ちきり伊勢屋
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デンマンさん。。。、ちきり伊勢屋 というのは江戸時代の小間物屋でござ~♪~ますかァ~?
なんで小間物屋だと思うのですかァ〜?
だってぇ〜、トップの画像は小間物屋さんの店先ではありませんかァ〜。。。
確かに、「四つ目屋」という小間物屋の店先なんだけれど、「ちきり伊勢屋」の画像がなかったので、代わりに貼り出したまでですよ。。。
そういう誤解を招くようなことをなさらないでくださいなァ〜。。。で、「ちきり伊勢屋」さんは何屋さんなのでござ〜ますかァ〜?
実は、江戸の麹町五丁目で質屋と両替商を営む大店なのですよ。。。
あらっ。。。デンマンさんのご先祖様がやっていたお店ですか?
いや、ちがいます。。。落語の演題名です。。。
ちきり伊勢屋
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ちきり伊勢屋は、人情噺の演目名。6代目三遊亭圓生が得意とした。
上方では3代目桂南光が登場人物の「白井左近」の名で演じる。
近年では、3代目古今亭志ん朝が、伊勢屋(上)を演じているが、筋は少し異なる。
あらすじ
易者の白井左近は易が上手く、知人の旗本中川右馬之丞の災難を予言して一命を助けたことから、診てもらいに多くの人が来て大繁盛である。
八月の暮れ、麹町の質屋ちきり伊勢屋の若旦那傳次郎が自身の縁談を見てもらいに来るが、左近は傳次郎に死相が現れているのを見とがめ、来年の二月十五日の正九刻に死ぬ。
傳次郎の亡父のむごい商いの祟りが自身にふりかかったものでどうすることもできない。
残された人生、自棄にならず善行を積んで来世に望みをつなぐことしかないと告げる。
絶望した傳次郎は店の者に事情を話し、次の日から江戸を歩きまわり貧しい者を助ける。
赤坂の喰違坂で首をくくろうとする哀れな母親と娘に百両与えるなど、目についた者や聞きつけた者に惜しげもなく金子を与えるが、いかんせん莫大な資産だけになかなか減らない。
ではいっそのこと茶屋遊びをしようと吉原、柳橋を遊び倒し、ようよう財産が尽き果て、店の者に手当を渡して暇をやり身軽となるころ、左近が予言した自分の命日が近づく。
もう命もあまりない。最期は派手にしてやろうと、傳次郎は、芸者や幇間を呼んで酒盛りをし、近所に自身の葬礼を知らせるうち、とうとう、二月十五日がやってきた。
これから金にあかした葬儀が始まる。
傳次郎は立派な死に装束で棺桶に入るがどうしたことか死ねない。
菩提寺で大和尚にねんごろな読経をあげてもらい、正九刻に墓に埋めようとしてもまだ生きている。
「おい。あたしはまだ生きているよ。」
「もう引導を渡しちゃんたんですよ。」
「そんなのいらないよ。」
「こまった仏様だね。」
「葬式の強飯もってこいよ。腹が減ったよ。」
「もうありませんよ。」
「じゃあ、鰻かなにかあつらえておくれ。」
「冗談いっちゃいけねえ。」
「おいおい。便所行きたくなってきた。出しておくれ。」
これでは葬式どころではない。
結局生きてしまい全財産を失った傳次郎は、友人宅を泊まり歩くがいつまでもそんな暮らしもできず、とうとう宿無しとなってしまう。
九月になって、傳次郎は高輪の大木戸で白井左近に出くわし、お前の占いが外れたからこんな目に合ったと抗議すると、左近はもう一度傳次郎の顔を観察し、
「あなたが首くくりの母娘を助けたことで父親の悪行の呪いが解けたのだ。八十まで長生きする。」
「冗談言っちゃいけませんやね。金もないのに八十まで生きろってんですか。」
「いや、相済まない。だが、今お前の顔を見るとな。品川のほうに幸福があると出た。まずはそこへ行くことだ。わたしも人の死相を見たばかりに奉行所に呼ばれて江戸払いとなり、大木戸で細々と暮らしているありさまでな。お詫びと云っては何だけど、ここに二分の金がある。雨降り風間というくらいだから持って行きなさい。」
と 云われた傳次郎は折角なので半分の一分金を持って品川にやってくる。
そこで遊び仲間の伊之助に出会う。
伊之助も道楽が過ぎて勘当され品川で日雇いの仕事をしているのであった。
