近くのお宅のコスモス畑
ところどころに 中央が濃いピンクになっているお花が見えますか?
(下の方で)見づらいかも知れませんがこちらは ラジアンス と言うそうです
私もこれで、俳句の添削指導をしていただくようになって約4ヶ月ほどになります。
初めは季語もわからずズッコケてばかりで、しかもそれを自ブログに載せるという”仰天珍事”をやっていました(確信犯?^^)。その後、ついに角川文庫の歳時記も買い、現在はそれぞれの季節に使える「季語」を、覚えている最中でございます。因みに「冬の歳時記」はまだ買っていないのですが。
途中、先生に反抗してしばらくサボっていたこともありました。が、とりあえず続けさせていただいております。先生は本来的に「気のいい人」ですから、来たる者拒まずで、どなたにも親切に(鴻風俳句教室)添削指導してくださっています。もしも、俳句を作ってみたいかなぁ?という方がおられましたら、どうぞお気軽に声をかけて下さいませ~
また臆面もなく、以下に3句載せさせていただきます。
約束も待つ人もなく花茗荷
夕すすき金糸銀糸の綾を織る
謂ひ出せぬこともありけり遠花火
お粗末さまでございました。ワタクシ基本的に後ろ向き・悲観的な句が多いのでございます(笑)
しかし、「俳聖」などと呼ばれる松尾芭蕉という方は、まことに凄過ぎた人なのだと、今更ながら驚いています。また、お爺さんなのだろうと漠然と思っていましたが、ウィキペディアによれば享年51歳だそうですね。「蕉風」という芸術性の高い句風を確立した、とありました。
荒海や佐渡によこたふ天河
季語「天河(あまのがわ)」秋 出典『おくのほそ道』
芭蕉さんのこの句が、大きく手を拡げて立ちはだかっていたために、その後の俳人はその壁を乗り越えるのに非常に苦労したのだ、といわれていると何かで読みました。とてつもない桎梏?
ふ~ん、芭蕉の前に芭蕉なし、芭蕉の後に芭蕉なし、なのかなぁ。。。
などと思いつつ、また↓草花の写真を貼ります。ご笑覧のほど、よろしくお願いいたします。
ところで、検索から来られる方もいらっしゃるようなのですが、過去ブログはテンプレートの関係で(現在は背景が黒のため)、文字が見えていないことがあり、お見苦しい部分が多々あると存じます。お気づきの方は、ご面倒でも是非ご一報くださいませ。何月何日の分が見えないよ~とコメント欄に書いてくださいね。すぐに直しますので^^;こちらもよろしくお願い申します
(10/4)追記
以下↓は俳句の鴻風先生手作りの句誌、先月号『句写美』(先人の俳句)よりの引用です。
荒海や佐渡によこたふ天河
『おくのほそ道』出雲崎での作である。同行した曾良の「曾良旅日記」によれば、旧暦7月6日、陽暦8月17日のことと推量される。場所は現在の直江津市。
佐渡島といえば日本海の荒海に浮かぶ島。古来から多くの人が島流しの刑で悲運を嘆いた島であり、その罪人は金の採掘などで過酷な労働をしいられのである。こうして様々なことの渦巻いた島だが、今こうして空を仰ぐと人間の喜怒哀楽にはかかわりなく、天の川が横たわるように輝いている。という意だろう。
実際の七夕の夜は「曾良旅日記」には<風雨甚シ>と書かれてあり、天の川は見えなかったのだが、芭蕉の心の中には大河が見えたのか。。。これもまた文学である。「や」という切れ字が、これほどに見事に生かされている作品はない。
民家のお庭から ウメモドキのお花と赤い実が同時に
黄色が妖しく綺麗 コウゾリナ(顔剃菜)
目立ちました マムシグサの実でしょうか ちょっとコワ~!
今日のメイン↑です 白のツユクサ? 一株だけ見つけたのですが・・
普通のツユクサ↓と見比べてください ネッ♪ 白いでしょう^^
ツユクサが好き という方は是非ポチッと
ところどころに 中央が濃いピンクになっているお花が見えますか?
