デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

倭の五王

2020-10-07 14:52:22 | 日本史


 

倭の五王

 


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デンマンさん。。。どういうわけで倭の五王を取り上げるのですか?


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先日、次の記事を書いたのですよ。。。

 


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『百田尚樹を読む』

 



実際に読んだ本が『日本国紀』だったのです。。。



つまり、その本の中に倭の五王が出てくるのでご〜ざますか?

そうです。。。次のように書かれてます。。。

 



倭の五王

 


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413年から478年にかけて、日本の5人の王が中国の東晋、宋、南斉、梁に少なくとも九回朝貢した記録が残っている。この五人の王は「倭の五王」と呼ばれていて、中国の記録によれば、その名は讃、珍、済(せい)、興、武となっている。

日本の歴史学者の間では、讃ー>履中天皇、珍ー>反正(はんぜい)天皇、済ー>允恭(いんぎょう)天皇、興ー>安康(あんこう)天皇、武ー>雄略(ゆうりゃく)天皇というのが一応の定説となっているが、私はまったく納得がいかない。

まず中国の記録の中にある名前が天皇の本名(諡号とは別)とまったく違う。
学者たちは、なぜ中国の史書でそんな名前が付けられたのかという理由をいろいろ挙げているが、いずれも相当強引なこじつけであるし、そこに法則性は一切ない。

また『古事記』にも『日本書紀』にも、前述の天皇が中国に朝貢したという記述はない。
さらに五人の王は、中国から安東大将軍倭国王などに任命されているが、そうした記述もない。

在野の歴史家である古田武彦氏などは、倭の五王は九州王朝の王だったのではないかとする説を述べている。

もっとも「倭の五王」に関する中国の史書の信頼性は高くないという説もある。
いずれにしても、三世紀から六世紀にかけての日本の王朝のことは、今のところよくわかっていないのが実情である。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)




27−29ページ 『日本国紀』
著者:百田尚樹
2018年11月28日 第5刷発行
発行所:株式会社 幻冬舎



 



なるほどォ〜、あたくしは平安文学が専門で、この時代のことは全く門外漢でござ〜ますけれど、「倭の五王」という人物たちが中国の歴史書に書かれていたということは存じ上げておりました。



そうですか。。。で、卑弥子さんはどう思いましたか?

別に、どうも思いませんわ。。。ただ、そういう事実があったのかと思ったでけですわ。。。で、デンマンさんは、どういうわけで特に倭の五王を取り上げるのですか?

あのねぇ〜、百田氏は個人的な意見を書いている。。。次のように。。。



日本の歴史学者の間では、讃ー>履中天皇、珍ー>反正(はんぜい)天皇、済ー>允恭(いんぎょう)天皇、興ー>安康(あんこう)天皇、武ー>雄略(ゆうりゃく)天皇というのが一応の定説となっているが、私はまったく納得がいかない。





デンマンさんは百田氏の意見に対してはかなり懐疑的ですけれど、この意見についても独断と偏見だと思っているのでござ〜ますか?



いや。。。彼のこの意見に関しては全く同感です。。。「学者たちは、なぜ中国の史書でそんな名前が付けられたのかという理由をいろいろ挙げているが、いずれも相当強引なこじつけであるし、そこに法則性は一切ない」。。。確かに、そういう感想を僕も持ちました。。。

在野の歴史家である古田武彦氏などは、倭の五王は九州王朝の王だったのではないかとする説を述べている、と書いてありますけれど、この説は学会では認められていないのでござ〜ますか?

