デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

確信という誤解

2023-08-21 03:42:45 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

確信という誤解

 


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デンマンさん。。。、どういうわけで確信という誤解を取り上げるのでござ〜ますかァ?


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あのねぇ〜、僕は昨夜、古今亭志ん朝の『柳田の堪忍袋』という落語を聴いたのです。。。その噺の中に確信という誤解を見たのですよ。。。

 


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あらっ。。。感動的な人情噺ですわねぇ〜。。。



そうです。。。この噺は、もともと講談のネタで、それを落語にした噺です。。。三代目春風亭柳枝が得意とした。近年では五代目古今亭志ん生、そして子息の十代目金原亭馬生、三代目古今亭志ん朝の得意ネタになった。

 



柳田の堪忍袋 あらすじ

 


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彦根藩井伊家の藩士である柳田格之進は、生来の正直さが災いして主家から放逐され、浪人になった。
その後、妻に先立たれ娘のおきぬとともに浅草阿部川町の裏店に逼塞している。

今日の米にも困る暮しぶりだが、そんな中にあっても武士の誇りを捨てない実直な人柄は少しも変わることはない。
彼を慕う浅草馬道一丁目の両替商、万屋源兵衛とともに碁を打ち酒を酌み交わすのが、ただ一つの楽しみだった。

8月15日の夜、格之進は万屋宅で月見の宴を張り、いつものように離れ座敷で碁を打つ。
格之進の帰宅後、番頭の徳兵衛は主人の源兵衛に碁の最中に預けた50両はどうなりましたかと尋ねる。
そこで50両の大金が無くなっていることに気づき徳兵衛は格之進を疑うが、源兵衛は「あのお方に限ってそれはない、仮にそうだとしても何か仔細があったのだ」と、番頭を諭す。

しかし、徳兵衛は主人に内緒で格之進宅に赴き50両の行方を問いただす。
「いやしくも身共は武士、何ゆえあってかような疑いをかけるか」と激する格之進に対し、徳兵衛はいずれにしても大金が消えたのは事実だから奉行所へ金の紛失を届けるという。
たとえ身に覚えはなくとも、奉行所の取り調べを受けることは不名誉とし、格之進は明日までに金の支度をすると約束する。

格之進は自害するつもりで、おきぬにそれとなく別れを告げるが、おきぬは自ら吉原へ行き金を工面するという。
そして盗んでない以上、いずれ50両は見つかるでしょうから、そうしたらその金で身請けし、源兵衛と徳兵衛を斬って武士の体面を守ってくださいと言い、格之進は断腸の思いで娘を売って金を作る。

格之進は、やってきた徳兵衛にあくまで自分は盗んでいないと念を押して金を渡し、もし50両の金が見つかった場合は、どうするつもりか?と尋ねる。
金がある以上、格之進が盗んだと確信した徳兵衛は二つ返事で、もし金が見つかったら自分と主人の首を差し出すことを約束する。

徳兵衛は帰ってくると主人に事のあらましを報告する。
仮に格之進が盗んでいたとしてもほっとけば良いと考えていた源兵衛は怒り、余計なことをして柳田様に無礼を働いたと叱り飛ばす。
そして謝罪するべく急いで格之進宅へ向かう2人であったが、既に家は引き払われた後だった。
しばらく源兵衛は格之進を捜すよう店の者に言いつけるか、次第に忘れられ年の瀬となった。

年末のすす払いで、無くなった50両が見つかる。
そこで源兵衛は小用の際に自分が隠したことを思い出し、格之進に申し訳ないことをしたと悔やみ再度、彼を捜すよう店の者達に号令を出した。

年が明けて正月の4日、徳兵衛は年始回りの帰りに湯島天神の切通しで、身なりの立派な武士から声を掛けられる。
それは柳田格之進であり、聞けば、格之進は主家への帰参が叶い、今や江戸留守居役に出世したのであった。
徳兵衛は震えながらも格之進に付き合い茶屋へ入ると、咽びながら50両が見つかったことを話し詫びる。
これを聞いた格之進はからからと笑い、明日、店へ参るから首を洗って待てと伝える。

徳兵衛から話を聞いた源兵衛は翌日、彼を無理に外に使いに出すと、死を覚悟して格之進を迎える。
そして源兵衛は自分が格之進へ取り立てを命令したと徳兵衛を庇い、首を討つのは自分だけにして欲しいと言う。
そこに主人の思惑に気づいていた徳兵衛がやってきてあくまで自身が勝手にやったことだと訴える。

2人の言い分を聞いた格之進は刀を抜くが首ではなく碁盤を真二つに斬る。
格之進は庇い合う2人の情けに打たれ斬るに斬れなかった。

日頃の貧しい生活を知っていた源兵衛は、どのように50両を工面したのかと格之進に尋ねる。
娘が親子の縁を切って吉原に身を沈めて工面した50両だと格之進は正直に答える。

源兵衛は、恐縮して徳兵衛に命じ おきぬを見受けした。
これを機会に、柳田家と万屋家の親交まますます親密になり、やがて番頭の徳兵衛と おきぬは結ばれ夫婦養子として万屋家に迎えられる。
やがて男の子が生まれると、その子を格之進が養子に迎えて、柳田家の跡目を相続させる。




出典: 「柳田格之進」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



つまり、徳兵衛は格之進が盗んだと確信したのですわねぇ〜。。。



そうです。。。だから格之進が、やってきた徳兵衛にあくまで自分は盗んでいないと念を押して金を渡し、もし50両の金が他の場所で見つかった場合は、どうするつもりか?と尋ねる。。。徳兵衛にしてみれば、盗んだのは格之助に違いないと確信していたから、「もし金が見つかったら自分と主人の首を差し出す」と軽々しく答えたのですよ。。。絶対に、50両の金が出てくることはない、と確信していたからです。。。

源兵衛は、格之助が50両の金を盗むような人ではないと、信じていたけれど、徳兵衛のオツムの中では格之助以外に盗む人はいないと信じたのでござ〜ますわねぇ〜。。。

そういうことです。。。結局、格之進が50両を盗んだという徳兵衛の思い込みは確信という誤解だったのですよ。。。

この噺は、現実にあった出来事だったのでしょうか?

