孟夏と猛暑
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すんまへん。。。
デンマンさんが
言いたいことがある、
と言うので、またバカ
バカしい事を言うのだろうと
思いますが、
出てきてしまいました。
うへへへへへ。。。
オイラは誹謗中傷、罵詈雑言、
嫌がらせのコメントを
書くのに忙しいのですけれど
いつものようにデンマンさんの
バカバカしい話を聞きたいです。
あなたもオイラと一緒に
くだらない話を
聞いてくださいね。
お願いします。
きゃはははははは。。。
■『現実主義者 馬鹿の見本』
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デンマンさん。。。今日はオイラとは全く無関係なタイトルを掲げて呼び出しましたが、一体何を言おうというのですかァ〜?
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オマエは、「関係ない!」と言うけれど、実は大いに関係がある。。。
それは、どういうことですか?
実は、オマエの恩師である伊藤浩士先生が、最近 次の記事を書いた。。。
孟夏
2022-06-30 08:00:00
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孟夏と書くと、孟と猛を混同して、猛は盛んなさまだから盛夏のことだと思う人がいますが、孟は初めの意ですから初夏のことになります。
旧暦の四月が孟夏です。
旧暦では四月、五月、六月が夏で、孟夏、仲夏、李夏と時候を分けます。
七月初旬に立秋がくるので七月は秋になります。
中国では兄弟は上から、孟、伯、仲、叔、李と呼ばれます。
親の兄を伯父と書き、親の弟を叔父と書くのはここから来ています。
春秋のころの諸侯の重臣として、伯孫家とか、叔孫家とかいった名が出て来ます。
諸侯である公の次男の孫が起こした家が伯孫家と呼ばれて、公の四男の孫が起こした家が叔孫家と呼ばれるのです。
姓は公の分家ですから同じであり、この呼び方は屋号のようなものでした。
漢朝を創始した劉邦は史記には、父は太公、母は劉媼、字(あざな)は李と書かれていますが、太公は爺さんといった意で、劉媼は劉婆さんといった意で、李は字などといった上等なものではなく、ただの末っ子という意であり、親の名も伝わらない、字も持たない階層の出身だったことが分かります。
古事記は原本はもちろん、平安時代や鎌倉時代の写本も伝わっておらず、室町初期の応安五年(1372年)ころに筆写された真福寺(大須観音のこと)が保有している真福寺本が最古とされています。
そのために古事記に関しては、日本書紀をタネ本にして鎌倉期に書かれた偽書ではないかという説もありました。
真福寺本よりも古い写本が発見されたというニュースが過去にあって、内容も怪しげだったのですが、巻末に孟夏八月と筆写した月が書かれていたので、旧暦で暮らしていた人が孟夏を八月だとするはずがない、これは今の暦で暮らしている人間が書いたものだと直ぐに分かったそうです。
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『孟夏』より
(2022年6月30日)
伊藤浩士先生のブログ
この記事がオイラと関係があるのですか?
オマエの恩師が書いた記事じゃないかァ! オマエも読んだろう?
いえ。。。ネトウヨのことでも、尿漏れ防止パンツを穿いた新潟のアゴナガハゲこと、初老童貞野郎のサンメリのことでもないので、オイラは初めの2行だけ読んでスルーしました。。。
あのさァ〜、伊藤浩士先生は歴史小説を書いている作家なんだよ! いつまでも、サンメリさんを目の敵にして、オマエのように執拗に嫌がらせの記事を書くのじゃなくて、歴史に関する上のような素晴らしい記事を沢山書いて欲しい。。。オマエからも伊藤浩士先生に、そう伝えて欲しい。。。
いやです。。。伊藤浩士先生には、尿漏れ防止パンツを穿いた新潟のアゴナガハゲこと、初老童貞野郎のサンメリのことで、これからも痛烈な非難の記事を沢山書いてもらいたいのです。。。ところで、デンマンさんは全文を読んだのですか?
もちろん、全文を読んだよ。。。とても勉強になった。。。実は、僕も孟と猛を混同して、猛は盛んなさまだから盛夏のことだと思ったのだよ。。。
デンマンさんも愚かなところがあるのですねぇ〜。。。
あれっ。。。オマエは「孟夏」が旧暦の四月を意味することだと知っていたのォ〜?
