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ギョべクリ・テペ

2021-11-16 02:26:25 | 歴史四方山話


 

ギョべクリ・テペ

 


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デンマンさん。。。、ギョべクリ・テペ って聞いたことがないのですけれど、いったい何ですかァ〜?


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たぶん、ほとんどの人が知らないと思うのですよ。。。僕もこれまでに聞いたことも見たこともない。。。

いったい何なんですかァ〜。。。

あのねぇ〜、バンクーバー市立図書館でDVDを借りて次のドキュメンタリーを観たのです。。。その中に出てきたのですよ。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』


 



 



ギョベクリ・テペ


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ギョベクリ・テペ(トルコ語: Göbekli Tepe) は、アナトリア南東部、シャンルウルファ(旧名・通称ウルファ、古代名エデッサ)の郊外(北東12km)の丘の上に在る新石器時代の遺跡。

遺丘の高さは15メートル、直径はおよそ300メートルに及ぶ。
地名は「太鼓腹の丘」の意。 標高はおよそ760メートル。
ドイツの考古学チームにより発掘調査が行われた。発掘は1996年から始まり、チームの指揮を執ったクラウス・シュミットが他界する2014年まで続いた。

ギョベクリ・テペの遺丘に残された構造物は非常に古く、紀元前1万年から紀元前8000年の期間に建てられた
祭祀に用いられたと考えられるこれらの構造物には2段階の発達が見られる。

第一段階(先土器新石器A)では巨大な丁字型の石柱がいくつも円を描くように並べられている。
物理探査(リモートセンシング)により石柱の総数は200本以上、それらの描き出す円が20確認されている。

各石柱は6メートル以上、重さは20トン
それらが基盤岩に穿たれた穴にはめ込まれている。

第二段階(先土器新石器B)では石柱は小さくなり、磨かれた石灰の床を持つ長方形の部屋に立てられた。
遺丘の隣に位置し発掘調査が待たれている構造物は1万4000年から1万5000年前のものであることがトポグラフィック・スキャンによって明らかにされた。

これはともすれば更新世を1000年遡行することになる。
先土器新石器B期が終わると遺跡は打ち捨てられた。
比較的新しい構造物にはギリシャ・ローマ時代のものも見られる。

この構造物が何に使われていたのかははっきりしていない。
発掘に携わったクラウス・シュミットは初期新石器時代の神殿だと信じていた。

 

遺跡の発見

 


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1963年にイスタンブール大学とシカゴ大学が共同で行った一般調査の中で初めてこの遺跡について記録された。
アメリカの考古学者ピーター・ベネディクトは遺丘に新石器時代の痕跡を認めたが、ギョベクリ・テペを新石器時代の地層が東ローマ帝国時代、イスラム時代に墓地として覆われたものだと仮定した。

調査の記録のなかでは無数の燧石(フリント)について触れられていた。
そして巨大な石灰岩の石板、すなわち丁字型の石柱の地上に現れている部分は墓標であると考えられた。
遺丘は長い間農耕に晒されてきた。
幾世代にもわたる地元住民がしばしば邪魔な石をどかしては積み上げてきた。
その過程のなかで考古学上重要な遺構も破壊された可能性がある。

 

人類史上の意義

前提として、発掘が全体の5パーセントも進んでいないため、この遺跡に関するいかなる叙述も暫定的なものとして捉える必要がある。
そもそもシュミットは、考古学調査技術の発展も見越してほとんどを手付かずのまま次世代にゆだねるつもりでいた。

遺跡は先土器新石器Aに属しているというのが公式見解であるが、今のところ栽培植物や家畜の痕跡は見つかっていない。
そのためこの地の人々は狩猟採集社会を形作って、しかし1年のうちのいずれかの期間はどこかの村に暮らしていた、と仮定されている。

ごくわずかであるが、住宅地として使われていた痕跡も見つかっている。
放射性炭素年代測定は、上で述べたように、第三層の一番若い部分は紀元前9000年頃に埋められている可能性があると示している。

しかしこの積み重なった遺跡は紀元前1万1000年までには、あるいはもっと早くから神殿としての機能を持っていたのだと考えられている。

つまり遺跡の建造は陶芸、金属工学はいうに及ばず筆記や車輪の発明よりも早い、紀元前9000年前後に起こったいわゆる新石器革命、すなわち農業と畜産の始まりにも先立っている。
にもかかわらずギョベクリ・テペは今まで旧石器時代や先土器新石器Aや先土器新石器Bとは無縁のものと思われていた高度な組織の存在を暗示している