いや。。。あまリにもよく出来た噺なので、僕は現実にあった出来事だとは思えない。。。格之助が300石の留守居役として帰藩したと言うけれど、正直すぎてウザい人物だと思われていた人が帰藩したとは考えにくい。。。

でも、それはデンマンさんの確信という誤解なのではありませんかァ〜?

あのねぇ〜、現実の世界を見てみると、上の話のようにハッピーエンドにはならないのですよ。。。徳兵衛のように思い込みを「確信」と信じて、不幸や悲劇を招いてしまう。。。例えば、「50両」が出てきても見て見ぬ不利をして、徳兵衛は何が何でも自分の思い込みを真実として押し通るのですよ。。。

そういう事件が実際にあるのでござ〜ますかァ〜?

あったのです。。。次の記事で書いた事件ですよ。。。

 



 

警視庁のメンツ

 


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デンマンさん。。。、警視庁のメンツ に関わるような事件を日本で起こしたのですかァ〜?


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僕は、そういう だいそれたことはしません。。。いたって善良で従順な人間ですよ。。。

そう言う人に限って世界を騒がせるような事件を起こすものですわァ〜。。。

僕はバンクーバーに住んでいるのですよ。。。わざわざ日本で凶悪事件を起こすような理由がありません。。。

じゃあ、いったい どういうわけで 警視庁のメンツ を取り上げたのですか?

あのねぇ〜、ユーチューブで「人間ドキュメント」を探していたら次のクリッぷに出くわしたのですよ。。。

 


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この事件が起きた時、僕は日本に帰省中でテレビの速報を見て驚いた記憶があるのです。。。



いったい どういう事件だったのですか?

次のような事件だったのですよ。。。

 



警察庁長官狙撃事件

 


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警察庁長官狙撃事件は、1995年(平成7年)3月30日に当時警察庁長官の國松孝次が何者かに狙撃された事件である。

2010年(平成22年)3月30日に、殺人未遂罪の公訴時効(15年)を迎えた未解決事件である。

1995年(平成7年)3月30日午前8時31分頃、國松孝次警察庁長官が出勤のため東京都荒川区南千住の自宅マンションを出たところ、付近で待ち伏せていた男が拳銃を4回発砲。

國松はそのうち3発を腹部などに受け、日本医科大学付属病院高度救命救急センターに搬送された。
一命は取り留めたが、全治1年6か月の瀕死の重傷を負った。

男は自転車でJR南千住駅方面に逃走するのが通行人に目撃され、現場からは、朝鮮人民軍のバッジや大韓民国の10ウォン硬貨が見つかったという。

狙撃から1時間後にテレビ朝日に電話がかかる。
電話の声は、國松に続く次のターゲットとして、井上幸彦警視総監や大森義夫内閣情報調査室長らの名前を挙げて、教団への捜査を止めるように脅迫した。

10日前の3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、オウム真理教に嫌疑が向けられて8日前の3月22日に、オウム真理教関連施設への一斉強制捜査が行われていた

國松は手術中に心臓が3度も止まり危篤状態にまで陥ったが、2ヵ月半後には公務へ復帰した。

銃を発砲した犯人は身長170 - 180 cm。黒っぽいレインコートに白いマスクを着用し、黒っぽい帽子を被っていたとされている。

 

捜査

オウム真理教信者だった警視庁巡査長(事件当時31歳)は取り調べに対し、犯行の具体的な状況や、銃を神田川に捨てたことを1996年(平成8年)5月には詳細に供述していた。

 


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しかし、警視庁公安部はその事実を警察庁に5ヶ月間報告せず、世間に明るみに出ることもなかった

同年10月、マスコミ各社に「犯人は警視庁警察官」とする告発文書が捜査関係者と思われる匿名の人物から郵送され、10月25日には各社が供述を報道し始める。

同年10月27日には「銃を捨てた」という供述に基づき神田川を捜索するも、事件から既に1年半以上経過しており、川底にヘドロが堆積していたこともあり発見には至らなかった。

物証が発見されず、供述に矛盾点が多いとして立件は1997年(平成9年)6月に見送られた。

なお、この巡査長はオウム幹部に情報を漏洩したとして1996年11月に懲戒免職され、1997年1月には地方公務員法違反容疑で書類送検されるものの起訴猶予処分となった。

この供述を警察庁に報告しなかった責任から、警視庁は公安部長更迭と警視総監辞職に到った

またテレビ朝日に脅迫電話をかけたとして教団建設省幹部が1995年9月に職務強要罪で逮捕された。
最新の声紋鑑定機器での鑑定や電話の録音音声を複数の信者に聞かせた結果では90%の確率で同一人物とされたが「現段階での起訴は困難」として不起訴となった。

特別捜査本部は1999年(平成11年)に捜査のやり直しを決定し、捜査員が元巡査長との接触を繰り返すと新たな供述が捜査結果と合致するようになったことから、事件発生から9年余りを経た2004年(平成16年)7月7日、元巡査長の会社員、岐部哲也・教団防衛庁長官(当時)、教団建設省幹部の計3人が殺人未遂容疑で警視庁に逮捕された。

さらに、教祖・麻原彰晃の最側近だった当時の石川公一・教団法皇官房次官(事実上の長官)も島田裕巳宅爆弾事件の爆発物取締罰則違反容疑で別件逮捕された。

しかし、元巡査長の供述が二転三転し、他の3人も当初から「自分は関係ない」と事件との関わりを否認するなど、証拠固めが困難になってきたことや容疑者らと実行犯との関係と役割が解明出来ないことから、東京地検は勾留期限を前に全員を処分保留とし7月28日に釈放され、9月17日に不起訴となった。

 


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警視庁の特別捜査本部は、坂本堤弁護士一家殺害事件などで死刑判決を受けた早川紀代秀と端本悟を現場指揮役と実行犯と疑っているが、2人は犯行を否定している。

2008年(平成20年)3月、オウム真理教とは関係ない別の強盗殺人未遂事件で逮捕された男が犯行を示唆する供述をしていると報道された。

 


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公訴時効後

2010年(平成22年)3月30日午前0時に公訴時効到来。

3月30日には、警視庁公安部長青木五郎が記者会見を開き、公訴時効が午前0時を以って成立したことと共に、この事件がオウム真理教の信者による組織的なテロリズムであるとの所見を示したが、この記者会見に対し、識者から批判が相次いだ

