新年明けましておめでとうございます。
2007年の新年を迎え、今年も穏やかな年になることを願うばかりです。
今日は美しく綺麗に初日の出がありました。未だ外にはでていませんが、富士山もきっと美しく眺めることができるでしょう。冬は空気が澄んでいつもより富士山を綺麗に眺めることができます。
2007年のスタートを切るにあたり過去の「7」のつく年の地震と噴火について振り返ってみました。「7」はラッキーナンバーではあるが・・・
300年前の徳川綱吉治世末期の江戸時代、日本では未曾有の巨大地震と大噴火が発生した。巨大地震が宝永地震であり、大噴火が富士山の宝永大噴火である。
宝永地震は1707年10月28日にマグニチュード8.4という日本最大級の規模で発生した。いわゆる東海地震・南海地震が同時発生した連動地震である。理科年表によると「全体で少なくとも死2万,潰家6万,流出家2万。震害は東海道・伊勢湾・紀伊半島で最もひどく,津波が紀伊半島から九州までの太平洋沿岸や瀬戸内海を襲った。津波の被害は土佐が最大。室戸・串本・御前崎で1~2m隆起し,高知市の東隣の地約20km が最大2m沈下した。遠州灘沖および紀伊半島沖で二つの巨大地震が同時に起こったとも考えられる。」と記されている。
宝永地震の49日後、富士山の大噴火が始まった。いわゆる1707年12月16日に始まった宝永の大噴火である。100km離れた江戸では大量の火山灰が降った。この噴火は翌年1708年1月1日に終焉したといわれている。以後300年間噴火は起こっていない。富士山の噴火は東海地震と密接な関係にあるといわれる。富士山は駿河トラフの延長であり、その延長線上には入山瀬断層がある。東海地震が発生したときに入山瀬断層が動き富士山の噴火が始まるともいわれている。東海地震の30年発生確率は87%であり、万一、東海地震、連動地震が起こった後に富士山の噴火もありうるかもしれない。
2007年の新年を迎え、今年も穏やかな年になることを願うばかりです。
今日は美しく綺麗に初日の出がありました。未だ外にはでていませんが、富士山もきっと美しく眺めることができるでしょう。冬は空気が澄んでいつもより富士山を綺麗に眺めることができます。
2007年のスタートを切るにあたり過去の「7」のつく年の地震と噴火について振り返ってみました。「7」はラッキーナンバーではあるが・・・
300年前の徳川綱吉治世末期の江戸時代、日本では未曾有の巨大地震と大噴火が発生した。巨大地震が宝永地震であり、大噴火が富士山の宝永大噴火である。
宝永地震は1707年10月28日にマグニチュード8.4という日本最大級の規模で発生した。いわゆる東海地震・南海地震が同時発生した連動地震である。理科年表によると「全体で少なくとも死2万,潰家6万,流出家2万。震害は東海道・伊勢湾・紀伊半島で最もひどく,津波が紀伊半島から九州までの太平洋沿岸や瀬戸内海を襲った。津波の被害は土佐が最大。室戸・串本・御前崎で1~2m隆起し,高知市の東隣の地約20km が最大2m沈下した。遠州灘沖および紀伊半島沖で二つの巨大地震が同時に起こったとも考えられる。」と記されている。
宝永地震の49日後、富士山の大噴火が始まった。いわゆる1707年12月16日に始まった宝永の大噴火である。100km離れた江戸では大量の火山灰が降った。この噴火は翌年1708年1月1日に終焉したといわれている。以後300年間噴火は起こっていない。富士山の噴火は東海地震と密接な関係にあるといわれる。富士山は駿河トラフの延長であり、その延長線上には入山瀬断層がある。東海地震が発生したときに入山瀬断層が動き富士山の噴火が始まるともいわれている。東海地震の30年発生確率は87%であり、万一、東海地震、連動地震が起こった後に富士山の噴火もありうるかもしれない。