まんじゅう@富岡 (PART 1)

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みゆきちゃん、元気ですか?
吹上の「自遊空間」で書いてます。

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From: barclay1720@aol.com
To: miyuki9876@yahoo.co.jp
Date: Mon., Nov. 6, 2017 10:55 AM
昨日は軽井沢タリアセン夫人とユネスコの国際遺産に
登録された富岡製糸場に行ってきました。

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上信電鉄の古い電車に乗って、まるで明治時代にタイムスリップしたようでした。
無人駅がたくさんあって、駅に止まると運転手が車内に出てきて切符を集めるのには驚きました。
カナダでは考えられないことです。。。
富岡町では役所の観光案内所が無料で
自転車を貸し出していて、
それに乗って、タリアセン夫人と一緒に
上州一ノ宮の「貫前神社」まで遠乗りしてきました。

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面白かったですよ!
きゃははははは。。。
10月28日の土曜日には北鴻巣の多佳子さんの家にお邪魔しました。
(デンマン注:多佳子さんはデンマンの6歳年上の叔母)

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本人は癌で治療を受けていると言ってましたが、
外見は元気そのものでした。。。
癌で治療を受けているとは、とても思えませんでした。
多佳子さんは久しぶりに僕に会えたので、気持ちが張っていたのかもしれません。
僕がまだ1歳にもならない頃に、お袋におんぶされて犬塚の実家に帰ると、
7歳の多佳子さんが、赤ちゃんの僕を見て、どうしてもおんぶしたいと言ったそうです。
仕方なく、女児の多佳子さんの言うままに、お袋は 僕を彼女の背中におんぶさせたそうです。。。
うれしくなって、多佳子さんは隣近所に僕を見せて回ったそうです。。。

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「この子は赤ちゃんのくせに、若い衆の顔をしてるねぇ~」と言われたそうです。。。
僕は、赤ちゃんの頃からふけて見えたのでしょうか?
きゃははははは・・・
土曜日には 8時間も話し込んでしまったと、多佳子さんが後で言ってましたが、
考えてみると、多佳子さんとは長い長い付き合いになります。
外見では元気そうに見えても、無理して僕と話していたのかも知れません。。。
もっと早めに切り上げて帰るべきだったのでしょう!
みゆきちゃんの話が出て、
「加代子が“卵かけご飯”ってぇ何?・・・て訊いたのよねぇ~」と多佳子さんが話し出しました。。。
(デンマン注:加代子さんは多佳子さんの長女)
何でも、犬塚の実家で一緒になった時に、
みゆきちゃんがお母さん(とも子さん)に「“卵かけご飯”を食べた」とか「“卵かけご飯”を食べたい」とか言ったらしい。。。
(デンマン注:とも子さんはデンマンの従妹)
加代ちゃんは“卵かけご飯”を食べたことがなかったらしいのですよ。。。
“卵かけご飯”など、誰もが知っている常識だと思えるのだけれど、
九条家では“卵かけご飯”を子供たちに食べさせたことがなかったらしい!?

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不思議というか、面白い話を聞いたように思いました。
ところで、「ダイアン物語」で次の記事を英語で書きました。

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■『Halloween@Shibuya』
記事の最後に行田市の田んぼアートが
ギネスブックに登録されたYouTubeが出てきますよ。
みゆきちゃんも楽しみながら見られると思うから、ぜひ見てね。。。
あと3年で、東京オリンピックです。
これからは、マジで 英語を話せる人が求められると思います。
英語ができると オリンピックに向けて、
みゆきちゃんの人生にも明るい兆(きざ)しが見えてきますよ。
英会話の能力を生かすならば、オリンピックのときに
素晴らしいチャンスが巡ってくるかも知れません。
ボランティアでオリンピックを手助けするのも面白いでしょう!?

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そのためにも、暇ができたら英会話の勉強に励んでねぇ~。
きっと、何かいいことがありますよ。
それでは、みゆきちゃんも、現在の幸せをかみ締めながら、
いつまでも健康で元気にいてください。
そして、1日 1日 ルンルン気分で
後悔のないように ポジティブに暮らしてねぇ~。。。
人間の一生なんて、マジで短いものです!
お互いに、元気で、楽しく、愉快な面を見つめながら、
この人生を大いに、充実したものにしましょうねぇ~
きゃははははは。。。
では、バンクーバーの思い出にふけりながら
楽しい夢を見てね。
時間があったら電話ください!
じゃあねぇ~。。。

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『上州散策』より
(2017年11月6日)

デンマンさん。。。 どういうわけで、みゆきちゃんに出したメールを持ち出してきたのですか?