(下の方で)見づらいかも知れませんがこちらは ラジアンス と言うそうです
私もこれで、俳句の添削指導をしていただくようになって約4ヶ月ほどになります。
初めは季語もわからずズッコケてばかりで、しかもそれを自ブログに載せるという”仰天珍事”をやっていました(確信犯?^^)。その後、ついに角川文庫の歳時記も買い、現在はそれぞれの季節に使える「季語」を、覚えている最中でございます。因みに「冬の歳時記」はまだ買っていないのですが。
途中、先生に反抗してしばらくサボっていたこともありました。が、とりあえず続けさせていただいております。先生は本来的に「気のいい人」ですから、来たる者拒まずで、どなたにも親切に(鴻風俳句教室)添削指導してくださっています。もしも、俳句を作ってみたいかなぁ?という方がおられましたら、どうぞお気軽に声をかけて下さいませ~
また臆面もなく、以下に3句載せさせていただきます。
約束も待つ人もなく花茗荷
夕すすき金糸銀糸の綾を織る
謂ひ出せぬこともありけり遠花火
お粗末さまでございました。ワタクシ基本的に後ろ向き・悲観的な句が多いのでございます(笑)
しかし、「俳聖」などと呼ばれる松尾芭蕉という方は、まことに凄過ぎた人なのだと、今更ながら驚いています。また、お爺さんなのだろうと漠然と思っていましたが、ウィキペディアによれば享年51歳だそうですね。「蕉風」という芸術性の高い句風を確立した、とありました。
荒海や佐渡によこたふ天河
季語「天河(あまのがわ)」秋 出典『おくのほそ道』
芭蕉さんのこの句が、大きく手を拡げて立ちはだかっていたために、その後の俳人はその壁を乗り越えるのに非常に苦労したのだ、といわれていると何かで読みました。とてつもない桎梏?
ふ~ん、芭蕉の前に芭蕉なし、芭蕉の後に芭蕉なし、なのかなぁ。。。
などと思いつつ、また↓草花の写真を貼ります。ご笑覧のほど、よろしくお願いいたします。
ところで、検索から来られる方もいらっしゃるようなのですが、過去ブログはテンプレートの関係で(現在は背景が黒のため)、文字が見えていないことがあり、お見苦しい部分が多々あると存じます。お気づきの方は、ご面倒でも是非ご一報くださいませ。何月何日の分が見えないよ~とコメント欄に書いてくださいね。すぐに直しますので^^;こちらもよろしくお願い申します
(10/4)追記
以下↓は俳句の鴻風先生手作りの句誌、先月号『句写美』(先人の俳句)よりの引用です。
荒海や佐渡によこたふ天河
『おくのほそ道』出雲崎での作である。同行した曾良の「曾良旅日記」によれば、旧暦7月6日、陽暦8月17日のことと推量される。場所は現在の直江津市。
佐渡島といえば日本海の荒海に浮かぶ島。古来から多くの人が島流しの刑で悲運を嘆いた島であり、その罪人は金の採掘などで過酷な労働をしいられのである。こうして様々なことの渦巻いた島だが、今こうして空を仰ぐと人間の喜怒哀楽にはかかわりなく、天の川が横たわるように輝いている。という意だろう。
実際の七夕の夜は「曾良旅日記」には<風雨甚シ>と書かれてあり、天の川は見えなかったのだが、芭蕉の心の中には大河が見えたのか。。。これもまた文学である。「や」という切れ字が、これほどに見事に生かされている作品はない。
民家のお庭から ウメモドキのお花と赤い実が同時に
黄色が妖しく綺麗 コウゾリナ(顔剃菜)
目立ちました マムシグサの実でしょうか ちょっとコワ~!
