人は簡単に信じられるものではない、と常より肝に銘じている。口当りの良いことを言ってはいても、万一都合が悪くなれば、掌を見事に返して裏切るのが人間というもの。だから、悲しいことだが信じなければ裏切られることもない、と。
作家の吉田修一さんという人は静かに燃える人である、と以前から作品を読んで思っていた。
最新作『怒り』では、「人を信じる」ことについて深く考察している。じつは本はまだ読んでいないのだけれど・・^^;
『怒り』文中より→<相手の何を知れば信じられるのかと悩む優馬はあるとき、無防備な直人を見て「まさかこの姿じゃないよな」と苦笑する>
吉田氏→「こんなことでしか信じられないということは、同時に、こんなことぐらいで信じられる、ということ。これなんだな、と思った」
どんな時に人は誰かを本気で信じるのだろう。私の直近では、俳人の夏井いつきである。彼女は「一句一遊」という俳句のラジオ番組で、私の句を紹介する際に「青萄という名前を覚えてやってください」と、言ったと聞く。
メジャーな夏井いつきにとって、どこの馬の骨とも知れぬ青萄なぞ、何の得にもならないただの投稿者である。そんな者にまで優しい情けをかける彼女を、人を信じられない私がこのとき「夏井を信じよう!」と思ったのだ。
人との出会いは、たぶんそんな単純なことなのかもしれない、と思うのである。そして、激務の続く夏井いつきが、倒れることなく健やかでいられるようにと、日々「健康祈願」までしているわけである (;^_^A アセアセ・・
この時期に、薔薇のように咲き残っている美しい葉牡丹を見てしまった↓薔薇じゃなくて、それを言うなら牡丹でしょ! なのだが、私には薔薇に見えたのである。ちょっと感動 (*゜e゜)=3
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さびしらのあまりに細き鶴の脚 空屋
次女もぼくもかみさんも、かなりショックを受けております。
悪い人ではなさそう…、と思っていたのに。
人を信じるなんてこと、わが家族にとっては今後かなり用心深くなり、疑り深くなるでしょう。
空見さんはよい師を得て、お幸せです。
吞まれ易い性格です。
新種の薔薇も有りだなと。
人を信じる、信じない。私には難しい言葉です。
有る方が、私に掛けてくれた言葉。
人を信じ、信じないは重要な事。後で結果を見るのは自己責任で有ると。
人を信じる。
私は、空見さんの言葉を信じて居ます。
「悪い人ではなさそう・・」、見かけでも人はだまされますね。どんな人かなんて、本当は当人も解らないのかも知れませんから、まして他人は判断のしようがありません。
私も人を見る眼が全くありません、いつも直感で判断するのですが、見事に裏切られます。今後はどうしたもんか、と思っております^^;
☆ななごうさんこんにちは、ありがとうございます。
私は人を見る眼が無い、と数年前に自覚してからは、一見、良さそうな人であっても信じないようにして来ました。
ただ、少数ですが、信じると決めた人には、たとえその後何があっても信じきる、そのつもりでいます。しかし、人によっては結論の出ないような難しい問題でありますね。