「こころ」とは、コロコロ変わるから「こころ」と言う、なんて、おふざけかと思ったら
そうでもないらしい。
人間は六道のなかをコロコロ回っている、わけです。善人の部分が多く出る人と、そうで
もない人とがいますが、バランスの問題で、あの人は良い人、あれは悪人、などと世間で
は決めつけることがありますが、それも違う気がします。
我々は、仏様のような尊い、慈悲深い気持ちになる時もあれば、修羅のように、激しい怒
りや憎しみの感情に翻弄されるときもあります。すべて、ひとりの人間のなかに存在して
いるのです。
我々は、思いがけなく病気になって、さんざん絶望や苦しみをあじわった後、ふと悟りの
ようなものを得ることがあります。憎むべき病気が、人としての大切な何かを、教えてく
れているのです。
ある男性の方の例ですが、突然降って湧いたように重篤な病名を告げられ、不安のどん底
に陥った時、病院のベッドが空かないので、入院までの待機期間を、自宅で安静にしてい
るように医師から指示され、しばらくは守っておりました。が、たとえ病人でも、家の中
でのできることは、してみようと思い、少しずつ動くことにしたそうです。
今までやったこともない家事。掃除、洗濯、ご飯の用意。たまった新聞紙や雑誌の整理、
ゴミステーションに出せるように分けて縛って・・・。
家の中のアレコレ、コマゴマを自分でやってみて、初めて妻の苦労が分かった気がした。
掃除や洗濯なんか、仕事のうちには入らない!と軽蔑していたのに・・・。手料理ではなく、
スーパーのお惣菜なんかを、無造作に食卓に出す妻を、激しくののしったこともあった。
妻も仕事を持っているのに、優しく気遣うこころが微塵もなかったことに、愕然とした。
職場では上司を心の中で責め、嫌い、軽んじ、家では妻に当り散らし、思い起こせば、若
い頃から親とも争ってきた。情けない親を、責め続けてきた。
あぁ、自分は、なんという心得違いをしてきたものか。彼は、奥さんにも、上司にも、す
でに亡くなっている両親にも、本当に申し訳なかった!、とこころの中で詫びたのでした。
この待機期間中に、彼の病状は、医師も驚くほど快癒し、結局大事にならずにすんだの
でした。
それまでは、不平不満で働いていた職場に復帰すると、どういうわけか不思議なことに、
以前から希望していたところに配置転換になったという。
歪んだこころを病気という現象が警告してくれて、自然なこころにしてくれた。こころか
ら喜んで働いた時、正常なこころ(自然のこころ)を取り戻せたのだ、と彼は理解してい
るという。
「奇跡」は、偶然では起こらないと私は思う。おそらく、必然の因子を持っているはずで
ある。心がなんのこだわりもなく、張りきって、澄みきった時、人間にほんらい備わった
力である、自然治癒力のスイッチが入って、体に作用し始めるのではないだろうか。
私も、そのように心がけて生きていきたいものだ、と自分自身を励ましているのである。
そうでもないらしい。
人間は六道のなかをコロコロ回っている、わけです。善人の部分が多く出る人と、そうで
もない人とがいますが、バランスの問題で、あの人は良い人、あれは悪人、などと世間で
は決めつけることがありますが、それも違う気がします。
我々は、仏様のような尊い、慈悲深い気持ちになる時もあれば、修羅のように、激しい怒
りや憎しみの感情に翻弄されるときもあります。すべて、ひとりの人間のなかに存在して
いるのです。
我々は、思いがけなく病気になって、さんざん絶望や苦しみをあじわった後、ふと悟りの
ようなものを得ることがあります。憎むべき病気が、人としての大切な何かを、教えてく
れているのです。
ある男性の方の例ですが、突然降って湧いたように重篤な病名を告げられ、不安のどん底
に陥った時、病院のベッドが空かないので、入院までの待機期間を、自宅で安静にしてい
るように医師から指示され、しばらくは守っておりました。が、たとえ病人でも、家の中
でのできることは、してみようと思い、少しずつ動くことにしたそうです。
今までやったこともない家事。掃除、洗濯、ご飯の用意。たまった新聞紙や雑誌の整理、
ゴミステーションに出せるように分けて縛って・・・。
家の中のアレコレ、コマゴマを自分でやってみて、初めて妻の苦労が分かった気がした。
掃除や洗濯なんか、仕事のうちには入らない!と軽蔑していたのに・・・。手料理ではなく、
