こんばんは。
フォトコンに限らず「写真」を「俳句」と置き換えても同じ、厳しいプロの言葉をおとなしく聞きたいと思います。
おおむね総論のプロ選評が多い中で、分りやすい各論で的確に指摘された方がいらっしゃいます↓ピンポイントで取り上げてみましょう。
★コンテストといえば、以前に入賞した写真の類似で、「柳の下」をねらう安易な考え方が数多くみられますが、これを改めなければ入賞できるとは思いません。(丹地敏明氏)
★自信過剰になっていませんか?技術的に未熟と感じている人には、謙虚に受け入れられる結果も、「これだけ写真をやっているのだから評価されて当り前」、と思い込んでしまう応募者が、陥りやすい蟻地獄。
他人の写真や評価には否定的で、(自分は)技術的にほとんど前進していない作品を応募していながら、それに気づかず変えようとしない人は要注意。(清水哲朗氏)
★どんなジャンルの作品でも、作者がなぜこれを撮りたいという気持ちになったのかが伝わってこないと、予選の段階で落されます。
「これを撮って何を伝えたかったのか?」と選者が(疑問を)感じた時点でアウト。タイトルによって救われる作品もありますが、それは稀。自己満足の高い作品と言われるものは、このへんに分類されることがあります。
コンテストである以上、作者の意図が他人に伝わらなければ、箸にも棒にもかからないのは仕方がありません。(清水哲朗氏)
アハハ、いやはや耳が痛すぎるようなオハナシ、あ、耳鳴りまで?・・(((((^_^;
件の、実績は十分ながら昨今は落選が多いカメラマンに教えてあげたいけれど、あまりに酷でございます。そんなこと、言えないなぁ、とても(涙)
ほぼ似たような内容を、俳句誌でもくどいほど言われておりますが、なるほどと思っても、誰もがすぐその通りにできるわけではありません。一度注意されて、その通りできるのは非凡な方だけです。私を含め凡人はやはりたゆまず謙虚に、地道に努力するしかないでしょう。
自信満々の作品はあんがい落ちますね。え?これが?というのが入ったりしますので油断がなりません。写真ではなく、私の俳句の話ですよ(笑)
私、空見さんの俳句好きですよ。
中々言えない事をさりげなく云う感性さすがです。
おべっかとか持ち上げたりしません。
それは、出来ない性格ですから。
因って、私も嫌われものです。大(笑)
それにしても、私のカミさん辛抱強いですーーー。
こんな私の何処が良いんだか。
っふふ 面白いフレーズが並んでる
どれも耳に痛いものですなぁ(笑)
ダメな物を落とすのは簡単だと思います、残ったものに優劣を付ける、それはハッキリ言って選者の好みではないかと・・^^;
奥さん?それは・・ななごうさんに良いところがあるからではないですか、そう思っておけば平和です(笑)
こんのさんこんにちは、ありがとうございます~
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さすが大人(たいじん)は達観してますなぁ(笑)
ぼくのブログも、コンテストの選者の選択も、結局はそれぞれの基準での自己満足。人の営みというものは、自己満足のために行うものだ、と思っております。
そうした営みの中でも、力のある者の意見、多数を制した価値観が他を凌駕します。しかし、多数の価値観も、少数の価値観も、どちらがよいとか悪いとか、正しいとか正しくないとか、誰も判断することはできないし、そもそも価値観とはそういう性質のものではなくて、それぞれの自己満足に過ぎない、と思います。
ななごうさんのおっしゃるように、おまえは何様だ? と突っ込む人がいたとしても、そうして突っ込む動機もまた、自己満足でしょう。
私が云うのとでは、シンミが違います。
判り易い解釈を頂きました。
ブログの無い私故、いつも空見さんの処お借りしてます。
ありがとうございます。空見さん。
「自己満足」という切り口も一つの見方でしょう
ふ~む、私は「共感」の質と量をあげたい
選者に、そして見る人たちにどれほどの共感をよぶか
その到達点が高いほど選ばれるような気がします