考古学者はあの巨大な柱を採石場から切り出し、遺跡のある100から500メートルを移動させるには500名以上の人手が必要だと見積もっている。
柱は10から20トン、採石場に残されているものは50トンに及ぶ
これらの事実は社会的地位をもった宗教的指導者たちの存在をほのめかしている。

すなわち彼らが作業を監督し、そこで行われた儀式をつかさどったと考えられる。
であるならば、遺跡は聖職者階級の発展を示す最古の記録になる。
これは中近東のほかの地域で発展したこのような社会階級よりもずいぶんと早い。

紀元前8000年の初頭、ギョベクリ・テペは必要性を失った。
農業と畜産業の発展がこの地域の社会に新しい価値観をもたらした。
それにより「ストーン・エイジ・ズー(第三層のこと)」はこの地域の古い社会、すなわち採集社会にとっての価値を失った。

しかしこの建造物はただ打ち捨てられ風雨に侵され、忘れ去られることにはならなかった。
それぞれの遺構は丁寧に300から500立方メートルの廃物に埋められた。
廃物は主に細かい石灰岩の破片と石器によって構成されている。
動物の骨や、中には人間の骨も見つかっている。
なぜ遺構が埋められたかはわかっていないが、それがゆえに遺構が後世にまで残ることになった。

 

考古学上の価値

ギョベクリ・テペは人間社会の発達の歴史の決定的な段階に対する理解を大きく変える可能性を秘めており、考古学上特に重要な発見と考えられている。
スタンフォード大学のイアン・ホッダーは「ギョベクリ・テペはすべてを変えてしまう」と述べている。

ギョベクリ・テペはモニュメンタルなアーキテクツの建設が必ずしも、これまで考えられてきたように、農耕定住社会に限られたことではなく狩猟採集民にも可能だったということを示している。
発掘に携わったクラウス・シュミットが述べるように「神殿から始まり、街が興った」可能性を示している。

マクロな視点から見た場合の意義に限らず、いくつもの柱が並ぶ神殿がこの遺跡を独特なものにしている。
同時代には同じような遺跡は存在していない。

およそ同時代と考えられる建造物であるエリコには美術的要素、大規模な彫刻は見られない。
そしておそらく最も有名なアナトリアの新石器時代の村であるチャタル・ヒュユクはこれよりも2000年若い

現状ギョベクリ・テペの存在は先史時代について明らかにしたことよりもむしろ謎、疑問を多く生み出している。
定住に至る前の社会がこれだけのボリュームの構造物を建設し、拡張し、維持するに足るだけの労働力をどのように動員し、どのような形の手当てが支払われたのかはまったくわかっていない。

また、学者たちはピクトグラムを解読できておらず、これら動物のレリーフが神殿を訪れるものに対してどのような意味を持ったのかという謎も残されたままである。
ライオンからいのしし、鳥、虫に至るこれら描かれた動物の持つ意味に関してはいかなる説明にも何かしらの疑問がついてまわる。
周囲にほとんどまったく居住の痕跡がなく、描かれた動物のほとんどが捕食生物であることを考えると、石はある種の魔よけとしての役割を果たしてきたという考え方も可能である。

あるいはある種のトーテムだった可能性もある。
遺跡が祭式目的に特化したものであるという仮説にも、共同住宅であったのではないかという異論が存在しており、「太平洋岸北西部に見られる、特徴的な柱とトーテムポールで飾られたプランク・ハウスにどことなく似ている」という意見もある。

 


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立てられた石柱が2、30年ごとに埋められ、それよりも小さい同心円上にふただび石柱を立て直すということが繰り返し行われている理由もわかっていない。
埋葬が行われていたとも、いなかったとも言い切れない。
遺構が丁寧に埋められた理由もわかっていない。
さらなる証拠がそろうまで、この遺跡の文化的背景、意義を導き出すことは難しいのが現状である。




出典: 「ギョベクリ・テペ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



このドキュメンタリーを観て、デンマンさんは何か気になったことがあるのですか?