今日のメイン↑です 白のツユクサ? 一株だけ見つけたのですが・・
普通のツユクサ↓と見比べてください ネッ♪ 白いでしょう^^
ツユクサが好き という方は是非ポチッと
直江津でしたか。今は出雲崎の近くにお住まいなのですね。地理に疎く、方向音痴にてスミマセン。
芭蕉は旅より戻ってから、多くの句を作ったという説もあります。とにかく「荒海や。。。」は、永遠不滅の?凄い句です。
加藤耕子さんという人の「銀漢へ地は漁火をもて応ふ」。芭蕉の「荒海や。。。」のくびきから逃れられないで来た陰鬱から、ようやく解放されたかのような明るい句と紹介されていました。銀漢は天の川のこと。荒海ではなく<漁火(いさりび)>は、人間が灯す方便の光である、と。
辞世の句と言われている「夢は。。。」は、旅の途中の病中の句、ご本人も周りもまさか死ぬとは思っていなかったようで、結果的に辞世の句になったようです。長々と申し訳ありません。今日はコメントをいただけて嬉しいです。お忙しいのに、ありがとうございました
佐渡の島影も、天の川もいずれも芭蕉の頭の中に描かれた絵だったのではないでしょうか?芭蕉の句は色々ありますが、その風景が、イメージとして浮かび、それがとてもいい絵になっているところがすごいと思います。俳句には素人ですが芭蕉辞世の句(?)「夢は枯野を…」は、執念というのか凄みを感じさせてくれますね。
ありがとうございます。お恥ずかしい限りですが、今のそのままの現実を素直に出しているつもりです。本当に、恥ずかしいのですけれど。ひよどりさんはどちらで修行されたのでしょう。俳句歴は長いのでしょうか。
「共鳴・共感」!のコメントをありがとうございました
どうぞ、なんでもお使いください。嬉しいです~♪
私の原句では「秋茗荷」としていました。歳時記には「花茗荷」は別種で食用ではない。。。と出ていましたので。後に先生が”花茗荷”と直してくださいました。「茗荷の花」を指しているのだと思います。
以下に少し長くなりますが、先生の一句鑑賞文を載せますので、見てくださいますか・・。
・約束も待つ人もなく花茗荷
約束もない、待つ人もいない。この寂しさが分るだろうか?これ以上の女心を表す言葉はないであろう。原句は「秋茗荷」であった。「花茗荷」が秋の季語であり、女心に相応しいと感じた。こうした女心を詠める人である。これからも詠んでほしい。
このような素敵なことを書いてくださいました^^
あっきぃさん、コメントをありがとうございました。義剛さんのお花畑キャラメルを、指を咥えて拝見していましたよ(笑)↑の先生は、森永キャラメルの方が美味いのだ!とおっしゃっていましたが・・
共鳴しましたよ!
俳句は別世界のもののようです。
けれど限られた文字数の言葉達が
見事なバランスをもって美しいと思います。
制約のある中で無限の拡がりを
感じさせてくれるものですね。
『約束も待つ人もなく花茗荷』
花茗荷とは端的に茗荷の花と
とらえていいのですか?
茗荷が夏のイメージなので
秋の季語とは思っても見ませんでした。
特に主観的に思うことがあって
私のブログでも
紹介させていただいてよろしいでしょうか?
私はそそっかしくてトンチンカンですね、ご迷惑をおかけしました~
ご説明で句の意味が分かりました。山を愛し続けていらっしゃるオコジョさんにも、通ずるものがありましょうか。。
オコジョさんも(是非!)私の”句友”になってくださいませんか?いえ、もしなってくださったら嬉しいなぁ、、、なんて思ってご迷惑ですよね。
度々のコメント、恐縮しています。いつもご面倒をおかけしてばかりですね。またよろしくお願いいたします~
新聞で株が下がったとか見ると、ビビアンヌさんは大丈夫かしら?と心配しています。あまり景気の良い話は聞きませんが、元気出してくださいね
こんな写真でも”充電”していただけましたか、良かった~ 退院してもう1ヶ月になります?早いものですね。吉野家の牛丼を食べれたのが、2~3日前のような気がします。コメントをありがとうございました~
如何ですかnakapaさん思い切ってご一緒に個人的に超初心者?の句友を募集しております(笑)
私も寂しいもので、「句友」というものを作りたいです。そろそろ始めて5ヶ月近いですが、相変わらずお友達もできず、ポツーンと”ひとりぽっち”のままですよ。できましたら”句友”との付き合いは、細く長く続けていきたいと思っていますから。
コメントをありがとうございました~
もうお見えにならないかも知れませんが、俳句教室のリンクを追記しておきました
あと、句誌の「先人の俳句」より<荒海や。。。>に関する記述を、ブログ記事にも追記させていただきます。いつもお世話になってばかりで、誠にありがとうございます。またよろしくご指導お願い申します~
退院から一月が過ぎ、かなり元気になってきました。
精神的にちょっと。。。いえ、だいぶ落ち込んでたので、癒されに来ました~美しいコスモスや、野の花たち~~~
充電完了!また頑張りマッシュ!