認められてないのですよ。。。学会の閉鎖性がその理由だと僕は思っているのです。。。

 



九州王朝説


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九州王朝説は、古田武彦によって提唱された、7世紀末まで九州に日本を代表する王朝があり、太宰府がその首都であったとする説である。

邪馬台国から5世紀の「倭の五王」までを九州に比定する論者は、古くは鶴峰戊申から太平洋戦争後では長沼賢海らがいるが、本説はこれらを7世紀まで敷衍した点に特徴がある。

当初古田は九州倭国は白村江の敗戦により滅亡したと考えていたが、近年の九州王朝説では7世紀末まで存在したとする見方をとっている。

近年、古田以外の多くの研究者から多くの発表がなされ、古田の同説に対する影響力は低下してきている。

本説は古田の「多元的古代史観」の主要な部分を占める。
古田は、「倭」とは九州のことであり「邪馬壹國(邪馬臺國)」は倭国の前身であるとし、その後、九州に倭国が成立したが、663年(天智3年)「白村江の戦い」の敗北により滅亡にむかったとしている。

現在、本説は、井上光貞、榎一雄、山尾幸久を始めとする複数の東洋史・日本史学者等から批判されており、主要な百科事典や邪馬台国論争史を著述した研究書においては記載されていない。

注:下記に記された内容は、古田史学会で発表された論文や九州王朝説支持者の著作の内容などを含むため、古田説とは異なる。また互いに矛盾する箇所もある。

 

経緯

古事記や日本書紀の記述は中国の史書に記されている邪馬台国(邪馬壱国)や倭の五王の記述とは食い違う部分が少なくない。

例えば、日本書紀では魏に朝貢した倭王は神功皇后であるとされているが、日本書紀において神功皇后一人の業績とされる記述は魏志倭人伝では卑弥呼・壱与という二人の女王の業績とされており、明らかに矛盾している。

こうした矛盾は江戸時代から議論の対象となっていた。松下見林は異称日本伝において中国史書の内容は信用できないとして日本書紀を基準に解釈すべきことを主張し、邪馬台国も倭の五王もすべて日本書紀の記述に合致するように解釈し直したが、その内容は倭王武を雄略天皇と清寧天皇の二人に比定するなど現代の文献史学の水準からは稚拙な面も存在し、松下の邪馬台国畿内説や倭の五王近畿天皇家説は現在のように広く受け入れられていたわけではなかった。

多くの国学者に影響を与えた本居宣長は馭戒慨言において邪馬臺国や倭の五王は本来の倭王である近畿天皇家ではなく、熊襲や任那日本府が倭王を僭称したとする熊襲偽僭説を主張した。この熊襲偽僭説を完成させたのが鶴峯戊申であり、彼は中近世文書に頻出する大宝以前の古代逸年号についても古代の九州年号である、と主張するなど現在の九州王朝説に近い主張となっていた。

こうした流れの中、在野の研究者であったものの親鸞研究等で学界からも一定の評価をされていた古田武彦の著書『失われた九州王朝』がベストセラーとなった。

さらに彼の九州王朝説による論文「多元的古代の成立」は史学雑誌にも掲載されるなど、学界・アマチュアの双方で彼の説は一定の評価を受け、井上光貞や安本美典らとの間で論争となった。そして市民の古代研究会が結成されると古田の学説は「古田史学」と呼ばれ、主にアマチュアの研究者の間で一世を風靡することとなった。

一方、東日流外三郡誌を巡る論争での古田の学界での影響力の低下、市民の古代研究会の分裂、さらには学術論文の体裁を得ていないアマチュア論文の乱立もあり現時点では九州王朝説は一時期ほどには広まってはいない。しかしながら、古田の学説を継承する古田史学の会は新春講演会に定説派の学者も招聘し、大阪府立大学の講師が幹部を務めるなど、いまなお活発な活動をしている。近年では平成30年に所功が著書『元号 年号から読み解く日本史』で否定的に、百田尚樹が著書『日本国紀』で肯定的に、それぞれ扱うなど今でも歴史家や著名人の注目を集めている学説である。

 

主な主張

(以下は古田説の概要ではなく、学者・在野を問わず、各論者の説を纏めたもの。)

