デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

御用金と象男

2021-11-12 03:54:31 | 現実主義者


 

御用金と象男

 


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『現実主義者 馬鹿の見本』

 



引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺
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デンマンさん。。。、御用金と象男 に何でオイラが呼び出されねばならないのですか?


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オマエは不満なのォ〜?

最近、たびたびデンマンさんに呼び出されるので、のんびりと名誉毀損、誹謗中傷、罵詈雑言、嫌がらせのコメントが書けないのですよ。。。

オマエは、365日部屋に引き込もっているので、時間ならば充分にあるだろう!

でも、呼び出されるたびにウェブカムの前で、デンマンさんと顔を突き合わせていれば、気ままに嫌がらせのコメントを書くわけにはゆきません。。。

ウェブカムの会見が終わってから、ゆっくりとコメントを書けばいいじゃないかア!

そういうわけにはゆかないのですよ。。。スキップして喜んだ後では、落ち着いてコメントが書けないのです。。。

昼寝してから書けばいいじゃないかア!

スキップしてからでは、体が火照(ほて)ってきて昼寝もできません。。。

部屋の中を気分が落ち着くまでグルグル歩き回ってから書けばいいのだよ。。。

そんなことより、どういうわけで御用金と象男 にオイラを呼び出してのか理由を聞かせてください。。。

知りたい?

当たり前じゃありませんかア! もし、くだらない理由ならば、オイラはウェブカムを切って、ウンコがしたくなったのでトイレにゆきます。。。

御用金と象男 の話をオマエが聞けば、いつものようにスキップして喜びたくなるんだよ。。。1日中部屋の中で男性ホルモンを全開してムラムラしてコメントを書きまわっているよりも、僕の話を聞けば、オマエも幸せな気分になれるんだよ!

分かりました。。。期待しないで、一応 話だけは聞きます。。。でも、ウンコがしたいので、できるだけ余計なことは話さずに、簡潔に話しを聞かせてください。。。

オマエがウンコをしてから話すよ。。。早くトイレに行ってこいよ!

デンマンさん! ウンコは、あとでゆっくりしますから、話をまず聞かせてください!

 


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3

 

>ニッキースモークさん

ポンコツ恩師『貴方と私は師弟関係ではなく本物の兄弟です』

現実主義者『ありがとうございます♪これからもブログ荒らしをする時は先生を見習ってウンコとションベンを多用させていただきます♪』

確実にあのバカ達(伊藤浩士と現実主義者)は裏でこんな会話してますよ(笑)

 

バカを追う漢 2021-10-30 15:08:35




引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

5

 

貴様みてぇなネトウヨ相手じゃ、

「小山田圭吾にうんこ食わされちまえ」の一つも言いたくならぁ。

 

現実主義者 2021-10-31 22:42:38





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6 Re:無題

 

>現実主義者さん

あは(笑)
そんな事しか言えないんだ?(笑)

へぇ~君そうなると俺以外にもそんな幼稚な事しか言えないのにアンチネトウヨ気取るって笑える(笑)

 (中略)

その俺には幼稚事しか言えないって

相当Yahooブロガーやバークレー(別名:デンマン)さんにコテンパにやられたんだ?(笑)

だから今でも逃げてるんだ?(笑)

手抜いてやろうか?(笑)

 

ニッキースモーク 2021-11-01 03:50:31




赤字はデンマンが強調のため!
イラストと写真はデンマンが貼りつけました。

『現実主義者さんもそれ好きだよ』のコメント欄より
2021-10-29 17:21:55
(ニッキースモークさんのブログ)


 



オマエ、話の途中でウンコをチビラないかァ〜?

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

チビリません! コメントでウンコをたくさん出してますから 後でゆっくりトイレで出します。。。 余計なことはいいですから、すぐに話に入ってください!

オマエがそう言うなら、まず御用金の映画から話すことにするよ。。。バンクーバー市立図書館でDVDを借りて次の映画を観たのだよ。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』


 



御用金


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『御用金』は、1969年5月1日公開の時代劇映画。監督は五社英雄。配給は東宝。
製作はフジテレビジョン+東京映画製作。主演は仲代達矢。
フジテレビがテレビ局として初めて劇場用映画製作に進出し、東京映画と提携して製作した日本初のパナビジョン方式作品である。
この映画のヒットに続き、同年には同じく五社英雄監督でフジテレビ製作第2作目の『人斬り』も作られた。

『御用金』は、キネマ旬報ベストテンでは圏外の第31位だが、興行ベストテンの第6位に入るヒット作となった。
また2004年(平成16年)発表のオールタイムベスト・テン時代劇のランキングでは第69位となった。
公開時の惹句は、「消えた御用金! 激突する剣と謀略! 痛快! スペクタクル娯楽時代劇!」である。

主人公に協力する藤巻左門役には三船敏郎がキャスティングされたが、仲代達矢との衝突から途中降板したため、中村錦之助が代わりに出演している。

このスペクタクル時代劇映画は、海外の映画制作者、映画ファンの間でも評判を呼び、1975年にはリメイク版『ザ・マスター・ガンファイター』がアメリカにて製作・公開された

 

あらすじ(ネタバレ注意!

天保2年(1831年)10月、越前国鯖井藩(鯖江藩をイメージした架空の地)の漁村・黒崎村の漁民30数名全員が一夜のうちに姿を消した。
領民らはこれを「神隠し」として怖れた。

天保5年(1834年)、江戸の浪人・脇坂孫兵衛は、鯖井藩士・流一学らに命を狙われる。刺客らを倒した孫兵衛は、義兄の鯖井藩家老・六郷帯刀が再び「神隠し」を行なおうとし、その前に秘密を知っている孫兵衛の口を塞ごうとしていることを悟った。

3年前の「神隠し」の真相は、六郷帯刀らによる村人虐殺だった。
佐渡島から御用金を運ぶ途中で難破した御用船から漁民たちが引き上げた金を、藩の財政立て直しのために横領し、真相を知る漁民全員を皆殺しにしたのだった。
孫兵衛は金を奪うところまでは了承していたが、村人虐殺までは許すことができなかった。

孫兵衛は、妻の兄で親友でもある帯刀を責め、二度と「神隠し」を行なわないことを約束させるが、武士であることに嫌気がさし、妻と藩を捨てて浪人となった。
しかし帯刀が再び「神隠し」を行なおうとしていることを知った孫兵衛は、それを阻止するために鯖井藩に向かう。
そんな孫兵衛を謎の浪人・藤巻左門が密かに追っていた。

鯖井に向かう途中で、孫兵衛はチンピラたちに追われていた女つぼふり師・おりはを救う。
彼女は黒崎村の生き残りで、「神隠し」のために許嫁と父親を失い、身を落とした女だった。

一方、孫兵衛の行動を察知した帯刀の部下・高力九内らは孫兵衛を待ち伏せし、急襲する。
多勢を相手に傷を負った孫兵衛を救ったのは藤巻左門と、おりはが煽ってなだれ込んで来たチンピラたちだった。

おりはの実家に逃れた孫兵衛は、御用船を座礁させて御用金を奪おうとしている帯刀らの企みを左門とおりはに語る。
孫兵衛は左門が幕府の隠密であることに気付いていたのだ。
ところが、孫兵衛と左門はそこに現れた九内らにあえなく捕らえられてしまう。

