この日の斎藤氏への取材は、『環境と健康管理』という特集テーマにより、彼が「精神公害」という言葉で語る問題について、話していただいた。社会に警告を発した本、『精神公害』を刊行された頃である。
30数年前の時代背景を鑑みて、今となっては古い言い回し、データ等もあるのだが、その辺はご容赦いただきたいと思う。
ーー管理社会、高度経済成長社会のひずみが、人類を精神的肉体的滅亡に追いこみつつあるーー「精神公害は明日の問題ではない」との、タイトルである。
ノイローゼを作り出してしまう文明、だから少しだけ原始生活に戻ってみよう、というような提言であった。
(都市に遊民が増えると同時に、人口密度はすでに飽和状態にありますが、詰め込まれることで人間の肉体と精神は、どのようになりますか?)
斎藤氏 人口の過剰、特に一定地域への過度の集中は、間違いなく強いストレスを人間に浸透させる。
東京都の都心3区(港・千代田・中央)では、午前3時には43万人。午前8時には、61万人。午前9時に、138万人と急増して、午後1時には、なんと186万人に達する。
これをさらに、人口密度の高い、大手町・丸の内・有楽町・内幸町・日本橋・京橋に絞ってみると、一平方キロに20万人という、信じられないような数になる。
日本全体の人口密度が、一平方キロあたり280人、北海道は66人だから、東京の都心は超過密状態ということだろう。
生物全般から見て、過密は排泄・秩序破壊・共喰いに通ずるが、状況が進行すると互いにアパシー(無関心)となる。すべてに感動を失ったアパシーは、精神分裂病の主要な症状で、過密地球に住む人類の行き着くところは、やはり総分裂病化ということになるだろう。
昂進すると、人類は精神的に死んでしまう。感情を持たない「植物人間」になるということだ。単に、生命現象を持続させていくだけの存在になって、悪くすると生殖能力を喪失することになるかもしれない。
なぜなら、人間の持つ性欲は下等動物と違って、感情の支配下にあるわけだから。。。そうなると必然として、肉体的にも滅びることは容易に想像される。
(では、私たちはどうやってこの狭い空間の中で、精神公害から身を守ったらいいのでしょうか、お願いいたします)
斎藤氏 うんうん、そこで提案です。週に一度でも「○○無し!デー」を作りましょう。主婦ならば、今日一日は電化製品を使用しないと決める。洗濯は手洗いでとか、炊飯器を使わずにご飯を炊くなど。
サラリーマンは、電車一つ手前やバス停の二つか三つ前で下車、自宅まで歩いて帰る。むろん急にはいかないだろうが、少しずつ文化生活の中に”原始的生活方式”を組み入れていくことが、現時点で取れる対策ではないだろうか、と僕は思う。
モタさん♪は、次々と分かりやすい提案をしてくださるアイディアマンだと、つくづく思った。30数年前の東京がこうだったのだ、と今読み返してみて感慨も覚える。
朝の通勤ラッシュは、国電ならぬ”酷電”といわれたほどだった。田舎から出てきた私から見ると、これはまっとうな人間の通勤する姿ではない、、、と。何がイヤだと言って、朝の通勤ラッシュがその日一番のストレスだった。当時はフレックス・タイム制など、誰も考えもしない頃だった。
今でこそエコだの、スローライフだの、スローフードだのロハスだ、などと言っているが、30数年前からも似たようなことを言っていたのだ。そして、あの頃よりも都市部の過密度はさらに激しくなっているのだろう。
一部には過密を楽しんでいる人たちのいることは、忘れてはいけないだろう。他人に無関心であるのなら、自分にも無関心でいてくれるそんな環境が、心地良いと感ずる人たちも当然いるのである。
虫取り撫子
斎藤家は、パワーのある方が多く輩出する家系らしい。斎藤茂太氏のお母上は、知る人ぞ知る斎藤輝子さん。
茂吉さんを看取った後、79歳で南極、80歳でエベレストに登ったそうである。そして、108ヵ国を旅したとか。