ありましたよ。。。あのねぇ〜。。。この文明も巨石文化なのですよ。。。柱は10から20トン、採石場に残されているものは50トンに及ぶというのです。。。つまり、ストーンヘンジやピラミッド、すでに記事に書いたけれどナンマトルの『海の文明人』にも共通するものがあるのですよ。。。

 


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『海の文明人』


 



また、上の記事の中でも紹介したオリャンタイタンボとイースター島の古代文明とも共通するものがあるのです。。。どちらも巨石文化ですよ。。。遺跡である砦の石組みは高度な技術を持つ古代文明人を想定しない限り不可能な構造物なのです。。。

 


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現代人が最新の技術を使っても、この構造物と同じ石組みを作るのはほとんど困難だということが専門家からも指摘されている。。。なぜなら、インカ文明というのは文字を持たない、車輪を持たない文明なのですよ。。。つまり、この石組みに見られるような高度な技術を持つのであれば、当然、文字を持ち、車輪を利用することができたに違いないと歴史研究家が考えるのも当然です。



つまり、インカ帝国の砦の遺跡だと言われているオリャンタイタンボの石組みは、インカ文明よりずっと前の文明の遺物だというわけですか?

そうです。。。インカ帝国は、古代の文明の遺跡を利用して砦を作ったわけです。。。

インカ帝国よりもずっと以前に、それほど素晴らしい技術を持つ文明が存在していた、とデンマンさんは考えるのですかァ〜?

そうです。。。アンデス文明は約9,500年前(紀元前7500年)頃までに始まったと考えられているのですよ。。。

ずい分前から人が住んでいたのですわねぇ〜。。。

いや。。。ヒトが住み始めたのはもっと前からです。。。南米に人類が住み始めた痕跡を示す遺跡で最古のものは、1万4000年前という年代測定値を示す遺跡が見られる。。。

あらっ。。。そんな前から人が住んでいたのですかァ〜?

確実なのはクローヴィス文化に並行する1万1000年前の基部が魚の尾びれのような形状の魚尾型尖頭器を用いた狩人たちの遺跡である、と言われているのです。。。でも、僕は、もっと前から文明は存在していたと思うのですよ。。。

あらっ。。。それはどういうわけですか?

ちょっと次の小文を読んでみてください。。。

 





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デンマンさんもサントリーニ島が あの伝説の “アトランティス”だと考えているのですか?



いや。。。 無理にサントリーニ島と あの伝説の“アトランティス”を結びつける必要はないのですよ。 “アトランティス”は実際にあったと僕は思うのです。 でも それは、伝説のように大西洋の沖にあったのではなくて、地中海の底に 今でも遺跡として横たわっていると、僕は考えているのです。 つまり、地中海が干上がったことは何度かあった、と僕は仮定しているのですよ。 その何度目かに、高度に発達した文明が地中海の底近くにあった。

 


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地中海の底にあった“アトランティス”

 



ところが、やがて氷河が溶け出して大西洋の水位が上がって、閉まっていたジブラルタル海峡の上を乗り越えて海水が滝のように流れ込んだ。

 


(med002.jpg)

 



大洪水となって“アトランティス”の住民を押し流してゆく。。。これが聖書にも載っている大洪水の歴史的事実ですよ。。。

 


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そして、現在、“アトランティス”の遺跡は地中海の底にある。

 



(atlantis2.jpg+cleoani.gif)

 



この生き残った人たちの子孫が、あるグループはマルタ島に残って巨石文明を、他のグループはクレタ島に残ってミノア文明を、また エジプトに渡った人たちはピラミッドを作ったのですよ。 僕は、そう考えたのです。 これが僕の“マルタ島のロマン”ですよ。




『マルタ島のロマンだ』より
(2016年9月17日)


 



つまり、アトランティスで生き残った人たちの子孫が、あるグループはマルタ島に残って巨石文明を、他のグループはクレタ島に残ってミノア文明を、また エジプトに渡った人たちはピラミッドを作った。 また、あるグループは南米に渡ってオリャンタイタンボの石組みを作ったとデンマンさんは考えているのですか?



そうです。。。

同様に、ナンマトルの巨石の遺跡もアトランティスで生き残った人たちの子孫が地中海から避難してナンマトルに渡ったというわけですか?

そうです。。。

でも。。。、でも。。。、その当時に、地中海からナンマトルや南米に航海することができたのかしら?

信じられませんかァ〜? じゃあ、次のクリップを見てください。。。

 


(nanmadon80.jpg)



 



あのねぇ〜、ナンマトルの遺跡には、カレドニアで見つかる遺跡とすっかり同じものがあるのです。。。上のクリップを見れば、その遺跡を見ることができます。。。つまり、古代人は、カレドニアからナンマトルまで航海できたのですよ。。。



古代人の航海技術は現在の私達には想像がつかないくらい優れていたのですか?