孫兵衛と帯刀一派らの死闘が繰り広げられ、最終的には帯刀と孫兵衛の雪の中での血染めの決闘となり、孫兵衛が立ち上がり勝利する

 

三船敏郎の途中降板

当時三船プロ制作部部長の田中寿一は、この時期三船は多忙を極め、疲労の極地であったため、出演依頼が来たときに大反対したというが、三船敏郎は引き受けてしまった。
しかし撮影は真冬の下北半島での極寒の長期ロケであった。撮影何日か目に、三船は後ろ手に縄で縛られ、雪の中に転がされるシーンがあった。

その日の撮影が終了し宿に引き上げ、夕飯時に仲代達矢が三船の部屋を訪ねて酒を酌み交わしていたが、酔うにつれて三船と仲代と口論となり、その夜のうちに三船は夜行列車で帰ってしまった。
慌てた現場スタッフが東宝やフジテレビの上層部に連絡し、幹部たちが上野駅で三船を迎え待つが、三船は口もきかずに自宅に直行[7]。幹部は三船邸にも赴いたが門前払いであった。

三船の酒癖の悪さを知っていたスタッフたちは、酒の酔いが醒めて数日もすれば、現場に戻ってくれるものと楽観視し、幹部も三船を説得していたが、「あんな寒いところごめんだ」と三船は拒み続けた。
すでに三船の出番の80パーセントは撮っていたが、三船は戻らなかった。
映画自体が潰れる危機となり、仲代は責任を感じて、「土地を売ってでも製作費をお返しします」と申し出る事態となり、五社英雄監督は「モヤ、大丈夫だ。お前が謝ることはないよ」と仲代を励ました(「モヤ」は仲代の愛称)。

やがてマスコミが三船の降板を嗅ぎつけて騒ぎ出し、週刊誌やスポーツ新聞に「三船敏郎・仲代達矢が大喧嘩して撮影中断」という記事が躍ったり、両者出演のCMを引き合いに「アリナミンvsポポンS」などと面白おかしく煽ったりしていた。

仲代は友人関係にあった中村錦之助に三船の代役を引き受けてもらおうと直接頼んだ。
錦之助は、「ああ行ってやらあ!」と快く引き受け、騒動は無事に落ちついた。
下北半島にやって来た錦之助は、「おい、随分と寒いところに連れてきたなあ、モヤ。寒くて演技どころじゃないよ。みんなよくやってるよなあマジメに」と言って周囲を笑わせ、疲弊していた現場スタッフを明るくさせてくれたという。

一方その後、三船は降板して迷惑をかけたことで落ち込み、五社監督と東宝に謝罪をした。マスコミには、「胃潰瘍」の診断書を公開し、体調不良による降板と説明した。

丹波哲郎によると、『御用金』の撮影の頃の三船は、黒澤明と決定的に仲が悪化していたという。
そして『御用金』のロケ先の宿で仲代と三船が酒を酌み交わしている時に、三船が黒澤監督の悪口ばかり言っていたので、黒澤組常連の仲代がとうとう怒ってしまい、三船を旅館中追いかけ回した

喧嘩の実力では仲代が三船より上だった為、三船はそのまま東京に逃げ帰り、結局そのまま降板してしまったのだと丹波は語っている。
その後和解はしたものの、黒澤明、岡本喜八作品の多くを彩ってきた両者の共演は、三船と両監督が疎遠になったこともあり途絶えてしまう。

同年夏の「日本海大海戦」での絡みのない共演を経て、10年後の「二百三高地」クライマックスでの明治天皇と乃木大将という形で久々に同一画面に登場。
これが最後の共演となった。




出典: 「御用金 (映画)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




 

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

上の映画はオイラとは全く関係ないじゃありませんかア! 生きてる時代も違うし、チャンバラ映画など、オイラは全く関心がありません! こんなくだらない映画のことを話すのであれば、オイラはウェブカムを切ってウンコしにゆきます。



オイ!。。。オイ!。。。ウェブカムを切るのをちょっと待てよ!。。。上の映画とオマエとは密接に関係あるのだよ! 上の映画は悪人と善人の話なんだよ!

つまり、オイラは上の映画に出ている善人・脇坂孫兵衛の義兄である悪人・鯖井藩家老・六郷帯刀だ、とデンマンさんは言うのですか?

そうだよ。。。オマエが映画の時代である1830年に生きていたら、鯖井藩家老・六郷帯刀になっていたのだよ!

オイラは生まれる時代を間違った、とデンマンさんは言うのですかァ〜?

そうだよ。。。

でも、偏差値30台のクソ大学にしか入れなかったオイラが鯖井藩家老になれたでしょうか?

なれたんだよ! 江戸時代には、たとえオマエが偏差値30台のクソ大学にしか入れないボンクラだとしても、家老の家に生まれたら、家老になれたんだよ! オマエのおじいさんは元校長先生だったのだよ! だから、江戸時代には、オマエのおじいさんが鯖井藩家老になっていたとしても不思議ではない!

なるほどォ〜。。。つまり、家柄がモノを言う時代だったのですねぇ〜。。。

その通りだよ! だから、オマエのおじいさんが鯖井藩家老ならば、オマエの親父さんも、オマエも鯖井藩家老になっていたのだよ。。。

なるほどォ〜。。。オイラのように偏差値30台のクソ大学しか入れない人間には、江戸時代に家老の家に生まれると、すべてがバラ色だったのですねぇ〜。。。

そうなのだよ。。。今のオマエのように、部屋に引きこもって名誉毀損、誹謗中傷、罵詈雑言、嫌がらせのコメントを書きまわっているようなダメ人間ではなかったのだよ。。。

オイラは江戸時代に生まれたかったです。。。

でも、江戸時代に家老の家に生まれたとしてもオマエの場合は、全てがバラ色にはならなかった。。。

なぜ全てがバラ色にならなかったのですか?

なぜならば、春日さんが江戸の浪人・脇坂孫兵衛としてオマエの前に現れるのだよ!

あれっ。。。嫌な予感がしてきました。。。

そうだろう!? 春日さんはオマエの書いたコメントに次のような反応を示したのだよ。。。

 


引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

 

1.

 

また岐阜の腐った鯖に

すり寄りやがったか、ゲスが!!

 

現実主義者 2021-07-10 11:28:05





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2.

 

このコメントには一部、Amebaの健全なサイト運営に

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引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

3.

 

櫻井証や岐阜の腐った鯖なんか

侮辱まみれにしときゃ充分だ、

この櫻井や鯖の仲間が!!

 

現実主義者 2021-07-11 06:20:36





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4.

 

>現実主義者さん

さっさと死になさいと言ってるでしょうが。

何を誤魔化してるんですか、糞野郎


引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

俺はゴミクズでたらいいんですよね?



だったらさっさと死になさいよ。

何で生きてるんですか?

 

春日(佐野直道)2021-07-11 07:45:42





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5.

 

何か私の返信が非表示になってるし

何か間違った事言ってるかな?

 

春日(佐野直道)2021-07-11 07:46:55





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6.

 

>現実主義者よ

蚊帳の外のクセにオメーは伝書鳩か?(笑)

 

バカを追う漢 2021-07-11 14:47:05




7.


