クレオパトラと塩野七生(PART 1 OF 3)
クレオパトラは浅薄な女
クレオパトラは、世界史上の有名人である。 当代きっての権力者二人までも、モノにした女であるということで。 そのうえ、強大なローマ帝国に刃向かったということでも。
だが私には、勝負に打って出るという度胸に対してならば共感しても、それ以外では浅薄な女にしか見えなかった。
しかし、歴史に名を残した女たちの多くはバカな女である。 その理由は、記録を残すのが男たちであったからではないかとさえ思っている。
男は、女としては魅力豊かでもオツムの中は浅薄な女を書いているほうが、安心できるからではないだろうか。
キャリアウーマンを自認する女たちは覚えておいたほうがよい、これが人間性の現実なのである。
(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)
34ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋
『女に冷たい女(2011年8月20日)』に掲載
デンマンさん。。。、今日はクレオパトラと塩野七生さんを比べるのですか?
いや。。。比べると言うよりも塩野さんがクレオパトラをバカな女として捉えていたのが面白いと思ったのですよ。
つまり、塩野さんがクレオパトラに対して、とても厳しい見方をしているのがデンマンさんには我慢ならないのですか?
いや。。。塩野さんがクレオパトラに対して、どのように考えているのか? それは彼女の自由ですからね、僕はとやかく言うつもりはないのですよ。
でも、とやかく言っているではありませんか!
うしししし。。。小百合さんには、そう見えますか?
そう見えますわよ。。。この記事を読んでいる人だって、多分そう思っていますわ。
あのねぇ~、そう思う人が居るかもしれません。 ただ僕は塩野さんがクレオパトラをどう思おうが個人的に攻撃するつもりはないのですよ。
でも、批判したいのでしょう?
まあ。。。そう言う事ですよ。 塩野さんは歴史を書いて40年になる。 自分でも「同性に対して冷淡で、女の立場になって書かない」と言われている事を自覚しているのですよ。
だったら、デンマンさんが、ここでとやかく言う必要はないではありませんか!
あのねぇ~、それを言ったら身も蓋もありませんよ。 言論の自由がありますからね。 塩野さんは言論の自由に基づいて自分の考えを公開している。 だから、僕も言論の自由に基づいて自分の考えで塩野さんの考え方をネットで批評してみようと思っているわけです。 ただ、それだけのことですよ。 小百合さんだって塩野さんが「歴史に名を残した女たちの多くはバカな女である」なんて断定したら同性としてムカつきませんか?
私は歴史にあまり関心がないし。。。だから、「歴史に名を残した女たちの多くはバカな女だった」と塩野さんが言っても別に痛くも痒くもありませんわ。 うふふふふふ。。。
やだなあああァ~。。。そうやって笑ってごまかそうとするのですか? 日本に暮らしている日本人の悪い癖ですよ。
デンマンさんは笑ってごまかすことはないのですか?
いや。。。カナダでは、そういう事はしませんよ。 笑ってごまかしたら、それこそ教養がない文化的にも程度の低い愚か者だと見られてしまいますからね。 そういう時には、はっきりと自分の考えを言いますよ。
要するに、デンマンさんは自分の考えをここではっきりと言いたいのですね?
まあ。。。そう言う訳ですよ。
それで、何が不満なのですか?
いや。。。塩野さんの考え方に特に不満があるわけではありません。 ただねぇ、“文は人なり”と昔の人が言ったように、僕は塩野さんの他の本も5冊ほど読んでみた。 特に『日本人へ (国家と歴史篇)』を2度読んで、塩野さんの文章から彼女の人となりがある程度分かるのですよ。
それで何が分かったのですか?