記者会見では、14ページの「捜査結果概要」を公表し、この中で麻原を含めた教団元幹部や元信者ら計8人(麻原を除く7人は匿名)について、それぞれの行動や会話内容などを列挙したものの「犯行に関与した個々の人物やそれぞれの役割を、刑事責任の追及に足る証拠をもって解明するには至らなかった」とした。

 

犯行説

警視庁内部では、公安部がオウム犯行説を主張し、刑事部が強盗殺人未遂犯による犯行説を主張し、捜査方針が対立していた。

 


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犯行直後の狙撃現場の証拠はオウム犯行説に分があるとされ、凶器に関する証拠については強盗殺人未遂犯説に分があるとされていたが、どちらも決定的な決め手が欠けている。




出典: 「警察庁長官狙撃事件」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



つまり、この事件は警視庁内部で公安部と刑事部が対立していたのですねぇ〜。。。



そうなのですよ。。。双方とも縄張り意識があって、情報を共有しないのです。。。この事件が起こる10日前の3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、オウム真理教に嫌疑が向けられ、8日前の3月22日に、オウム真理教関連施設への一斉強制捜査が行われていた。。。しかもオウム真理教信者だった警視庁巡査長(事件当時31歳)が自首してきた。。。こういう経緯から、公安部が担当して、オウムが関係あると言う前提で捜査を始めたのですよ。。。

公安部というのはどういう事件を扱うわけぇ〜?

あのねぇ〜、警視庁公安部は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の人権指令により廃止された警視庁特別高等警察部の後継組織とされているのですよ。。。だから、戦前の特高が扱うような事件を担当するわけ。。。つまり、国家の安全を脅かすような事件ですよ。。。だから、このテロ事件は公安部が担当することになったわけです。。。

つまり、警視庁の中では刑事部よりも威厳があるわけねぇ〜。。。

建前は上下の関係じゃなく同等なのだけれど、警視庁は唯一公安部を置いており、所属警察官約1100名を擁し、最大規模の公安警察官を抱えているのですよ。。。

じゃあ、どういうわけで刑事部が関わりを持ったのォ〜?

刑事部と言っても、殺人事件を扱う捜査一課が別の強盗殺人事件を捜査しているうちに、中村泰が「警察庁長官狙撃事件」と関係あることを突き止めたのですよ。。。

 


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あらっ。。。東大を中退しているのねぇ〜。。。学費が収められなくなって中退したのォ〜?



いや。。。学生運動にのめり込んだのですよ。。。中村は、教えを受けていた教授にノーベル賞がもらえるほど優秀だったと言われた。。。

 


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そもそも、中村が「警察庁長官狙撃事件」と関係あると思われたきっかけは、中村が現金輸送車から5000万円を奪って逃走したことなのですよ。。。



その捜査をしているうちに「警察庁長官狙撃事件」と関係あるモノが出てきたのですか?
 
そうなのですよ。。。スクラップブックに、「警察庁長官狙撃事件」のおびただしい新聞記事や週刊誌の記事が、ベタベタと貼ってあったのですよ。。。

そもそも、どういうわけで5000万円を奪ったのですか?

活動資金ですよ。。。中村は、暴力革命を目指していたのです。。。

暴力革命だなんて、精神に異常をきたしたのではありませんかァ〜?

でもねぇ〜、あの学生運動を経験した人たちの中には、革マル派とか、中核派の活動家になって、ハイジャックしたり、テルアビブ空港で乱射事件を起こした人がいるのですよ。。。だから、中村が暴力革命に走るには、それほど突拍子もない事ではないのです。。。しかも、中村の生い立ちを見ると、暴力革命に走るのもうなずけるのです。。。

 


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5.15事件に関わった橘孝三郎が主宰する「愛郷塾」に中村が入門したのは17歳の時です。。。革命思想は中村にとって少年の頃から慣れ親しんでいた思想なのですよ。。。

 


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中村は実際に革命に参加したのですか?



参加したのです。。。中村は強盗殺人罪で刑務所で服役している間にスペイン語を独学してチェ・ゲバラの言行録を読み漁(あさ)ったのですよ。。。

 


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刑務所を出所したのが45歳。。。その年でニカラグアへ飛んで革命軍に加わろうとしたけれど、休戦状態になり野望を達成できずに帰国したのです。。。

 


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45歳を過ぎてニカラグアの革命軍に参加するなんて、普通の人には出来ませんよねぇ〜。。。



中村は行動の人なのですよ。。。警察官も射殺しているけれど、彼にとって犯罪は暴力革命の資金集めに必要な事だから、罪悪感は意識してないと思いますよ。。。

でも、見つかれば刑務所で服役しなければならないでしょう。。。中村は青春を刑務所の中で過ごさなければならなかった。。。そうでしょう?

しかし、刑務所の中でも無為に過ごしてませんよ。。。スペイン語を独学して、チェ・ゲバラの言行録を読みふけったと言うのだから。。。

。。。で、なぜ警察庁長官を狙撃したのですか?

あのねぇ〜、中村は軍事訓練を受けるために渡米したのです。。。

 


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この訓練を受けたおかげで、拳銃の腕前は50代にしては素晴らしく、後で担当の刑事が、警察学校の銃撃の教官よりも優れていると言ったほどですよ。。。その素晴らしい銃撃を見ていた林という男が「日本人ですか?」と声をかけたことで、二人は同じような考えを持っており、意気投合したのです。。。



二人は一緒に暴力革命を起こそうと話しあったのですか?

そうです。。。中村がニカラグアの話をすると、海外じゃなくて日本で起こすべきだとうことになり、二人は武器、弾薬をアメリカで購入して、分解して日本へ密輸したのです。。。

 


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日本へ帰って、これからの暴力革命の準備をしている時に、立て続けにオウムの事件が起きた。。。警察の捜査が甘くて、サリン事件が起きると、中村は日本の警察の甘さにムカついた。。。当然、警察のトップは責任を取らねばならない! そういうわけで警察庁長官を殺害して責任を取ってもらおうとしたわけです。。。



それにしても公安部は全く見当違いな捜査をしていたわけですわねぇ〜。。。

そうです。。。オウムが警察庁長襲撃事件の前に、あれだけの事件を起こしたのだから、公安部がオウムがやったのだろうと思うのは当然のことです。。。でもねぇ〜、刑事部がこうして中村がやったと、完全に裏付けを取ったにもかかわらず、公安部はオウムにこだわりを見せた。。。

 


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しかも、事件が時効になったときの記者会見で、ぬけぬけと何の根拠もないのに公安部はオウムがやったテロだと決めつけたのですよ。。。こうして記者会見を開いたのが公安部だから、犯行がオウムと関係なかった、と言ったら面目丸つぶれ。。。そう思って、こういう猿芝居をうったのです。。。

 


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刑事部の捜査員が見たらお笑いモノですよ。。。



どうして、そのようなごまかしを公安部は本気でしたのですか?