知るわけないでしょう! オイラは偏差値30台の誰でも入れるような定員割れのクソ大学を卒業したのですよ。。。「孟夏」も「盛夏」も、オイラにとって どうでもいいことですよ。。。興味もありません!
あのさァ〜、僕に対して「デンマンさんも愚かなところがあるのですねぇ〜」と言っておきながら、オマエ自身は、全く無関心であることを、まるで自慢するかのようにネットで公言している。。。
いけませんかァ〜?
オマエが恩師と崇(あが)めている伊藤浩士先生が書いた記事を、本来ならば じっくりと読んで真面目なコメントを書き込まねなばならないところなんだよ。。。
でも、オイラは、こういう記事には全く興味がありません。。。じゃあ、これで帰らせてもらいます。。。
オイ!。。。、オイ!。。。、待てよ! ここまで付き合ったんだから最後まで付き合えよ!
でも、オイラは、こういう衒学的(げんがくてき)な文章を最も嫌うのです。。。名誉毀損、誹謗中傷、罵詈雑言、嫌がらせのコメントを書くのに忙しので これで帰ります。。。
オマエが帰ったら僕は困るのだよ! 伊藤浩士先生が書いた上の記事とオマエは切っても切れない関係があるのだよ!
取って付けたようなデマカセは言わないでください。。。
デマカセじゃない!! 最後まで付き合えば、オマエもスキップして喜びたいほどの話が待っているのだよ!
マジで。。。? じゃあ、余計な事は言わなくても結構ですから、なるべく手短に簡潔に話を聞かせてください。。。
実は、伊藤浩士先生が書いた上の記事を読む前に僕は「三国志」の第94話を観ていたのだよ。。。
この上のクリップに、あの有名な「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という古代中国のあの有名なシーンが出てくるのだよ!
蜀軍が五丈原から撤退を開始した、との報告がもたらされます。
このタイミングで蜀軍が退くのは、何か深い理由があるはず・・・
しかし、これまで諸葛孔明(しょかつ こうめい)の策にさんざん痛い目にあわされた司馬懿(しば い)です。
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司馬懿
なおも慎重な姿勢を崩しませんが、
諸将の勧めに応じ、五丈原へ真相を確かめに行きます。
五丈原の陣中は白い旗が掲げられていたため、
「孔明は死んだ」と確信するのは郭淮(かくわい)。
司馬懿は、なおも孔明の策ではないかと疑いますが・・・
結局、そのまま追撃を続行。陳倉道へと達します。
すると、にわかに蜀の伏兵が襲い掛かってきますが、
司馬懿はその数が少ないこと、谷に入り込む前に襲い掛かってきたため、
敵が焦っている様子から、孔明が死んだのだと確信して
追撃を続けようとします・・・
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諸葛孔明(前方)と阿斗
しかし、続いて四輪車に乗った人影を押し出して、
姜維(きょうい)が陣頭に出てきたため、
「やはり孔明の策であった」として、被害が広がるまえに全軍撤退を命じます。
蜀軍は、その隙に漢中へと撤退していきました。
その夜、孔明の訃報が確実なものとわかり、司馬懿のもとにもたらされます。
司馬懿が見たものは、孔明が生前に造らせた木像でした。
大変な恥辱に、司馬懿はのたうちまわって悔しがります。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」
現地の人々には、そのように噂されるほどだったそうです。
司馬懿は、かくも孔明を恐れていた。
後世の者たちはきっと噂をし続ける、100年先までも・・・
そして、司馬懿が言ったことは本当になりました。
100年どころか、2000年近い時を経た今も私たちの間に伝わっています。
『第95話(最終話)「司馬氏、天下を統一す」』より
オマエもこの有名な故事を歴史の授業で聞いたことがあるだろう?
