芭蕉と遊女再び (PART 1)
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(basho113.jpg)
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(basho110.jpg)
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(himiko22b.gif)
デンマンさん。。。 芭蕉と遊女のことを再び取り上げるのでござ~ますか?
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(kato3.gif)
そうです。。。 いけませんか?
なぜ、また取り上げる気になったのでござ~ますかァ?
あのねぇ~、大阪市に住んでいる奥野 美智子さんが『芭蕉と遊女の出会い』を読んだのですよ。。。
その証拠でもあるのでござ~ますかァ?
もちろんです。。。 次のリストを見てください。。。
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(liv70606a4.png)
■『拡大する』
■『芭蕉と遊女の出会い』
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これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で6月5日の午後5時48分から6月6日の午前2時16分までの約8時間半の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所を見て欲しい。。。
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あらっ。。。 6月5日の午後7時29分にGOOGLEで検索して『芭蕉と遊女の出会い』を読んだのですわねぇ~。。。
そうです。。。 次のように検索したのですよ。。。
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(gog70606d.png)
■『拡大する』
■『現時点での検索結果』
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あらっ。。。「芭蕉 遊女 出会い」と入れて検索したのですわねぇ~。。。
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そうです。。。 9,040件ヒットする内のトップに 僕が2014年4月24日に投稿した『芭蕉と遊女の出会い』が出てくるのですよ。
ちょっと、できすぎているのではござ~ませんかァ!?
信じられないのだったら、卑弥子さんも上のリンクをクリックして現時点での検索結果を確認してください。。。
でも。。。、でも。。。、どういうわけで大阪市に住んでいる奥野 美智子さんが『芭蕉と遊女の出会い』を読んだと特定できたのでござ~ますかァ?
IPアドレスを調べたのです。。。
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(ip140167b.png)
■『拡大する』
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IPアドレスを調べてもプライバシーを保護するためにアクセスしたネット市民の名前まではゲットできないようになっているのですわァ~。。。
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もちろん、僕もそのことは知ってますよ。。。 奥野 美智子さん上の記事を読んで疑問が解決したので、嬉しくなって「ありがとうございました」とメールを書いてくれたのですよ。。。
マジで。。。?
卑弥子さんは信じられないのですかァ~。。。
だってぇ、できすぎているではござ~ませんかァ!?
とにかく、あまり厳しいツッコミを入れないで素直に僕の話を聞いてくれませんかァ~。。。
デンマンさんが そのようにおっしゃるならば とやかく穿鑿(せんさく)いたしませんわァ。。。 で、奥野 美智子さんは、どのような疑問を解決したと おっしゃるのですかァ~?
卑弥子さんは知ってるはずですよ。。。 忘れてしまったのですかァ~? かつて僕と次のように語り合ったのです。。。
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(jbeauty7.gif)
ほんのちょっとした事でもおそろしい事はあるものです。
ほんのちょっとした、たとえば「も」が「と」とかわっただけでももう全部の意味ばかりでなく、芭蕉といった様な大人物まで、もう一度考え直してみなければならなくなるのはおそろしい事です。
一つ家に遊女も寝たり萩と月
その「遊女も」を「遊女と」と直したら、忽ち人生観まで変わってしまいます。
この一句の意味は、華やかな花の様な存在も世の中にはあるだろうが、自分は淋しい秋を友として生きている、遊女は見えずただ萩と月がある、それでもそういう色々の物が一緒にまじって暮らしているのが世の中というものだ、と云えば云える様な、孤独のあきらめがにじみ出ています。
が、もしミスプリントで、「遊女と」になっていたら、萩も月も、狸までうかれ出て、芭蕉と一緒に狂っている様なお祭気分になってしまいます。
おかしなものです。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)
34ページ 『たしなみについて』
著者: 白洲正子
2013年10月10日 第8刷発行
発行所: 株式会社 河出書房新社
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つまり、上の小文を読んでデンマンさんは芭蕉が遊女と一つ屋根の下で寝ただろうと言うのでござ~ますか?
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そのとおりですよう。
でも、そうであったなら、白洲正子さんが言っているように芭蕉の人生観を見直さねばならなくなるのですわ。 しかも、もし芭蕉が遊女と一つ屋根の下で寝たとしたら、萩も月も、狸までうかれ出て、芭蕉と一緒に狂っている様なお祭気分になってしまうと、言っているのでござ~ますわァ。
あれっ。。。 卑弥子さんも、そう思うのですか?
だってぇ、俳人の芭蕉さんが遊女と狸と一緒になってお祭気分で踊りだすなんて考えられないですわ。
でもねぇ~、「遊女も」という元のままの俳句を解釈しても、僕には「遊女は見えずただ萩と月がある」とは考えられない! 「一つ家に遊女も寝」ているとしか考えられないのですよ。
でも、それでは、白洲正子さんが言っているように芭蕉が遊女と狸と一緒に踊りだしてしまうのですわ。
だから、それが白洲正子さんの独断と偏見なのですよ。 たとえ遊女と一つ屋根の下に寝たからといって、ただそれだけの事を針小棒大に解釈して、芭蕉が凡人のように遊女と狸と一緒に踊りだし、下らない人間になりさがってしまうとは思えない。
つまり、デンマンさんは、どうしても、芭蕉が遊女と一つ屋根の下で寝たとしか考えられないのでござ~ますか?
