軽井沢タリアセン夫人(PART 1 OF 4)
■【あなたがこの記事を読んでいる現時点での検索結果】
( ↑ ここをクリック!)
デンマンさん...「軽井沢タリアセン夫人」の検索結果を持ち出してきて自慢したいのですか?
いや。。。別に自慢したいわけではないのですよ。
じゃあ、どうして検索結果などを持ち出してきたのですか?
あのねぇ~、自分が書いた記事がネットの上でどれだけ存在感があるのか?。。。たまには、ちょっと調べてみようという気になるのですよ。 こうして僕が書いた多くの記事がネット上に存在していると思うと、やっぱり小百合さんと話している事が無駄ではないという気になって、うれしくなるのですよ。
つまり、自己満足ですわね?
小百合さんは、かなり皮肉な事を言うのですね!?
。。。で、 24、300件の記事をすべてデンマンさんが書いたのですか?
もちろん僕がすべて書いたわけではありません。 でもねぇ~、トップページに書き出された記事はすべて僕が書いたものですよ。
つまり、その事を自慢したいのですか?
やだなあああァ~、だから。。。僕は自慢したいわけじゃないと言ったでしょう!
でも、わざわざ 24,300件を赤い枠で囲んでいるのは、それを強調して自慢したいように見えますわ。
まあ。。。、小百合さんがそう思いたいなら、それでもかまいませんよ。
。。。で、どうして『軽井沢タリアセン夫人』について 共通テーマ・ライブドアブログを赤枠で囲んだのですか?
小百合さんに注目して欲しいと思ったので囲んだのですよ。
やっぱり、デンマンさんは自慢したいのですわね?
あのねぇ~、自慢したいわけじゃないと言ったでしょう!
分かりましたわ。。。で、何が言いたいのですか?
だから、小百合さんにも『軽井沢タリアセン夫人』について 共通テーマ・ライブドアブログを見て欲しいのですよ。
■『あなたが読んでいる現時点での「共通テーマ」のページ』
( ↑ ここをクリック!)
あらっ。。。デンマンさんはライブドアブログの「共通テーマ(軽井沢タリアセン夫人)」に私のことを411件も記事に書いたのですか?
軽井沢タリアセン夫人については僕がほとんど書いてますからね。 これからも、多分僕だけが書き続けると思うのですよ。
恥ずかしいわア。
なぜ小百合さんが恥ずかしがるのですか?
だってぇ、「共通テーマ」なのに書いているのはデンマンさんだけですもの。。。
いや。。。そのうちに他の人も書くと思うのですよ。
いえ。。。そのような事は考えられませんわ。
どうして。。。?
だってぇ、上のリンクをクリックして『軽井沢タリアセン夫人』について 共通テーマ・ライブドアブログを見るとデンマンさんだけがムキになて書いているのですものォ~。。。ずらずらと並んでいるデンマンさんのアイコンを見たら、ほとんどの人が呆れて無視しますわよ。
小百合さんは、そのように消極的にしか考えられないのですか? 少しは積極的に考えてくださいよ。 せっかく僕は小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」として尊敬しながら記事を書いているのだから。。。
でも、こうして『軽井沢タリアセン夫人』について 共通テーマ・ライブドアブログを見ると、デンマンさんが自己満足のために書いているとしか思えませんわ。
どうして、そう思うのですか?
だってぇ、「投稿者ランキング」のご自分のお名前を赤枠で囲んでいるでしょう! ランキングで一番になったのを自慢しているように見えますわ。
やだなあああァ~。。。あのねぇ~、そのような小さなことで僕は自慢しませんよ。
では、いったい何のために赤枠で囲んだのですか?
だから、そのような小さな事で自慢する事がいかに馬鹿げたことかをここで語るためですよ。
でも、デンマンさんは、そう言いながらも自慢しているではありませんか!?
小百合さんはくどいなあああァ~。。。僕は「自慢してない!」と言っているでしょう!
では、どうして自慢しているようにしか思えない検索結果などを持ち出してきたのですか?