ありません。。。歴史の先生が説明していた時にオイラは居眠り中だったと思います。。。
そうか。。。知らないのかァ〜。。。僕は上のクリップを観て、この司馬懿に興味を持った。。。それでウィキペディアで調べてみた。。。
司馬懿
(shibai09.jpg)
司馬 懿(しば い)は、中国後漢末期から三国時代にかけての武将・政治家。
魏において功績を立て続けて大権を握り、西晋の礎を築いた人物。
字は仲達(ちゅうたつ)。西晋が建てられると、廟号を高祖、諡号を宣帝と追号された。
『三国志』では司馬宣王と表記されている。
河内郡温県孝敬里出身。司馬防の次男で、楚漢戦争期の十八王の一人である殷王司馬卬の12世孫にあたる。
司馬氏は代々尚書などの高官を輩出した名門の家柄で、司馬懿自身幼い頃から厳格な家風の下に育った。
兄に司馬朗(伯達)が、弟に司馬孚(叔達)・司馬馗(季達)・司馬恂(顕達)・司馬進(恵達)・司馬通(雅達)・司馬敏(幼達)らがいる。
司馬家の8人の男子は字に全て「達」が付き、聡明な者ぞろいであることから「司馬八達」と呼ばれた。
ただ単に八人の達たちということでなく、「八人の達人」という意味合いにかけている。
妻に張春華、息子に司馬師・司馬昭らが居る。
兄の司馬朗と同様に曹操に出仕した。
司馬懿は若年の頃から聡明で、博覧強記・才気煥発で知られ、優秀な人物が揃っていた司馬八達の中でも最も優れた人物といわれていた。
『晋書』「宣帝紀」によると、司馬懿は苛烈な性格であったが感情を隠すのがうまく、内心激しい怒りを抱いている時も表面では穏やかに振る舞ったという。
逸話
「狼顧の相」といい、首を180度後ろに捻転させることができたという。
この噂を聞きつけた曹操が、本当か試すためにいきなり司馬懿の後ろから名前を呼んだところ、真後ろに振り向いたという。
『晋書』宣帝本紀では、曹操がこの相を見て「この男性は遠大な志を抱いている」と警戒し、曹丕に「彼は心中に野望を秘めており、一介の家臣として終わるつもりはなかろう」と語ったという。
ただし、本来「狼顧」というのは「狼が用心深く背後を振り返るように、警戒心が強く老獪なこと」を指す言葉である。
評価
司馬懿の死後、その権力を継承した司馬師と司馬昭は魏の皇帝を廃立し、最終的に孫の司馬炎が禅譲を受けて皇帝に即位した。司馬懿自身が生前に簒奪の意図を明示したという記録はないが、後世の評価としては魏王朝の簒奪を考えていたとされることが多い。これを井波律子は「司馬懿は文帝・明帝の遺命を受けながら、最終的に魏王朝の簒奪をもくろむ裏切り者の烙印を、これまた千古に押された」と評している。
司馬氏の西晋を滅ぼした一人である後趙の石勒は、司馬懿が郭太后を利用したことを、曹操が献帝を利用したことに引き比べて非難している。「大丈夫(立派な男性)たる者、磊磊落落(「磊落」の強調)、日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、曹孟徳(曹操)や司馬仲達父子(司馬懿・司馬師・司馬昭)のように、孤児(献帝)や寡婦(郭太后)を欺き、狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」と、発言している。
東晋の明帝は西晋の成立過程を聞き「ああ、どうして我が朝が長続きしようか」と悲嘆したという。
吉田松陰は、君道と臣道を厳別し、その著書講孟箚記(講孟余話)の中で君道の上の教戒として「曹操・司馬懿、智術を揮ひて一時を籠絡すと云へども、天下後世誰か其の心を信ずる者あらん。名づけて姦雄と称し、永く乱臣賊子の亀鑑とす。噫、畏るべきかな。抑操・懿の如き臣あるは、皆人君の罪なり。最も人君の恥なり。況や君に告ぐるの体、君をして戒懼の心を起さしむるを要とす。何ぞ必ずしも此の章を削り去ることを用いんや。」と記し、乱臣賊子の見本として挙げ、曹操や司馬懿のような臣下があるということは、君主自身の罪であり君主にとって最大の恥であるとしている。
中国で売られている三国演義トランプでは、諸葛亮と並んでジョーカーになっている。小説『三国志演義』後半の主人公格である諸葛亮の最大のライバルとして、魏国の武将の中では曹操に次いで知名度は高い。ちなみに、司馬懿はいわゆる軍師の代名詞である諸葛亮とよく並べられるために、メディアなどで「軍師」と冠されることが多いが、史実では参謀というより将軍としての活躍のほうが遥かに多い。また、丞相や相国といった国政を司る役職には一度も就いていない。
出典: 「司馬懿」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィキペディアで調べて、デンマンさんは何か発見したことでもあるのですか?
