いつも”空見ろトーコ”を応援していただいて、本当にありがとうございます
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(50代日記と栃木県民日記でがんばっています)
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昔、行き場のない人たちが、吹き寄せられるように集まるのが、夜の「駅」だった。
通常は、「停車場(ていしゃば)」、とも言っていた。むろん、列車を利用する人たち
以外のお話である。
冬、赤ん坊が夜泣きすると、母は素早く身支度をしてこどもを背負い、ねんねこ、角巻き
で防寒をしながら、外を歩く。田舎のこととて、行く所もなく、しかたがないので「駅」
に向かう。
駅に行けば、大きなだるまストーブが燃えていて、それを囲んで木のベンチが置かれて
いた。
母は、時刻表を眺めるふりをしながら、きっと途方に暮れていただろう。
病弱な子ども、生活苦、放蕩無頼の夫。。。背負った子と無理心中でもしそうな雰囲気が、
あったのではないだろうか。それほど、母は切羽詰って、不安定だった、と思う。
後年、母から聞いた話では、その時声をかけてくれた女性がいたという。優しく声をかけ
てきた人に、母は堰を切ったように、泣きながら、さまざまな愚痴を並べ立てたのでは
ないか。
その女性は、赤ん坊の顔を覗いて「この子は、将来、すごく親孝行な子どもになるよ。だ
から、一生けんめい頑張って、大事に育てなきゃだめ。きっと、ゆくゆくあなたの力にな
ってくれる子だから」。。。そんな風に言ったという。
母は、このことを、子供の頃の私に何度か話して聞かせた。私は、ふ~ん、と思っただけ
だったが、母は、その言葉を頼りの杖にして、頑張ってきた風(ふう)がある。
今となっては、見ず知らずのその女性の、年格好も、顔も思い出せないけれど、かけても
らった言葉だけは、一生忘れない、と言っていた母。
私にとっても、そのイメージのシーンは忘れられなくなっている。私自身は、当時ものご
ころのつかない赤ん坊だったわけだけれども。
たぶんその人は、泣きながら話す母を、不憫に思って励ましてくれたのだと思う。「将来
親孝行な子になる」なんて、方便である。しかし、そう言わなければ収まらないような様
子を、見て取ったのだろう。
将来、きっといい子になる!目の前に人参をぶら下げるような、即物的な喩えかもしれな
いが。しかし、母は見ず知らずの人のこの言葉に、縋りついた。とにかく、救われようと
したのである。・・・そして、私も結果として、死なずにすんだわけである。
母は、いつも真剣勝負の人だった。子どもに対しても、ごまかしたり、ウソをつくことが
なく、正直であった。自分に対しても、不器用なほどに、正直に生きた人だったと思う。
私は、見ず知らずの人に、何ほどかの力になる言葉を、かけられるような人に、なりたい
と思っている。たとえば100人に声をかけて、99人には意味不明でトンチンカンでも、たっ
た1人のひとの胸に届いてくれれば、ありがたいことだ、と念じているのである。
田舎の方の、古い駅舎を見ると、懐かしくなる。子供の頃、吹きっさらしのホームで、乗
り換えの列車を待つ数分のあいだ、時間と戦いながら、熱い立ち食い蕎麦を食べた思
い出が、胸にせつなくのぼって来る。
以前に、わざわざ入場券を買って、ホームの立ち食い蕎麦を食べに行ったことがあった。
そうとうな物好きである。しかし、シチュエーションが違う。乗り換えの列車が来てしま
わないかと、ハラハラしているわけでもない。また、凍えるほど、寒いわけでもないのだ。
もう、あんな熱くて旨い蕎麦は、食べられないんだなぁ、と思うと、フト目頭が熱くなって
しまった。
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(50代日記と栃木県民日記でがんばっています)
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昔、行き場のない人たちが、吹き寄せられるように集まるのが、夜の「駅」だった。
通常は、「停車場(ていしゃば)」、とも言っていた。むろん、列車を利用する人たち
以外のお話である。
冬、赤ん坊が夜泣きすると、母は素早く身支度をしてこどもを背負い、ねんねこ、角巻き
で防寒をしながら、外を歩く。田舎のこととて、行く所もなく、しかたがないので「駅」
に向かう。
駅に行けば、大きなだるまストーブが燃えていて、それを囲んで木のベンチが置かれて
いた。