二人は駕籠屋になり、どうにかこうにか生計を立てるようになる。
そんなある晩のこと、品川の遊郭帰りと見える一人の幇間を駕籠に乗せるが、これが以前贔屓してやった一八であった。
「おい、一八!」
「何だ。・・・駕籠屋なぞに一八呼ばわりされる筋合いはねえや。」
「フン。俺の顔を見忘れたかい。・・・ちきり伊勢屋だ。」
「あっ!・・・若旦那!・・・どうも」とどちらが客かわからない。
傳次郎は「お前の羽織も帯もおれが呉れてやったんだな。」
「へい。そのせつはどうも。結構なものを頂戴しまして、ありがとう存じます。」
「じゃあ。俺に返してくれ。・・お、そうだ。ついでと云っちゃあ何だけど、一両貸してくれねえか。」
「へい。かしこまりました・・・とほほ、こんなところで追剥に合うとは。」
この着物と帯を酒に変えようと、ある質屋に持っていくと、女主人が美しい娘を連れて現れ、
「もし、伊勢屋の傳次郎様ではいらっしゃいませんか。」
「へい。どなたでいらっしゃいますか。」
「私どもは以前赤坂で助けてもらったものでございます。」
「ああ・・・そう云えば」
「おかげで命も助かり。今、こうしていれるのもみなあなたのおかげでございます。改めてお礼を申し上げます。」
「何、わたくしは白井左近の言うままにして全身代失ってこんな有様でございます。」
「いいえ。あなたも長生きをしたらいいことがございます。・・・つきましてはうちの娘、ふつつかな者でございますが、嫁にもらってもらえますまいか。もういちどちきり伊勢屋のノレンを挙げてもらえればこんなうれしい事はございません。」
傳次郎は左近の予言はこれだと思い
「こんな零落した私をおもらいいただくとは。ありがとうございます。お言葉に従います。」
こうして二人は伊勢屋の店を再興し、ともに八十の長寿を保ち幸せになったという。
解説
柳派により演じられてきた長編の噺で、ふつうは傳次郎の葬儀までを上、それ以降を下として休憩をはさんで演じられる。
洒落た内容であるが、長時間聞かせるにはかなりの技量と体力を要する。
歌舞伎でも取り入れられ、大正期に7代目澤村宗十郎が帝国劇場で演じた。
4代目柳家小さんの演出では、白井左近は紀州藩に仕えていた学者で、主君への諫言がもとで浪人となり、生活のために占者をしていたら不思議と当たるようになったというものであった。
出典:「ちきり伊勢屋」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こういう噺なんだけれど、古今亭志ん朝さんが「上の部」を演じる動画を聴くと、上の「あらすじ」とはずいぶん違っている。 42分の『ちきり伊勢屋』という演目です。。。ここで紹介するのは三遊亭栄楽さんの90分の『ちきり伊勢屋』です。。。古今亭志ん朝さんは42分で演じているのを三遊亭栄楽さんは90分で、間に休憩を入れているのです。。。「上の部」を更に2つに分けて演じている。「上の部」と「下の部」を合わせると、3時間近い人情噺です。。。この栄楽さんの噺は「上の部」の最初の半分です。。。では、卑弥子さんもじっくり聴いてみてください。。。
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三遊亭栄楽さんのお噺も、ウィキペディアの「あらすじ」とは随分と違いますわねぇ〜。。。
そうでしょう!? この噺はもっと長いのですよ。。。全部を通しでやると3時間ほどかかる。。。
つまり、三遊亭栄楽さんは、最初の45分を演じたのですわねぇ〜。。。
そういうことです。。。次の「あらすじ」は3部に分けてやる場合です。。。三遊亭栄楽さんが演じた「上の部」は次の「あらすじ」の(上)にほぼ近い。。。
『ちきり伊勢屋』
(上、中、下)
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【上】
江戸で質屋と両替商を営む大店ちきり伊勢屋の主人・伝次郎は二十五歳とまだ若い。
ある夏の盛り、この伝次郎を父親亡き後親代わりのように育てた番頭に、伝次郎が「私は来年二月二十五日に命を落とすと言われた」と深刻な顔をして打ち明ける。