警察というものは、事件が起きると、まず自分たちに都合の良い筋書きを書くのですよ。。。それに沿って捜査を始める。。。だから冤罪が多い。。。でも、もともとオウムとは関わりのない事件を追っていた刑事部捜査一課は、中村のスクラップブックに警察庁長官狙撃事件の新聞や週刊誌の記事がベタベタと貼ってあるのを見つけ中村が犯行に関わっていると思ったわけです。。。

でも、そういう情報が解っているのに、公安部はどうして刑事部の捜査を認めないのですか?

だいたい、オウムの犯行だと筋書きを書いた公安部にとって、刑事部が真犯人を突き止めたというのは、認め難い。。。つまり、公安部のメンツですよ。。。

でも、警視庁のトップまでが公安部に迎合することはないではありませんか?

警視庁のトップも、公安部の部長から初めに説明を受けた時にオウム犯行説に同意したのですよ。。。つまり、公安部の言うことを同意した警視庁のトップもメンツにこだわったわけです。。。

そういう事があるのですか?

あるのですよ。。。組織というのは、そういうものです。。。

 


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刑事部捜査一課長の佐久間さんはマジで悔しかったでしょうねぇ〜。。。



佐久間さんだって組織の中の人間ですからね、警視庁トップに楯突(たてつ)くわけにはゆかないのですよ。。。

それで泣く泣く組織の決断に従ったわけですか?

そういうことです。。。こういうところは、まさに日本的ですよ。。。アメリカやカナダでは、上司に対して間違いを指摘することは当たりまえのことです。。。

でも、上司にペコペコする人も居ますわ。。。

人間ですからね。。。日本人に似ているアメリカ人やカナダ人も居ますよ。。。

ところで中村さんはその後どうなったのですか?

 


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現金輸送車襲撃事件などで無期懲役が確定、岐阜刑務所で服役中です。。。上のビデオを制作した当時、90歳です。。。もしかすると、すでに亡くなっているかもしれません。。。



上の手紙は、捜査一課長の佐久間さんに当てたものですか?

いや。。。この事件を追及した事件記者が中村さんと何回となく面会して、熱意にほだされて事件の真相を中村が語り、上の手紙もこの事件記者に出したものです。。。

この事件記者は佐久間さんにも経緯を語ったわけですか?

そうです。。。捜査一課長の佐久間さんは次のように言ってますよ。。。

 


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まさにその通りだと思います。。。セクト主義、縄張りにこだわらないで、情報を共有し、組織が一つとなって向かってゆくべきなんですよ。。。




『警視庁のメンツ』より
(2023年8月1日)


 



上の未解決事件で「徳兵衛」は公安部長ですよ。。。警察庁長官狙撃事件が起こる10日前の3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、オウム真理教に嫌疑が向けられ、8日前の3月22日に、オウム真理教関連施設への一斉強制捜査が行われていた。。。しかもオウム真理教信者だった警視庁巡査長(事件当時31歳)が自首してきた。。。こういう経緯から、公安部が担当して、オウムが関係あると言う前提で捜査を始めたのですよ。。。



つまり、公安部の思い込みが確信になったのですわねぇ〜。。。

そうです。。。

。。。で、上の事件で「源兵衛」は誰ですか?

捜査一課長の佐久間さんですよ。。。犯人はオウムとは全く関係ない中村泰だと突き止めた。。。でも、残念ながら、警視庁の組織の中堅管理職だった。。。セクト主義、縄張りがあるから、それを乗り越えて自分の首をかけて警視総監に直訴しなかった。。。アメリカやカナダでは、自分の首を賭けて、組織のトップに直訴する勇気のある人も出てくる。。。日本では、そういう土壌はない。。。

そうでしょうか?

佐久間さんだって組織の中の人間ですからね、警視庁トップに楯突(たてつ)くわけにはゆかないのですよ。。。それで泣く泣く組織の決断に従ったわけです。。。

『柳田の堪忍袋』の噺が現実の事件ではなかった、とデンマンさんが考えるのはなぜでござ〜ますかァ〜?

あのねぇ〜、上の噺の中では、徳兵衛と源兵衛は素直に自分の首を「お手打ち」のために差し出したけれど、実際には二人共死にたくないと思いますよ。。。つまり、実際には、徳兵衛は50両が出てきたことを格之進に打ち明けないと思います。。。

でも、源兵衛ならば、格之進に金を差し出して謝ったと思いますわァ〜。。。

源兵衛の性格から、そうすることは十分に考えられる。。。でもねぇ〜、そうだからこそ、徳兵衛は格之進に出会ったこと主人の源兵衛に話さなかったと思いますよ。。。

でも、それはデンマンさんの確信という誤解ではありませんか?

あのねぇ〜、現実の事件を見ると、確信という誤解があまりにも多いのです。。。日本の警察と検察には確信という誤解が溢れています。。。だから、冤罪が多いのですよ。。。


 


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ〜。。。

警察と検察は確信という誤解が溢れている、とデンマンさんは言ってますけれど、そのために冤罪が多いのでしょうか?

興味があったら次の記事を読んでみてください。。。

 


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『なぜ死刑廃止?』

『大崎事件』

『無実の罪』



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マグダラのマリアの真実

2023-08-21 01:37:16 | 映画・芸能界

 

マグダラのマリアの真実

 


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ケイトー。。。 どういうわけでマグダラのマリアを取り上げる気になったのォ~?


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たまたまバンクーバーの市立図書館で借りたDVDを借りて映画を観ていたらマグダラのマリアが出てきたのですよ。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』


 



 





 

デンマンのコメント

 

This DVD has three episodes. One of those is the real Mary Magdalene---the so-called most famous prostitute in the history.

She came from the town called Magdala.

Her name means "The tower of salted fish". The bible doesn't say that Magdalene is a prostitute.