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>バカを追う漢さん

これだけ死ねと言われてるのに、
(伊藤浩士先生のような)「恩師」は無反応というね。

つまり、こいつが野垂れ死のうが、
自害しようがどうでもいいって事です。


「恩師2号」(武士:もののふ)に至っては、こちらが
「今度無意味にお前(「現実主義者」)のクソコメを
承認するようなら、
どういうつもりなのか問いただすつもり」と、
こいつ(「現実主義者」)にレスポンスしたら、
その途端こいつのクソコメ
一切承認しなくなりました(笑)

その程度の意志なら、最初から
こんな奴相手にするな
よって思いますね。

ああいう中途半端な態度がこいつ(「現実主義者」)を
増長させてる要因だと言う事は、
何度も言ってきてるんだから。

 

春日(佐野直道)2021-07-11 17:37:20




『容姿差別について③』のコメント欄より
(春日さんのブログ)

『死ねと言われた現実主義者』にも掲載
(2021年7月18日)


 

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

つまり、オイラが江戸時代に鯖井藩家老・六郷帯刀になっていたら、春日が江戸の浪人・脇坂孫兵衛になってオイラの前に現れるのですか?



その通りだよ! それで最終的には鯖井藩家老・六郷帯刀と孫兵衛の雪の中での血染めの決闘となり、春日さんが江戸の浪人・脇坂孫兵衛となって立ち上がり勝利するのだよ。。。

 


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引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

つまり、江戸時代に生きていたらオイラは春日に殺されるのですか?



そうだよ。。。上のコメントのやり取りから、そうならざるを得ないだろう!

。。。で、象男の方はどうなっているのですか?

実は、『御用金』を観た日と同じ日にバンクーバー市立図書館でDVDを借りて次の映画も見たのだよ。。。

 


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ジョゼフ・メリック(象男)


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1862年8月5日 - 1890年4月11日

 

ジョゼフ・ケアリー・メリック(Joseph Carey Merrick )は、ヴィクトリア朝時代のイギリスで、今日では主にプロテウス症候群が原因と推測されている身体の極度な変形、膨張から「エレファント・マン」(The Elephant Man)として知られた人物。

彼を最初に診察した医師フレデリック・トレヴェスがまとめた回想録を基に作家のバーナード・ポメランスが戯曲にした事から世に広まり映画化され、広く知られるに至った

 

出生と両親の出自

1862年8月5日、イングランド・レスターで、ジョゼフ・ロックリー・メリック (Joseph Rockley Merrick 1838-97) を父、メアリー・ジェイン (Mary Jane 旧姓ポタートン Potterton 1837-73) を母として生まれる。父の名と、バプテスト派の信者であった母親の意向により、同派の宣教師ウィリアム・ケアリーに因んで、「ジョゼフ・ケアリー」と命名される。

父ジョゼフ・ロックリー・メリックは、ロンドン生まれの靴下製造業関連の職人バーナバス・メリック (Barnabas Merrick 1791-1856) の子。バーナバスは妻とともに1820年代から30年代の間にレスターに移住している。母メアリー・ジェインはレスター近郊・エヴィントンの出身。その父ウィリアムはレスター近郊のサーマストンで農作業に従事していた人物であった。メアリー・ジェインは六人きょうだいの第一子で、身体に障害を有し[1] ながらも、12歳で基礎教育を修了すると、レスター近郊のある邸宅でメイドとして働き、一時期は日曜学校の教師も勤めた。二人が結婚したのは1861年12月のことで、当時のジョゼフ・ロックリーの職業は乗合馬車の御者であった。

 

家庭環境

夫妻が最初に居を構えたのはレスター市内のリー・ストリートなる地区であったが、付近は入り組んだ路地に沿って小さな住宅が建て混み、上下水道の設備も貧弱、毎年の如く繰り返される近隣のソア川、運河の氾濫の後は一帯が冠水し、あたりは汚水やごみに埋め尽くされる、といった環境下にあった。ジョゼフ・ロックリーは結婚後間もなく紡績工に、次いでより高給の倉庫の作業員に職を転じていて、メリックが生まれたのはその時期のことであった。夫妻は彼のほか、1864年生まれで、生後三ヶ月で天然痘のために夭折した次男ジョン・トーマス (John Thomas)、1866年生まれの三男ウィリアム・アーサー (William Arthur)、1867年生まれの長女マリアン・イライザ (Marion Eliza) を儲けている。マリアン・イライザもまた身体に障害を有していた。

ジョゼフ・ロックリーはウィリアム・アーサーの誕生の少し前に、よりよい生活環境を求めて転居、職も紡績工場の罐焚き夫に転じて、マリアン・イライザの誕生後には紡績工場の機関手となった。1870年頃からはその勤めと並行して自宅で衣料品店を開業し、1880年までは地域の商工業者の一人として名鑑にもその名を掲載されている。店舗と兼用していた住宅も、後には別の地所に家を建てて移り住んだ。

好調と見えた一家の生活であったが、1870年には三男ウィリアム・アーサーが猩紅熱で夭折。母メアリー・ジェインは悲しみにくれつつも、残る子供たちの育児と、衣料品店の切り盛りに忙殺されていたが、メリックが11歳であった1873年に過労に起因する気管支肺炎で倒れ、同年5月に36歳で死去した。父ジョゼフ・ロックリーは自らの仕事のほか、これまでは妻任せであった店、育児をも一手に引き受けることとなり、限界を感じたか家を引き払って一家で下宿生活に入る。下宿の家主はエマ・ウッド・アンティルなる子持ちの寡婦で、ジョゼフ・ロックリーは彼女に育児を手伝ってもらっていたが、翌1874年12月には彼女と再婚、一家はかつて住んでいた衣料品店を再び住まいとした。

 

病変の出現

出生時のメリックの身体には何の異常も認められなかったが、生後21ヵ月頃に最初の病変が、口の下付近の硬い腫れ物として出現、これは数ヶ月のうちに右頬にかけてのこわばった腫瘍となって拡がり、やがて口の中からはピンク色の肉塊が突き出てきて上唇を外側に押し出していった。さらに成長するにつれ、額には骨の瘤が出現、皮膚は弛んできめが粗くなり、右腕、両足の異常な肥大も始まるに至って、全身のプロポーションが損なわれていった。これらはやがて左腕などを除く皮膚、骨格の大部分に及ぶ、終生続く大きな膨張と変形へと進行することとなる。また弟ウィリアム・アーサー誕生のころに転倒して左の腰を痛め、ついで関節炎も併発して、以降終生歩行困難となった。

それでも12歳で公立学校を卒業し、葉巻を製造するメッサーズ・フリーマンズ葉巻製造会社に就職。しかし2年後には右腕の変形が進んで離職せざるを得なくなり、父の支援の元に行商人の免許を取得、父の衣料品店の商品である靴下や手袋などを売り歩いたものの、容姿が災いして営業は困難を極めた。やがてかねてからの継母との不仲もあり家出、簡易宿泊所を泊まり歩く生活をへて、以前からメリックに好意的であった叔父のチャールズ・バーナバス・メリック(Charles Barnabas Merrick)の家に同居人として迎えられたが、このころには症状の進行により、彼が街頭に立つと周囲にパニックが発生するほどになっており、ほどなく行商人免許を剥奪された。やがて自らの意思で叔父の家を出、レスター市救貧委員会に出頭、就労不能を理由に救済を申し立てて受理され、1879年12月、17歳でレスター・ユニオン救貧院に入った。