スーパーのお惣菜なんかを、無造作に食卓に出す妻を、激しくののしったこともあった。
妻も仕事を持っているのに、優しく気遣うこころが微塵もなかったことに、愕然とした。
職場では上司を心の中で責め、嫌い、軽んじ、家では妻に当り散らし、思い起こせば、若
い頃から親とも争ってきた。情けない親を、責め続けてきた。
あぁ、自分は、なんという心得違いをしてきたものか。彼は、奥さんにも、上司にも、す
でに亡くなっている両親にも、本当に申し訳なかった!、とこころの中で詫びたのでした。
この待機期間中に、彼の病状は、医師も驚くほど快癒し、結局大事にならずにすんだの
でした。
それまでは、不平不満で働いていた職場に復帰すると、どういうわけか不思議なことに、
以前から希望していたところに配置転換になったという。
歪んだこころを病気という現象が警告してくれて、自然なこころにしてくれた。こころか
ら喜んで働いた時、正常なこころ(自然のこころ)を取り戻せたのだ、と彼は理解してい
るという。
「奇跡」は、偶然では起こらないと私は思う。おそらく、必然の因子を持っているはずで
ある。心がなんのこだわりもなく、張りきって、澄みきった時、人間にほんらい備わった
力である、自然治癒力のスイッチが入って、体に作用し始めるのではないだろうか。
私も、そのように心がけて生きていきたいものだ、と自分自身を励ましているのである。
不平不満からは何も生まれません。
不平スパイラル(笑)でどんどん悪い方向に行ってしまいますね。
でも、わかってはいても、なかなかそれができないのも人間。
だからなおさら愛しいのですよね。
いつも暖かく人を許せる。
そんな慈悲深い人になりたいです。
>「奇跡」は、偶然では起こらないと私は思う。おそらく、必然の因子を持っているはずである。心がなんのこだわりもなく、張りきって、澄みきった時、人間にほんらい備わった力である、自然治癒力のスイッチが入って、体に作用し始めるのではないだろうか。
病気って、こだわりから生れるような気がする。
わたしもこだわりを捨てて生きよう!
って、なんにこだわってたんだっけな?
こだわりに気づくところから始めなきゃ。とほほ。
心が病んでいる時は次から次と病気が出てきます。
60ウン歳生きて来て実感しております。
残された年月を澄みきった心で暮らして行こうと
トーコさんに教えて頂きました。
なーんにもしていないのに、ただそこにいるだけで辛い。
人に感謝する心が欠けてしまっているのかも知れません。
すごく心にしみる言葉をありがとうございます。
つらいことや悲しいこともありますが、月日がすべてを解決してます@いまのところ。
でだ。
トーコさん、文章うまいのね。
スパムメールのときとは、えらい違いだ。
“能ある鷹”だったんダスなぁ、ワフワフ!
ワタシも素直な心になれば、希望する世界に行けるかも。
よ~し、がんばってみよう!
不平不満、自分のことしか見えない、心に余裕の無いときに生まれるもの。病気もおそらく、同じようなところに、原因があるのかもですね。
病は気から・・・
忘れかけていました・・・
気持ちを入れ替えて、頑張るか
不平スパイラル、よく陥ります、この私。あはは。
不平不満を言ったり、ひとに厭味を言ったり、意地悪したりする人は、コンプレックスの塊なんですよ。
そんな人と出くわすと、あぁ、このひとはきっと劣等感が強いんだな~、気の毒だなぁ~、とは思うけど、やっぱり腹は立つものですね。
こころの病気も、体の病気も、「こだわり」からきていると、私も思っています。
”こだわり”が悪いとばかりはいえませんが、”こだわり過ぎ”ると、体調が悪くなることがあるかもしれませんね。(ところで、この前の体調悪化は何が原因だったのですか?やっぱりアレですか、食べすぎとか?)
O型の人は、「こだわり」とは無縁だと思います。うらやますぃ~
コメントありがとうございます。
ホントに、こころが弱ると、体の方も弱るのか、病気もアレコレと出るものですよね。免疫機能があまり働かなくなるのでしょうか。
私も持病がいろいろありますが、労わってばかりいても良くならないので、少し体を鍛えてやろうと思っています。
そうすれば、こころも少しは強くなってくれるかなぁ、と思って。実際、以前よりはずいぶんマシになった気がします。
できるだけ、澄みきった心で、生きてゆきましょう!