母は、時刻表を眺めるふりをしながら、きっと途方に暮れていただろう。
病弱な子ども、生活苦、放蕩無頼の夫。。。背負った子と無理心中でもしそうな雰囲気が、
あったのではないだろうか。それほど、母は切羽詰って、不安定だった、と思う。
後年、母から聞いた話では、その時声をかけてくれた女性がいたという。優しく声をかけ
てきた人に、母は堰を切ったように、泣きながら、さまざまな愚痴を並べ立てたのでは
ないか。
その女性は、赤ん坊の顔を覗いて「この子は、将来、すごく親孝行な子どもになるよ。だ
から、一生けんめい頑張って、大事に育てなきゃだめ。きっと、ゆくゆくあなたの力にな
ってくれる子だから」。。。そんな風に言ったという。
母は、このことを、子供の頃の私に何度か話して聞かせた。私は、ふ~ん、と思っただけ
だったが、母は、その言葉を頼りの杖にして、頑張ってきた風(ふう)がある。
今となっては、見ず知らずのその女性の、年格好も、顔も思い出せないけれど、かけても
らった言葉だけは、一生忘れない、と言っていた母。
私にとっても、そのイメージのシーンは忘れられなくなっている。私自身は、当時ものご
ころのつかない赤ん坊だったわけだけれども。
たぶんその人は、泣きながら話す母を、不憫に思って励ましてくれたのだと思う。「将来
親孝行な子になる」なんて、方便である。しかし、そう言わなければ収まらないような様
子を、見て取ったのだろう。
将来、きっといい子になる!目の前に人参をぶら下げるような、即物的な喩えかもしれな
いが。しかし、母は見ず知らずの人のこの言葉に、縋りついた。とにかく、救われようと
したのである。・・・そして、私も結果として、死なずにすんだわけである。
母は、いつも真剣勝負の人だった。子どもに対しても、ごまかしたり、ウソをつくことが
なく、正直であった。自分に対しても、不器用なほどに、正直に生きた人だったと思う。
私は、見ず知らずの人に、何ほどかの力になる言葉を、かけられるような人に、なりたい
と思っている。たとえば100人に声をかけて、99人には意味不明でトンチンカンでも、たっ
た1人のひとの胸に届いてくれれば、ありがたいことだ、と念じているのである。
田舎の方の、古い駅舎を見ると、懐かしくなる。子供の頃、吹きっさらしのホームで、乗
り換えの列車を待つ数分のあいだ、時間と戦いながら、熱い立ち食い蕎麦を食べた思
い出が、胸にせつなくのぼって来る。
以前に、わざわざ入場券を買って、ホームの立ち食い蕎麦を食べに行ったことがあった。
そうとうな物好きである。しかし、シチュエーションが違う。乗り換えの列車が来てしま
わないかと、ハラハラしているわけでもない。また、凍えるほど、寒いわけでもないのだ。
もう、あんな熱くて旨い蕎麦は、食べられないんだなぁ、と思うと、フト目頭が熱くなって
しまった。
小さい子どもを抱えた女性には、皆でエールを送りたいよね。大変だと思うよ、実際。
誰かの優しい言葉で、また気を取り直して、子育てを頑張れる人だって、きっといると思うのね。
私が以前逢った女性は、幼子を4人連れていたのね。ツヨシを連れて散歩していた時だったんだけれど、車道しかない道で向こうから歩いてきたので、子どもが犬を怖がるといけないから、反対側によけたのね。
その女性が近づいてきた時に、ちゃんと「よけてくださって、どうもありがとうございました!」と笑顔で挨拶してくれてね。
普通は知らんぷりするのに、この人はしっかりした素晴らしい人だなぁ、って思いました。心の中で、子育ても、もう少しの辛抱だから、頑張ってね!!なんて、思わずエールを送ったわ(笑)
それから、上手に育てていますねーと、いかにも感心した風に言います。
すると、母親の顔がぱーっと輝きます。
私は、母親が35才くらいの子です。今生きていれば、90才位でしょうか。。。信じられないけれど。
母は亡くなる時まで、私と東京で暮らした短い時間を、人生で一番楽しかった時、と何度も言っていたそうです。それを、後から聞きました。
母は、昔から書いたり読んだりすることが好きだったので、暇な時は、想い出して自分の半生を書いて置くといい、と言ってレポート用紙とペンを渡したりしましたね。何も、親孝行らしいこともできず、私は、長く自分を責めてきましたが
マレーシアの山から帰って来たばかりなのに、また山へ。たいへんなバイタリティの持ち主ですね。少し、分けてほしい(笑)
そう、私も、昔の映画みたいな気がします。それも、小津安二郎なんかじゃなくてね。あ、名前が出てこないけど、故・音羽信子さんの旦那さんの映画監督。
顔は思い描けるのに、お名前が出てきません。あはは