あのねぇ~。。。なんだか急に小百合さんと過ごした軽井沢が懐かしくなったのですよ。
どうして。。。?
次のビデオクリップを見たからですよ。
軽井沢・雲場池の紅葉
<iframe width="425" height="300" src="http://www.youtube.com/embed/Dt3k9--4xLE" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
軽井沢のイルミネーション
<iframe width="425" height="300" src="http://www.youtube.com/embed/dNGCgP1YLGA" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/3CFuuOhmTxg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
あらっ。。。私も、なんだかマジで懐かしくなってしまいましたわ。 うふふふふふ。。。
そうでしょう!。。。だから、僕は小百合さんとの懐かしい思い出を共有するために、「軽井沢タリアセン夫人」で検索してみたのですよ。
つまり、バンクーバーに住んでいるデンマンさんが、ふと懐かしくなって軽井沢を思い出したのですか?
いや。。。実は、軽井沢が懐かしくなったのではないのですよ。 僕はたまたま塩野七生さんの書いた本を読んだのですよ。
女に冷たい女性作家
歴史を書いて40年になるが、昔から非難されてきたことが一つある。 それは、私という作家は同性に対して冷淡で、女の立場になって書かないというのだ。...女の作家ともなれば同性を書くほうが商業的に有利であるというのは、出版界の常識であるらしい。 実際、そう主張する編集者の意見を容れて書いた最初の作品は『ルネッサンスの女たち』だから、女が女を書くのが私のデビュー作ではあったわけだ。 だが、商業的には有利であろうと、その路線は第一作のみで捨てた。
なにしろ、中世のイタリアも古代のローマも、男たちの時代なのである。 男の世界での女は所詮は脇役で、歴史の脇役を書きつづけているといずれはゴシップに落ちる。 処女作だけは女たちを書く理由を、歴史の脇役を通して時代を書く、ということに見つけて自分を納得させたが、それで以後もつづけるにはやはり限界があった。
というわけで二作目からは男に乗り換えたのだが、その理由は、男の時代だから男たちを通してそれを書く、ということに加えてもう一つ、あまり自慢にならない本音もあったのである。
それは、女の胸のうちを巧みに書くという評判の男性作家がいるんだから、男の思いに迫る女性作家がいたっていいんじゃない、というものだ。
とはいえ所詮は女の世界に興味がもてないというにすぎなく、一億円出すといわれても、女たちの間で繰り広げられる嫉妬や羨望やその他もろもろの感情について書くことだけは、私には無縁でありつづけるだろう。
作家は絶対に、書く対象に影響される。 対象に乗り移るくらいの想いで対さないかぎり、それを書ききることはできない。 私の場合は、自分自身が女なのに、わざわざ他の女に乗り移るほどの情熱を感じないということなのかもしれない。 また、男たちは業績で評価している以上、女に対してもそれと同じ基準で評価したい、というのが私の考え方でもある。
というわけで私が下した評価が冷淡だったと非難された歴史上の女たちの中での典型が、クレオパトラだった。
(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)
29 - 31ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋
塩野七生さんが書いた本と軽井沢が関係あるのですか?
いや。。。直接の関係があるわけじゃない。 でもねぇ~、この塩野さんは主にイタリアで暮らしている。 つまり、人生の半分以上を海外で暮らしているという点で僕と似ている。 しかも歴史を書いて40年になると言う。 歴史馬鹿である点も僕と似ているのですよ。
。。。で、塩野さんも軽井沢に別荘を持っているのですか?
いや。。。僕が知る限り塩野さんは軽井沢に別荘を持ってません。
それなのに、どうして塩野さんを取り上げたのですか?
あのねぇ~、かつて僕はイタリアに長く住んでいる作家のことで「小百合物語」として記事を書いたことがある。 ところが、ど忘れして作家の名前が浮かんでこない。
それで、どうしたのですか?
だから、GOOGLEで検索してみたのですよ。 その結果を見てください。
(すぐ下のページへ続く)