紀元前から7世紀末まで日本を代表した政権は一貫して九州にあり、倭(ゐ)、大倭(たゐ)、俀(たゐ)と呼ばれていた。

倭の五王(讃、珍、済、興、武)も九州倭国の王であり、それぞれ倭讃、倭珍、倭済、倭興、倭武と名乗っていた。

筑紫君磐井(倭わい)は倭(九州)の王(武烈天皇)であり、継体は九州南部の豪族である。磐井の乱は継体による九州内の九州倭国に対する反乱であり、継体が武烈朝を武力討伐した記事である。

九州倭国の継体朝において日本で初めて独自の元号(九州年号)が建てられた。

隋王朝との対等外交を行った「俀王姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌」は、九州倭国の倭国王であった。

九州王朝の始まりは後に天孫降臨として神話化される出来事であり、天孫降臨の舞台となった場所は福岡県の糸島近辺である。また九州王朝の前には出雲王朝が存在しており、国造制・部民制の原型は既に出雲王朝の時代から存在していた。

神武天皇は1世紀から2世紀頃に実在しており、神武東征も基本的に史実である。
九州王朝の分家として大和王朝(近畿天皇家)は成立した。

古田は近畿天皇家の天皇については、基本的に九州王朝の分王朝の大王として近畿に実在した、と考える。記紀には景行天皇の「九州大遠征」をはじめ、九州王朝の大王・天子の記事からの「盗用」はあるものの、例えば景行天皇自身が九州王朝の大王であった、とは古田は主張していない。

乙巳の変については、近畿天皇家内部における「親九州王朝派」の蘇我氏が粛清された事件であるとする。
万葉集の古い歌の殆どは九州で詠まれたものである。

 

九州王朝説の歴史と問題点

九州王朝説の提唱者である古田は親鸞研究での堅実な実績で知られ、当初は『史学雑誌』78-9や『史林』55-6、56-1など、権威あるとされる研究誌での公表を行い、一定の評価を得ていた。

九州王朝説に関しても、一時期は高等学校日本史教科書の脚注で「邪馬台国(邪馬壱国とする説もある)」と言及されたこともある。

しかしその後、勤務校の紀要を除けば、学術雑誌や学会発表などの手段によって自己の主張を公表する過程を踏むことが少なくなり、学界からの反応がなくなった。

歴史学、考古学等の研究者は、本説の内容に関して、考古学の資料解釈の成果とそぐわないこと等をもって、検証に耐えうる内容ではないとしており、当初古田が権威あるとされる研究誌での公表を行っていた頃には評価とあわせ批判をしていたものの、主要な百科事典や邪馬台国論争史を著述した研究書においても記載されていない。

その一方で、一般市民や在野の研究者の中には熱心な支持者が存在し、従来の古代日本史学をいまだ皇国史観の影響下にあるものと見て、本説はそれに代わる新しい史観であり、「日本古代史の謎や矛盾を無理なく説明できる」と主張している。また本説からは多くの亜流が生まれている。

九州王朝説は根拠に示すとおり多くの証拠があるにも拘らず日本古代史学界からは黙殺されている。それは以下のような理由による。

通説とあまりにかけ離れており日本古代史学界の多くの研究成果を否定することになる。
古田武彦やその支持者が史料批判など歴史学の基礎手続きを尊重していない。
古田武彦の漢文の読み方が恣意的である。

 

問題点に対する九州王朝説側からの意見等

九州王朝説からすると「古代ヤマト王権の存在を裏付ける都城などの遺跡、官僚機構の存在を示す木簡などの一次資料は全く存在せず、通説は二次資料・三次資料である記紀を鵜呑みにしたヤマト王権一元論を前提にその他の資料を無視したり曲解しており、資料の扱いが恣意的である」となる。