 

「エレファント・マン」誕生

救貧院での生活に甘んじていたメリックであったが、1884年・22歳の時に奇形者を出演させる興行師兼コメディアンのサム・トー (Sam Torr) の存在を知り、自らの身の上を手紙に認めて送ったところ、トーはメリックと面会して彼を見世物興行の世界に入れることを決め、これに伴いメリックはこの年の8月にレスター救貧院を退所。トーは実業家サム・ローパー (Sam Roper) とJ.エリス (J.Ellis)、奇形者の見世物興行を手がける旅回りの興行師トム・ノーマン (Tom Norman) にジョージ・ヒッチコック (George Hitchcock) の4人からなるマネジメント団を組織、彼らによって「半人半象 (Half a man & Half an Elephant)・エレファント・マン」なるキャッチフレーズが考案された。メリックはおそらくエリス所有の演芸ホール「ザ・リビング」で初舞台を踏み、その後は近隣のいくつかの都市を巡演したものと考えられている。

会場では、メリック自らが半生を綴ったとされる「ジョゼフ・ケアリー・メリックの自伝」("The Autobiography of Joseph Carey Merrick") と題された小文が掲載されたパンフレットも販売されていた。その小文には、彼の奇形が「彼の母親が彼を妊娠中、五月祭で町を訪れた移動動物園のパレードを見物しに行ったところ、誤って行進して来た象の足元に転倒、強い恐怖を味わったことが原因」だと書かれていたが、興行師はこれと同じことをメリックの見世物の開演前に、客に口上として申し述べ、客の好奇心を煽っていた。 

 

医師トレヴェスとの出会い


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この年11月、ノーマンはメリックを伴ってロンドンに出向き、ホワイトチャペル・ロードの見世物小屋で興行をうった。ホワイト・チャペルのロンドン病院の外科医であったフレデリック・トレヴェスはこのことをきっかけとしてメリックの存在を知り、自ら診察。トレヴェスは12月にはロンドン病理学会でジョゼフの症例を報告し、このときにはジョゼフ自身も標本として回覧に供されている。翌年3月には同学会で再びメリックの症例をテーマとした、写真を用いての研究発表が行われ、これをもとにロンドンのユニバーシティ・カレッジの内科医ヘンリー・ラドクリフ・クロッカーはジョゼフを「皮膚弛緩症および神経腫性象皮病」と診断した。

 

ひらかれてゆく心

ロンドン病院収容当初、ジョゼフは身辺に近づこうとする者に疑いの眼をむけ、苛立って震えだすこともあったほか、看護婦が差し伸べてくる手をも怖がったり、今度移されるのなら盲人の収容施設か灯台にしてくれないか、と言うなど、落ち着かない様子が目立ったが、トレヴェスをはじめとする周囲の人々が、彼の口の変形ゆえの 聞き取りにくい言葉に慣れ、次第にそれを理解するようになるにつれ、メリックの態度も次第に穏やかなものになっていった。

トレヴェスもまた、毎日最低一回メリックの部屋を訪れるように努め、日曜日には午前中の数時間をメリックと過ごすようにしており、コミュニケーション上の問題ゆえの、彼が重度の知的障害者なのではないかとの当初の考えをほどなく改めるにいたった。メリックの側も次第にトレヴェスに心を開くようになっていったが、自らの過去、とりわけ父やきょうだいのことは語りたがらなかった。しかし母親に関しては「美しい人だった」と言い、そうした母親からなぜ自分のような人間が生まれたのかを不思議がるのが常であったという。見世物小屋に出ていた頃のことも話したがらないものの、興行師のことは決して悪く言わなかった。ところが救貧院のことに話が及ぶや、激しい怒りをあらわにした、といわれる[20]。

幼少時から、病気ゆえに人間社会から疎外されることが常であったメリックは、その孤独を読書によって癒していたといわれる。読んでいたのは各種の新聞、雑誌、純文学、大衆小説、そして聖書、祈祷書などで、それらは捨てられていたものを拾うなどして偶然に入手したものであったため、得ていた知識も雑駁で偏ってはいたものの、ともかくもメリックは、それらを介して自らの世界観を作り上げていた。

やがてトレヴィスのとりなしで、彼の知り合いである「若くて美しい未亡人」 Mrs.Lelia Maturin との面会を経験するに至り、徐々に他人との交流を求めるようになっていったという。この面会はごく短いものであったが、微笑みつつ部屋に入ってきた Maturin に、メリックは一言も発することができず、やがて彼女の手を離すや嗚咽をもらし、やがてすすり泣いたという。後にメリックは女性に笑いかけられたり、握手を求められたりしたのはこのときが初めてだったと告白した。 Maturinとの親交はその後も続き、彼女からプレゼントを贈られた際にはメリックは感謝の手紙を送っているが、これは今日、現存する唯一のメリックが書いた手紙となっている。

 

上流社会の寵児

カー・ゴムの投稿掲載以降、メリックの存在は上流階級の人々の関心を惹くところとなり、メリックへの面会希望が相次いで寄せられるようになった。彼らは骨董品や絵画、自分たちのサイン入りの写真などといったプレゼントを持参していたが、読書家であったメリックは特に本を贈られることを喜んだといわれる。メリックに関わった著名人の一人には、生涯を通じて慈善活動に積極的だった高名な女優、マッジ・ケンドールもいた。彼女は俳優だった夫を通じてメリックの存在を知り、当時はまだ発明されて日の浅い蓄音機を贈ったり、メリックの希望に応じてかご細工の教師を彼のもとに派遣するなどした。メリックもこうしたケンドールの厚意に応えて最初のかご細工の作品や、看護婦たちの手助けも得て作り上げたボール紙製のマインツ大聖堂の模型を彼女に贈っている。

1887年5月には当時のイギリス皇太子・エドワード(のちのエドワード7世)と、その妃・アレグザンドラがホワイト・チャペルにあるロンドン病院付属医科大学の新館、看護婦寮の落成式に出席した際、メリックの部屋を訪問した。この年のクリスマスにはドルリー・レーン劇場でパントマイム劇「長靴を履いた猫」を観劇したともいわれる。この折にはケンドールの助力により、バーデット・クーツ男爵夫人所有の特別席を使用した。また1889年夏にはナイトレー夫人の厚意によりノーザンプトン近郊のフォースリー・パークに6週間滞在、田舎暮らしを経験した。またこのころ次第に宗教への関心を深め、ロンドン病院付きの牧師トリストラム・ヴァレンタインの影響によりイギリス国教会の教義に親しみ、やがてウィリアム・ウォルシャム・ハウの司式による堅信礼が行われ、同教会に改宗した。

 

突然の死

1890年4月11日、すでにかなりの衰弱をみせていたメリックは、正午まで起き出さないのが通例になっていた。彼の係であった看護婦・アイアランドがこの日も必要な世話をしたが、特に変わった様子はなく、午後1時半にはメイドが昼食を運んで来、好きな時間に食べられるように置いていった。3時を少し回ったころ、定例の午後の回診にきたトレヴェス付きの研修医・ホッジスが、ベッドに仰向けに寝た姿勢で亡くなっていたメリックを見つけた。27歳だった。昼食はメイドが置いていった場所に手をつけずにそのまま残されており、ホッジスは自分の一存で遺体に触れぬほうがよいと判断、先輩であるアッシュの立会いを求め、死後最初の検査はこの両名によって行われた。