あのねぇ~、塩野さんは「女」や「男」にこだわりすぎていると思う。 拘(こだ)り過ぎているから、ある読者から見ると、女性に厳しいと言われるのですよ。 僕の印象では塩野さんは「人間」を理解しているようには思えなかった。 本を読む限り結婚して子供が居るようだけれど、僕は『日本人へ (国家と歴史篇)』を2度読んだ後の読後感で塩野さんは離婚しているような気がした。 それで、僕は『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみたのですよ。
塩野七生 (ななみ)
生誕 1937年7月7日
東京市滝野川区
出身校 学習院大学
日本の小説家である。
歴史小説 『ローマ人の物語』の著者として知られる。
名前の「七生」は、7月7日生まれであることに由来。
東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。
父親は詩人・小学校教師の塩野筍三(1905-84)、神田神保町の古本屋から軒並み借金をするほどの読書好き。
日比谷高校時代は庄司薫、古井由吉らが同級生だった。
学習院大学の学生だった1960年には安保闘争に参加し、デモ隊の中に塩野もいた。
1970年代にはイタリア共産党に関する文章も書いているが、後に保守派に転向している。
1963年からイタリアで学び、1968年に帰国すると執筆を開始。
『中央公論』掲載の「ルネサンスの女たち」でデビュー。
1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。
同年から再びイタリアへ移り住む。
ローマ名誉市民を経てイタリア人医師と結婚(後に離婚)。
息子は、後に共著を書くアントニオ・シモーネ。イタリア永住権を得ており、ローマに在住。イタリア中心に、古代から近世に至る歴史小説を多数執筆。
チェーザレ・ボルジアやネロ、ドミティアヌスのような血統と魅力、能力に恵まれた男性権力者、特にカエサルを支持しており、政治家としての理想像はカエサルであると公言している。
また、現代の政治家として(血統に恵まれてはいないが)トニー・ブレアを高く評価しており、その理由として「誠心誠意、言葉を尽くし訴える姿勢」を挙げている。
ローマ帝国前期の「小さな政府」を理想としており、直接的に小泉構造改革を支持していた。
1992年から古代ローマを描く『ローマ人の物語』を年一冊のペースで執筆し、2006年に『第15巻 ローマ世界の終焉』にて完結した(文庫版も2011年9月に刊行完結)。
『文藝春秋』で巻頭エッセイ「日本人へ」を執筆。
(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
案の定、離婚しているのですよ。
つまり、離婚しているから塩野さんは「人間」を理解していないとデンマンさんは断定するのですか?
いや。。。そのような事を言うつもりはない。 ただ「人間」を深く理解していないことが離婚した一つの原因になったのだと僕には思えたのですよ。
どうして。。。?
あのねぇ~、クレオパトラは、塩野さんによると「世界史上の有名人である。 当代きっての権力者二人までも、モノにした女であるということで。 そのうえ、強大なローマ帝国に刃向かったということでも。 だが私には、勝負に打って出るという度胸に対してならば共感しても、それ以外では浅薄な女にしか見えなかった」と書いている。
その事に対してデンマンさんには反論があるのですか?
あのねぇ~、人間は誰でも不完全なものですよ。 だから完璧な人など誰も居ない。 でも、女の立場でクレオパトラの人生を云々(うんぬん)するのであれば、塩野さんも自分の人生を考えた上でクレオパトラを批判すべきではないのか!?
つまり、デンマンさんの目にはクレオパトラは浅薄な女ではないと思えるのですか?
その通りですよ。 塩野さんがクレオパトラの人生を眺めて「浅薄な女」だと断定したいのであれば、塩野さん自身はもっと「浅薄な女」ですよ。
どうして。。。?
クレオパトラは離婚していませんからね。 でも、塩野さんは離婚していますよ。 要するに、「人間」を深く理解していないことが塩野さんが離婚した一つの原因になったのだと僕には思えるのですよ。
つまり、離婚した女は「浅薄な女」なのですか?
いや。。。僕は離婚した事実を取り上げて、ああだこうだと言うつもりはない。 ただ、塩野さんが「それ以外では浅薄な女にしか見えな」い、と決め付ける考え方は、ちょうど「離婚した女は愚か者だ」と決め付けるのと同じだと僕は言おうとしているのですよ。
要するに、クレオパトラは「浅薄な女」ではないと、デンマンさんは信じているのですわね。 それなのに塩野さんが「浅薄な女」だと書いたのでデンマンさんはムカついて感情的になってしまったのですわね?
あのねぇ~、僕はムカついたわけでも、感情的になっているわけでもないのですよ。
でも、そう見えますわよ。 うふふふふふ。。。
また、そうやって笑っておちょくらないでくださいよ。 あのねぇ~、僕は“文は人なり”という言葉をしみじみと噛み締めたのですよ。
しみじみと噛み締めたってぇ、どのように噛み締めたのですか?
小百合さんはマジで知りたいですか?