北杜夫氏も、海外旅行には度々同行しているのだが、彼は躁うつ病の持病があるので、旅行先で躁になったり鬱になったりと、甚だしく不安定なのだ。お体も弱い方なのだろう。
体調が悪化して、体力の優る母には付いて行けない事がよくおありになったという。「まぁ~アナタはなんですか、男のクセにだらしのない!」と、母に叱られ呆れられ、ホテルでケンカした話(エッセイ)などは特に面白いのである。
北氏は昔から「私はもう死んでしまいそうだ、今後、そう永くは生きられないだろう」などと、弱音を吐くのを特技?にしていらしたが、今のところ長生きのご様子である。
娘さんの斎藤由香さんも、エッセイなどを書いて有名な人。週刊新潮に連載していた「窓際OL・トホホな朝ウフフの夜」も、軽妙な文体だった。今もサントリーの社員さんでもあるようだ。
それにしても、北杜夫氏が「私は躁うつ病ですよ」と公表してから、どれ位経ったのだろう。精神科医なのに躁うつ病とは、、、それってもしや医者の不養生?などと、ツッコミを入れたくなってしまう(笑)
また、驚くなかれ「芥川賞作家」でもある。「夜と霧の隅で」という、ナチス収容所をイメージした作品で・・。
「チボー家の人々」を見習って「楡家の人々」を書き、これらの純文学はすべて、彼の鬱状態の作であるのだ。
ナチスといえば、子供の頃より茂太氏の十八番のモノマネは、ドイツ語風を駆使する”ヒトラーの演説”だった。タモリの中国語風と、どちらの方が上だったのか(笑)
虫取りナデシコ
人気ブログランキング 今日は何位?
30数年前の時代背景を鑑みて、今となっては古い言い回し、データ等もあるのだが、その辺はご容赦いただきたいと思う。
ーー管理社会、高度経済成長社会のひずみが、人類を精神的肉体的滅亡に追いこみつつあるーー「精神公害は明日の問題ではない」との、タイトルである。
ノイローゼを作り出してしまう文明、だから少しだけ原始生活に戻ってみよう、というような提言であった。
(都市に遊民が増えると同時に、人口密度はすでに飽和状態にありますが、詰め込まれることで人間の肉体と精神は、どのようになりますか?)
斎藤氏 人口の過剰、特に一定地域への過度の集中は、間違いなく強いストレスを人間に浸透させる。
東京都の都心3区(港・千代田・中央)では、午前3時には43万人。午前8時には、61万人。午前9時に、138万人と急増して、午後1時には、なんと186万人に達する。
これをさらに、人口密度の高い、大手町・丸の内・有楽町・内幸町・日本橋・京橋に絞ってみると、一平方キロに20万人という、信じられないような数になる。
日本全体の人口密度が、一平方キロあたり280人、北海道は66人だから、東京の都心は超過密状態ということだろう。
生物全般から見て、過密は排泄・秩序破壊・共喰いに通ずるが、状況が進行すると互いにアパシー(無関心)となる。すべてに感動を失ったアパシーは、精神分裂病の主要な症状で、過密地球に住む人類の行き着くところは、やはり総分裂病化ということになるだろう。
昂進すると、人類は精神的に死んでしまう。感情を持たない「植物人間」になるということだ。単に、生命現象を持続させていくだけの存在になって、悪くすると生殖能力を喪失することになるかもしれない。
なぜなら、人間の持つ性欲は下等動物と違って、感情の支配下にあるわけだから。。。そうなると必然として、肉体的にも滅びることは容易に想像される。
(では、私たちはどうやってこの狭い空間の中で、精神公害から身を守ったらいいのでしょうか、お願いいたします)
斎藤氏 うんうん、そこで提案です。週に一度でも「○○無し!デー」を作りましょう。主婦ならば、今日一日は電化製品を使用しないと決める。洗濯は手洗いでとか、炊飯器を使わずにご飯を炊くなど。
サラリーマンは、電車一つ手前やバス停の二つか三つ前で下車、自宅まで歩いて帰る。むろん急にはいかないだろうが、少しずつ文化生活の中に”原始的生活方式”を組み入れていくことが、現時点で取れる対策ではないだろうか、と僕は思う。