あのねぇ~、卑弥子さんも、もう一度じっくりと俳句を味わいながら読んでみてください。
一つ家に遊女も寝たり萩と月
どのように読んだとしても、一つ家に遊女も寝たのですよ。 そうじゃなければ、「遊女」を持ち出した意味がない!
だってぇ~、それだと芭蕉は“スケベじいさん”になってしまうのですわァ。
あのねぇ~、もしもですよゥ、“スケベじいさん”を描くのであれば、次のような俳句になるのですよ。
一つ褥(しとね)遊女も寝たり萩と月
「褥」とは「布団」あるいは「寝床」の意味ですよ。 このような句であれば、当然、芭蕉がスケベ心を起こして遊女と寝たかもしれない。 でもねぇ~、「一つ褥」じゃなくて「一つ家」になっている。 遊女と芭蕉の間にはかなりの距離があるのですよ。 要するに一つ家の中でも一緒の布団に寝たわけじゃない。
そうだとして、それでは、デンマンさんは どのような情景を思い浮かべるのですか?
だから、次のようなやり取りが芭蕉と遊女の間に交わされたのですよ。
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(basho112c.jpg)
芭蕉: 旅のものですが、どうやら道に迷ってしまったらしく、もうすぐ日が暮れます。 宿を探すにも、どうもこの辺りには一軒もそれらしいものは見当たらず、探しあぐねていたら、この草庵を見かけたというわけです。
遊女: そうでございますか。。。 それはお困りでしょう。
芭蕉: もし差し支えなければ、今夜、軒下でもお借りして夜露をしのぎたいと思うのですが、ご拝借できるでしょうか?
遊女: 軒下では、夜露をしのぐにも ご不自由しますもの。。。 むさくるしい草庵ではございますが、宜しければ どうぞおあがりくださいませ。。。
芭蕉: しかし、それではあまりにも不躾(ぶしつけ)と言うもの。。。 旅は慣れておりますので、軒下で結構でございます。
遊女: いえいえ、お見かけすれば、お年を召しておられますし、軒下では寒さもきびしゅうございます。。。お風邪を召したら、この先、長旅はきびしゅうございます。 “袖振り合うも他生の縁”と申します。 どうそ、ご遠慮なさらずにおあがりくださいませ。
芭蕉: しかし、このような老体(ろうたい)が上がりこんでは、ご家族に迷惑をかけるというもの。。。
遊女: こう申しては何ですが、あたくしは囲われ者。。。、主人は留守をしております。 独り者ゆえ、他の誰にも気兼ねはご無用でございます。 何もおもてなしはできませぬが、夜露をしのぐには、このあばら家も充分にお役に立つことと存じます。 さあ、どうぞ ご遠慮なさらずにおあがりくださいませ。。。
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芭蕉も、この遊女の親切に甘えて草庵に上がらせてもらったわけですよ。
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それで一つのお布団に一緒に寝たのでござ~ますか?
やだなあああァ~。。。 それじゃあ、“スケベじじい”が狸と遊女と一緒になって踊ってしまって俳句にならないのですよ。 そうじゃなくて、粗末な草庵だけれども、ちゃんと衣文掛(えもんか)けかなんかで芭蕉の爺さんとはちゃんと仕切りを設けたのですよ。
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(emon02.png)
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(emon03.jpg)
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つまり、別々に寝たのでござ~ますか?
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当然でしょう! この遊女は卑弥子さんのように積極的ではなかったのですよう!
あらっ。。。 あたくしは、それほど積極的でしょうかしら!
何を言っているのですか? 卑弥子さんは、もう忘れてしまったのですか? 次のような事があったのを思いだしてくださいよ。
『芭蕉と遊女の出会い』より
(2014年4月24日)
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あらっ。。。 きわどい所で打ち切ってしまったのですわねぇ~。。。 うふふふふふふ。。。
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これ以上長く引用する必要はないのですよ。。。 あのねぇ~、僕は 思ったのだけれど、白洲正子さんは原典を読んでいないのではないか? ここまで読み返して そう感じたのです。。。
そのような無責任な事はしないと思いますわァ~。。。 白洲正子さんは「も」が「と」とかわっただけでももう全部の意味ばかりでなく、芭蕉といった様な大人物まで、もう一度考え直してみなければならなくなる、と言いたかっただけですわァ~。
実は、僕も上の記事を書く時には原典を読んでいなかったのです。。。 だから、上の芭蕉と遊女の対話になったのですよ。。。 もし白洲正子さんが原典を読んでいたら、芭蕉と遊女が一つ屋根の下に居たことがすぐに読み取れるのです。。。
つまり、最近 デンマンさんは原典を読んだのでござ~ますかァ?