聞けば、「そろそろ嫁を」と常日頃番頭に言われている伝次郎、それもそうだなと、必ず当たると評判の白井左近という易者に縁を見てもらいに行ったところ、「あなたはこれ以上ないほどくっきりと死相が出ていて間違いなく二月二十五日に死ぬ。嫁などもらってはいけない」と言われた、というのだ。
亡くなった父・伝右衛門は人に恨まれることを重ねて身代を築き「鬼の伊勢屋」と陰口を叩かれる始末、その因縁で伝次郎は死ぬのだと白井左近は説明し、「死ぬまでにせいぜい人々に施しをしなければいけない。施しをしながら道楽もして財産をすべて使い果たせば、来世で長生きして幸せになれる」と告げた、というのである。
伝次郎は番頭に千両渡し、奉公人にも金を渡して暇をやり、店を畳むと、人々に施しをする日々を過ごすが、それにつけ込んで「困ったフリ」をする連中にたかられることが多くなった。
「いったい人の誠とは何だろう」と虚しくなった伝次郎は「道楽をしろ」と言われたことを思い出し、いとこの遠州屋正太郎に「死ぬまで遊びに付き合ってほしい」と誘う。
正太郎は「徹底的に遊ぶのは大変だ。本物の遊び人になるには覚悟が要る。その覚悟はあるのか?」と言って、伝次郎の財産使い果たしに付き合うことになる。
吉原通いに精を出し、散財し続ける伝次郎と正太郎。
伝次郎は死期も迫った節分の時期、一家心中の相談をする四人連れに出くわす。
伝次郎がわけを聞くと、男は洗い張り屋を営む山城屋徳兵衛、火事を出して迷惑を掛けた分を弁償するために娘二人を吉原に売ろうとしたものの、それよりいっそ四人で死んで詫びをしようと思っていたと言う。
伝次郎はこの親子に三百両を与え、「私は死期が決まっていて、それまでに施しをしなければいけないと言われて色々と困っている人を助けようとしたものの、誰を助けて誰を助けないなどと神ならぬ人の身で決めることなど出来ないと虚しくなって道楽三昧の日々を過ごすこととなりました。今、ここでようやく私の金が人の役に立つ。私の金が生きることが嬉しいのです」と話す。
山城屋はその金を基に人々に弁償すると、前にも増して繁盛するようになり、二人の娘の妹の方が婿を取る。徳兵衛は二月二十五日、安心したように息を引き取る。
死ぬまでちきり伊勢屋に感謝し続ける山城屋徳兵衛であった。
(古今亭志ん朝の【上】では、山城屋徳兵衛が伝次郎の「死相」を受け継いで死んだことになり、白井左近に会いにゆくと「貴方の顔から死相が消えている」と言われ、伝次郎が生き延びるというオチで噺を終える)
【中】
伝次郎は生まれてからこのかた父親譲りで仕事一筋。近所の子供たちとも遊んだことはなく、年頃になっても飲む、打つ、買うの三道楽には見向きもしない。
死ぬ前に冥途の土産に何か道楽でもと考えたが、酒なんかいくら飲んでもたかが知れてるし、博打でもしも大勝ちしたらそれを使わなきゃならないのも大変で、女と遊ぶことに決めて番頭に相談する。
「ええ、結構でございます。なまじ素人では返って面倒でございますから、気兼ねなく遊べる遊女屋なんかで・・・いっそ新宿へいらっしゃいな」
「お前、なかなかくわしいな」、ということで内藤新宿の岡場所通いが始まった。
ある日、帰りに寂しげな喰い違い見付のところまで来ると、中年の女と十五、六ぐらいの娘が泣きながら話をしている。
すると女は腰ひもを解いて木の枝にかけ、首をくくろうとする。
駆け寄って止めた伝次郎が仔細を聞くと、「実はこの娘(こ)がご主人様から預かった二百両を持って使いに行く途中で、落としたのか取られたのか分かりませんが無くしてしまいました。この娘にかかった濡れ衣を晴らすこともできずに、このようなことに・・・」
「お前さんたちは金がなくて死になさる。わたしは金があっても命がない。金ですむのなら、二百両あげますから、死ぬのはおよしなさい」
「それは、・・・まあ・・・そんな大金を見ず知らずの御方から・・・何と有難いことで・・・どちらのお方さまでございますか?おところとお名前を・・・」
「どうぞ、ご勘弁を・・・それじゃあ、名前だけ申しまあげましょう。わたしは伊勢屋伝次郎というもの。来年の二月十五日、正午の刻に死にますから、その日を命日と思って、お線香の一本でも手向けてくだされば結構ですから・・・」、伝次郎は母娘が止めるのを振り切って店へ駆け出して行った。