モタさん♪は、次々と分かりやすい提案をしてくださるアイディアマンだと、つくづく思った。30数年前の東京がこうだったのだ、と今読み返してみて感慨も覚える。
朝の通勤ラッシュは、国電ならぬ”酷電”といわれたほどだった。田舎から出てきた私から見ると、これはまっとうな人間の通勤する姿ではない、、、と。何がイヤだと言って、朝の通勤ラッシュがその日一番のストレスだった。当時はフレックス・タイム制など、誰も考えもしない頃だった。
今でこそエコだの、スローライフだの、スローフードだのロハスだ、などと言っているが、30数年前からも似たようなことを言っていたのだ。そして、あの頃よりも都市部の過密度はさらに激しくなっているのだろう。
一部には過密を楽しんでいる人たちのいることは、忘れてはいけないだろう。他人に無関心であるのなら、自分にも無関心でいてくれるそんな環境が、心地良いと感ずる人たちも当然いるのである。
虫取り撫子
斎藤家は、パワーのある方が多く輩出する家系らしい。斎藤茂太氏のお母上は、知る人ぞ知る斎藤輝子さん。
茂吉さんを看取った後、79歳で南極、80歳でエベレストに登ったそうである。そして、108ヵ国を旅したとか。
北杜夫氏も、海外旅行には度々同行しているのだが、彼は躁うつ病の持病があるので、旅行先で躁になったり鬱になったりと、甚だしく不安定なのだ。お体も弱い方なのだろう。
体調が悪化して、体力の優る母には付いて行けない事がよくおありになったという。「まぁ~アナタはなんですか、男のクセにだらしのない!」と、母に叱られ呆れられ、ホテルでケンカした話(エッセイ)などは特に面白いのである。
北氏は昔から「私はもう死んでしまいそうだ、今後、そう永くは生きられないだろう」などと、弱音を吐くのを特技?にしていらしたが、今のところ長生きのご様子である。
娘さんの斎藤由香さんも、エッセイなどを書いて有名な人。週刊新潮に連載していた「窓際OL・トホホな朝ウフフの夜」も、軽妙な文体だった。今もサントリーの社員さんでもあるようだ。
それにしても、北杜夫氏が「私は躁うつ病ですよ」と公表してから、どれ位経ったのだろう。精神科医なのに躁うつ病とは、、、それってもしや医者の不養生?などと、ツッコミを入れたくなってしまう(笑)
また、驚くなかれ「芥川賞作家」でもある。「夜と霧の隅で」という、ナチス収容所をイメージした作品で・・。
「チボー家の人々」を見習って「楡家の人々」を書き、これらの純文学はすべて、彼の鬱状態の作であるのだ。
ナチスといえば、子供の頃より茂太氏の十八番のモノマネは、ドイツ語風を駆使する”ヒトラーの演説”だった。タモリの中国語風と、どちらの方が上だったのか(笑)
虫取りナデシコ
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読みました。
腹がよじれるくらい面白かったことを覚えています。
躁うつ病は北氏は告白しているけど、誰もなりたくて
なっている訳ではないので突っ込みをしたら可哀想ですよ。
歯医者さんだって虫歯にはなりますよ。
僕は北氏は躁うつ病と上手く付き合っていると思います。それが出来ないのが一般の躁うつ病患者です。
躁うつ病は苦しいらしいですね。
躁の時が困る、とマンボウ先生も仰っていたようです。微妙に何となく、想像で分かりますよ
そういえば、歯医者さんが通う歯医者さん、というのを前にTVで見たことがあります。
あの先生に治療して欲しい、と飛行機を使ってまで通っている歯医者さんもおられるそうです。本当に上手なのでしょうね。確かに、信頼の置けそうなお医者さんでした。
マンボウ氏は、モタ先生より10才くらいお若いようです。それでも、80歳は越えたでしょう。作家は死ぬまで現役なのですね。”老い”をネタにもできます^^
コメント☆、ありがとうございました
それはともかく、その時代でもそう言うことがわかる人にはわかるのですね
…でもそういう人は、必ずしも理解されるとは限りません
今の政治家が理解できないのは先を見ているから?方向が違うから?