『日本書紀』の神代巻に「筑紫」は14回出現するが「大和」は1回も出現しないことなどから、神代の舞台は九州であるとする意見は九州王朝説に限らず多いが、九州王朝説の一部の論者の中には上記のように「壬申の乱」の舞台までも九州であるとして、記紀の殆どは「九州倭国」の史書からの盗用であり、「古代ヤマト王権」の文献資料など存在しないとする見方もある。

九州王朝説は九州王朝一元論に陥り易いが、これは記紀の基になった九州王朝の史書が九州王朝一元論によって書かれていたためにそう観えるのであり、現実を正確に反映しているわけではない。

古田武彦は自分の仮説は九州王朝と大和王朝の双方の存在をみとめる「多元王朝説」なのであって九州王朝一元説は支持しないと明言している。




出典: 「九州王朝説」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



 



確かに、『日本書紀』の神代巻に「筑紫」は14回出現するが「大和」は1回も出現しないことなどから、神代の舞台は九州であるとする意見は九州王朝説に限らず多いと書いてありますけれど、九州王朝説を全否定するのは無理がありますわねぇ〜。。。



地理的に見ても、中国の漢字文化が最初に伝わったのは九州に違いないのです。。。九州を通り越して近畿地方に伝わったなどとは考えにくい。。。やはり、九州王朝の分家として大和王朝(近畿天皇家)は成立したと考えるのが、地理的なことを考えれば極めて自然なのですよ。。。

そうですわねぇ〜。。。倭の五王(讃、珍、済、興、武)も九州倭国の王であり、それぞれ倭讃、倭珍、倭済、倭興、倭武と名乗っていた、と考えれば、色々とこじつけることもないのですわ。。。倭の五王を九州王朝の王と考えたほうがしっくりするのに、どうして学会では無理矢理 日本書紀の天皇に結びつけるのでしょうか?

 


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九州王朝説を採用すると、従来の古代史研究者は、自分の立場を自分で崩すことになるのですよ。。。要するに、九州王朝説が地動説ならば、倭の五王を大和王朝の天皇に比定するのは天動説です。。。



じゃあ、いずれ地動説の九州王朝説が常識となる日が来るのですわねぇ〜。。。

そうなると僕は信じてますよ。。。


 


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ〜。。。

あなたも、地動説を信じていますか?

「そんな事は当たり前じゃないか! 古代史などどうでもいいから、他にもっと面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに命令するのでござ〜ますかァ〜?

分かりましたわァ〜。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 



 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


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あなたは ご存知でござ~♪~ますかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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メチャ面白い、

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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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『センスあるランジェリー』



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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




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『麻生元総理』

『ネットのバカ女を捜して』

『額田王の歌』

『聖女と娼婦』

『済子女王@萌える』

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『隠元豆と国性爺合戦』

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『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

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『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

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『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』


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『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』

『頼朝の死の謎』

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『江戸の敵を長崎で』

『芸術は尻だ』

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『左翼的な下着』

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『ネット市民は見ている』


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『朝妻船』

『阿修羅を探して』

『羅漢と良寛』

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『元寇船』

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『歴史ロマン@バンコク』

『平安のキス』

『大久保独裁政権』

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『たこつぼ探し』

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『大衆文学』

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『エロ@韓国』

『レオタード姿@女子大』

『見ちゃだめ、と言われると』

『忘我の境@英国』

『小学生お尻ペンペン』




軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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(byebye.gif)


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尻の芸術

2020-10-07 14:29:23 | 美術・芸術
 

尻の芸術

 


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デンマンさん。。。 今日はふざけるのでござ~ますかァ~?


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いや。。。 ふざけるつもりはありません。。。 真面目な話をするつもりですよ。。。

でも。。。、でも。。。、上の画像を見たら、デンマンさんが絶対に悪い冗談を飛ばすと思うのですわァ~。。。

いや。。。 悪い冗談も飛ばしません。。。

つまり、今日は真面目にお話をするのでござ~ますかァ~?

そうです。。。

分かりましたわ。。。 で、いったい、どういうわけで可笑しなタイトルをつけたのですかァ~?