She lived a harsh life. She'd never married.

The Nag Hammadi book found in 1945 gives scholars a new insight about Mary Magdalene.

Eye-opening and intriguing!




このDVDには3つのエピソードが含まれている。 その一つは、歴史上最も有名な娼婦だと言われているマグダラのマリアだ。。。本当はどのような女だったのか?ということを追求する話である。

彼女はマグダラという町からやって来た。

彼女の名前は「塩漬けにした魚を保存する塔」という意味だ。 聖書にはマグダラのマリアが娼婦だったという記述はない。

マリアは厳しい人生を歩み、一生結婚しなかった。

1945年にナグ・ハマディで見つかった古文書を学者が研究した結果マグダラのマリアについて新しい事実が解った

この映画は興味深く、これまで知らなかったことを教えてくれる。



 



なるほどォ~。。。上のドキュメンタリーを観て何か発見したことでもあったのォ~?



いろいろとマグダラのマリアについて面白い話をしていました。。。シルヴィーは一応キリスト教徒だよねぇ~。。。マグダラのマリアのことを教会ではどのように教えたァ~?

マグダラのマリアは、お金持ちの家に育ったのよ。。。でも、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、身を落として罪深い女、つまり娼婦になったのよ。。。後で、イエスに出会い悔悛したというの。。。そういう話だったわ。。。。

僕も、だいたい同じような話を聞いてましたよ。。。映画を観ると、ほとんどの映画はマグダラのマリアを娼婦として扱ってました。。。念の為に、マグダラのマリアのことを調べたら、ウィキペデアには次のように書いてありました。。。

 



マグダラのマリア

 


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マグダラのマリア(ラテン語: Maria Magdalena)は、新約聖書中の福音書に登場する、イエスに従った女性である。
マリヤ・マグダレナとも音訳される。

正教会・カトリック教会・聖公会の聖人で、正教会では「携香女(けいこうじょ)」「亜使徒」の称号を持つ。
この「携香女」の称号と、上の写真のイコンに描かれるアラバスターの香油壷を持った姿は、磔刑後のイエスの遺体に塗るための香油を持って墓を訪れたとの聖書の記述に由来している。

共観福音書では、マグダラのマリアは「イエス・キリストが十字架にかけられるのを見守り、イエスが埋葬されるのを見、そして墓の方を向いて座っていた婦人たちの中で、最も重要な人物」とされる。

西方教会において娼婦をも意味する「罪深い女」とされるため、ニコス・カザンザキスの『最後の誘惑』やダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』のような現代小説をはじめとして、イエスとの結婚を伝える種々の伝承があるが、歴史的根拠は見出されていない。

 


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西方教会では男性原理を重視し組織形成していたため、マグダラのマリアを「イエスの死と復活を見届ける証人」であるとともに、教義上「悔悛した罪深い女」とした。

東方教会(正教会)ではこのような「罪深い女」との同一視はしていない。
これについては多くの解釈があり、真実ははっきりしていない。

したがって娼婦をも意味する「罪深い女」とマグダラのマリアを関連付ける伝承は、西欧・西方教会(ことにカトリック教会)独自のものである

 

四福音書中の記述

マグダラのマリアについて四福音書がはっきり語っているのは、イエスによって七つの悪霊を追い出されたこと、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けたこと、そしてイエスの復活に最初に立ち会い、「すがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」とイエスに窘められたことである。

『マタイによる福音書』などによれば、彼女は復活の訪れを弟子(使徒)たちに告げるため遣わされた。
このため彼女は初期キリスト教父たちから「使徒たちへの使徒」と呼ばれ、正教会での彼女の称号「亜使徒」はこの事績に由来する。

マグダラのマリアともう一人のマリアは、安息日が終わって、週の初めの日の明け方にイエスの納められている墓に向かった。
その時、大地震が起こり、墓の入り口を塞いでいた大きな石が転がり、墓の入り口が開いた。
『マタイによる福音書』によればそれは天使の仕業であり、墓の中にはイエスの遺体はなかった。

 

外典の記述

20世紀になって『(マグダラの)マリアによる福音書』(断片のみ)、『トマスによる福音書』(ナグ・ハマディ写本から)、『フィリポによる福音書』などが発見された。

これら外典の中でマグダラのマリアは、イエスとの親密な様子や、男性たちと並ぶイエスの弟子として記述されている。

『トマスによる福音書』では、ペトロが「この女性(マグダラのマリア)は私達の下から去ったほうがいい」と、マグダラのマリアを排斥すべきと、イエスに進言したのに対し、イエスは「私は彼女を天国に導くだろう」と応える。

そして「私が彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男性たちに似る生ける霊になるために」と、謎めいた理由を言う。

これら最新の聖書研究は、イエス宣教の旅での女性たちの役割や、マグダラのマリアの地位を見直させることとなった。

 

伝説

マグダラのマリアは古来より東方教会・西方教会いずれの教会でも崇敬されてきたが、ことにカトリックでは特有の多くの伝説で彩られている。

マグダラのマリアとベタニアのマリアは同一人物であり(第二バチカン公会議以後は別人とされることが多い)、マグダラのマリアは晩年にイエスの母マリア、使徒ヨハネとともにエフェソに暮らしてそこで没し、後にコンスタンティノポリス(現イスタンブール)に移葬されたとされている。

伝説中のマグダラのマリアは、たとえばヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』などによれば、金持ちの出自であって、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛したという。

そのため、娼婦をも意味する「罪深い女」との異名を与えられたり、ルネサンス以降「マグダラのマリアの悔悛」を主題とする絵画、彫刻が多く制作された。
このイメージはカトリック教会の作為が関与していると指摘されている

 


(magda80.jpg)

洞窟のマグダラのマリア
(ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル)


 

イエス昇天後、兄弟ラザロ、マルタ(マリアの姉)らとともに南仏マルセイユ(あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)に着き、晩年はサント=ボームの洞窟で隠士生活を送ってその一生を終え、遺骸はいったんエクス=アン=プロヴァンス郊外のサン=マクシマン=ラ=サント=ボームに葬られたと信じられた。

ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂はその遺骸(頭蓋骨)を移葬したと主張している。
しかし、サン=マクシマン側はいまも遺骸を保持していると主張しており、一部はパリのマドレーヌ寺院にも分骨されている。

 

娼婦だったか?