今でこそ「○○無し!デー」の必要を感じますけど
あくせくし、とことん行き着かないと実感出来ないのが人間でしょうか・・・。
それにしてもつくづく貴重な体験でしたねぇ、羨ましい限りです
先見の明、ということですか?(笑)
30数年前、いえその前から、危険はハッキリ見えていたのですよ。しかし、すべてに”経済”が最優先でしたからね。
あの頃だったか、アーノルド・トフラーの警告本を読んで、ショックを受けていた記憶があります。
人間だけでなく、刻々と地球が壊れ続けているのを眼前にしても、結局手をこまねいている現状ではないですか。洞爺湖サミット然り。
しかし、人間は一度手に入れたものを、手離せるものでしょうか?
コメント☆、ありがとうございました
久々に、30数年前自分が何をしていたか、思い出しています。実は、全く成長していないことを発見しました
当時は普通と思っていたことも、今となっては貴重な体験だったのですね。
ただの使い走り、原稿取りの女の子でしたが、仕事上お会いする方々には、そこそこギョーカイの人に見えたことでしょう。
彼らには、多少の身内意識?がありますから、甘めに応対してくださったようです。面白い事なども、少しはありましたとさ^^
行き着くところまで行かないと、にっちもさっちもいかないのでしょうね
今日もコメント☆、ありがとうございました
骨が折れるかと思うくらいのラッシュアワーで通勤してましたがそれは当たり前と思ってました。
斎藤氏はその時すでに未来への警告を発してたんですね。
鈍感なまま今日まで生きてきて、
今になって「世の中変」なんて言っても通用しないかな。
最近斎藤由香氏の「窓際OL…」を読みました。
おっとりしたユーモアは父親譲りでしょうかね……。
トーコさん、いっぺんにいろ~んなことが思い出された「斎藤氏のれくいえむ。。」でした、ありがとう。
p.s.『沈黙』のあの感動は生涯忘れません、ハタチの思い出です。
世代が同じなのですね!
朝の通勤ラッシュ、私は軽量なのでもうボロボロでした(笑)しかし、あれに耐えられないでどーするの?という時代でした
TVでは、ワケの分からない事件ばかり報道されて、どんどん世の中変?になっていますけれど、どこに問題の根があったのでしょう。
それでも日本は、今の中国ほどではなかった、と思うのですけれど・・
『沈黙』読まれましたか。暗澹として泣けた事を思い出しています。思わず、夜空に月を探したような気がします、あの時。
コメント☆、ありがとうございました。再訪感謝
懐かしいですね。
どくとるマンボウ航海記・・・・
“高みの見物”ゴキブリの生態を詳しくユーモラスに綴る等々
“楡家の人々”も一気読みした覚えがあります。
井の頭病院院長の茂太先生・・・・
その昔、ボランティアで伺いました。
楽しい思い出ふっと今に甦りますね。
人ごみの中で、とても気楽に感じましたが、これが
過ぎると精神病になってしまうのですね。
今は人に会うことが何よりも楽しみですね。
8年前は人が私に何か話そうとして寄ってくると
怖かったです。
今は会合に行って誰も寄って来ないと淋しいですね。
なんとなく普通の人になれたような気がします。
不思議なことですが、8年前までは、それが普通
と思っていました。
後になって考えると普通じゃなかったと思うようになりました。