あるのだよ。。。オマエの恩師の伊藤浩士先生が上の記事で「中国では兄弟は上から、孟、伯、仲、叔、李と呼ばれます」と書いている。。。
それが どうだというのですか?
上のウィキペディアには、「司馬懿の兄に司馬朗(伯達)が、弟に司馬孚(叔達)・司馬馗(季達)・司馬恂(顕達)・司馬進(恵達)・司馬通(雅達)・司馬敏(幼達)らがいる」と書いてある。。。つまり、長兄(孟達)、司馬朗(伯達)、司馬懿(仲達)、司馬孚(叔達)・司馬馗(季達)・司馬恂(顕達)・司馬進(恵達)・司馬通(雅達)・司馬敏(幼達)という9人の兄弟がいたことが分かる。。。
でも、上の説明では8人と書いてあります。。。
長兄がいたのだけれど、夭折して歴史に名前を残してないのだよ。。。
なるほどォ〜。。。
それに、兄弟の6番以下は、顕、恵、雅、幼と呼ばれたに違いない。。。司馬恂(顕達)・司馬進(恵達)・司馬通(雅達)・司馬敏(幼達)。。。
なるほどォ〜。。。で、オイラがどこに関係するのですか?
死せる諸葛孔明が仕えたのが劉備なんだよ。。。この劉備の息子に阿斗(あと)と呼ばれた男がいた。。。
阿斗
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諸葛孔明と阿斗(後方)
[名]<喩>他人の保護に頼る人;無能な人物.能なし.
[語源]三国時代の蜀の後主劉禅の幼名
父親の先主劉備が関羽・諸葛孔明らとともに建てた蜀漢を滅亡させた人物で,母親が懐妊したとき,北斗七星の夢を見たため,阿斗と呼ばれた.
他真是个扶不起的~ (彼は本当に救いようのない能なしだ.)
『コトバンク(阿斗)』より
つまり、この男の幼名は馬鹿の代名詞になったのですねぇ〜。。。
そうなんだよ。。。中国の古典に親しんだ人ならば、この男の名前を知らない人はいない。。。ところで、どういうわけで馬鹿という言葉が生まれたのか? オマエは知ってるゥ?
偏差値30台のクソ大学を卒業したオイラには敷居の高い質問です。。。
次のような逸話が残っているのだよ。。。
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むかし、むかし、今を去る2、000年以上も昔、司馬遷が書いた『史記(秦始皇本紀)』の中に「鹿をさして馬となす」という故事がでてくる。
趙高(ちょうこう)は趙の公族として生まれ、秦に官吏として仕えるようになった。
晩年の始皇帝にその才能を寵愛されることとなり、始皇帝の身辺の雑務を全てこなした。
趙高は勤勉なことと法律に詳しいことから始皇帝の末の皇子・胡亥(こがい)のお守役を拝命する。
始皇帝の五度目の行幸にも参加するが、始皇帝が行幸中に病死すると、丞相(首相)の李斯(りし)を強引に抱き込み、その遺言を書き換えて、太子の扶蘇(ふそ)を自決に追い詰め、末子の胡亥を即位させる。
この時、遺言には扶蘇が葬儀を取り仕切るよう記されていた。
すなわち実質上の後継指名である。
これもあり、即位することを胡亥は躊躇(ちゅうちょ)したが、趙高が無理やり説得する。
趙高自身は郎中令という大臣に就任する。
そして、胡亥を丸め込み、宮中に籠らせて贅沢三昧の生活をさせ、自らは代わって政務を取り仕切って実権を握った。
胡亥の傀儡(かいらい)ぶりは著しく、首相の李斯ですら趙高の仲介なくしては胡亥に奏上も適(かな)わなかった程である。
やがて、趙高は胡亥を亡き者にして自分が皇帝につこうという野心にかられるようになる。
ある日、群臣が自分のいうことを聞くかどうか、ある事を試みた。
趙高が宮中に「珍しい馬がおります」と鹿を連れてきた。
