昨日からTVで騒いでいた「人質たてこもり発砲事件」、いちおう犯人が逮捕されたようだけれど、
最近、この手の殺伐とした事件があいついで頻発していますね。
日本の安全神話は、完全に過去のものとなったということでしょうか。そのうち、これが常態化して
いくのかもしれません。戦時下では、死体をまたいで歩いた(そうせざるをえない状況であった)と
いう話も、よく聞きました。
非情などということではなくて、神経を麻痺させなければ、生きてゆけないわけで、おそらく生存本
能がそうさせるのでしょう。
われわれは、「戦争を知らない子どもたち」なのです。これは昔、杉田二郎というフォークシンガー
が歌った歌なのですよ。「戦争が終わって~僕らは生まれた~♪」のですから。
その日一日、事件がなかった、ということがどれほど「幸せ」なことなのか、事件の渦中に放り込ま
れた人でなければ、知ることができません。
「暇で退屈で死にそ~」なんて、よく言いますが、それがどれほど贅沢な悩みか。幸せで平和だとい
うことに、はやく気づいてほしいものです。・・・無理でしょうが。
あらっ。今日はいやに挑戦的な、この私。頭に太陽を浴びすぎて、熱がこもっているのかしら?(笑)
「幸せ」は、心構えによって大きく左右される要素を持っています。
なんでもない、ありふれた風景や日常の行為を、幸せと感じ、楽しむことができるかどうかは、人生
に対して、どのような態度をとるかによって決まることがあります。
私のように、ささいなことをいつまでもクヨクヨと考える生活を送っている人は、日常の幸せや楽し
みの多くを、味わい損なっているのですね。
「お茶をおいしく飲む」という、簡単なことを例にとっても、それほど簡単ではありません。
一杯のお茶をおいしく飲むためには、人生観や自分の全生活を見直さなくてはならない、という考え
方も成り立つのです。
実際のところ、散らかった汚い部屋、夫婦ゲンカが絶えない家庭、遊びや浪費やギャンブルに夢中に
なっているような日々では、お茶を味わうどころではないでしょう。
反対に、どれほどの不幸で絶望的な状況に耐えられるかということも、その人の心構えによって決ま
るということがあります。
そもそも、どのような状況を不幸であり、絶望的と考えるかは、それぞれの人の人生観によっても、
大きく違ってくるのです。
最近、この手の殺伐とした事件があいついで頻発していますね。
日本の安全神話は、完全に過去のものとなったということでしょうか。そのうち、これが常態化して
いくのかもしれません。戦時下では、死体をまたいで歩いた(そうせざるをえない状況であった)と
いう話も、よく聞きました。
非情などということではなくて、神経を麻痺させなければ、生きてゆけないわけで、おそらく生存本
能がそうさせるのでしょう。
われわれは、「戦争を知らない子どもたち」なのです。これは昔、杉田二郎というフォークシンガー
が歌った歌なのですよ。「戦争が終わって~僕らは生まれた~♪」のですから。
その日一日、事件がなかった、ということがどれほど「幸せ」なことなのか、事件の渦中に放り込ま
れた人でなければ、知ることができません。
「暇で退屈で死にそ~」なんて、よく言いますが、それがどれほど贅沢な悩みか。幸せで平和だとい
うことに、はやく気づいてほしいものです。・・・無理でしょうが。
あらっ。今日はいやに挑戦的な、この私。頭に太陽を浴びすぎて、熱がこもっているのかしら?(笑)
「幸せ」は、心構えによって大きく左右される要素を持っています。
なんでもない、ありふれた風景や日常の行為を、幸せと感じ、楽しむことができるかどうかは、人生
に対して、どのような態度をとるかによって決まることがあります。
私のように、ささいなことをいつまでもクヨクヨと考える生活を送っている人は、日常の幸せや楽し
みの多くを、味わい損なっているのですね。
「お茶をおいしく飲む」という、簡単なことを例にとっても、それほど簡単ではありません。
一杯のお茶をおいしく飲むためには、人生観や自分の全生活を見直さなくてはならない、という考え
方も成り立つのです。
実際のところ、散らかった汚い部屋、夫婦ゲンカが絶えない家庭、遊びや浪費やギャンブルに夢中に
なっているような日々では、お茶を味わうどころではないでしょう。
反対に、どれほどの不幸で絶望的な状況に耐えられるかということも、その人の心構えによって決ま
るということがあります。
そもそも、どのような状況を不幸であり、絶望的と考えるかは、それぞれの人の人生観によっても、
大きく違ってくるのです。
ある朝、「台所の床が固くってとっても幸せだな~。」
って思ったことがあって…。
これっていくらなんでもちいとやばい??
マジであせったよ。。。 がはは。
名古屋の事件では、殉職された23歳の若者のことを
思うとやりきれないね。
残された奥様やお子さんが、これからの人生を
強く生きていけるようにお祈りします。
あたたかいお湯が出てくるたびに「幸せだなぁ」って思う。
冬の間じゅう毎朝思ってる。
今日も幸せだったよ。ブログ見てね。
http://riant-ritsuko.blog.drecom.jp/archive/246
名古屋の事件、痛ましいね。
え?いしともさんちの台所の床、前は柔らかかったことがあったの?がははは。
私は、二年前に怪我をしてそれが悪化したとき、ずーっとお風呂に入れなくて(シャワーをささっ、てカンジ)、やっとお医者のOKが出たその夜、あっついお湯にどっぷりと首まで浸かったときだね。
あ”~、こんな幸せ、他にないと思った。体中の皮膚や神経が、喜ぶ喜ぶ。
あのね、ツヨシは柴犬の雑種で中型犬だから、倒れても抱っこできないよ。ひたすら撫でて、名前を呼んで励まし、復活を待つだけ。しばらくすると、ヨロヨロ立ち上がって、またボチボチ歩き始めるよ(笑)
のっちさんは、いつもどこからか幸せを呼び込んで、補充し続けるから、ず~っと幸せなんだね。
で、獣医さん、しもたまりさんにソックリなの。優しそうな丸顔といい、前・後光の射しぐあいといい。
しもたまりさんって、「しもた まり」という名の女性だとばかり思っていたわ。・・・それはハニー、ただの勘違いだよ、なんちて
皆さんの「幸せだと思う瞬間」。書き込んでくれたら、嬉しいのです、私がとっても。よろしかったらお願いします
でも、外に目を向ければ、今の日本に生まれただけでも、世界的には恵まれているのですよね。
しかも、5体満足で病気でもないし。
あまりに平和すぎて、病んだ人がいるのは不幸かもです。
なるせさんは、お仕事以外に関しては、特に命に別状ないから、周囲の流れに逆らわないのよね。
コレ着て、とか、ソレは脱いで、とか娘さんに言われても、喜んで従っているのが賢い、と思う今日この頃。
だからトータルで、やっぱり幸せ!、コレ当たり前のこと
え?ばかうけ?
やりぃ