梅雨といえば梅雨なんですが、いささか妙な天候が続きますね。気温が上下し、所により雨が降ったり降らなかったり、また急激に晴れてカッと暑くなったかと思うと、一極集中豪雨のような降り具合に。
今日は久々に5キロ弱の早歩き、滝のような汗をかきいっそスッキリしましたけど (;^_^A アセアセ・・
さて、杉並木はまだ続きますよ↓瀬川の一里塚から、枯れ枝の溜る小砂利道を1キロほど野口十文字方面へ、戊辰戦争当時の「砲弾打込み杉」を探します。
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ここはヤマアジサイの宝庫。場所によってはタマアジサイばかりのところもありますが、全体に鬱蒼として薄暗いため、花の写真はきわめて写りが悪いのです。そこをちょっとごカンベンいただいて~
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あ~ありましたよ↓「砲弾打込み杉」の案内板が。これは「日光の幕軍を追って来た官軍である土佐軍と、日光から防御に出て来ていた草風隊、および伝習隊の一部が衝突。土佐軍の砲弾がこの木を貫通したという。縦に左右2本のえぐれ傷がある。右から入って左に抜けたらしい」。いずれにしてもこの周囲の杉並木には、当時の戦闘の名残りが見られるようで痛々しくも荒々しい。
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あぢさゐや亡き姉だけがものしづか 空見屋 (まつやまポスト 地)
こんなにいろいろあるのなら、杉並木を歩くのもおもしろいでしょうね。
当方の日光の印象は、考えてみれば小学生か中学生の頃のもの、その頃は何もわかっちゃいなかったのですから、自分のイメージがまったく当てにならないわけです。
すぐ近くの三渓園も、長いあいだ「あんなつまらないところ…」と思い込んでいたのですが、いまではたびたび訪れています。
ここも酷い惨劇の場所でありました。調べるといろいろなことが分ってきます。詳しいことは書きませんが、幕軍の戦死者を気の毒に思った地元の方々が、塚に埋葬したそうです。
そうですね~遠足とかで行った場所は、あまり気が向きませんものね。娘の遠足の話も笑いますよ、行った先で見たものは何も覚えておらず、ただあそこで誰とかさんが滑って転んでタイヘンだったんよ!なんてことばかり(笑)