新宿での遊びにも慣れて、飽きてもきた頃、やっぱり遊びの本場は吉原と聞いた伝次郎は吉原へと乗り換えた。遊びも大きくなり、花魁、芸妓をはべらせ、大勢の幇間(たいこもち)、芸人に取り囲まれ、湯水のように金を使って行く。
女遊びをしていた伝次郎だが、二月二十日になると「いよいよ死ぬ」ということで、麹町の自宅に芸者や幇間を呼んで「通夜」と称してドンチャン騒ぎ。
二十四日には白装束で棺桶の中に座り込んだ伝次郎。
二十五日になり、伊勢屋に忌中の札が貼られたので向かいの高田屋から遣いが来ると、「まだ生きてるよ。おたくの旦那は色々意見してくれた、宜しく伝えておくれ」と棺桶の中から伝次郎自ら返事をする。
「上」の伝次郎が、思いつめる性格の、真面目で純朴そうだがどこか神経質な青年だったのが、「中」では軽薄な遊び人に早変わり。
棺桶ごと墓に埋められた伝次郎だが、死ねないまま暮れ六つの鐘を聞く。「まだ生きているじゃねぇか! あの占い師め!」と棺桶から抜け出した伝次郎、「店は人手に渡ったし、金は使い果たした。一文無しだ……」と途方に暮れる。
それから半年後、正太郎の許に現れた伝次郎。
乞食同様の暮らしで何とか生き延びてきたと言う。「今はただ、あの白井左近が恨めしい。あの野郎どうしてる?」と伝次郎が訊くと、伝次郎の一件が公になり「生き死にを占って人心を惑わした罪」によって江戸ところ払いとなり財産は没収され、今は大道で占いをやっているという。
白井左近が居る赤羽橋へ行く伝次郎、「見つけたぞ、この野郎!」 驚いて白井左近、「万が一にも見間違いではなかったが……」と伝次郎の顔を見ると「死相が消えておる!」
この白井左近がまた、もっともらしいことを言っているのにどこかいかがわしい。
「人助けをしましたな」と白井左近。「四人を助け、その中の一人があなたの死相を引き受けてあの世へと旅立った。
あなたは長生きをする! 八十過ぎまで生きる! 万に一つの見間違えのないこの白井左近が申すのじゃ!」と偉そうな白井左近の物言いが実に可笑しい。
「この野郎、一文無しで長生きしても仕方ねぇだろ!」と怒る伝次郎。
「落ち着け。人は運命に従うもの。あなたは自分の運命を変えた。辰巳の方角へ行け。自分で運を開くのだ」と左近は進言する。
「勉強させてもらった。この一両をどうかお納めください」と伝次郎に一両渡した白井左近、「わしは上方へ行く。伝次郎さん、心を強く持って! 辰巳の方角です、そうすれば運が開ける!」と言い残して去る。
【下】
左近に会いに行った伝次郎を茶店で待っていた正太郎が「どうだった?」と訊くと、「ああ、前に比べて随分力が入って大げさなヤツに変わっていたよ!」(笑)
辰巳の方角というと正太郎が今いる品川のいろは長屋がまさに辰巳。
そこに伝次郎が転がり込む。
正太郎の遠州屋も人手に渡ってしまったのだった。
ぶらぶらしている二人に大家が「地道に駕籠かきでもやって稼げ」と忠告し、そのとおり駕籠かきを始めた。
ある晩、派手ななりをした客が寝込んでるのをいいことに、一休みしておでん屋で一杯……のつもりが結局夜明けまで飲んでしまい、慌てて客を起こす。
すると客は昔なじみの幇間だった。
「ちきり伊勢屋の旦那! あっ、あちらは遠州屋さん!」
「半平か」
「聞きましたよ、水臭いじゃありませんか、あっしが女房を持てたのも旦那のおかげ、感謝してます。どうしてうちを訪ねてくださらなかったんですか!」
「なぁに、痩せても枯れてもこの俺は、ちきり伊勢屋の、あ、伝次郎だぁ~」と芝居がかった物言い。
半平は手持ちの三両を伝次郎に与えると、「これを金に換えてください」と着ている着物を脱ぎ、羽織も、着物も、帯もすべて渡した。
「おいおい、そんなことされると俺達が雲助に見えるよ!」と言いつつ受け取って長屋に戻った二人。
「この三両は、長屋の皆と楽しく使おうじゃねえか」と長屋の連中に振舞って使い切ってしまう。
と、あるとき長屋の子供が病に倒れ、治療には人参という高価な薬草が必要だという。
そこで伝次郎は半平からもらった着物や帯、羽織などを持って亀屋という質屋に行く。
だが、番頭は伝次郎の身なりと着物の高価さとのギャップに「盗んだ品だ」と判断し、「うちでは扱いかねます」と断った。