そうなのです。。。 原典じゃないけれど、原典に近いものを読んだ。。。 それには次のように書いてあった。
一振
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(basho81.jpg)
今日は親しらず・子しらず・犬もどり・駒返しなど云う北国一の難所を越えてつかれ侍れば、枕引きよせて寝たるに、一間隔(へだ)て面(おもて)の方に、若き女の声二人ばかりときこゆ。
年老いたるおのこの声も交(まじ)りて物語するをきけば、越後の国 新潟と云う所の遊女なりし。
伊勢参宮するとて、この関までおのこの送りて、あすは故郷(ふるさと)にかえす文(ふみ)したためて、はかなき言伝(ことづて)などしやるなり。
白浪(しらなみ)のよする汀(なぎさ)に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下(くだ)りて、定めなき契(ちぎ)り、日々の業因(ごういん)、いかにつたなしと、物云うをきくきく寝入りて、あした旅立つに、我々にむかいて、
「行方(ゆくえ)しらぬ旅路のうさ、あまり覚束なく悲しくはべれば、見えがくれにも御跡(おんあと)をしたいはべらん。 衣の上の御情(おんなさけ)に大慈(だいじ)のめぐみをたれて結縁(けちえん)せさせたまえ」
……と、泪を落とす。
不便(ふびん)の事にははべれども、
「我々は所々にてとどまる方(かた)おおし。 只人の行くにまかせて行くべし。 神明の加護、かならず恙(つつが)なかるべし」
……と、云い捨て出(いで)つつ、哀(あわ)れさしばらくやまざりけらし。
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(basho80b.jpg)
一家(ひとつや)に
遊女もねたり
萩と月
曾良にかたれば、書きとどめ侍る。
Today we passed through the most dangerous places in the north country, known as "Parents Forget Their Children," "Children Forget Their Parents," "Dogs Turn Back," and "Horses Return."
I was so exhausted that I drew my pillow to me and lay down as soon as we reached an inn.
I could hear the voices of young women, probably two of them, talking in a room one removed from ours at the front of the house.
The voivce of an old man also took part in the conversation.
I gathered from what they were saying that the women were prostitutes from Niigata in Echigo Province.
They were on their way to worship at the shrine in Ise, and the man had escorted them here, as far as the Barrier of Ichifuri.
They would be sending him back the next day, and they were giving him letters they had written and trivial little messages to take back with him.
"We have wandered over the shores washed by the white waves.
Like fisherwomen, we have dived to the depths of this world.
What terrible karma accounts for our inconstant vows, the sins we have daily committed? We are wretched indeed..."
These were the last words I heard before falling asleep.
The next morning, when we were about to start out, the two women approached us, saying, "We feel so uneasy and depressed at the thought of the difficulties that may await us on the way to an unfamiliar place that we would like to folow behind you, even if out of sight.
Grant us this great favor, you who wear the habit of priests, and help us to attain the way of the Buddha."
They were in tears.
I answered, "I feel sorry for you, but we must stop at a great many places.
You'de better go along with some ordinary travellers.
You will be under the protection of the gods. I am sure no harm will come to you."
There were my parting words, but for a time I could not shake off my pity for them.
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(basho82.jpg)
Under the same roof
Prostitutes were sleeeping
The moon and clover.
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
130-131ページ 『おくのほそ道』
著者: ドナルド・キーン 挿絵(切り絵): 宮田雅之
1997年2月1日 第2刷発行
発行所: 講談社インターナショナル株式会社
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あらっ。。。 これは『奥の細道』をドナルド・キーンさんが英語に訳したのですわねぇ~。。。
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そうです。。。 挿絵として宮田雅之さんの切り絵が貼ってあってぇ、なかなか読み応え、見応えのある本になっているのですよ。。。で、これを読めば二人の遊女と芭蕉は一間隔(へだ)てた隣の部屋同士だったということが解る。。。 つまり、部屋は違っていても、間違いなく一つ屋根の下で一夜を過ごしたのですよ。。。 つまり、芭蕉と遊女は一夜の宿をともにしたのです。 一つの布団に寝たわけではなかったけれど、一つ屋根の下で夜をすごしたのです。 要するに二人の間に何らかの会話がない限り、句の中に遊女を持ち出す意味がない!
白洲正子さんが解釈したような「遊女は見えずただ萩と月がある」ということではなく、遊女との会話のかなに芭蕉は何か心に残るものを感じたのでござ~ますかァ?
そうですよ。 それは上の小文を読めば明らかです。。。 新潟から伊勢に詣でるという隣室の遊女から「旅の道連れにしてくれないか」と頼み込まれる。 ただそれだけの事ではないはずです。。。 上の小文を読むと、芭蕉は明らかに遊女たちの身の上に 哀れと同情を感じている。。。 その余韻が芭蕉に上の句を作らせたのですよ。 僕は、そう思いますねぇ~。
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(laugh16.gif)
(すぐ下のページへ続く)