死後直ちに検死官ウィン・バクスターによって検死陪審が開かれ、メリックの叔父チャールズ・バーナバスによる形式的な遺体確認のあと、生前のメリックを最後に見たアイアランド、死んでいる彼を最初に見たホッジスがそれぞれ証言、それらにもとづいて、死因は頸椎の脱臼あるいは窒息による自然死と判断された。翌朝の『タイムズ』紙には、「エレファント・マンの死」なる大見出しと共にその詳細が報じられ、ロンドン病院理事長のカー・ゴムのメッセージも併せて掲載された。生前のメリックに支援を寄せた人たちへの感謝の辞とともに、彼らから寄せられた寄付金の残金の今後の扱いとして、各方面に必要と考えられる謝礼を支払った後、病院の一般会計に組み入れる予定である旨が報告された。一方で医学専門誌『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル』にもメリックの最後の日々やその死因などに関する記事が掲載された。

一説には仰向けに寝ることを試みた際の事故、また自殺説も取り沙汰された。ディスカバリーチャンネルが2011年に製作した『蘇るエレファントマン』では、彼の骨格標本を詳細に検査したところ、頚椎の損傷具合から彼独特の就寝方法を取ろうとした際に、頚椎が脱臼し、絶命。そして結果として巨大な頭部の重みで仰向けになった状態で発見された事故と結論付け、自殺説を否定している。

死後、亡骸各部の石膏型および骨格標本が保存されて研究の対象となっているほか、彼の使用した帽子や本人が組み上げた建物の模型等、いくつかの遺品は博物館で見ることができる。皮膚などの組織標本も保存されていたが、第二次世界大戦下で失われた。




出典: 「ジョゼフ・メリック」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




 

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

つまり、オイラが この「象男」に似ているとデンマンさんは言うのですか?



そうだよ。。。外見よりも精神的にこのエレファントマンに似ているのだよ! その事については次の記事に書いた通りだよ。。。

 


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『いびつな現実主義者』


 

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

外見よりも精神的にこのエレファントマンに似ているということは どういうことですか?



エレファントマンはコミュニケーション上の問題ゆえに、彼が重度の知的障害者なのではないかと思われていたのだよ。。。この点、オマエにもコミュニケーションの問題がある。。。それで、多くのブロガーから偏差値30台の馬鹿だと言われ、オマエの恩師の伊藤浩士先生からも精神科のお医者さんに診てもらったほうがいいと助言されたのだよ。。。

 



(igakubu2.jpg)

 

コミュニケーションが苦手で対人関係が築きにくい気質は、「ADHD(注意欠陥多動性障害)」や「アスペルガー症候群」と呼ばれる人たちに見られる特徴と似ている。

ADHDの人には、会議で貧乏ゆすりをするなど落ち着きがない(多動性)、思ったことをすぐ口にしてしまう(衝動性)、仕事でのミスや約束忘れが多い(不注意)といった特徴がある。

また、アスペルガー症候群の人は、空気が読めず、対人関係がうまくいかない(社会性の障害)、人の気持ちを汲みながら話すのが苦手(コミュニケーションの障害)、特定のことに非常にこだわりが強い(常同的・反復的な行動)といった特徴がある。

これらは大人になってから発症するわけではなく、脳の機能障害で起こる生まれつきの発達障害の一種とされている。

近年ではアスペルガー症候群は単独の診断名としては使われなくなり、「自閉症スペクトラム障害(ASD)」に包括される概念として扱われるようになった。

「障害」と言っても言葉や知能の遅れがともなう人から、一見して問題があるようには見えない人までさまざまだ。

とくにADHDやアスペルガー症候群の中には、記憶力や計算能力、創造力などに優れ、天才的な科学者や芸術家として世に名を残した人も多い。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




168-169ページ 『医学部』
著者: 鳥集徹
2018年3月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


 

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

つまり、オイラにも「ADHD(注意欠陥多動性障害)」や「アスペルガー症候群」と呼ばれる人たちに見られる特徴がある、とデンマンさんは主張するのですか?



そうだよ。。。 オマエも上の小文を読んで思い当たることがあるだろう!?

いいえ。。。 思い当たることはありません!

オマエ自身が否定しても、その証拠があるのだよ!

どういう証拠ですか?

ちょっと次の検索結果を見て欲しい。。。

 


(gog00121c.gif)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



ネット不適応者 と入れて検索すると、なんと 21,700,000件もヒットする。。。 そのうちのトップ・ページに、オマエのことが書いてある記事が 金魚のウンコのようにズラズラと出てくるのだよ!。。。

 


ネット不適応者とは

 


(futeki03.png)

『現実主義者 馬鹿の見本』

 

1) ネットでコメントを書き込むのだけれど
  他者との間でのコミュニケーションが
 うまく取れない。

2) ある特定の人物を妄信的に信じるけれど、
  他の人に対しては全く信用しない。
 (例えば、「現実主義者」の場合は伊藤浩士先生)

3) 協調性に乏しい。 
   従って、仲間や同調者がほとんどいない。

4) 人を見下して、例えば相手を
   「人類のウンコ」呼ばわりする。

5) ネットでコメントをやり取りする相手を
   大切に思うことがない。

6) 嘘をつく傾向がある。

7) 何でも言い訳する。

8) ネット上の議論で逃げ癖がある。

9) 誰かの批判をしたり、非難したり、
   不平不満ばかりをネット上で書き込む。

10) 独断と偏見で他人の言うことをまず聞かない。

11) 反省することがない。

12) 常識や教養に欠ける。

13) 努力して自分の教養を高めようとする
    気持ちがない。

14) ネット上で良好な人間関係を
    構築することができない。



 

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

オイラが「ネット不適応者」として、すでにネットで有名になっているのですか?



そうだよ。。。 上の検索結果を見れば一目瞭然じゃないかァ!

つまり、オイラは空気が読めず、対人関係がうまくいかない(社会性の障害)、人の気持ちを汲みながら話すのが苦手(コミュニケーションの障害)、特定のことに非常にこだわりが強い(常同的・反復的な行動)といった特徴を持ったアスペルガー症候群と呼ばれる人たちと同類だとデンマンさんは断定するのですか?

その通りだよ! それに、エレファントマンは幼少時から、病気ゆえに人間社会から疎外されることが常であったと書いてあるけれど、オマエも人間社会から部屋に引きこもって、名誉毀損、誹謗中傷、罵詈雑言、嫌がらせのコメントを書きまわっている。。。また、エレファントマンは、とりわけ父やきょうだいのことは語りたがらなかったと書いてあるけれど、オマエも家族との間で孤立して、家族の誰とも うまく付き合うことができない!

なるほどォ〜。。。言われてみれば、確かに、オイラはエレファントマンと似ているところがあります。。。

。。。だろう? つまり、もし、オマエがエレファントマンのように1880年代のロンドンに生まれて育っていたら、エレファントマンのように若くして30代か40代で亡くなっていたのだよ。。。。

 


(foolkill3.jpg)


(foolrip.png)

 

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

要するに、もしオイラが江戸時代に生まれていたら春日(佐野直道)の先祖に殺されていた。。。1880年代のロンドンで生活していたら病死していた。。。デンマンさんは、そう推測するのですか?