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あのねぇ~、軽井沢タリアセン夫人の小百合さんと富岡へ行ったのだけれど、面白いものを食べたのですよ。。。
面白いものって、どんなものですか?
“焼きまんじゅう”ですよ。。。

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上信電鉄の上州富岡駅で降りてから 富岡製糸場に行く道筋に「岩井屋」という店があるのだけれど、その店先に“上州B級グルメで賞をもらった焼きまんじゅう”という暖簾(のれん)が目にとまったのですよ。。。

それで小百合さんと一緒に“焼きまんじゅう”を買って食べたのですか?
そうです。。。 いけませんか?
別にかまいませんけれど、小百合さんも食べたいとおっしゃったのですか?
いや。。。 小百合さんは、あまり食べたがらなかった。。。 でも、僕が珍しそうに見ていたので、仕方なく付き合ったのですよ。。。
。。。で、お味はどうでした?
富岡地方では“焼きまんじゅう”は、さして珍しいものではないらしい。。。 店によって味が少しづつ違うらしいのですよ。。。 「岩井屋」の焼きまんじゅうは、まんじゅうにデンガクの甘い味噌ダレを付けて焼いたような味でした。
でも、どういうわけで、メールにも書いてない“焼きまんじゅう”を取り上げたのですか?
あのねぇ~、たまたまバンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。
饅頭屋町

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■『拡大する』
町内の一角に門を開いていた六角堂よりも著名な饅頭屋があったため、そのようによばれることになったのであろう。
その存在は、すでに応仁・文明の乱後の延徳3年(1491)の史料(『蓮成院記録』8月24日条)に「三条六角堂の西側の店饅頭屋次郎」として確認できるが、江戸時代後期にその縁者が語ったところによれば、その由緒とは次のようであった(『饅頭屋町文書』)。
すなわち、饅頭屋町の饅頭屋は、南北朝時代の禅僧「大照国師(禅師か)」(龍山徳見)が「唐」(中国)より日本へ「帰朝」したさい、「同道」したかの国の「林和靖(りんわせい)」(林浄因)が「烏丸三条下ル町にて家作住居」し、その「一子」が「はじめて饅頭をこしらえ」て以来、「代々饅頭ならびにふくさ渡世」をおこなってきた「日本饅頭濫觴(はじまり)の家」である、と。
残念ながら、このことを裏付ける同時代の史料は残されていない。
しかしながら、江戸時代前期に成立した地誌『京雀』の「まんぢうやの町」のところにも「この町の饅頭屋は日本第一番饅頭のはじめなるよし」とみえることからすれば、同じような由緒が戦国時代にも語られていた可能性は高いであろう。
もっとも、現在の饅頭屋町には、饅頭屋は存在しない。
それは、饅頭屋町に伝えられた『饅頭屋町文書』によれば、江戸時代後期の寛政10年(1798)に当主が「急病」でなくなり、「絶家」となってしまったためであったという。

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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
地図はデンマン・ライブラリーより)
56-59ページ 『戦国時代の京都を歩く』
著者: 河内将芳
2014(平成26)年3月1日 初版発行
発行所: 株式会社 吉川弘文館

あらっ。。。 おまんじゅうというのは、京都で初めて作られたのですか? 知りませんでしたわ。。。

現在では、初めて饅頭を作った店はないのだけれど、町名として京都に残っているくらいだから、まず間違いないですよ。。。
つまり、この事を言うために“焼きまんじゅう”を持ち出してきたのですか?
いや。。。 そればかりではないのですよ。。。 京都で“まんじゅう”が初めて作られてから 富岡で“焼きまんじゅう”が作られるようになるまで、どのようにして関西から関東に“まんじゅう”が広まったのだろうか?
そのことにデンマンさんは興味を持ったのですか?
そういうことです。
それで、突き止めたのですか?
そうなのですよ。。。
マジで。。。?
あのねぇ~、僕はけっこう歴史の本を読んでいるのですよ。。。 たまたま郷土史を読んでいたら次の箇所を見い出した。
成田氏の文化