そうです。。。だから、地中海からナンマトルに航海するのも問題はないのですよ。。。事実、南米に渡った最古の人類も、東南アジアから船に乗って渡ったという歴史研究家もいるほどです。。。

要するに、古代でも、地中海からナンマトルや南米に渡るだけの航海技術があった、とデンマンさんは思うわけですか?

そうです。。。

でも、ちょっと信じられませんわァ〜。。。

いづれ、それを証明する考古学者が出てきますよ。。。

ちなみに、高度な技術を持つという古代文明人は、50トンから90トンもある巨石をどうやって運び、どうやって積み上げたのですか

反重力(anti-gravity)を使ったのですよ。。。

 



反重力


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反重力(英: anti-gravity)は、物質・物体に加わる重力を無効にしたり、調節したりする、とされる架空の技術である。
現実の物理学では一般に不可能と考えられてきたもので、多くはSF作品に宇宙航行の基礎技術として登場する。

一般相対性理論では重力は時空の幾何学的な歪みとして解釈される。
歪みのない平坦な時空は重力が存在しない時空であり、そこを基準とすると重力は時空の収縮を示す。

しかし、数学的には時空が膨張するような解を想定することも可能であり、物理学的にはそれを反重力(負の圧力)とみなすことが出来る
十分遠方から反重力場を観測すると重力場の時とは逆に、平坦な宇宙よりも空間が膨張し時間が加速しているように見える。

このような作用を生み出すエネルギーは負のエネルギー(直感的には負の質量と思ってよい)であり、有名なものとしてはワームホールの話題において登場するエキゾチック物質がある。

そのようなSFに近いものではなく多少現実味のある例としては、宇宙の膨張に関わる宇宙定数や真空のエネルギー(ダークエネルギー)が挙げられる。

いずれにせよこれらが示唆する「斥力として作用する重力場」は上手にとれば通常の重力場が作る時空の歪みをキャンセルすることが可能であり、事実上の反重力(厳密には「万有斥力」)として作用する。
これが現代物理学がおぼろげに描く「反重力」である。

また、現在も証拠の真贋を含めて議論が続いている現象として、ハチソン効果がある。

一方、SF作品に登場する反重力の設定は上記のみならず非常に多くの形態がある。

最も有名なタイプは磁力の反発からイメージされたもので、「反重力場」は単純に重力場に反発する場として設定される。

 


(antig11.jpg)




出典: 「反重力」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



つまり、アトランティスで生き残った人たちの子孫は、反重力を利用して巨石を持ち上げたのですかァ〜?



僕は、そう思います。。。最も有名なタイプは磁力の反発からイメージされたもので、「反重力場」は単純に重力場に反発する場として設定されると書いてあるけれど、ジュンコさんも磁石を使うと、引き付けるだけじゃなくて、逆に浮かせることもできるのを見たことがあるでしょう?

確かに、磁石に反発して遠のくこともありますよねぇ〜。。。でも、90トンもある巨石を磁石を使って浮き上がらせたとして、その磁石も90トンぐらいの大きさになるんじゃないですか?

だから、やがて優秀な科学者が登場して、小さな磁石でも巨石を浮かび上がらせることができることを証明してみせますよ。。。

要するに、ギョべクリ・テペの遺跡を構築した人々もアトランティスで生き残った人たちの子孫だとデンマンさんは考えているのですか?

そうです。。。時代を考えてみても納得がゆくし、地中海という近さを考えてみてもありそうなことですよ。。。ジュンコさんも、そう思いませんか?

そうですわねぇ〜。。。確かに、デンマンさんの説明を聞いていたら、そういう可能性もありそうだと思えてきましたわァ。



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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも、地中海の底に“アトランティス”の遺跡が眠っていると思いますか?

ええっ。。。 「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白いことを話せ!」

あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。 じゃあ、面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


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ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


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とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

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頼朝の死の謎

2021-11-16 02:13:13 | ミステリー

 

頼朝の死の謎

 


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デンマンさん。。。 今日は源頼朝の死の謎に迫るのでござ~♪~ますかァ~?


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そうです。。。 いけませんか?

でも、どういうわけで急に 頼朝の死の謎 を持ち出したのでござ~♪~ますかかァ?