そうだよ。。。だから、今のオマエは50歳を過ぎて引きこもっていても、未だに生きていることをお稲荷さんや、天神様や、仏様に感謝しなければならないのだよ!

デンマンさんの話を聞いていたら、オイラもお稲荷さんや、天神様や、仏様に感謝したくなりました。

そうだろう? 次のようにオマエのことを気づかってくれる めれんげさんにも感謝したほうがいいよ。。。

 




 

「現実主義者」さん。

あんさんは、実は隔世遺伝で

元校長先生のおじいさんの

素晴らしい遺伝子を受け継いでいるのよ。

 

そやから、名誉毀損、誹謗中傷、罵詈雑言

嫌がらせのコメントを書くのに

忙しくしてないで、

休息して、デンマンさんに感謝して

ブログを立ち上げはったらええわァ~。。。

 

そうしやはったら、あんさんも

幸せになれるのよ。

そないにしやはったら、わたしも

あんさんにふさわしい優しい男性を

紹介してあげるわよう。

うふふふふふふ。。。




『現実主義者@休息と幸福』より
(2021年9月3日)


 



オマエは、隔世遺伝で元校長先生のおじいさんの素晴らしい遺伝子を受け継いでいるんだよ。。。だから、眠っている素晴らしい遺伝子を目覚めさせて、まともな人間になるんだよ!

 


(smilerol.gif)

 


わァ~~ うれしいなあああァ~。。。

オイラは爺さんの素晴らしい遺伝子を

目覚めさせて、まともな人間に

なろうと思います。

 

めれんげさんが助言してくれたように

名誉毀損、誹謗中傷、罵詈雑言

嫌がらせのコメントを書くのを止めて

ブログを立ち上げようと思います。

 

そしたら、めれんげさんが

オイラにふさわしい優しい男を

紹介してくれると言うのです。

 

もう、こうなったらバンザイして

喜びたいと思います。。。

 


(banzai30.png)

 

オイラは良心に、目覚めました。

ネット市民の皆様に好かれるように

善良な市民になるよう

心がけようと思います。

 


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『現実主義者 馬鹿の見本』

 

これもデンマンさんが足掛け

5年にわたってオイラのことを

書いてくれたおかげです。

 

この人気を心強い味方にして

ブログを立ちあげれば

多くのネット市民が読みに

やって来るでしょう!

やってみるだけの価値がありそう…

 


(fool65.png)

 

オイラの人生にもやっと

明るい未来が見えてきた…

もう、こうなったら

年のことも忘れて

オイラは喜ばずには居られないのです!

 


(smilerol.gif)

 

わァ~♬~

うれしいなあああァ~。。。

やはり、仏のデンマンさんは

すばらしいです。。。

オイラの事が書いてある記事に

ついに“いいね”が800個を

越しました。


 


(gen21-09-28a.jpg)


『拡大する』

『現実主義者 馬鹿の見本』


 

もうこうなったら、

恥も外聞もなく

天にも舞い上がる気持ちで

スキップしたいと思います。

皆さんもオイラと一緒に

スキップしてくださいねぇ~。

 


(smilejp.gif)

 

わァ~♬~

うれしいなあああァ~。。。

ルンルンルン

ランランラ~♪~ン

もう一つおまけに

ルンルンルン

ランランラ~♪~ン

ああァ~♬~、

うれしいなあああァ~。。。


 




(laugh16.gif)

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そこが天才の偉いとこか

2021-11-12 03:40:06 | 日本人・日本文化・文学論・日本語


 

そこが天才の偉いとこか?

 


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デンマンさん。。。 どこが天才の偉いところなのでござ~ますかァ~?


(kato3.gif)

だから、僕もどこが天才の偉いとこなのか?。。。と疑問に思ったのですよ。。。

その天才というのは誰のことでござ~ますか? アインシュタインですか? それともあの車椅子の宇宙物理学者、ホーキング博士のことですか?

いや、全く違う分野の天才なのですよ。。。

だから、その天才の名前をおっしゃってくださいなァ~。。。

それが、はっきりとその天才の名前は書いてない。。。

その書いてあるものとは何でござ~ますか?

実は、「青空文庫」で芥川龍之介の『一人の無名作家』を読んだのですよ。。。次の箇所にその天才が出てくるのです。

 




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七八年前のことです。
加賀でしたか能登でしたか、なんでも北国の方の同人雑誌でした。
今では、その雑誌の名も覚えて居ませんが、平家物語に主題を取つて書いた小説の載つてゐるのを見たことがあります。

その作者は、おそらく青年だつたらうと思ひます。
その小説は、三回に分れて居りました。

一は、平家物語の作者が、大原御幸のところへ行つて、少しも筆が進まなくなつて、困り果てて居るところで、そのうち、突然、インスピレエシヨンを感じて、――甍破れては霧不断の香を焚き、枢とぼそ落ちては月常住の灯を掲ぐ――と、云ふところを書くところが、書いてありました。

それから二は、平家物語の註釈者のことで、この註釈者が、今引用した――甍破れては……のところへ来て、その語句の出所などを調べたり考へたりするけれども、どうしても解らないので、俺などはまだ学問が足りないのだ、平家物語を註釈する程に学問が出来て居ないのだと言つて、慨歎して筆を擱くところが書いてありました。

三は現代で、中学校の国語の先生が、生徒に大原御幸の講義をしてゐるところで、先生が、この――霧不断の香を焚き……と云ふやうな語句は、昔からその出所も意味も解らないものとされて居ると云ふと、席の隅の方に居た生徒が「そこが天才の偉いところだ」と、独言のやうに呟やくところが書いてありました。

今はその青年の名も覚えて居りませんが、その作品が非常によかつたので、今でもそのテエマは覚えてゐるのですが、その青年の事は、折々今でも思ひ出します。

才を抱いだいて、埋もれてゆく人は、外にも沢山ある事と思ひます。

(大正十五年三月)

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




『一人の無名作家』
著者: 芥川龍之介
発行所: 青空文庫


 



どうですか?。。。 卑弥子さんは京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているから、『平家物語』も専門でしょう?



『平家物語』は鎌倉時代に成立した軍記物でご~ざますわァ~。。。あたくしの専門は平安時代の文学なのでござ~ますう。。。おほほほほほ。。。

でも、日本文化の流れからすれば、『源氏物語』の次に『平家物語』を勉強することになるでしょう?

そうなりませんわよう。。。『源氏物語』の他にも平安文学には『竹取物語』とか『宇津保物語』や、『伊勢物語』、『枕草子』、『落窪物語』、『日本霊異記』、『今昔物語』、『栄花物語』、。。。その他にも、数え切れないほどの平安の物語が、それこそ雨後の筍のように、あちらにも、こちらにもたくさんありますわよう。。。『平家物語』は無骨な田舎者の武士が現れて、刀をひけらかしてチャンバラをするのですわァ。。。野蛮ですわよう。。。あたくしの専門は、そのような野蛮なチャンバラ文学ではござ~ません。。。十二単を着た大和撫子が優雅に、きらびやかに王朝の高貴な雰囲気の中で繰り広げる高尚な文学ですわよう。。。

『平家物語』も卑弥子さんの専門だと思ったから、僕はわざわざ卑弥子さんを呼び出したのですよ。。。じゃあ、卑弥子さんは「大原御幸」のことも建礼門院徳子のことも後白河法皇のことも知らないのですか?

