ネジバナ再び↑どこの野にも咲くかわいい小さな蘭であるが、固まっていてもネジバナ同士が捻れて絡むことはないので、俳句作家は見立てで勘違いされないようよく見てほしいと思う
前回遠くて様子が見えなかったりょうぶ↑たまたま垂れている枝があったのでリベンジ~(笑)
この時季、水辺の桔梗が涼やかで美しい↑里山の自然を維持するのは大変な仕事だと思う
小山玄黙/夜とも違ふキネマの暗さ巴里祭
ネジバナ再び↑どこの野にも咲くかわいい小さな蘭であるが、固まっていてもネジバナ同士が捻れて絡むことはないので、俳句作家は見立てで勘違いされないようよく見てほしいと思う
前回遠くて様子が見えなかったりょうぶ↑たまたま垂れている枝があったのでリベンジ~(笑)
この時季、水辺の桔梗が涼やかで美しい↑里山の自然を維持するのは大変な仕事だと思う
小山玄黙/夜とも違ふキネマの暗さ巴里祭
俳句では推敲が一番愉しく思う。いつもだいたい頭の片隅には、あれはもっと的確な表現があるのではないか、と言葉を探している。それは数年前の句でも選に入った句でも同じ、まだ本当は完成していない、俳句にこれくらいでいいということはない。だから俳句はやめられないのか、楽しくはないが愉快ではある🐱
初学の頃は規制のきびしい俳句から逃げて❔写真俳句に😅写真に半分オンブできそうで一見楽にも思えたが、写真俳句を本当に成功させるためには、写真も俳句もそれぞれ特殊な才能が両立していなければならない。過去に成功した人はほんの一握りである。しかもその高レベルを維持して行くとなると…非常に難しい。写真俳句はただテキトーな写真に俳句をくっ付ければよい、というものではない。