
ハウスメーカーで、家を建てていました。
その時、私は既に、リフォーム設計とインテリアコーディネーター
をしていましたが、何か口を挟むより、住む本人たちが満足する
ことが大事と、キッチンプランと照明計画以外は関わりません
でした。住む人がリアルに自分達の暮らしが想像出来る家でなけ
れば、真の意味で満足しない。私はそう思っているのです。
余談では、ありますが家を建てることは、心労も加わり
大変なエネルギーと労力が伴います。
家が建ったその年に父は倒れてしまいました。
幸い、命を取り留め、今も在命でその家に夫婦で仲良く暮して
おります。心からホッと致しましが、家とはそのくらいに
人にとって大きなことなのかとも思います。
また、設計が実際に家族が暮らす具体的なリアリティに即した
ものであるべきなのは、必須な事柄。
それが当たり前に実現出来ていず、きちんと顧客にニーズを
聴き取って、カタチに出来ていないとすれば設計ミス。
欠陥住宅になってしまいます。
設計する、デザインするのリアルは必然事項ですね。
当たり前のことなのです。特別なことではありません。
もし、それが出来ていない設計があるとするならば、
なんの為の打ち合わせか?何をお客様の話からを聞いていた
のか?ということになるかと思います。
そうした、顧客のニーズをくみ取れなかったり、あるいは
気の弱い人に対して自分を主張を信じるあまりに押し切る
担当者もいて、ハススメーカーのオーナー様のリフォームの
担当をしていた時には、そんな話も少なからず対応しております。
お客様の生活する中で後から、発生した不満は、
10年、20年、住みながらの不満なので、そう簡単には
解消はされません。
先ず、言葉で吐き出してもらって、満足するまでお付き合いすると
いうことになります。結局はリフォームしないと解消しないという
話なのですが。。
おしゃれにしようと、トイレに華美に大きな手洗い場があったり
寝室が1階にも‘’かかわらず❗わざと斜め天井とか??
どぎついカラーだったり。。奇抜過ぎるデザインだったり。
そういう場合、お客様は精神不安になっていたりします。
何となくわかりますね。毎日、毎日、アシンメトリーな斜めの
天井を見ながら寝たら船な酔いにような、ゆらゆらした
落ち着かない気分になるかとも思います。
カラーによっては不安な精神状態を引き起こす色もあります。
何よりも満足して生活をしていないということが問題なのです。
設計が、お客様の生活のリアリティー実現するのは必須事項です。
それには、自分の趣味嗜好を押し付けるのではなく、きちんと
お客様の趣味や満足をヒアリングして実現することが大事ですね。
住むのはお客様なのですから。
設計自体が作品なのならば、話しは別かとは思いますが、
住む家は作品ではない。実際に住むリアリティ-を実現出来てこそ
が、しっくり暮らしに寄り添う住宅設計だと思います。
ですから、コンランが言うように、奇抜なデザインではなく、
普遍性が大事ということになるのだと思います。
『ライフスタイル』のデザインはPLAIN,SIMPLE、
USEFULが基本だとコンランは言っています。
PLAINは平凡から先の無駄がない。SIMPLEはシンプルですね。
USEFULは実用的なものとおしゃっています。
設計のリアリティーと、プレーン、シンプル、ユースフルな
3要素が加われば、この上なく快適で、住み易く、
おしゃれな空間になっていくのだと思います。
設計デザイン自体が生活のリアリティーを表すべきものなのです。
ですから、設計デザインのリアリティーをまるで特別な事である?
かのように、扱おうとする人には違和感を感じます。
どの設計士も、声高にわざわざ言うことなく静かに当たり前の
こととして設計のリアルを、丁寧にお客様と作り上げるのです。
心をこめて、人様の気持ちに寄り添って。そういう偽りのない
深く人の生活や人生をベースに、本当に思いやる思慮と配慮も必須。
今どきのギャル風ではなく。。とって付けたような嘘っぽさ…
まるで、誰か住宅のわからない他の人が考えている??ような…
そこに生きるリアリティーがあるか、ないかは住宅設計では必須。
けしてそれは売りにしませんね。当たり前のことですから。。
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