北本から見る富士(PART 1)
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デンマンさん。。。 「北本から見る富士」ってぇ、どこから見る富士でござ~♪~ますか?
北本市の荒川堤から見る富士のことですよ。
それが上の写真なのでござ~ますか?
そうです。 なかなかきれいでしょう!?
そうですわね。 富士山が見える所に住んでいるなんてぇ、なんだか羨(うらや)ましいですわ。 デンマンさんは北本市に住んでいたことがあるのですか?
いや。。。 住んだことはないのだけれど、僕が親戚で一番親しくしている叔母が北本市に30年ばかり住んでいたのですよ。 だから僕は北本市には、幾度となく行ったことがあるのです。
その叔母様ってぇ、もしかしてブログにも何度か登場した「九条多佳子」さんでござ~ますか?
そうですよ。 卑弥子さんはよく覚えていますねぇ~。 次の手紙を書いた人ですよ。
デンマンさん聞いてください。
文字通り奇跡、不思議な出来事です。
今日12月9日見舞いに行ってきました。
病室の交替もあり、部屋に入るとベットに芳江さん(デンマン注: 僕の母親)がいません。
血流が止まるくらいドキッとしました。
廊下に出て係りに尋ねたところ食堂に行っているとのこと。
気持ちでは走ってゆきました。
まあ、なんと車椅子で食卓に向き合っているではありませんか。
「芳江さんよかったね」と思わず手を握ったら力強く握り返してきました。
そのあと、よかったね、よかったねの連発。百遍も言ったでしょうか。
お互いに涙です。
不謹慎な言い方かも知れませんが芳江さんは死の淵より生還。
まさに奇跡です。
でも私だけが死の淵を考えたのでしょうか?
多分、デンマンさんだって一方ではその想いはあったのではと思います。
何しろ長男としての覚悟もあってか葬儀屋さんまで行かれたのですから。。。
芳江さんの真摯でこのあっぱれな負けず魂に敬意を表し、あとは欲張らず、このくらいの状態でいいから生への記録を大きく延ばして欲しいと心の底から思っています。
病院からの帰り際「デンマンさんに手紙を書くから」と言ったら「私は元気で飛び跳ねているからと書いて」と芳江さん。
車椅子の上で両手を高々に挙げて満面の笑みでした。
繰り返しになりますがデンマンさんとの話の中、お互いに絶望を意識していたことを芳江さんにお詫びしましょう。
清司さんや正造さんには「お母さんはきっと良くなるから」といつも元気付けてきました。
芳江さんに対して私とデンマンさんの立ち位置が違うにせよ、デンマンさんにきついことを言ったとしたら、その点申し訳なかったなあとお詫びします。
夜7時まで病室にいました。
帰宅してあの元気な芳江さんの回復振りが私の脳を刺激しっぱなしです。
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私と話しながら芳江さんは病院食を食べました。
食べるのが遅いので看護士さんに「集中して」と言われながらも話についつい夢中になってしまいました。
1時間半もかかりましたが芳江さんは完食しました。お見事です。
P.S.: 【虹のかなたに】
Israel Kamakawiwo'ole
Over the Rainbow/What a Wonderful World
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ついに歌手がわかりました。神秘な歌声。
これに恋してDVDを何度か借り、この曲だけを聴きました。
他に2曲、全3曲のハーモニー。 音楽家ってすごいです。
なぜかうるうるになります。
ハワイに関係したTV放映で耳にしたことがありますがうなずけます。
TV局に問い合わせようと考えましたがデンマンさんが教えてくれてすごくうれしいです。
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Israel Kamakawiwo'ole
イズラエル カマカヴィヴォオレ
脳がだいぶ衰退したので覚えられるかどうか?
イズなら大丈夫そうです。
年明けに早々CDを買おうかな。
今年も20日余りで終わります。
一年が早い。
芳江さんも快方に向かっているので気を引き締めながら明るく行きましょう。
欧米式にクリスマスおめでとう。そして良い2013年を!