実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。


うしろ姿

 

私は、いいなと思うと首筋にくる。(略)
あちこち廻って疲れたのか、その日私は機嫌がよくなかった。(略)
マリー・アントワネットの園遊会のお茶道具などという、どっちでもいいようなものがご大層に飾られれていて、少し腹が立ってきた。
オリエント館だけは丁寧にみて、また明日出直してこようと思っていたら、閉館を知らせる合図があった。

人気のなくなった美術館はどこが出口なのか見当もつかない。
こんなところに閉じ込められてしまったら恐いな、と思いながら歩いていたら、いきなり目の前に女のお尻があった。

 


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大理石の女性像だったが、これがなんとも見事なのである。
威あって猛(たけ)からず。
黄色味を帯びた石が実にあたたかい。

みぞれの降る冬の夕暮れである。
石造りの部屋の小さな明かりとりから弱々しい光の中でそれはやわらかく静かに立っていた。
首筋がスウッとした。

見ている人間は私一人である。
絵や彫刻をたった一人で鑑賞したのは、生れて初めてであった。
このことも感動を深めた。(略)
ミロのヴィナスだったのである。(略)

ミロのヴィナスは、あの瞬間私のためだけにあったのである。
まわりには人もなく音もなく、時間もなかった。
紀元前1世紀だか2世紀につくられ、1820年に、ミロス島で畠をたがやしていた農夫によって発見されたというこの像が、日本からやってきた一人の女のために、立って見せてくれたのである。

それも、はじめは名を名乗らず、まずうしろ姿の美しさで挨拶し、私の首筋にその美しさを判らせてくれたのである。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




131-133ページ『眠る盃』
著者: 向田邦子
2016年9月15日 第2刷発行
発行所: 株式会社 講談社




あらっ。。。 ミロのヴィーナスのお尻だったのですわねぇ~。。。



そういうことだったのですよ。。。


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『ヴィーナスのえくぼ』



ところでデンマンさんが貼り付けた引用文中のお尻はルーブル美術館のミロのヴィーナスのお尻なのでござ~ますかァ?



いや、違うのです。。。ビーナスはヴィーナスでもナポリ国立考古学博物館にあるヴィーナス像の尻です。。。 「カッリピージェのヴィーナス(Venus Kallipygos)」と名付けられています。 これは、ギリシャ語で 文字通り“美尻のヴィーナス”という意味です。 この彫像は前から見るよりも後ろから眺めると なぜ そういう名前がついたか一目瞭然なのです。。。 ほどよく丸みを帯びて、つやつやとした美尻につい触れたくなるような。。。

 


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デンマンさん。。。 嬉しそうに説明するのは結構ですけれど、ヨダレをたらすことはござ~ませんわァ~。。。



失礼しました。。。 ついつい見とれてしまったので。。。

つまり、上の“美尻”を鑑賞するために、この記事を書こうと決めたのですか?

いや。。。 そればかりではないのです。。。 ちょっと次の“美尻の女性”を見てください。。。


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あらっ。。。 デンマンさんはこの女性の“美尻”にもヨダレをたらすほど惹かれるのでござ~ますかァ~?



うへへへへへ。。。 いけませんか? これは あの有名なドミニク・アングルが1814年に描いた『グランド・オダリスク』という絵なのです。

この絵にデンマンさんは特別に惹かれているのですか?

もちろん、素晴らしい絵だと思っているのですよ。。。 でもねぇ~、“美尻”に惹かれているだけじゃなく、この画家の事でかつて次のような記事を書いたことがある。。。



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現実に丸善に足を踏み入れると、どうしたことか、

私の心を持たしていた幸福な感情は消え失せ、

画集を一冊手にとってバラバラとめくるだけでも

大変な労力を必要とし、

本を抜き出しては元の場所に戻すことさえできなかった。

 

以前は好きだったアングルの画集にまでも憂鬱を感じるに至り

抜いたまま積み重ねた本の群れを眺めていた。


 




梶井基次郎という作家は『檸檬』という鋭い感受性と詩情あふれる美しい作品を書いたのだよ。 この作品はゆるぎない美しさをたたえ、昭和初期の文壇に一石を投じたと言われている。



その事とオイラとどういう関係があるのですか?

