芝不器男/残雪に挽きこぼしたる木屑かな
アズマイチゲ
阿部完市/すきとおるそこは太鼓をたたいてとおる
飯田蛇笏/乳を滴りて母牛のあゆむ冬日かな
(上田信治『成分表』より)
俳句はもとより妖精的な形式だ。自分が思うもっとも妖精じみた俳人は阿部完市だけれど、たとえば飯田蛇笏の古典的かつ構築的な表現も、その構築じたいが、空中で雲を部品に組み上げるような曲芸的軽さにおいて成立している。相反するものの同居は芸術の要件なのだから、私たちは軽さの中に重さを、その重さの中に軽さを見出だして楽しむのだろう。
上田信治/入口にハンガーのある落花生
豆の花ファイアウォールを探索に/青萄
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