『ルカによる福音書』が紹介するマグダラのマリアの記述は、次のものだけである(ルカ8:1-3, 23:55)。

イエスに七つの悪霊を追い出された
マグダラの女と呼ばれるマリア
そのほか多くの婦人たちと一緒に
自分の持ち物を出し合って
一行に奉仕していた
ガリラヤから付き従ってきた

カトリック教会では、『ルカによる福音書』(7:36-50)に登場する「罪深い女」と彼女が同一人物とされた。

この女性がどのような罪を犯したのかは記載されていないが、性的不品行と説明されてきたようであり、それが娼婦とされていた原因かもしれない。
彼女は(悔悛した)娼婦の守護聖人でもある。

いっぽうでカトリック信仰の強い国々を中心に、娘を名付けるにあたってこの聖女の名が好んで使われている。
諸文学で彼女の娼婦的な過去を扱うものが多いが、職業的娼婦であったとするものはあまり見受けられない

しかし、キリストを描いた映画の多くが、彼女がかつて娼婦であったとの設定で登場させている
2018年公開の『マグダラのマリア』はマグダラのマリアをイエス・キリストの使徒のひとり(復活の証人)として初めて描いた映画となった。

 

イエスと結婚していた?

さきの『最後の誘惑』では、十字架上のイエスがマグダラのマリアとの結婚生活を夢想する。
また、1982年に英国で刊行されたノンフィクション“Holy Blood, Holy Grail”(日本語版:『レンヌ=ル=シャトーの謎』)で著者らは、イエスとマグダラのマリアが結婚しており、子供をもうけたという仮説を示した。

マーガレット・スターバードもこれに追随し、1993年『マグダラのマリアと聖杯』で、イエスとマリアとの間の娘をサラとした。
2003年の小説『ダ・ヴィンチ・コード』がそれをストーリー中に使っている。

シンハ・ヤコボビッチとバリー・ウィルソンも、2014年出版の“The Lost Gospel: Decoding the Ancient Text that Reveals Jesus' Marriage to Mary the Magdalene” (日本語版『失われた福音-「ダ・ヴィンチ・コード」を裏付ける衝撃の暗号解読』2016年)の中で、2人の聖なる婚礼や交わり、子供を二人もうけたことなどを詳細に記録した古代シリア語文書を解読している。

結婚していたとする論では、あちこちに暗喩や象徴の形で残っていると主張している。
西洋美術には、作品の中にシンボルとしての形や色を配し、暗示的に表現する手法がある。

古くから、主流の宗派以外の主張は異端として迫害されたり、証拠品を焼き払われたりしてきた歴史があるため、迫害の対象となるような表現について芸術家達はその暗示的手法を用いてきた。

明示的なものでは、2-3世紀ごろの著作と見られる『フィリポによる福音書』の記述がある。
国を治める者によって宗教内容の統制が行われ、統率者の意向にそぐわない教義は隠蔽や書き換え、迫害が行われてきたことから、この結婚という内容もその隠蔽の1つであるとみられている。
イエスの結婚を巡っては、近年さまざまな研究書、追跡書などが出ている。

20世紀の半ばに、ナグ・ハマディ写本の発見などにより、これまで異端の書として隠されていた書物がその姿を現してきた。
エレーヌ・ペイゲルス (Elaine Pagels) は、娼婦を否定し妻とするのは「同じ見方の裏と表」であると指摘した。

ペイゲルスによれば、「男たちは、マグダラのマリアにイエスの弟子でも、リーダーでもなく、性的な役割だけを与えようとして、このようなファンタジーを作っているのではないかとさえ思える」と主張している。

しかし史実の対象となる古書の中に、イエスが結婚をしていなかったという具体的な表現もなく、太古の時代に地球上のあらゆる文化でリーダーとしての女神崇拝があったことの名残でもあるマグダラのマリアの存在に恐れを感じた組織が、「性的」や「ファンタジー」という言葉によって、逆に貶めているとも考えられる。




出典:「マグダラのマリア」
From Wikipedia, the free encyclopedia


 



1945年にナグ・ハマディで見つかった古文書を学者が研究した結果マグダラのマリアについて新しい事実が解った」とケイトーはコメントに書いていたけれど、それって どういう古文書なのォ~?



次のような古文書ですよ。。。

 



ナグ・ハマディ写本

 


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ナグ・ハマディ写本(The Nag Hammadi Codices)あるいはナグ・ハマディ文書とは1945年に上エジプト・ケナ県のナグ・ハマディ(より正確には、ナグゥ・アル=ハムマーディ)村の近くで見つかった初期キリスト教文書のことである。

ナグ・ハマディ写本は、二十世紀最大の考古学的発見に数えられており、事実、初期キリスト教の研究を飛躍的に進展させた。
ナグ・ハマディ写本は、古代キリスト教を知るための原資料としては死海写本につぐ重要性を持つと見なされている。

写本は、農夫ムハマンド・アリー・アッサーマン (Muhammad ʽAlī al-Sammān) が偶然土中から掘り出したことで発見された。
発見時、文書は壷におさめられ、羊の皮でカバーされたコーデックス(冊子状の写本)の状態であった。

ナグ・ハマディ写本は全部で13冊からなっている。
より正確に言うと、12冊の写本と8枚の断片からなっており、後者は13冊目の写本から破られたものと6冊目の裏表紙に挟まれていたものである。
写本の多くはグノーシス主義の教えに関するものであるが、グノーシス主義だけでなくヘルメス思想に分類される写本やプラトンの『国家』の抄訳も含まれている。

ナグ・ハマディ写本研究の第一人者ジェームズ・M・ロビンソン(James M. Robinson) による『英訳ナグ・ハマディ文書』の解説によると、本写本はエジプトの修道士パコミオスがはじめた修道士共同体(後世の修道院に相当する)に所蔵されていたのかもしれないという。

写本はコプト語で書かれているが、ギリシャ語から翻訳されたものがほとんどであると考えられている。

写本の中でもっとも有名なものは新約聖書外典である『トマスによる福音書』である(同福音書の完全な写本はナグ・ハマディ写本が唯一)。

調査によって、ナグ・ハマディ写本に含まれるイエスの語録が1898年に発見されたオクシリンコス・パピルスの内容と共通することがわかっている。

そして、このイエスの語録は初期キリスト教においてさかんに引用されたものと同じであるとみなされる。

写本が作られた時期に関してはほとんど議論の余地がなく、西暦350年から400年の間と推定されている。
この年代は、カートナージやコプト語の字体から決定できる。
写本が土中に埋められたのは4世紀よりも以前である。