オマエは“アングルの画集”を見たことがないだろう?

見たことがありません。。。 第一、“アングル”という画家の名前を聞いたこともありません。

そうだと思ったよ!

どうして、そうだと思ったのですか?

簡単なことだよ! オマエはコメントの中で次のように書いている。



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I. A.も言ったように、白人女性の裸の写真が

pin-upされたbachelor用のapartment/condominium

のなかで、猥雑卑猥な文や煽情的な絵が満載された

websitesを書きながら、一人自慰にふけっているのは、

一体、何処の老人の方なのでしょうか。




オマエが“白人女性の裸の写真がpin-upされた”と書いてるけれど、オマエが言うpin-upは実は 1889年にポ-ル・ピール(Paul Peel)という画家が書いた“ベニスの風呂上りの女(A Venetian Bather)”という作品なのだよ。



マジで。。。? まるで現代画家が書いたようじゃありませんかア!

それで オマエは“pin-up”だと誤解してしまったのだよ! ポ-ル・ピール(Paul Peel)という画家はカナダ生まれの画家で1860年11月7日に生まれている。 1892年10月3日にパリで肺炎をこじらせて亡くなってしまった。 梶井とほぼ同様に満31歳で亡くなっている。


ポ-ル・ピール(Paul Peel)の作品

 


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  自画像


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。。。んで、そのカナダ人の画家とアングルの画集と、どのような関係があるのですか?



アングルはフランスの画家でポ-ル・ピールよりも有名で、次のような作品を残している。


ドミニク・アングル

Jean-Auguste-Dominique Ingres


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(1780年8月29日-1867年1月14日) 86歳没)

フランスの画家。19世紀前半、当時台頭してきたドラクロワらのロマン主義絵画に対抗し、ダヴィッドから新古典主義を継承、特にダヴィッドがナポレオンの没落後の1816年にブリュッセルに亡命した後、注目され、古典主義的な絵画の牙城を守った。

入念に組み立てられた肌理・テクスチャと徹底的に研鑽された描線、そして緊密な調子の諧調によって成立する空間は、「端正な形式美」を湛えている。

この様式美はセザンヌによって「肉体を全く描かずに済ませた」と批判されるほど徹底している。

アングルの美術史理解はアングルの作品群から伺い知れるように公汎であり、且つ結束性が高く、加えて非常に示唆的である。

顔料やバインダーの運用方法もまた多様であり、数百年の隔絶がある巨匠達の作品の研究にも余念がなかった。

その研究の成果として、組織的且つ合理的な方法を「保存が完璧」と讃えられる制作と言説によって的確にのこしている。

他方では、ポスト印象主義者たちやキュビスト、現代美術家の根底的な方法やアイデアに決定的な影響を与えており、アングル芸術の影響範囲、射程は底知れないものがある。

アングルの作品とその個性は、同時代の体制派、反体制派の必ずしも芳しくない評価にもかかわらず、影響は非常に甚大で、彼に先行する画家と彼に続く画家の代表作にさえ決定的な影響を与えた事例も少なくない。

 


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出典: 「ドミニク・アングル」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




見れば明らかなように、アングルの作品は明らかにポ-ル・ピールに大きな影響を与えている。



つまり、その事を言うために、わざわざ梶井基次郎の『檸檬』を持ち出してきたのですか?