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しかし、どう見ても馬には見えず胡亥は「これは鹿ではないか! だいいち、角がはえている馬など見たことがない!」
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そう言うと呆れたのを通り越して胡亥は馬鹿バカしいと思った。
群臣の中にも、馬鹿バカしいと思った者もたくさん居た。
しかし趙高が怖いので誰もが必死に笑いを抑えるのだった。
趙高は黙り込む群臣に向って言った。
「君らはどう思う? これは馬だろう!?」
趙高の権勢を恐れる者は馬と言い、屈しない者は鹿と言った。
趙高はその場はちょっとした余興ということで納めたが、後日、鹿だと答えた官吏を、軒並み捕らえて処刑した。
これにより反対者を粛清した趙高は胡亥を殺した(望夷宮の変)。
この時、劉邦(りゅうほう)軍と密かに内通を画策したが、劉邦からは全く相手にされなかった。
胡亥の後継として、人望の厚い子嬰(しえい)を擁立し、全てを胡亥のせいにすることで自身への非難をかわそうとするが、趙高を憎悪する子嬰と韓談(かんだん)らによって、屋敷に呼び出されて趙高は殺害され、一族も皆殺しにされた。
これにより秦国内は大いに士気が高まったが、時すで遅く、既に関中へ劉邦軍が入っており、首都の咸陽(かんよう)の目前に迫っていた。
子嬰は観念して降伏し、ついに秦は滅亡した。
『馬鹿の起源』より
(2017年6月12日)
なるほどォ〜。。。それで「馬」と「鹿」の上のエピソード「鹿をさして馬となす」から「馬鹿」という言葉が「愚か者」を意味するようになったと言うのですねぇ〜?
その通りだよ。。。
でも。。。、でも。。。、長々とデンマンさんが話してきましたけれど、いったいオイラがスキップして喜ぶような素晴らしい話というのはどうなったのですかァ〜?
もちろん、オマエが喜ぶ とっておきの話があるのだよ。。。その話のためにオマエを呼び出したのだから。。。
焦(じ)らさないで、さっそく聞かせてください。。。
じゃあ、まず次の検索結果を見て欲しい。。。
(gog22-07-04.jpg)
■『拡大する』
■『現時点での検索結果』
■『君は本当に馬鹿だよね』
現実主義者は馬鹿 と入れて検索したのですねぇ〜。。。
そうだよ。。。すると、なんと 7,390,000件もヒットする!
でも。。。、でも。。。、検索結果の上位に出てくるのは、主にデンマンさんが書いた記事ですよ。。。
誰が書いた記事なのか? それは問題じゃない! 僕が何を言いたいかと言うと、「現実主義者」と自称するオマエが「馬鹿の見本」として、人の嫌がるコメントを書き回って蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われている。。。そういうわけで、「現実主義者」という言葉が「阿斗」や「馬鹿」と同様に「愚か者」を意味する言葉として定着するようになったという事を僕は言いたかったのだよ!
マジっすかああああああああァ〜〜? つまり、日本流行語大賞に選ばれるのも時間の問題ですかァ〜。。。!?
そうだよ。。。日本テレビのプロデューサーが「現実主義者が馬鹿を意味するようになった秘話」という番組を制作するために、年内にオマエと連絡を取るはずだよ。。。
ホンマですかァ〜?
まず間違いないよ!
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わァ~~ うれしいなあああァ~。。。
「現実主義者」というオイラのハンドル名が
「愚か者」を意味するようになり
日本流行語大賞に選ばれると
デンマンさんが太鼓判を
押してくれました。
これが喜ばずにいられるでしょうか?