実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。

 



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歴史の表層だけを見れば、頼朝と政子は典型的な成功者夫婦であり、誰よりも幸せだったと思われるだろう。
だがその内幕は、そんな生易しいものではなかった。
 
寿永2年(1183)、長女の大姫が6歳の時、頼朝は勃興してきた木曽義仲と手を組み、平家を倒そうとする。
この時、義仲は嫡男で11歳になる義高を人質兼大姫の婿として鎌倉に送ってきた。
だが翌年、この関係も破綻し、義仲は頼朝の弟の義経らによって討伐された。
 
この一報を受けた義高は鎌倉から逃れようとするが、追捕を受けて討ち死にを遂げてしまう。
これによりショックを受けた大姫は心を病み、寝ては起きての生活の末、20歳で死去することになる。
その2年後には次女の乙姫も病死し、政子は二人の女子に先立たれてしまった。
 
しかもこの頃から、頼朝の表立った政治活動が見られなくなる。
実は鎌倉幕府の正史とも言える『吾妻鏡』は、頼朝の死に至る2年余が欠落し、この間、頼朝に何が起こったかを伝えるものは皆無なのだ。
 
この欠落期間、それまで朝廷権力の吸収に余念がなかった頼朝と鎌倉幕府は、なぜか無為無策を続け、朝廷勢力の挽回を許してしまう。
 
それが承久の乱につながっていくのだが、その理由は分かっていない。
しかも建久10年(1199)の頼朝の死去は落馬によるものとされ、少なくとも病床に伏していたわけではないことが分かってくる。
 
では、馬に乗れるほど健康であるにもかかわらず、頼朝はなぜ無為無策に陥ったのか。
鎌倉幕府の文士(吏僚)たちは、いったい何をしていたのか。
これこそは歴史の謎と言っていいだろう。
 
 
 
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
 


 
103-104ページ 『日本史の新常識』
編者: 文藝春秋
2018年11月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


 



なるほどォ~。。。 「頼朝の死に至る2年余が欠落し、この間、頼朝に何が起こったかを伝えるものは皆無」ということは、何か異変が起こっていたということですわねぇ~。。。



でもねぇ~。。。 「頼朝の死去は落馬によるものとされ、少なくとも病床に伏していたわけではない」のですよ。。。 つまり、馬に乗れるぐらいには元気だったというわけです。。。

それにもかかわらず、死ぬまでの2年余りの間、鎌倉幕府の正史とも言える『吾妻鏡』には、何の記載もないということでござ~ますか?

そういうことですよ! 不思議と言えるでしょう! ミステリーですよ。。。

やっぱり、秘密が隠されているのでござ~ましょうか?

そうとしか考えられないでしょう!

。。。で、デンマンさんは、頼朝は馬から落ちたことが死因ではないと考えているのですか?

当然でしょう! 落馬が原因であれば、それまでの2年余りの間、鎌倉幕府の正史とも言える『吾妻鏡』に将軍の頼朝についての記述が一切無いというのは可笑しいでしょう!?

つまり、歴史に残るような、後世に知られてはまずいことが、この2年余りの間に何かが起こったということでござ~ますか?

その通りですよ! だから、仕方が無いので『吾妻鏡』には、何の記載もないのですよ!

でも。。。、でも。。。、歴史家に限らず、『吾妻鏡』を読む人がいれば、その事について奇妙に思うでしょう?

そうですよ。。。 だから上の本でも、著者が奇妙に思って書いているわけですよ。。。

。。。で、デンマンさんは頼朝の死因は何だと思うのでござ~ますかァ?

もちろん、僕には僕なりの死因についての考えがあります。。。 でも、ここで言う前に、これまでにも諸説があるのですよ。。。 それを書き出します。。。

 


頼朝の死因

 

各史料では、相模川橋供養の帰路に病を患ったことまでは一致しているが、その原因は定まっていない。
『吾妻鏡』は「落馬」、『猪隈関白記』は「飲水の病」、『承久記』は「水神に領せられ」、『保暦間記』は「源義経や安徳天皇らの亡霊を見て気を失い病に倒れた」と記している。
これらを元に、頼朝の死因は現在でも多くの説が論じられており、確定するのはもはや不可能である。
死没の年月日については、それ以外の諸書が一致して伝えているため、疑問視する説は存在しない。

 

■落馬説

 


