歌手の藤圭子さんが亡くなりましたね。いつまでも華奢な感じの少女のようでした。
若くして一世を風靡しピークが過ぎれば、その後の人生は「長い余生」みたいなものですか。むろん死ぬまで現役を続ける息の長い歌手の方も多いですが、それが難しい場合もあるのが道理。
彼女は、宇多田ヒカルという傑作を世に生み出したことを、もっと誇りにして生きてもよかったとも思いますが、誰にもうかがい知れない様々な事情があったのでしょう。ご冥福をお祈りします。
地蟲鳴く怨歌の少女と呼ばれ逝く 空屋
うちに来ていた変った蟲さんです↓名前は知りません (;^_^A アセアセ・・


いろいろなわけがあったのでしょうが......
>地蟲鳴く怨歌の少女と呼ばれ逝く 空屋
鎮魂の句ですね
共感しますです
今頃のこのこと伺いました。
連日あ~う~の発声練習でしたが。
昨日、無事に独唱発表を終えました。
遊んでいる最中も、常にこれが重石になっていて。
帰宅するや、大の字で寝てしまいました!
ハッとする登場ぶりだった藤圭子さん。
斜に構えたスタイル、青春時代に拗ねていた自分と重なります。
「本性」って何でしょうね。私は性善説も性悪説もとりません、どちらも人の心の中に存在するものだからです。
☆だんだんさん、独唱でしたか、それは又大役をはたされましたね!
とにかく、歌がかなりうまいんだと言うことは分かりました(笑)
じつは藤圭子さんの歌は好きではありませんでした。五木寛之の「怨歌」だの「涙の河を振り返れ」など、キザで感傷に過ぎると思ったし、それは藤圭子の虚像でしかない。
彼女はただ単純に、得意とする歌を武器に成功し、家族を貧乏から救いたかったのでは?と。
自己防衛機構を纏わない反応、その人の素っ裸の性格(笑)
鎧を着てない姿を曝け出してしまう。いつもは用心して隠してる姿
不意打ちには、それを曝けだす力がある。だから不意打ちは恐い(笑)
そんなふうに捉えてますが......
こんのさんはこれまで常に本性を隠して生きてこられたのですか?
本性を現す事はそれほど忌むべきことでしょうか、隠すことによっては別な形でそれが現れている可能性もあるような気がしますが・・
好みや見解の相違ですね、論争するつもりはありませんのでお返事は要りません。
ゆっくり休めてくださいね。
返信は固くお断りしますじょ。(笑)
元気になってくださいね。
眼が痛いんですじょ、一年前から何度もなったけど、知らぬ間に自然におさまっていましたが。
気のせい、といわれれば・・強く反論はできないけど~(汗)
でもPCを必要最小限にして、様子を見ています、ありがとう!!