もちろんですわ。
じゃあ、次の小文を読んでくださいよ。
まだ僕が可愛い小学生だった頃、一学年全部で(350人ほど)近くの映画舘へ『孫悟空』(アニメ)を見に行きました。
僕の幼い頭に強烈に残ったシーンは次のようなものでした。
孫悟空がお釈迦様の手のひらに乗って、大きな顔を仰ぎ見て、話しかけているシーンです。
お釈迦様がちょうど、奈良の大仏のように、とてつもなく大きな人物として描かれていました。
孫悟空はお釈迦様に向かって言いました。「オイ、俺はすごいんだぜ!この世の端から端まで、ひとっ飛びで行ってきたんだ。」
お釈迦様は慈悲に満ちた優しい顔で笑っています。「そうかね。おまえは、そんなにすごいことが出来るのかね。でも、この世の端から端なんて、ちょっと信じられないが、何か証拠でもあるのかね?」
「もちよ、あたりきよ。あるに決まってるじゃないか!俺はよ、この世の端まで行って、大きな崖にでかい筆を使って俺の名前を書いてきたんだぜ。それが何よりの証拠さ。嘘だと思ったら、見て来なよ。でも、あんたのように、ここにジット座っていたんじゃそれも無理だろうがね」
お釈迦様は、それでも優しいまなざしを向けて笑っています。
「しかし、見る人が見ると、そうは思わないのだがね」
「だって、あんたは、ここにじっとして座ったままじゃないか!この世の果てなんて行けっこないじゃないか!」
「そうか、おまえには、そうとしか思えないのか」
そこで、お釈迦様はおもむろに、もう一方の手の平を広げたのです。すると中指に、さっき、孫悟空が大きな筆で書いた名前が、書体も同じに全く瓜二つに書かれてあったのです。
「おまえが、この世の果てに飛んで行って書いたというのは、このことかね?」
孫悟空はびっくりデス。この世の果てと思ったのに、何とお釈迦様の手の平に書いていたのです。
「おまえは、この世の果てまで行ったというけれど、私の目には、こちらの手の平から、もういっぽうの手の平へ移動したに過ぎないんだ」
このようなシーンだったのです。
さて、お釈迦様になったとしたら、僕はクレオパトラに向かって次のように言ったかもしれません。
「あなたは、確かに恋に生き、愛に生き、政治にどっぷりとつかり、権力も手中に収め、財宝も思いのままにしてきました。しかし、あなたも、結局、孫悟空とたいして変わりがなかったのかもしれませんね。50歩100歩というところでしょうか」
「そうでしょうか?とにかく、私、疲れました」
「そうですか。私はあなたが自殺することを薦めはしませんが、そうかといって、止めもしません」
「私、とにかく疲れました。やるだけのことはやったのです。あなたの目には、孫悟空を見ていたのと同じように、私が、あなたの手の平の中で悪あがきをしていたように見えるでしょうが、それでも私は精一杯生きてきたのです。でも結局、このようにしかならなかったのです。もう、ホントに疲れたのです」
「人間は一度は死ぬのですから、早いか遅いかの違いだけです。あなたはご自分で、これまで十分にやってきたと思われるのなら、この辺でラクになるのも良いでしょう」
クレオパトラのような派手な人生を歩んだとしても、結局、御釈迦さんが見れば、彼の手の平の中で、うごめいていたということで人生が終わってしまう。
やるだけのことをやったけれど、結局思うようにはならなかった。
挫折のあとの、あきらめと、ためいきと。。。
そして、クレオパトラは言った事でしょう。「私は、とにかく疲れました」と。
そんなクレオパトラの様子を見たらお釈迦様の言う事は一言しかないですよね。
「人間は一度は死ぬのですから、早いか遅いかの違いだけです。あなたはご自分で、これまで十分にやってきたと思われるのなら、この辺でラクになるのも良いでしょう」
『不倫にこだわっていませんわ』より
(Livedoor Blog 『徒然ブログ』)
『不倫にこだわっていませんわ』に掲載
(Wordpress Blog 『デンマン ブログ』)
(2006年9月21日)
デンマンさんが小学生の時に『孫悟空』を観て、お釈迦様の言ったことに感心したのですわね?
その通りですよ。
。。。で、お釈迦様になったつもりになってクレオパトラさんとお話をしたという夢のお話ですわね?
そうです。
それが“文は人なり”と、どのように関係しているのですか?
あのねぇ~、実は、上の小文には続きがあるのですよ。 それを読んでもらわないと話ができない。 だから、面倒でもじっくりと読んでみてください。
(すぐ下のページへ続く)