私たち大人は、見知らぬ人に対してでも、危ない人とマトモな人を、自然に見分ける力を養ってきたと思います。
特に教えられたわけではありませんが。。。そして、自分自身でも試行錯誤しながら、それを会得したように思います。
しかし、現代では、危ないからといって、便利なナイフさえも、子どもの手から取り上げます。何事も両刃の剣です。正しい使い方と危険との、背中合わせの知恵を教えることなくして、教育とは言えないのではないか、などとおせっかいオバサンは残念に思うのですが。
子どもを囲い込むことだけが、護る事ではないと。子どもを自立させることが、一番子どものためには必要なのです。護ってやれる親は、いつまでも生きていてはやれないのですから。
最近よくある、駅員さんに暴言を吐いたり、暴行をするというのは、人間としても最低行為ですね。駅員さんが反撃しないという事を、彼らは知っているから、ストレス発散でやっているのです。
弱い者にアタル!、学校でも職場でも世間のいたる所で、”蔓延”しています
親孝行、したいときには親はなし、なのです
母は、私が30歳の時に亡くなりました。時々、いろいろ想い出して、母親が可哀相で泣くこともありましたが、母の潔さや決断力には、敬服しました。
私の推薦本を読んでくださるとのこと。嬉しいです。
あくまでも、読書は娯楽ですから、難しい箇所や興味のない部分は飛ばしてもかまわないと思います。だいたいの、全体の雰囲気が分かればいいのです。
その中で、心に残るようなフレーズ、あるいはここは大事、と思うところはメモをしたり。。。そんなもので良いかと思います。どうぞ、軽い気持ちで読んでみてくださいネ
特別エライような母親でもなかったですけれど、いつも子どもが第一で、何をするにも一生けんめいで真剣だったのは、尊敬しています。
岩手の「大地の歌」ですか!耳に残って、心の中で太鼓が鳴るような、合いの手をかけたくなるような、そんなすばらしい歌なのでしょうね。
それとタイトルが似ている「大地の子」という、日中合作ドラマでも、私はず~と泣きましたけどね(笑)山崎豊子氏の本が原作ですが、本は読んでいません。・・・だって・・・長いんですもの。あはは
思わず、胸が熱くなりました。^^
母親は、たいへんだったろうなぁ~。
時代が時代だったろうし・・・
人が人に、親切やら思いやりを発揮できた大人の時代。
現代はといえば、自分勝手でわがままな幼児性の時代。
人間は結局は、こんな方向へ突っ走るのでしょうかね。
出掛ける前にお邪魔したら、いい話が載っていました。まるで映画のシーンのようです。
昔の人は我慢強かったと思います。
今の若者はすぐに「切れる」ようです。
豊かに育てられたので我慢が足りないのでしょうか?
ますます人間関係が悪くなるような気がします。
では行ってきます!
「児童に声をかけた」なんて事があれば(安全面で考えれば当然ですが)電話で連絡が入る。
カミさんなんかは(のんきな所もありますが)高校生の時、自転車がパンクして、自転車ごと見ず知らずの人に運んでもらった事があるとの事。今では考えられませんね。
駅員に対する暴行、傷害が増えているとTVで言ってました。客が悪い事に逆ぎれするケースが多いとの事。
また、「頑張れ」の言葉も負担になる人も増えている…むしろ「リラックマ」のごとく、のんびりすればいいと、はたから見てて思っても、それを伝えられない。
「この子は親孝行な子になる」
いい言葉ですね。
「お母さんを助けていかなくちゃ」と言われて育った二人の兄弟の、兄は県外で立派に独立し、弟(僕)は地元でパラサイト状態でした。親孝行にはもう少し時間(とお金)がかかりそうです。
辛さに耐え忍んだぶん、トーコさんが、
お母様の力にもなり、親孝行してるんだ。
<トーコは、母の背中を見て育つ>・・・ですね。
呼び捨てゴメン。
本を読むのは余り好きではないけど、
トーコさんの贈り物(推薦本)なので、
私には、縁のある本だと思います。
さっそく、書店に確認すると、有るとの事。
休みに買いに行ってきます。
今の私に、読んで理解するのには時間が必要だけど、
慌てず・ユックリと、頑張って挑戦してみます。
昔こんな話の本を読んだことが、あったような気が
します。
歯を喰いしばって生きて来たお母さんは、日本の母の見本ですね。
その子供のトーコさんもきっと頑張り屋さんだと思います。
千の風の歌、有難う御座います。歌はいいね~・
元気になります。
孫の文化祭で歌った【大地の歌】も良かった!
この大地に僕らは生きている、ヤササ・ヤササ
ドンドン(太鼓)が合いの手で入る。
時々思い出しています。