もちろん、知っておりますわ。。。おほほほほほほ。。。これでも女子大学の文学部の教授職に就(つ)いているものですわよう。。。教養として、その程度のことは存じ上げておりますわァ~。。。

じゃあ、上の小文の中に出てきた 席の隅の方に居た生徒が「そこが天才の偉いところだ」と、独言のやうに呟やく意味が分かりますよねぇ~。。。

つまり、デンマンさんは、あたくしに恥をかかせるために呼び出したのでござ~ますかァ~?

別に、卑弥子さんに恥をかかせるために呼び出したのではありません。。。さっきも言った通り、『平家物語』も卑弥子さんの専門だと思ったから呼び出したのですよ。。。

マジで。。。?

もちろんですよ。。。

でも、デンマンさんは意地悪だから、あたくしの知性と教養と専門知識を試そうとしているのではござ~ませんかァ~?

いや。。。どうか考えすぎないでください。。。僕は卑弥子さんを「平成の紫式部」として尊敬していました。

つまり、令和になったので、もう尊敬してないのでご~ざますかァ~?

卑弥子さん!。。。いつまでも、こんな事を言い合っていると読んでいる人が退屈して他のブログへ飛んでしまうのですよ。。。教室の隅に座っていた中学生が「そこが天才の偉いところだ」と、独言のように呟やいたのです。。。その天才とは、誰のことですか?

だいたい、教室の隅に座っている中学生が「そこが天才の偉いところだ」と、つぶやいたぐらいのことで、その天才が誰なのか? それが分からないと言って、この記事を書き始めたことが、そもそもデンマンさんの愚かなところですわよう。。。

あれっ。。。つまり、卑弥子さんは僕を愚か者扱いにするのですか?

だって、考えてもみてくださいなァ~。。。教室の隅の方で、マンガを読んでいた中学生が、『平家物語』とは全く関係ない「天才バカボン」に感銘を受けて、「そこが天才バカボンの偉いところだ」と、つぶやいたのかも知れないじゃありませんかア!

 


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あのねぇ~、卑弥子さん。。。文豪・芥川龍之介が上の小文を読んで感銘を受けたのですよ。。。小文中の中学生が「天才バカボン」のマンガを読んでいたはずがないのですよ。。。少しは真面目に考えてください。。。



分かりましたわ。。。真面目に考えます。。。その中学生が「天才バカボン」を読んでいなかったとしたら、その天才は『平家物語』を書いた作者でござ~ますわよう。。。それ以外に考えられませんわ。。。

僕も実は、そうじゃないかと考えていたのですよ。。。でもねぇ~、それでもイマイチ腑に落ちないのです。。。

どこが腑に落ちないのでござ~ますか?

まず、腑に落ちないのは、注釈者が、『平家物語』の作者が引用した――甍破れては……のところへ来て、その語句の出所などを調べたり考へたりするけれども、どうしても解らないので、俺などはまだ学問が足りないのだ、平家物語を註釈する程に学問が出来て居ないのだと言つて、慨歎して筆を擱(お)くところが書いてありました。。。しかし、注釈者は何も出所が分からなかったと言って嘆くことはないのですよ。

どうしてでござ~ますか? 出所が突き止められないということは注釈者の才能が足りないか?努力が足りないか? そのどちらかですわよう。。。とにかく、嘆いて筆を置くのが当たり前ですわ。。。

卑弥子さんは、『源氏物語』は専門だけれど、やっぱり『平家物語』は専門ではないのですねぇ~。。。

なぜ、急にそのように あたくしを見下げたようなことをおっしゃるのでござ~ますか?

もちろん、僕は『平安物語』は専門じゃない。。。全くの門外漢だと言っていい。。。でも、いつものようにネットで調べまくったのですよ。。。

それで、何が分かったのでござ~ますか?

大原御幸を調べていて次のことが分かったのですよ。。。

 




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大原御幸(おおはらごこう)とは、平氏滅亡後に大原に出家・隠棲した建礼門院(平徳子)を後白河法皇が秘かに訪問したとされる故事。

御幸の真偽については不明だが、『平家物語』諸本、説話集『閑居友』に記述がある。

『閑居友』は「かの院の御あたりの事を記せる文(後白河院の周辺の事について記した文)」から書き写したとしている。

『平家物語』には多くの異本があり、諸本による話の違いが大きい。『平家物語』は一人の作者が最初から順を追って書いたものではなく、様々な記録文書・伝承を編集して作られた。膨大な作者・編者による数知れぬ改編作業によって生み出された諸本はどの本が原型か断定できるものではなく、どの本にも古い面と新しい面が混在している。

大原御幸の章における徳子の語りも、諸本により内容が大きく異なっている。

源平盛衰記では、対面してすぐに徳子は後白河に激しい恨みの言葉を並べ立てている。 (略)この後白河への恨みの言葉は長門本や四部本にも見られ、特に長門本では六道語りの二倍以上に及んでいる。

(中略)

覚一本では六道語りの地獄道における、安徳天皇入水の場面が異様に長い。しかし肝心の地獄の描写は、最後の「後に残された人々のわめき叫ぶ声が地獄の罪人のようだった」という部分だけで、安徳天皇入水は地獄の比喩とは必ずしも言い難い。

一方、延慶本では徳子が安徳天皇の入水について、六道語りとは別立てで語っている。延慶本は恨み言の語りがない代わりに、安徳天皇の回想が最も詳細な部分となっている。

また『平家物語』は徳子の生き残った理由について、壇ノ浦の場面では「海に飛び込んだが武士に引き上げられた」としながら、大原御幸の場面では「母に生き残るように説得された」とするなど、相互矛盾を引き起こしている。

これらのことから、安徳天皇入水の場面は本来は『平家物語』とは別のもので、後から取り入れられたものではないかと考えられる。

『平家物語』以外で唯一、大原御幸を記す『閑居友』ではそのほとんどが安徳天皇の回想で占められている。ここでの徳子は後白河への恨みも六道も語らず、ひたすら我が子と母のために祈る平凡な女性であり、徳子の実像に近いように思われる。

 


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徳子と共にいる尼について『平家物語』は阿波内侍・大納言典侍とするが『閑居友』は固有名を記していないことからも、『閑居友』の形が原型であり『平家物語』はそれを取り入れて脚色したのではないかと推測される。

もっとも『閑居友』自体が「かの院の御あたりの事を記せる文」によって書いたとしているので、『平家物語』も直接「かの院の御あたりの事を記せる文」から取り入れた可能性もある。

覚一本の六道語りでは、畜生道は龍宮の夢の話になっている。しかし、他の五道が徳子の苦しみを伴う体験であるのに対して、畜生道だけが夢の話であるのは無理にこじつけた感がある。

一方、延慶本・四部本・源平盛衰記は畜生道を兄(宗盛・知盛)との姦淫(道義に外れた男女の交わり)とする。宗盛・知盛・徳子は同母兄妹であり、これは近親相姦としか言いようがない。覚一本は琵琶法師のテキストとして作られた語り本であり、あまりに刺激的な近親相姦の話は削除せざるを得ず、代わりに龍宮の夢を畜生道に当てたと思われる。

