信じるのか信じられないのか

2014-04-02 20:40:00 | 空見屋のスマホで絶句


人は簡単に信じられるものではない、と常より肝に銘じている。口当りの良いことを言ってはいても、万一都合が悪くなれば、掌を見事に返して裏切るのが人間というもの。だから、悲しいことだが信じなければ裏切られることもない、と。

作家の吉田修一さんという人は静かに燃える人である、と以前から作品を読んで思っていた。

最新作『怒り』では、「人を信じる」ことについて深く考察している。じつは本はまだ読んでいないのだけれど・・^^;


『怒り』文中より→<相手の何を知れば信じられるのかと悩む優馬はあるとき、無防備な直人を見て「まさかこの姿じゃないよな」と苦笑する> 

吉田氏→「こんなことでしか信じられないということは、同時に、こんなことぐらいで信じられる、ということ。これなんだな、と思った」


どんな時に人は誰かを本気で信じるのだろう。私の直近では、俳人の夏井いつきである。彼女は「一句一遊」という俳句のラジオ番組で、私の句を紹介する際に「青萄という名前を覚えてやってください」と、言ったと聞く。

メジャーな夏井いつきにとって、どこの馬の骨とも知れぬ青萄なぞ、何の得にもならないただの投稿者である。そんな者にまで優しい情けをかける彼女を、人を信じられない私がこのとき「夏井を信じよう!」と思ったのだ。

人との出会いは、たぶんそんな単純なことなのかもしれない、と思うのである。そして、激務の続く夏井いつきが、倒れることなく健やかでいられるようにと、日々「健康祈願」までしているわけである (;^_^A アセアセ・・


この時期に、薔薇のように咲き残っている美しい葉牡丹を見てしまった↓薔薇じゃなくて、それを言うなら牡丹でしょ! なのだが、私には薔薇に見えたのである。ちょっと感動 (*゜e゜)=3








さびしらのあまりに細き鶴の脚 空屋






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3 コメント

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Unknown (ディック)
2014-04-02 21:48:59
一度は信じたたのに…、という事件の情報が昨日耳に入りました。
次女もぼくもかみさんも、かなりショックを受けております。
悪い人ではなさそう…、と思っていたのに。
人を信じるなんてこと、わが家族にとっては今後かなり用心深くなり、疑り深くなるでしょう。
空見さんはよい師を得て、お幸せです。
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Unknown (ななごう)
2014-04-03 13:41:56
葉牡丹と書いて無かったら、バラと信じてしまう私です。
吞まれ易い性格です。
新種の薔薇も有りだなと。

人を信じる、信じない。私には難しい言葉です。

有る方が、私に掛けてくれた言葉。
人を信じ、信じないは重要な事。後で結果を見るのは自己責任で有ると。

人を信じる。
私は、空見さんの言葉を信じて居ます。
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Unknown (空見)
2014-04-03 17:19:32
☆ディックさん、今日は雨ですね。
「悪い人ではなさそう・・」、見かけでも人はだまされますね。どんな人かなんて、本当は当人も解らないのかも知れませんから、まして他人は判断のしようがありません。
私も人を見る眼が全くありません、いつも直感で判断するのですが、見事に裏切られます。今後はどうしたもんか、と思っております^^;

☆ななごうさんこんにちは、ありがとうございます。
私は人を見る眼が無い、と数年前に自覚してからは、一見、良さそうな人であっても信じないようにして来ました。
ただ、少数ですが、信じると決めた人には、たとえその後何があっても信じきる、そのつもりでいます。しかし、人によっては結論の出ないような難しい問題でありますね。


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