「痩せても枯れても、俺はちきり伊勢屋の、伝次郎だぁ~!」と見得を切るようにして去って行く伝次郎、その後姿を見てハッとする若い娘。
伝次郎の後を追ってきた番頭、先ほどの無礼を詫びながら「当家の主がお詫びをしたいと」と鰻屋の二階へ案内する。
待っていたのは亀屋の主人と、「水もしたたるような」若くて美しい娘。
「お願いがございます」と切り出した亀屋の主人、「この娘は私の養い娘のお鶴といいまして、その親は山城屋徳兵衛、私の兄でございます」
何と、亀屋はあの山城屋徳兵衛の弟で、長女お鶴を養女にしていたのだった。
山城屋を次女が婿を取って継いだのも、長女は一家を救ってくれた伝次郎に嫁ぎたいと夢見ていたからなのだという。
「どうかこの娘を嫁にして、私の店を継いでください」
お鶴と添わせてもらった伝次郎は亀屋を継ぎ、義父の勧めで暖簾をちきり伊勢屋と改めたという……。
「積善の家に余慶あり、ちきり伊勢屋でございます」
原話
直接の原話は、安永8年(1779)刊『寿々葉羅井(すすはらい)』中の「人相見(にんそうみ)」。
これは、易者に、明朝八ツ(午後2時)までの命と宣告された男が、家財道具を全部売り払って時計を買い、翌朝それが八ツの鐘を鳴らすと、「こりゃもうだめだ」と尻からげで逃げ出したという、たわいない話。
易者に死を宣告された者が、人命を救った功徳で命が助かり、長命を保つというパターンの話は、古くからそれこそ山ほどあり、そのすべてがこの噺の原典または類話といえる。
その大元のタネ本とみられるのが、中国明代の説話集『輟耕録(てっこうろく)』中の「陰徳延寿(いんとくえんじゅ)」。
それをアレンジしたのが浮世草子『古今堪忍記(ここんかんにんき)』(青木鷺水{あおきろすい}、宝永5=1708年刊)の巻一の中の説話。
さらにその焼き直しが、『耳嚢(みみぶくろ)』(根岸鎮衛{ねぎしやすもり}著)の巻一の「相学奇談の事」。
同じパターンでも、主人公が船の遭難を免れるという、細部を変えただけなのが同じ『輟耕録』の「飛雲(ひうん)の渡し」と『耳嚢』の「陰徳危難(いんとくきなん)を遁れし事」で、これらも「佃祭」の原話であると同時に「ちきり伊勢屋」の原典。
三遊亭円生と林家彦六が双璧
明治27年(1894)1月の二代目禽語楼小さん(大藤楽三郎、1848-98)の速記が残っている。
小さん代々に伝わる噺。
ただ、五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)は手掛けていない。
三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)の預かり弟子だった時期がある、八代目林家正蔵(岡本義、1895-1982、彦六)が、小さん系のもっとも正当な演出を受け継いで演じていた。
系統の違う六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79)が、晩年に熱演した。
円生は二代目禽語楼小さんの速記から覚えたと言うから、正蔵のとルーツは同じ。
戦後ではこの二人が双璧でした。
白井左近とは
白井左近の実録については不詳。
二代目小さん以来、左近の易断(えきだん)により、旗本の中川馬之丞が剣難を逃れる逸話を前に付けるのが本格で、それを入れたフルバージョンで演じると、二時間は要する長編。
この旗本のくだりだけを独立させて高座にかける場合は、「白井左近」の演題になる。
ちきり
「ちきり伊勢屋」の通称の由来。
「ちきり」はちきり締めといい、真ん中がくびれた木製の円柱で、木や石の割れ目に押し込み、かすがい(鎹)にした。
同じ形で、機織の部品で縦糸を巻くのに用いたものも「ちきり」と呼んだ。
これを図案化したものが「ちきり」という紋所の名称
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下向きと上向きの△の頂点をつなげた記号で表され、質屋や質両替屋の屋号、シンボルマークによく用いられる。
これは、千木とちきりのシャレであるともいわれる。
積善の家に余慶あり
正しい出典は、「積善の家には必ず余慶あり」
『易経(えききょう)』坤卦(こんけ)の文言伝にある。