一方、写本に収録された各編の原本の成立時期については異論があり確定できていない。

ナグ・ハマディ文書そのものはカイロのコプト博物館に所蔵されている。

ナグ・ハマディ写本の発見以前、少数の例外を除くとキリスト教グノーシス派由来の直接的な文献はほとんど発見されていなかった。

そのため、グノーシス派に関する研究は、反異端の立場からグノーシス派を非難した古代の正統教会の教父たちが残した文献に頼らざるを得なかった

ナグ・ハマディ写本は古代キリスト教の異端としては最初で最大の勢力だったキリスト教グノーシス派の原資料にあたり、キリスト教グノーシス派の教理・神話論などを正統教会の偏見を通さずに知ることが出来ることから重要な写本である。




出典:「ナグ・ハマディ写本」
From Wikipedia, the free encyclopedia


 



このナグ・ハマディ写本が見つかって、改めて脚光を浴びたのが『マリアによる福音書』なのです。。。

 



マリアによる福音書

 


(magda10.jpg)

 

マリアによる福音書は、グノーシス主義の福音書文書の1つである。

初期キリスト教の『新約聖書』の外典としてこの名の書籍の存在が伝わっていたとされるが、不明点が多く、全容は知られていなかった。
しかし19世紀に偶然に発見され、内容から外典とされていた『マリアによる福音書』であることが確認された。

『ナグ・ハマディ写本』から発見された諸文書とともに、グノーシス主義の原典資料として貴重であるだけでなく、初期キリスト教や当時の地中海世界の宗教状況の研究にも重要な文書である。

この文書において登場人物の名前はマリハムと表記されている。
マリハムは、マリア(マリヤ)と訳されている。

一般的には、イエスの母マリアではなくマグダラのマリアと考えられている。
そのため、本文書は『マグダラのマリアによる福音書』とも呼ばれる。

 

研究史

『マリアによる福音書』は、3世紀頃の初期キリスト教の教父文書などに言及が見られたが、原本は伝存しておらず実体が不明であった。
ギリシア語の断片が2つほど見つかっている。

エジプトで発掘され、後にベルリンに運ばれたパピルスの冊子、いわゆる『ベルリン写本』の冒頭部分が『マリアによる福音書』の写本であることが1896年に判明した。
十分な長さを持ったまとまった文書は、この写本から見つかったものが唯一のものである。

ただし、諸般の事情があって公刊が遅れ、『ナグ・ハマディ写本』の発見後1955年になってようやくテキスト全体が公刊された

『ベルリン写本』は『ナグ・ハマディ文書』とは別個の写本であるが、同様にサヒディック方言のコプト語で書かれており、ギリシア語原書より翻訳されたものと考えられている

前半および中ほど数頁に欠損があり、残っている部分にも欠落が多く、現存している写本は本来の文書のおそらく半分程度と思われる。

 



 

内容

前半では、復活した救い主(イエス・キリスト)が弟子たちの質問に答えて啓示を述べ与える対話と、それを受けた弟子たちの間の反応が記されている。

マリアは文書後半部分に登場する。
写本では「マリハム」と記されているが、この登場人物はキリスト教の『新約聖書』中に登場するマグダラのマリアのことであると考えられている。
後半部分の概要は次のようになっている。

救い主から福音の宣教を託された弟子たち(使徒)は怯むが、マリアは使徒たちを励ます。

ペトロがマグダラのマリアに対し、「救い主(イエス)が他の女性たちにまさってあなたを愛したことを、私たちは知っています。」として、彼女が救い主(イエス)から授かった秘伝を他の人々にも話すよう求める。

マリアは幻の内に見た救い主の啓示について話す。
アンデレ、ペトロはその内容を信じない。マリアは泣いて抗弁する
レビがペトロをたしなめ、使徒たちは宣教に出発する。

 

前半から後半を通して全体を見ると

以下のようにまとめることができる。


 

これまで、救い主は、聞く耳のあるもの(これはマリアらを指しているようだ)に対して、聞いたこともないような話をしていた。

そして、それらのことをいまだによく理解できていなかった弟子が、「世の罪とは何ですか」という、世の罪(イエスを刑死させた罪)と人の原罪とを暗にほのめかすような質問をした。(マリア福音書7)。

そうしたところ、それに対してイエスは、「罪というものはない」という答えをした。
そして、(罪よりの救済に関連した福音ではなく)人の内部にいる「人の子の王国の福音」を宣べ伝えよという命令を下した。

しかし、イエスの与える平安からは遠かった弟子たちは、「あの方を容赦しなかった世間の人がわれわれを容赦しないはずがない」といって恐怖した。

どうしていいかわからなかった弟子たちの中にあって、マリアは、イエスへの信を失わないでいた。
そのマリアに対して、ペテロは、「私たちのまだ聞いていない話を聞かせてください」といった。

マリアは、人の中から出てくるものがその人を汚すという言葉と関連したと思われる啓示が、イエスから啓示されたときの話をした。
心の中から出てくる欲望や怒りから、人は自由になれるという話である。

しかし、話を聞きたがったペテロは、その彼女の話を否定し、彼女の受けた啓示を否定した

それに加えて、「われわれに隠れてイエスが一人の女性とそのような話をしたのだろうか」、という推察を皆に述べた。

それは、弟子を対象としたイエスの教えの、自力救済的な悪に関する啓示の多くを否定する結果となった。
そして、弟子たちは、それぞれの考える「王国の福音」を宣べ伝えるために解散した。

 

キリスト教的グノーシス主義について

罪というものは存在しないという思想や、心魂が怒りや欲望から解放されると心の境地が上昇してゆくとする思想は、他宗教にも共通して見出されるものである。

これらの思想は特にキリスト教に依存しているとは思われないとされている。

しかし、この書は西方系のキリスト教グノーシス主義であると位置づけられている。
また、グノーシス主義はどこにも存在しなかったと主張する研究者もいる。

イエスは、大衆に対してはたとえ話を多く用い、弟子たちには、人のいないときにすべてを解き明かしていたとされている。
マリアの受けたとされるイエスの啓示は、人のいないときにイエスが弟子に対してすべてを解き明かした教えである可能性がある。
イエスの教えの中には、元々、心の中の悪に対しての認識を深めることが要求されていたことがあげられる。