どこにもありませんね。
失礼しました。
石橋辰之助さんは句集を持っています。そこには公開された全ての句が
載っているのですが、作意のない素敵な俳句が多いようです。
この句は特に有名なものなのですが、
霧とケルンと一体になった寂しさ・・・
霧とケルンを切り離すと、ただの情景描写になってしまうのかもしれません。
寂しさは、作者の心の中なのかもしれません。
俳句も作れない人間が、好きなことを書いてはいけませんね。
もう一度失礼しました。
石橋辰之助さんって、山岳俳句の開拓者なのだそうですね。先ほどは知らぬこととはいえ、たいへん失礼しました。
オコジョさんの句かしら?と思いましたので。。(笑)調子に乗ってダメ出しなんかしてしまった。恐ろしい~恥ずかしい~大変申し訳ありませんでした。ではまた明日。おやすみなさい
季語も覚えなければいけないのですね。
17文字で表現するのですから、そおゆうものも
必要なのでしょうね。
何も分からない私の感想です。
しかし、俳句する人素敵な人、と思います。
芭蕉さんの「荒海や」の句は「句写美」11号で取り上げていますので、もう一度、読んでみてくださいね。
たくさんの俳人の句を読むのが上達の早道です。
たくさん、読んでくださいね。
白いつゆ草はまだ見たことがありません。
珍しいですね。そして、可憐ですね。
バックが黒だと、写真が引き立ちますね。
それと、文字も読みやすいでしょう。
トーコさん、またね^^
初期の頃は、季語が全然分かりませんでしたからね(笑)少しはマシになったでしょう?ふっふっふっ
白いツユクサ、あるんですね。良かった、それは違うと言われるかと思いましたとさ~。あとね、「廃人」ではなく「アルプスの少女ハイジ」とでも呼んで下さい。頼みますよ山小屋さん~~ コメントをありがとうございました
本当に、なんという句でしょう!
荒海や佐渡によこたふ天河
宇宙の森羅万象、天地のすべてを言い表しているようではありませんか。たった17音の組み合わせなのに。。
コメントをありがとうございました。さらに感銘は続く(笑)
ほほ~、知らないことばかりです。小諸出身の臼田亜浪さん、調べてみますね。
私の場合、理屈っぽいのが特徴でしょうか(笑)そう、それはけっこう得意なのかもしれませんヾ(@^▽^@)ノ あはっ!
>霧深きケルンに触れる寂しさよ 石橋辰之助
これは、「深い霧」が主なのか、「霧の中のケルン」が主なのか、と。。。私なら「霧深し」と一度切りたいところですね。な~~んてすぐ思っちゃいます~(笑)スミマセン、偉そうにして超初心者の悪あがきデス
ブックマーク、よろしいんですか?ありがとうございます。私のも?それは嬉しいです、よろしくお願いいたします
こちらでも時々見かけます。
それよりもコスモスの種類が多いのには驚きます。
次々に新しい品種ができるようです。
トーコさんの俳句・・・だいぶ上達したようです。
上達し過ぎて「俳人(ハイジン)」ならぬ「廃人(ハイジン)」になりませぬように・・・・
心からお祈り申しあげます。(笑)
佐渡によこたふ
出雲崎付近からでしょうかね。
訪れることもかなわぬ、海峡の
向こうにある島を読んだ名句。
佐渡出身のものとして、題材に
してくれたのが嬉しい句です。
現代俳句のもととなった、虚子は「花鳥風月」を扱っていますが、表面的に「切れ字」を重視し、「滑稽」
的な要素を持った遊びとしてしまいました。
それが今の俳句の主流ですね。
私は、虚子と反対の立場にあった、小諸出身の臼田亜浪の「大きな、深い人生観が伴った自然感」という考えが好きです。
例えば
浅間ゆ 富士へ春暁の 流れ雲 亜浪
いずれにしても、俳句は、その人の人柄が表れる句がいいと思います。
トーコさんの句、表面的でなく、いいたいことがでていて素敵です。
でも、少し、虚子のような理屈っぽさが感じます。
わりと素敵な俳句です。
霧深きケルンに触れる寂しさよ 石橋辰之助
「ブックマーク」の件、了解しました。
私も、お気に入りに登録させていただいてよろしいでしょうか。