(中略)

近親相姦の真偽は一切不明である。宗盛・知盛・徳子ら一門の人々が同じ船に乗るのは当然のことであるし、船内の様子を見ていたのは平氏の人々に限られる。平氏の人々が都に戻って、そのような悪意ある噂を流したとも考えにくい。したがって問題は、なぜ『平家物語』の編者がこのような話を六道語りに取り入れたかということになる。

(中略)

六道語りは『平家物語』の中で最も仏教的色彩の濃い部分であり、徳子を道徳的に貶める畜生道の語りも、当時の仏教における女性観を反映したものと推測される。

 


(genpei01.png)

 

もっとも六道語りの畜生道を、そのような仏教的観点で全て説明できるわけではない。源平盛衰記は、徳子と宗盛の姦淫を都落ち以前にまで遡及させ、安徳天皇を宗盛の子としたり、徳子と義経の姦淫もあったと記す。

これらは他本にはなく、源平盛衰記の加筆と判断して間違いない。

源平盛衰記は荒唐無稽な話を多く挿入し、全体的に暴露趣味・露悪趣味といった傾向がある。零落した元中宮・国母に対して卑俗な視線を注いだ編者がいたことを示すものといえる。




出典: 「大原御幸」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



これを読めば分かるように『平家物語』は多くの異本があり、諸本による話の違いが大きいのですよ。。。しかも一人の作者が最初から順を追って書いたものではなく、様々な記録文書・伝承を編集して作られたのです。。。多数の作者・編者による数知れぬ改編作業によって生み出されたもので、どの本が原型か断定できない。。。



『源氏物語』とは、全く違った経過をたどって作られた物語なのですわねぇ~。。。

そういうことですよ。。。だから、大原御幸の章における徳子の語りも、諸本により内容が大きく異なっているわけです。。。引用の出所が分からないと言って嘆いて筆を置いた上の小文中の注釈者が、そういう事を知っていれば、嘆いたり悩むこともなかったのですよ。。。

確かに、出所を探し当てたとて、余り意味がありませんわねぇ~。。。そもそも、いろいろな記録文書や伝承を寄せ集めてできた物語のようですから。。。

ところで、卑弥子さん、問題になった引用の部分は現代語に訳すと、どういう意味になるのですか?

次のようになると思いますわァ~。。。

 



 


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甍(いらか)破れては

霧不断の香を焚き、

枢(とばそ)落ちては

月常住の灯を掲ぐ




【現代語訳】

屋根瓦は壊れて、霧は絶え間なく

香を焚くかのように(見えます)、

落ちた扉の隙間からは、

月が常夜燈を掲(かか)げているようです

 


(abaraya2.jpeg)

 



 



要するに建礼門院徳子が住むことになる寂光院は当時、人が住めそうもない荒れ寺だったと言ってるわけでしょう?



上の引用の部分を読む限り、そのようでござ~ますわ。。。

だから、その意味が分かれば、それがどこから引用したのか? そんな事はどうでもいいことなのですよ。。。僕はそう思います。。。出所など調べる必要を僕は感じないのですよ。。。

確かに、言われてみれば、注釈者が出所の件で頭を悩ますほどのことではありませんわ。。。

。。。でしょう? 国語の教師は「昔からその出所も意味も解らないものとされて居る」と云ふのですよ。。。出所は分からないかもしれないけれど、意味は歴然としているのです。。。「荒れ寺」だと言いたいだけなのですよ。。。

 


(abaraya2.jpeg)

 



それを聞いて、席の隅の方に居た中学生が「そこが天才の偉いところだ」と、呟やいた。。。芥川龍之介は、この中学生の呟きを理解したようだけれど、僕には全く何のことなのか?理解できない。。。まるで禅問答のようですよ。。。卑弥子さんには何だか分かりますか?



考えれば考えるほど分からなくなりますわ。。。

。。。でしょう? だから、僕は、芥川龍之介が、何か誤解しているのか、勘違いしているのではないか?。。。そう思ったのですよ。。。人間、完ぺきな人はいませんからねぇ~。。。完璧な人が居るとすれば、それは神様だけですよう。。。

。。。で、デンマンさんは、どうしたのですか?

その無名の作家を探しだそうと思ってネットで調べ始めたのですよ。。。

突き止めたのですか?

突き止めました。。。読んでみてください。。。

 




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中谷治宇二郎(なかやじうじろう)という “無名作家”がいた。
世界で初めて人工雪の製作に成功した物理学者・中谷宇吉郎の弟である。

治宇二郎が 石川県の小松中学五年のときに書いた小説に、『獨創者の喜び』というのがある。
平家物語に主題を取って書いた、短い小説である。
これを芥川竜之介が読んで、いたく感動して、『一人の無名作家』という短文を残している。

学生だった治宇二郎は、同窓の文学青年たちと 『跫音』という名前の同人雑誌を出していた。
『獨創者の喜び』もその雑誌に載せられていたのだが、この雑誌を菊池寛のところへ送っていた。
菊池がそれを芥川に見せたものらしい。
このことは、早世した弟を回顧して、中谷宇吉郎が 『百日物語』の中で述べている。

この小説 『獨創者の喜び』は、三回に分かれている。

 


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 (中略)

中学校の国語の先生が、生徒に大原御幸の講義をしているところで、先生が、この--甍破れては霧不断の香を焚き・・・というような語句は、昔からその出所が解らないとされていると言うと、席の隅のほうにいた生徒が 「ふん、そこが獨創者の喜びだ」と独り言のように呟くところが書いてある。

治宇二郎は、自分の身の一部のごとく、平家物語を深く深く理解していたのであろう。

物語の各所に、自分にしか解しえない輝きを見つけ、‘獨創者の喜び’を味わっていたに違いない。


(後略)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




YAMADA IRONWORK'S
『私本大原御幸』より


 



やっぱり芥川は間違って記憶していたのですよ。。。中学生は「そこが天才の偉いところだ」と言ったのではなく「ふん、そこが獨創者の喜びだ」と呟いたのですよ。



。。。で、上の文章で中学生の呟いた意味が上の小文を読んでデンマンさんに理解できたのですか?

分かりましたよ。。。この無名作家は『平家物語』が多くの異本があり、諸本による話の違いが大きいことを知っていたのですよ。。。更に一人の作者が最初から順を追って書いたものではなく、様々な記録文書・伝承を編集して作られた事実も知っていた。。。

だから、どうだというのでござ~ますか?

だから、出所など調べる必要がないことも知っていた。。。なぜなら、「荒れ寺」と書くのは余りにも平凡なので、その部分を編集した担当者が「甍(いらか)破れては霧不断の香を焚き、枢(とばそ)落ちては月常住の灯を掲ぐ」と書き直したのですよ。。。つまり、その編集者が獨創者の喜びを感じたに違いない、と中学生は思ったのです。。。



(laugh16.gif)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。
あなたはデンマンさんの説明に納得できましたかァ?

ええっ。。。 歴史には興味がないのォ~?

そんな事を おっしゃらないでくださいましなァ~。。。

じゃあ、あなたにも興味がある話題を。。。

 


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どうして小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

あなたは ご存知でござ~♪~ますかァ?

実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。
現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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メチャ面白い、

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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。


卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。





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