「よいことをたくさんした家には自分だけでなく、善徳がありあまって子孫にまでも幸せが及ぶものだ」、という意味。
積善余慶(せきぜんよけい)という四字熟語もある。意味は同じ。
食い違い
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赤坂の「食い違い」は「喰違御門(くいちがいごもん)」のことで、現在の千代田区紀尾井町(きおいちょう)、上智大学の校舎の裏側にあった。
その門前に架かっていたのが「食い違い土橋(どばし)」。
石畳が左右から、交互に食い違う形で置かれていたのでその名があった。
戦国時代の城では、攻めてくる敵をたやすく返り討ちにするため、このような形状を造った。「虎口こぐち」とも言った。
いろいろな落語家が演じるのでござ〜ますわねぇ〜。。。
難しい演目なのだけれど、それだけやりがいがあるのでしょう。。。確かに、興味深い演目ですよ。。。落語家によって、少しづつ内容が違うのです。。。でも、本筋は変わりません。。。三遊亭栄楽さんは、師匠の三遊亭圓生さんから教わったそうです。。。
デンマンさんは、どなたが演じる人情噺が好きでござ〜ますかァ〜?
古今亭志ん朝さんが演じた噺が気に入ってます。。。
どうして古今亭志ん朝さんのビデオを取り上げなかったのですか?
ユーチューブで探したのだけれど、見つけるができなかったのですよ。。。残念です。。。
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【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。
あなたも受験の時とか結婚相手のことで易者さんに見てもらったことがござ〜ますかァ〜?
あたくしは一度だけ見れもらったことがありました。
でも、当たらなかったので、それ以来易者さんにお世話になることはござ〜ませんでしたわァ。。。うふふふふふ。。。
ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」
あなたは、そのような強い口調で あたくしに御命令なさるのでござ~ますかァ~?
分かりましたわ。。。
デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。
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ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。
じゃあ、また。。。
ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
“本音と建前”
よく聞きますよね。
さて、英語で何と言うのでしょうか?
考えてみた事がありますか?
いろいろと言い方があると思います。
appearance and reality
見かけと実物そのまま
これも本音と建前と言い換えることができますよね。
form and substance
外観と実体
これも本音と建前と同じですよね。
one's real intention and
what one says on the surface
本音と建前を説明しているのですよね。
real motive and stated reason
これも間違いなく本音と建前ですよね。
what one says and what one means
本音と建前をこのように言うこともできますよね。
では、「本音と建前を使い分ける」を
英語でどのように言うのでしょうか?
ちょっと考えてみてください。
次のように言うことができます。
You should be tactful as to
when to tell real intention
and when to show form.
ところで、英語の面白いお話を集めました。
時間があったら覗いてみてくださいね。
■ 『あなたのための愉快で面白い英語』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。