人生を80年とするならば
折り返し点をとっくに通過した
女がやっている店である。
暖簾に抜かれている「らーめん屋」の文字がなければ
およそラーメン屋らしからぬ店の作りである。
メニューには「泣き」と「笑い」
泣かせるほど沁みるのか 笑えるほど旨いのか...
初めての客は気構えて注文する。
ところが一口スープをすすっても
麺をすすってみても
泣くも笑うも起こらない。
強いて言えば
びっくりするような、旨さではないが
がっかりするほどの物でもないと言った所か。
この店の売りはラーメンの味ではないのだ。
それはいつ起こるか全く予測不能。
店の女の気分次第で突然始まる。
茹であがったラーメンを店の真ん中で
大仰にこれでもかと湯切りするのだ。
すると湯きりの向こうに虹が出る事がある。
不思議な事にその虹を観た客だけが
まるで心を丸裸にされたように
むせび泣きながら あるいは
心底楽しく笑いながら麺を味わう。
まるで一種のおみくじ感覚。
いつ会えるか分からない この「湯きりの虹」を求めて
自分の心に向き合いたくなると
客は足を運ぶのだ。
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「延びちまう!」の突っ込みが聞こえそうですが
あくまで妄想故 お許しを。
ご訪問ありがとうございました
短編小説っていうのは本当に上手い人しか書けないと思う。
湯切りの虹とは、目の付け所がさすがです!
心を丸裸にされた時、「笑い」でありたいけど、多分「泣き」なんだろうな、ワタシは…
ああ、ラーメン食べたくなってきました(笑)
「湯きりの虹」が頭に浮かんでしまい
この言葉を使いたいがために
とりとめのない事を書いてしまいました
泣いた涙で浄化されるなら
それも又、良いかなと思います
笑いにしろ泣きにしろ感情を表に出すのも
必要ですよね。
あ!人様に迷惑かけない程度に
ティモコさん、ありがとう~