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建久9年(1198年)重臣の稲毛重成が亡き妻のために相模川に橋をかけ、その橋の落成供養に出席した帰りの道中に落馬したということが『吾妻鏡』に記された死因であり、最も良く知られた説である。
その死因が『吾妻鏡』に登場するのは、頼朝の死から13年も後のことであり、死去した当時の『吾妻鏡』には、橋供養から葬儀まで、頼朝の死に関する記載が全く無い。

これについては、源頼朝の最期が不名誉な内容であったため、徳川家康が「名将の恥になるようなことは載せるべきではない」として該当箇所を隠してしまったとする俗説があるが、『吾妻鏡』には徳川家以外に伝来する諸本もあり、事実ではない。
なお、死因と落馬の因果関係によって解釈は異なる。

落馬は結果であるなら脳卒中など脳血管障害が事故の前に起きており、落馬自体が原因なら頭部外傷性の脳内出血を引き起こしたと考えられる。
落馬から死去まで17日あることから、脳卒中後の誤嚥性・沈下性肺炎の可能性がある。

 

■尿崩症説

落馬で脳の中枢神経を損傷し、抗利尿ホルモンの分泌に異常を来たして尿崩症を起こしたという説。
この病気では尿の量が急増して水を大量に摂取する(=「飲水の病」)ようになり、血中のナトリウム濃度が低下するため、適切な治療法がない12世紀では死に至る可能性が高い。

 

■糖尿病説

『猪隈関白記』の「飲水の病」とは水を欲しがる病であり糖尿病を指すとする。
しかしそのような症状があったという記録はなく、可能性は低い。そもそも糖尿病は直接の死因となる病気ではなく、合併症が死因となる病気である。
仮に糖尿病による死だとしたら、当時の人間がそれが死因と認識して「飲水の病」と記録に残すとは考えにくい(藤原道長も「飲水の病」から糖尿病説があるが、これが原因で死去したとの記録は無い。また晩年視力が低下したとの記録があることから、これが糖尿病の合併症ではないかと推測されている)。

 

■亡霊説

『保暦間記』に記されている。
当時は亡霊や祟りが深く信じられている時代であり、信心深い頼朝には義経や安徳天皇の亡霊が見えたのであろうと言う。
医学でいう意識障害のような失調症があったと捉えることもできる。

ただし「亡霊を見た」という記述をそのまま鵜呑みにするだけでは学説とは言えず、現代医学でいう所での疾患名が特定されないことには意味は無い。
原因と結果は逆であり、何らかの病気で意識が混濁した頼朝が亡霊を見た可能性も否定できない。

 

■溺死説

史料は「飲水の病」「相模川橋供養」「水神の祟り」「海上に現れた安徳天皇」など水を連想させる語が多く、溺れたことが死に繋がったのではと見る。
また相模川河口付近は馬入川とも呼ばれており、頼朝の跨った馬が突然暴れて川に入り、落馬に至ったことに由来するとも伝わる。
溺死説の場合、「飲水の病」は川に落ち溺れ、水を飲み過ぎたことを意味すると見る。

 

■暗殺説

 


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頼朝は子の源頼家や実朝と同じく何者かに暗殺されており、その事実を隠すべく『吾妻鏡』への記載を避けたとする。
或いは北条氏に水銀を飲まされて死んだとも言う。
だがいずれも特に根拠はない。

 

■誤認殺傷説

愛人の所に夜這いに行く途中、不審者と間違われ斬り殺されたとする。
ただし証拠以前に、斬り殺した人間、遭いに行く予定の愛人が誰か特定できないことには、学説として成り立たない。




出典: 「源頼朝」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



あらっ。。。 やっぱり、『吾妻鏡』を読んで奇妙に思った人がたくさん居たと見えて、いろいろな説があるのでござ~ますわねぇ~。。。



そういうことです。。。

。。。で、デンマンさんは上の説のどれが事実だったと思うのでござ~ますか?

それに答えるには、まず『吾妻鏡』とは、いったい誰が書いたのか? それを調べるのが先決です!