人の心の中から出てくる行為や想念については、淫行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪意、奸計、好色、よこしまな眼、瀆言、高慢、無分別などがあげられている。

こうした、心の中から汚れが出てくるという思想について、四福音書では、ペトロがこれを全く理解できなかったことになっている。

それと同じような意味合いを持つマリアの話が理解できなかったから、ペトロはこれを否定した、と解釈することができる。

また、それと関連したこととして、不浄なものや、穢れたものをペトロがただの一度も口に入れたことがないとしたのは、かなり後になってからである。

 

異端排斥について

この書の成立年代を特定することはできないとされているので、可能性としては、1世紀に成立したということも考えられる。

367年にアタナシウスはエジプトにある諸教会に宛てて、現行新約のみを聖典として、その他の外典を排除するようにとの書簡を出している。

このことと、ナグ・ハマディ写本が地下に埋められたこととは関係があると推察されている[。

この書に見られる、マリアとペトロの対立は、異端型キリスト教と正統派型キリスト教の対立の始まりであると解釈する見解もある。

これは、もともとのイエスの思想には、たとえを用いて大衆に神の愛を説くという面と、自己を見つめ、怒りや欲望から解放されると心の境地が上昇し、悟りにいたるという自力救済的な面とがあったことから、発生したと見ることができる。

ペトロは、部分的にしかイエスの教えが理解できなかったと言えるようである。

この書は、弟子集団における女性指導者としての好ましいマリア像を提供しているとする見解がある。
また、マリアの福音書にある初期の教会の描写は、歴史的に正確であるとする見解もある。

マリアはイエスの最も信頼されていた弟子の一人だとする見解がある。

イエスが刑死したときに、十字架のそばに男性の弟子がいたとは考えづらいこともあり、イエスにとっては、女性の弟子も弟子であるとしていたようである。

しかし、ペトロにとっては弟子は男性のみという観念があったようである。




出典:「マリアによる福音書」
From Wikipedia, the free encyclopedia


 



僕が観た映画でも、だいたい、上のような資料を元にして話を進めているのですよ。。。現在のキリスト教、特に、西方系のキリスト教では、マグダラのマリアは娼婦も意味する「罪深い女」として必要以上に貶(おとし)められている。。。



どういうわけで。。。?

マリアとペトロの対立があったのですよ。。。異端型キリスト教と正統派型キリスト教の対立の始まりですよ。。。

どういうことよ?

あのねぇ~、上の資料を読んだだけでも、キリストは、ペトロ(ピーター)よりもマリアの方が理解力があると見ていたのです。。。当時は、当然、男尊女卑の傾向があったから、ペトロにすれば、キリストがマリアを優遇しているようで面白くない。。。

つまり、ジェラシー(嫉妬)ねぇ~。。。

そういうことですよ。。。ペトロはバチカンの聖ペテロの大聖堂があることからも解るように、キリスト教を広め大宗教にした後継者・指導者ですよ。。。でも、当時としたら、キリストの目には、マリアこそキリスト教の指導者にふさわしいと映ったに違いない。。。なぜなら、マリアは、重要な場面(処刑場、墓で死体に香油を塗る場、復活の場)全てに立ち会っていたことから、この事は明らかです。。。

つまり、弟子たちの間に権力闘争があったのねぇ~。。。

そういうことです。。。弟子たちには圧倒的に男が多かったから、当然の事のようにペトロがリーダーになったわけです。。。だから、つい最近まで、教会の司教はすべて男ですよ。。。ローマ法王が女であったことはこれまでに一度としてない! ペトロがマリア排除、女性排除に懸命になったのですよ。。。権力者というのは、常に、そういう事をするものです。。。ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、プーチン、習近平、。。。邪魔者は排除するのです。。。

じゃあ,マグダラのマリアは、娼婦などではなく、キリストに愛されるような優れた頭脳を持った女性だったのねぇ~。。。

そうです。。。美人ではなかったと思うけれど、頭脳明晰でキリストとはツーカーの間柄だったと思いますよ。。。

じゃあ、もしかして、結婚していたかも知れないわねぇ~。。。

キリストも男ですからねぇ~、二人の間に子供がいたとしてもおかしくないですよ。。。

 


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初出: 2023年6月15日



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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたもキリストとマリアの間に子供がいたと思いますかァ~?

ええっ。。。 「そんなことは、どうでもいいから、他に、もっと楽しいことを話せ!」

あなたは、そのように強い口調で私にご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。

シルヴィーさんが出てくる面白い記事は たくさんあります。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。

 


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『空飛ぶスパイ』

『愛情はふる星@ベトナム』

『ヒラリーと塩野七生』

『ケネディ夫人@インドネシア』

『究極の大前研一批判本』

『フェルメールの謎』

『女に文句を言う女』

『あなたの祖国』

『宮沢りえ@韓国』

『正しい戦争』

『ゴールデンシャワー』

『死刑廃止』


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『かまびすしい』

『今、新たな戦前』

『クレオパトラ@アラビア』

『政府は嘘をつく』

『犬と人間と戦争』

『未来予測』

『知られざる悲劇』

『量子活動家』

『アンネの運命』

『10次元の世界』

『ポーランドの犬』


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『熟女ヌード@デンマン』

『ロッキード事件の真相』

『政府と役人と嘘』

『ジュンガル』

『地球温暖化は避けられない』

『国際平和連合』

『鬼島』

『悪徳サイト』


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『あげつらう』

『過ちを犯す』

『三島由紀夫の謎』

『ヒラリートランプ現象』

『ノーパン@CIA』

『未開人と文明人』

『オセロの失敗』

『サン・ラザールの裏路』

『「夜と霧」を観た?』


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『虫酸が走る』

『大空に乾杯』

『ターバンを巻いた少女』

『美しい日本語を探して』

『アダムとイブのバナナ』

『宮沢りえ@サンタフェ』


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『ネットの主要言語』

『中国人がアメリカを発見した』

『2000年前の光通信』

『習近平皇帝』

『習近平@フランス』

『チャールズとダイアナ』


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とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


(hand.gif)



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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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