もうこうなったら、恥も外聞もなく
天にも舞い上がる気持ちで
スキップしたいと思います。
皆さんも、またオイラと一緒に
スキップしてくださいね。
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このぶんだと国民栄誉賞がもらえるのも
決して夢ではないと思います。
50歳を過ぎてオイラも
やっとバラ色の人生を
迎える事ができそうです。
これもデンマンさんを含めて
紐パン姿で応援してくれた
ジューンさんと由美さんのおかげです。。
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わァ~~ うれしいなあああァ~。。。
ルンルンルン ランランラ~♪~ン
もう一つおまけに
ルンルンルン ランランラ~♪~ン
ああァ~、うれしいなあああァ~。。。
あなたも、もう一度オイラと一緒に
スキップしてくださいねぇ〜♬〜。
(smilejp.gif)
(gen-yumi.gif)
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あなたもバカバカしくなって
他のブログへ飛びたい気持ちに
なったでしょう!?
どう見ても、もうしばらくの間は
正気に戻れそうもありませんわ。
デンマンさんも私もこの男のことでは
ずいぶんと助言をして
きたのですけれど、
明日になれば すっかり
忘れてしまうかも知れませんわ。
そういうわけで、
期待はしないまでも
長い目で見守りたいと思います。
うふふふふふふ。。。
(kimurahana.jpg)
誹謗中傷の書き込みが原因で
悩みに悩んだ挙げ句に
自殺した木村花さん。
ご冥福をお祈りします。
■ 『現実主義者と木村花さん』で助言。
■『現実主義者と美ギャル』でも助言
■『馬鹿の見本なのね』でも更に助言
(foolw.gif)
【レンゲの独り言】
(manila07.gif)
ですってぇ~。。。
あなたは「現実主義者」さんのように部屋に引きこもって退屈まぎれに、嫌がらせのコメントを書きまわらないでくださいね。
レンゲさん! ちょっと失礼します。
(manila05b.jpg)
あらっ。。。「現実主義者」さんではありませんか! どうして、あたしの目の前に出てきたのですか?
デンマンさんに質問するのを忘れたのです。。。レンゲさんならばオイラを馬鹿にしないで答えてくれると思うのです。。。次の英語の意味はどういうことですか? 教えて下さい。。。
(fool911x.png)
■『ボロックスと現実主義者』
これは、デンマンさんが次の画像を基にしてコラージュしたのですわ。。。
(bolox10.jpg)
Bollocks to Brexit というのは Brexit に反対の政治団体がキャンペーンのスローガンに採用した文句なのですわ。。。つまり、「BREXITに反対しよう!」ということです。。。
するとBollocks to 現実主義者 というのは 「現実主義者に反対しよう!」ということですか?
そうです。。。現実主義者さんが、誹謗中傷、罵詈雑言、嫌がらせのコメントを書くことに反対しようということですわ。。。
レンゲさんも、オイラが誹謗中傷、罵詈雑言、嫌がらせのコメントを書く代わりに、ブログを立ち上げることを期待しているのですか?
もちろんですわ。。。あなたがブログを立ち上げたら、あたしも応援しますわ。。。
そうですか。。。じゃあ、今夜じっくりと考えてみます。。。
そうしてくださいね。。。
ところで「紐パンツ」のゴムで、有名なバッハの曲を演奏した面白い人が居ます。
ぜひ聴いてみてくださいなァ。。。
(gsen04.jpg)
どうでしたか?
ええっ。。。「他に面白い話はないのですかァ~?」
では、太田将宏さんのお話でも。。。
これまで、太田さんはデンマンさんに さんざ馬鹿にされたので
そのお返しをしたのですわァ。
だから、太田さんは次のサイトで抗議録を公開したのです!
(kogiroku9.png)
■『実際の抗議録』
(デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!)
デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。
■『嘘を書く日記』
太田さんはこれに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。
でも、そのうち忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。
あなたは、どう思いますか?
とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。
太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。
中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。
また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。
スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、
相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って
読者に登録してしまったりするものですわァ。
どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。
悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと
てぐすね引いて待っているのですから。。。
悪徳サイトを利用して、
メールアドレスで登録したりすると、
あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。
あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには
騙されないと思い込んでいるでしょう?
でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。
とにかく気をつけてくださいね。
次回も、さらに面白い話題が続きます。
あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。
では。。。
(hand.gif)
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