『レモンと孤独な老人』より
(2016年1月26日)




要するに、太田将宏さんはデンマンさんのマンションを訪れた時に ポールピールの絵を見て “白人女性の裸の写真がpin-upされた”という印象と“猥雑卑猥”という感覚に惑わされて 絵の中に表現された鋭い感受性と詩情あふれる ゆるぎない美しさを完全に見落としていたと言いたいのでござ~ますかァ?



その通りですよ! だから、太田老人が次の絵を見れば、当然“白人女性の裸のpin-up”としか思わないのですよ。。。

 


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でも。。。、でも。。。、上の絵ってぇ、ちょっとヘンではありませんかァ~?



どこが。。。?

ちょっと背中を見てくださいなァ。。。長すぎると思いませんか? それに、手足もそうですわァ~。。。 しかも極端な なで肩ですわァ~。。。

あのねぇ~、卑弥子さんがそのように感じるのはもっともです。。。 実は、アングルが上の絵をローマで描いてから、この絵をはフランスに送ったのだけれど、当時のフランスの美術批評家の間でも、全く評価されなかった。。。

やっぱり、背中が長すぎるのですわわよう。。。

たぶん、当時のフランスの美術評論かも そう思ったのでしょう。。。 でもねぇ~、アングルは、解っていて そう描いたのですよ。。。

どうして。。。?

なぜなら、解剖学的な正確さよりも理想的な美しさを追求したのです。。。 そのため、実際の人体ではあり得ないような形になる事も厭わなかった。

確かに、きれいな事はきれいですわ。。。 お尻が強調されていて、見る人の目を引き付けてしまうような絵ですわァ~。


(picaso002.jpg)



。。。でしょう!? 実際、解剖学的な正確さよりも理想的な美しさを追求するという考え方は 後世のピカソらキュビズムの画家達に高く評価されたのですよ。。。 つまり、『グランド・オダリスク』という絵は美術史上重要な作品なのです。。。



つまり、この事を言うために 長々と説明してきたのですか?

もちろん、それだけではありません。。。 アングルの影響は今日まで続いているのですよ。。。 ちょっと次のクリップをじっくりと観てください。。。

 


(butt002.jpg)



 



もし、この動画を観て 太田老人のように“猥雑卑猥”という感覚しか呼び起こさないとしたら、その人は芸術の美的感覚が欠如しているのです。。。 そういう人は人間の。。。特に女性の ゆるぎない美しさを味わうことのできない 文化的に貧弱な人間だと思うのですよ。。。



(foolw.gif)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。 

でも、やっぱり女性の美しさは“ヴィーナスのえくぼ”とスタイルの良さですわァ~。。。

あなただって、そう思うでしょう!?

ええっ。。。 「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのように あたくしにご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。

分かりましたわ。

では、話題を変えて 天の川の不思議に迫るクリップを お目にかけますわ。。。

 


(milkyway2.jpg)



 

どうでした?

ええっ。。。 「夜眠れなくなるから、そういう動画は見せるな! 気分直しに何か他に もっと面白いことを話せ!」

あなたは、あたくしに向かって、更にご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。!

分かりましたわァ。。。 あなたが、そうおっしゃるのだったら、まずジューンさんの次の写真をご覧になってくださいまし。。。

 


(senya020b.jpg)

 

千夜一夜物語の衣装を着たジューンさんに魅せられて、女性に成りすます男性が たくさん居るのでござ~ますわァ!

ええっ。。。 信じられないのですかァ?

じゃあ、ちょっと次のYouTubeのクリップを見てくださいまし。。。

 


(xdress02.jpg)



 

いかがでござ~ますかァ~?

男性が女装していると思いますかァ?

あたくしは、素直に信じることができませんわァ~。。。

どうですかァ~? けっこうなものでしょう!?

いつまでも見とれていても仕方がありませんわよゥ。

あなたのために古代史の面白い記事を用意しました。

ぜひ お読みください。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)


 

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(maria05.jpg)

『ブログ村のマリア様』

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(hama10.jpg)

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軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


(byebye.gif)
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