愛のコリーダを訳す(PART 1 OF 3)
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デンマンさん。。。 どうしてわたしが出てこなければならないのですか?
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ジューンさんは出てきたくないのですか。。。
だってぇ~、“愛のコリーダ”というのはエロい映画でしょう?
あれっ。。。 ジューンさんは観たことがあるのですか?
バンクーバー市立図書館で DVDを借りて観ましたわ。
愛のコリーダ
L'Empire Des Sens
In the Realm of the Senses
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『愛のコリーダ』は、1976年公開の日本・フランス合作映画。
大島渚監督、藤竜也、松田英子主演。
制作プロダクションのノートによると、『本作は日本初のハードコア・ポルノとしてセンセーショナルな風評を呼んだ』としている。
題名の「コリーダ」はスペイン語で闘牛を意味する「Corrida de toros」(牛の走り、la corridaのみでも闘牛を指す)からとっている。
フランス語の題名 L'Empire des sens (官能の帝国)は、ロラン・バルトによる日本文化論 L'Empire des signes (邦題 『表徴の帝国』)にちなむ。
昭和史に残る「阿部定事件」を題材に、男女の愛欲の極限を描く。
作品内容は神代辰巳監督の 『四畳半襖の裏張り』 (1973年)に大きな影響を受けており、大島自身も制作に当たって一番参考にした作品であることを認めている。
吉蔵が定の性器に卵を入れる描写があり、日本国内では大幅な修正が施されて上映されたが2000年に「完全ノーカット版」としてリバイバル上映された。
出典: 「愛のコリーダ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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。。。で、ジューンさんの感想は。。。?
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途中で観るのを止めましたわ。
マジで。。。? また、どうして。。。?
だってぇ~。。。 Disgusting! でしたわァ!
ダメですよう!。。。 途中で観るのを止めては。。。 映画は最後まで観るべきですよ。
デンマンさんは、最後まで観たのですか?
もちろんですよ。。。 僕は阿部定さんに ものすごい関心を持っていましたからねぇ~。。。 実は、彼女のことを取り上げて記事も書きましたよ。。。 でも、その記事を載せていたサイトが閉鎖されたので、僕の記事もそのサイトと一緒に消えてしまいました。
あらっ。。。 そのサイトはアダルトサイトだったのですか?
いや。。。 普通のサイトですよ。。。 そのうち、僕のパソコンのハードディスクからファイルを探して、また記事を載せようと思うのですよ。
。。。で、どういうわけで“愛のコリーダを訳す”というタイトルにしたのですか?
ちょっと次のリストを見てください。
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■『拡大する』
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これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の「リンク元URL」のリスとですよ。 赤枠で囲んだ13番に注目してください。
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あらっ。。。 GOOGLEで検索して『“愛のコリーダ”を訳すには。。。』を読んだのですわね。
そうです。。。
。。。で、その3人のネットサーファーは どのような検索キーワードを入れて検査したのですか?
僕もやってみましたよ。。。 その検索結果を見てください。
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■『現時点での検索結果』
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あらっ。。。 2番目に出てきますけれど、ライブドアの記事ではありませんわねぇ~。。。
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残念ながら、違うサイトの記事なのですよ。。。 でも、タイトルも内容も同じものです。。。 実は、SO-NET のブログは現在でもあるのだけれど、手違いで僕はアクセスできなくなってしまったのですよ。
それで、ライブドアで同じ記事を投稿したのですか?
そういうことです。
“愛のコリーダ”を訳すには…
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“愛のコリーダ”という映画を見たことがありますか?
結構、有名な映画ですから、多分見た事があるでしょうね。
見なくても名前ぐらいは知っているでしょう。
見た人にとっては蛇足になりますが次のような映画です。
愛のコリーダ
この作品は「純粋な愛」「真実の愛」を描いたものだと言われてきた。しかし、24年を経てスクリーンを見ても、そこには濃厚な“愛”と“性”と“死”が描かれている。定が欲望のおもむくままに自分の体をむさぼるのをながめる吉蔵の目は、極限のエロスの世界に到達した“死人”の目だ。
二人が閉じこもる旅館の一室に満ちていたのは、初めはエロスであったかもしれないが、途中からエロスの極限を目指す死への欲動にすり替わっていたのではないか?
この作品は、これまでは「軍国主義が台頭する中、社会に背を向け、真実の愛に生きた二人」といった過度に政治的な評論をされてきた。こうした評論に対し、大島監督は「みんな馬鹿ばかりだ」と立腹していたらしい。
意外に男性よりも、多くの女性がこの作品に興味を示したことが取りざたされたが、女性も無関心ではいられない題材を扱っていたのだろう。
『愛のコリーダ 2000年版』より
あなたは、“コリーダ”が闘牛を意味すると言う事を耳にした事があるかもしれません。
「闘牛」を意味するスペイン語は「コリーダ・デ・トロス」と言うんですよ。
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この言葉の直接の意味は「牛の走り」と言うんです。つまり闘牛とは「人間と牛との闘い」ではないんですね。
牛の走りがどうして闘牛になってしまったのか?
闘牛士がカポーテ、つまり、ピンク色のマントのような形の布や、ムレタと呼ばれる赤い布を使って牛を走らせるわけです。
牛が赤い色に興奮して突進してゆくと考えている人が居ますが、実は、牛は赤い色に興奮して突っ込んでゆくわけじゃないんですよ。それは迷信なんです。
牛は動く物に反応するんです。だから、赤色の布じゃなくてもいいんです。青でも黒でも何でもいいんです。
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見所は、闘牛士(matador)が走り込んで来る牛を自分の体のすぐ脇を通過させる時に見せる技です。
この技は“パセ”と呼ばれます。
このパセをいかに決めるかが闘牛士の見せ所です。
この部分が観客には、いわば闘牛士と牛の闘いとして映るわけです。
それで「走り」が「闘牛」ということになったわけですよね。
スペイン語の会話では次のように使われます。
¿Quiero ir a una corrida de toros?
キエロ イール ア コリーダ デ トロス
闘牛を見に行きたいのですが。
¿Hoy hay corrida de toros?
オイ アイ コリーダ デ トロス
今日、闘牛はありますか?
¿A qué hora empieza la corrida?
ア ケ オラ エンピエサ ラ コリーダ
闘牛は何時に始まりますか?
上の会話で見るように、闘牛のことを “corrida de toros (コリーダ・デ・トロス)” と言っています。
でも、文脈から分かる時には最後の文のように “la corrida” だけを使います。
そう言うわけで、日本では「コリーダ」と言えば、「闘牛」と言う意味に受け取られるようですよ。
でも、厳密には「走り」です。
ところで、“愛のコリーダ” は直訳すれば “愛の闘牛” と言うことになりますよね。
これを英語に訳すと闘牛は “bullfight” ですから、 “bullfight of love” ということになります。
しかし、これでは映画の内容が全く伝わってきませんよね。
闘牛の映画だと思われてしまいかねない。
実際には、この映画のタイトルがどのように英語に訳されたのか?
“In the Realm of the Senses”
英語のタイトルはこのようなものだったのです。
日本語のタイトルとは感じがだいぶ違っています。
僕は日本語のタイトルのほうが好きですね。
英語のタイトルは“愛”が脱落しています。
Realm と Senses は次のような使われ方をします。
(すぐ下のページへ続く)