 


吾妻鏡

 


(azuma01.gif)

 

『吾妻鏡』または『東鑑』は、鎌倉時代に成立した日本の歴史書。
鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、治承4年(1180年)から文永3年(1266年)までの幕府の事績を編年体で記す。

成立時期は鎌倉時代末期の正安2年(1300年)頃、編纂者は幕府中枢の複数の者と見られている。
後世に編纂された目録から一般には全52巻(ただし第45巻欠)と言われる。

編纂当時の権力者である北条得宗家の側からの記述であることや、あくまでも編纂当時に残る記録、伝承などからの編纂であることに注意は必要なものの、鎌倉時代研究の前提となる基本史料である。

 

北条得宗家

得宗(とくそう)は、鎌倉幕府の北条氏惣領の家系。
徳崇、徳宗とも(読みは同じ)。

幕府の初代執権の北条時政を初代に数え、2代義時からその嫡流である泰時、時氏、経時、時頼、時宗、貞時、高時の9代を数える。

「得宗」とは2代義時に関係する言葉で、研究者によって義時の別称、戒名、追号など意見が異なる。
近年では「徳崇」の当て字・略字で、禅宗に帰依した5代時頼が、浄土宗系の宗派を信仰していた義時に贈った禅宗系の追号の可能性が指摘されている。

義時流、得宗家という呼び方もある。
史料においては北条氏嫡流の当主を「得宗」と指した例は少なく、行政用語であったとも考えられている。




出典: 「源頼朝」 & 「得宗」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



つまり、北条得宗家の者が書いたのですわねぇ~。。。



そういうことですよ。

。。。と言う事は、北条氏にとって都合が悪いことが起こったわけですか?

その通りです。。。

。。。つうことわあああァ~。。。 頼朝に愛人ができて、その愛人の夫が北条得宗家の者だったのでござ~ますわねぇ~。。。 それで、その愛人の夫が復讐のために、頼朝を暗殺したのですわねぇ~。。。 そうでしょう?

卑弥子さんは、なかなか察しがいいですねぇ~。。。 実は、その愛人の名が 北条卑弥子 なのですよ。。。

 


(himiko92c.jpg)

 



マジでござ~ますかあああァ~? あたくしの北条系統の祖先なのですかあああァ~? つまり、■誤認殺傷説 ですかあああァ~?



いや、それは 真っ赤な嘘 です! この時、愛人は確定できなかったし、妻を寝取られた殺人犯も居なかった!

こういう真面目なお話のときに 真っ赤な嘘 をつかないでくださいなァ~!。。。 それでは。。。、それでは。。。、頼朝の死因は何でござ~ますかァ~?

■暗殺説 ですよ!

。。。で、その犯人は。。。?

北条時政の命令を受けた北条得宗家の者ですよ。。。 だからこそ、『吾妻鏡』には真相が書けずに、落馬が原因であるかのように書き入れたのですよ。。。

でも。。。、でも。。。、その証拠でのあるのでござ~ますか?

実際に手を下した殺人犯の名前までは分かっていないけれど、■暗殺説 を裏付けるような証拠があるのです。。。

マジで。。。?

ここで僕が、書き出すと長くなるので、次のクリップを見てください。。。

 


(yoritomo3.jpg)


(yoritomo4.jpg)


(yoritomo5.jpg)



 



信じられませんわ!



じゃあ、もう一度じっくりと上のクリップを見てください。。。



(foolw.gif)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。 

あなたは、上の暗殺説を信じることができますかァ~?

ええっ。。。 「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのように あたくしにご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。

分かりましたわ。

では、話題を変えて 天の川の不思議に迫るクリップを お目にかけますわ。。。

 


(milkyway2.jpg)



 

どうでした?

ええっ。。。 「夜眠れなくなるから、そういう動画は見せるな! 気分直しに何か他に もっと面白いことを話せ!」

あなたは、あたくしに向かって、更にご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。!

分かりましたわァ。。。 あなたが、そうおっしゃるのだったら、まずジューンさんの次の写真をご覧になってくださいまし。。。

 


(senya020b.jpg)

 

千夜一夜物語の衣装を着たジューンさんに魅せられて、女性に成りすます男性が たくさん居るのでござ~ますわァ!

ええっ。。。 信じられないのですかァ?

じゃあ、ちょっと次のYouTubeのクリップを見てくださいまし。。。

 


(xdress02.jpg)



 

いかがでござ~ますかァ~?

男性が女装していると思いますかァ?

あたくしは、素直に信じることができませんわァ~。。。

どうですかァ~? けっこうなものでしょう!?

いつまでも見とれていても仕方がありませんわよゥ。

あなたのために古代史の面白い記事を用意しました。

ぜひ お読みください。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

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古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)


 

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


『センスあるランジェリー』



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(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




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