健康に気をつけてください。
九条多佳子
2012年12月9日は過ぎ10日の日付に変わっています。
勝手な生活をしているので昼夜逆転しても大丈夫です。
『虹のかなたの奇跡』より
(2012年12月20日)
デンマンさんのお母様が奇跡的に回復したということが劇的でしたので、それで覚えていたのですわ。 。。。で、荒川の堤から多佳子さんと富士を眺めたこともあるのでござ~ますか?
ありましたよ。 荒川堤をそぞろ歩きながら、よくきれいな富士を眺めたものですよ。 マジで懐かしいです。
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でも、どうして急に「北本から見る富士」を取り上げたのですか?
あのねぇ~、先日Hirioshiさんにコメントの返事を書いたのですよ。
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覚えていますわ。 そのメールに、またHirioshiさんがお返事を書いたのでござ~ますか?
そうです。 読んでみてください。
From: i-hiroshi@******.plala.or.jp
To: barclay1720@aol.com
Date: Sun, Jan 27, 2013 7:17 pm
拝読
ご貴殿HP拝見。感銘受けました。
エコ・シテーにお住まいでいらっしゃる。
天然鮭も豊富でしょうか、羨ましい限り。
小生は埼玉の土人、埼玉古墳群に近い北本市で人生の大方を過ごしてきました。
荒川水域が少年時代の遊び場でした。
ご貴殿HPで三郷が重視されているのは如何なる訳でございましょうか。
同地の古い地名が、町村合併で消えていくはさみしい限り。
「葛飾」の地名解析もまだまだ。
我が村にも「勝林カッパヤシ」なる集落がありましたが、その意味も分からずに消えてしまいました。
思うにカツ・シカと我が村カッ・パヤシの両語頭部は同義でありましょう。
記紀時代既にこれら地名の解読は困難となり、その故でありましょうアヅマ由来の伝説を大和政権が実しやかに虚構したのは。
精神界・言霊支配まで試みた大和政権でありましょう。
この虚構打破にも天皇陵調査はその前提となりましょうか。
長々と失礼いたしました。
頓首
あらっ。。。 「荒川水域が少年時代の遊び場でした」と書いてありますわね。
そうです。 つまり、Hiroshiさんも何度となく上の写真で見る富士を見ていたのですよ。
もしかして、デンマンさんの叔母様とHiroshiさんは隣同士ではなかったのですか?
いや。。。 違うのです。 Hiroshiさんは高崎線を挟んで叔母が住んでいる地区とは反対側に住んでいるのですよ。
どうして、そのような事が解るのですか?
“我が村にも「勝林カッパヤシ」なる集落がありました”とHiroshiさんは書いている。 「勝林」という地名でGOOGLEで検索したら「勝林公民館」が出てきた。
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赤いピンが刺さった所が「勝林公民館」ですよ。 たぶん、Hiroshiさんのメールの中にある「勝林カッパヤシ」なる集落は、公民館の近くにあったに違いない。
Hiroshiさんは「我が村」と書いていますわ。 北本市の中に村があるのでござ~ますか?
あるわけないでしょう! 北本市の歴史を調べたら次のような変遷をたどっているのですよ。
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上の青枠で囲んだ「下石戸上村」とその下の「下石戸下村」に注目してください。
あらっ。。。「下石戸上村」と「下石戸下村」、それに「石戸宿村」、「高尾村」、「荒井村」が1889(明治22)年に合併して「石戸村」になっているのですわね。
そうです。 その上の地図を見ると「下石戸上」と「下石戸下」という地名が今でも残っているのですよ。
つまり、Hiroshiさんは、まだ「下石戸上」と「下石戸下」が村だった時代に生まれたのでござ~ますか?
まさかァ~。。。! 1889年以前に生まれていたら現在、120歳を越えていますよ! Hiroshiさんは自分の住んでいる地区が、かつて村だったということを両親から聞いていたのですよ。
。。。で、デンマンさんの叔母様はどの地区に住んでいらしたのですか?
中仙道の北本宿です。
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中仙道の傍に住んでいたのですか?
そうです。 地図で見ると赤丸の「パイオニア書店」という場所です。
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上の地図の164号線が「中仙道」の現在の姿ですよ。
叔母様は本屋さんを経営していたのですか?
そうです。 すぐ隣が浅間神社です。
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