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成田氏の祖は藤原鎌足(614-669年)に始まり、13代行成(972-1027年)の子忠基を初祖とし、その15代親泰(1464-1524年)が延徳3年(1491年)に忍城を築城すという。 (略)
成田氏の文化程度と財宝は驚く程で、如何にその勢力が大きかったか想像出来る。
氏長は特に学芸を愛して連歌の道は、その史上に残る人であった。
当時の連歌の第一人者“宗長”も永正6年(1509年)忍城に来たことが『宗長日記』に出ているし、天正13年(1585年)兼如も来ている。
兼如は家康の連歌の師となった人である。
天正15年(1587年)氏長はたくさんの連歌師を招き、春日神社で大連歌会を行い、奉納連歌百韻をかかげたとあるのをみても、成田氏の文化程度を知ることが出来る。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
201-203ページ 『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社

つまり、1491年に現在の行田市にあった忍城を造った成田親泰は成田氏の15代目だったのです。。。 しかも、成田氏の祖先は藤原鎌足だというのですよ。。。 つまり、成田氏は藤原氏の血筋を引いていたのです。。。

それで、関東にありながら成田氏の文化程度と財宝は驚く程だったのですか?
そういうことです。。。 つまり、当時の行田は“小京都”だったのですよ。。。 だからこそ、当時の連歌の第一人者“宗長”も永正6年(1509年)忍城に来たのです。。。
でも。。。、でも。。。、そのことと“まんじゅう”がどのような関係にあるのですか?
あのねぇ~、天正15年(1587年)氏長はたくさんの連歌師を招き、春日神社で大連歌会を行ったのですよ。。。

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神楽殿

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■『拡大する』

今でも春日神社は行田市の谷郷にあるのです。。。

あらっ。。。 そうなのですか? 母の実家が行田市にあるにもかかわらず、私は知りませんでしたわァ。。。
当時の様子が絵にも描かれている。

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成田氏長は、このようにして たくさんの連歌師を招き、春日神社で大連歌会を行ったのですか?

そういうことです。。。 連歌会が終われば、参加者を歓迎するために 当然、お祝いの夜店などを出すわけですよ。。。

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これは、現在も続いている春日神社のお祭りです。。。 この時に、当時の連歌の第一人者“宗長”の従者の吾作さんが京都で習い覚えた“まんじゅう”を作って、参加者に食べさせたというのです。

それで、“おまんじゅう”が関東に広まったのですか?
そういうことです。。。 僕の祖先の加藤次郎佐衛門も、そのときの連歌会に出席していた。。。 この次郎さんは加藤家の当主の弟で、つまり、次男坊だったために 当時は30才過ぎても部屋住みの居候(いそうろう)をしていたのです。。。 ノー天気な人だったけれど、書、絵画、連歌の道に長(た)けていたばかりじゃなく、食道楽でもあった。。。 それで、“まんじゅう”に非常に興味を持って吾作さんから、その作り方を教わったのですよ。。。
マジで。。。?
真由美ちゃんは僕の言うことが信じられないのですかァ~?
だってぇ~、今から 510年も昔のお話でしょう!?
真由美ちゃんは僕が書いた次の記事を読んだことがないのですねぇ~?

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■『デンマンの祖先は百済からやって来た』

まだ読んでませんでした。。。

1度でいいからぜひ読んでみてください。。。 実は、僕の祖先は百済の王族の血を引いているのですよ。。。 白村江(はくすきのえ)の戦い(663年10月)で敗れて日本へ逃げてきたのです。。。 徳川時代には忍城下で“木のくりもの屋”をしていたのだけれど、それ以前は、後北条氏に仕えていた騎馬武者だった。。。 要するに、成田氏の忍城に出仕していたのです。
あらっ。。。 そういう加藤家の歴史があったのですか?
そうです。。。 次郎さんは16代加藤家当主の弟だった。。。 でも、吾作さんに“まんじゅう”の作り方を教えてもらってから、それにハマって “まんじゅう”を作って諸国を渡り歩いたというのです。
それで、“まんじゅう”が行田から それほど離れてない富岡にも広まったのですか?
そういうことです。。。 つまり、真由美ちゃんがパン職人・ベーグル職人としてバンクーバーで頑張っているのも、僕の祖先の加藤次郎佐衛門さんと、少しは縁があるということですよ。。。

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(すぐ下のページへ続く)