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オルフェと聖徳太子

2022-07-13 01:14:54 | 歴史四方山話

 

オルフェと聖徳太子

 


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『黒いオルフェ』 主題歌



『黒いオルフェ』 (予告編)







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デンマンさん。。。 今日は マジでロマンチックな映画のテーマ音楽で始まりましたけれど、“聖徳太子”とは時代も何も全く関係ないじゃござ~♪~ませんかァ!


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あのねぇ~、全く関係ない事を僕が持ち出すはずがないでしょう!

つまり、“黒いオルフェ” と “聖徳太子” が関係あるのでござ~ますかァ~?

もちろんですよ。 あのねぇ~、もうずいぶん以前のことになるのだけれど、バンクーバー市立図書館の分館で Joe Fortes Library というのが僕のマンションの近くにあるのですよ。

 


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日本で言えば公民館の中にある図書館でござ~ますわねぇ~。。。



そうです。 その分館で もう古くなって要らなくなった本をダンボールの箱の中に詰めて“どうぞご自由にお持ち帰りください”という札をつけて入り口の近くに置いてあった。

そのダンボールごとデンマンさんはマンションに持ち帰ったのでござ~ますか?

いや。。。 それほどあつかましいことは僕にはできませんよ。 30冊ぐらい あったのだけれど、その内のいくつかを手にとって 興味のある本を5冊ほど持ち帰ったのですよ。 その内の一冊に“The Age of Fable”という本があった。

 


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“神話の時代” あるいは “おとぎ話の時代”とでも言うのですか?



そうです。 Thomas Bulfinch というおっさんが書いた本なのだけれど、初版が出たのが なんと 1855年。。。 今から 159年も前のことですよ。

そのタダの本をデンマンさんは読み始めたのでござ~ますか?

そうなのですよ。 10年ぐらいほったらかしにしておいたのだけれど、たまたま1週間ほど前に手にとって見たのですよ。 そしたら、けっこう面白い。 その話の中に“オルフェとユリディス(Orpheus and Eurydice)”の話が出てきたのです。 もう著作権が切れてパブリックドメインで公開されているようで、ネットで調べたら次のサイトで ほぼ全文が公開されていましたよ。

 


Orpheus and Eurydice


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ORPHEUS was the son of Apollo and the Muse Calliope.
He was presented by his father with a Lyre and taught to play upon it, which he did to such perfection that nothing could withstand the charm of his music.
Not only his fellow-mortals but wild beasts were softened by his strains, and gathering round him laid by their fierceness, and stood entranced with his lay.
Nay, the very trees and rocks were sensible to the charm.
The former crowded round him and the latter relaxed somewhat of their hardness, softened by his notes.

Hymen had been called to bless with his presence the nuptials of Orpheus with Eurydice; but though he attended, he brought no happy omens with him.
His very torch smoked and brought tears into their eyes.
In coincidence with such prognostics, Eurydice, shortly after her marriage, while wandering with the nymphs, her companions, was seen by the shepherd Aristæus, who was struck with her beauty and made advances to her.
She fled, and in flying trod upon a snake in the grass, was bitten in the foot, and died.
Orpheus sang his grief to all who breathed the upper air, both gods and men, and finding it all unavailing resolved to seek his wife in the regions of the dead.
He descended by a cave situated on the side of the promontory of Tænarus and arrived at the Stygian realm.
He passed through crowds of ghosts and presented himself before the throne of Pluto and Proserpine.




SOURCE: "Orpheus and Eurydice"


 



話の前半部を書き出したのだけれど、日本語に訳すと“あらすじ”は次のようになるのですよ。

 




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オルフェの妻ユリディスが毒蛇にかまれて死んだとき、オルフェは妻を取り戻すために冥府に入った。

彼の弾く竪琴の哀切な音色の前に、ステュクスの渡し守カローンも、冥界の番犬ケルベロスもおとなしくなり、冥界の人々は魅了され、みな涙を流して聴き入った。

ついにオルフェは冥界の王ハーデースとその妃ペルセポネーの王座の前に立ち、竪琴を奏でてユリディスの返還を求めた。

オルフェの悲しい琴の音に涙を流すペルセポネに説得され、ハーデースは、「冥界から抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」という条件を付け、ユリディスをオルフェの後ろに従わせて送った。

目の前に光が見え、冥界からあと少しで抜け出すというところで、不安に駆られたオルフェは後ろを振り向き、妻の姿を見たが、それが最後の別れとなった。


 



あらっ。。。 このお話は 日本の神話の“イザナギとイザナミ”のお話と瓜二つではござ~ませんかァ!



京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授も そう思いますか?

そうですわ。 そのお話を知らないネット市民の皆様のために あたくしが書き出しますから、知らない人は読んでくださいまし。

 



イザナギとイザナミ

 


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イザナギ神は、亡き妻に会いたい気持ちが募り、
とうとう死者の国である黄泉国(冥界)まで
イザナミ神を追って行きました。

そして、黄泉の国の御殿の内側にいる
妻のイザナミ神に向かって、言いました。

「いとしい妻よ。
私とオマエで作っている国は、
まだできあがっていない。
どうか、帰ってきておくれ。」

「残念です。あなたが なかなか来なかったので、
私は、黄泉の国で作った食べ物を
食べてしまいました。 だから、もう帰れません。
でも、いとしい夫のあなたが来てくれたので できたら帰りたい。
黄泉の国の神と相談しますわ。
その間、けっして私を見ないでください
そう言って、イザナミ神は御殿の奥に入ってゆきました。

イザナギは、ずいぶん長い間待ちましたが、
イザナミ神は現れません。

待っていられなくなったイザナギ神は、
ついに髪の左のみづらにさしていた、
くしの歯を一本折って火をともし、
御殿の中に入ってゆきました。

そこで見たイザナミ神の姿には、
なんと、イザナミの体にはうじ虫がたかり、
頭、胸、腹などには雷神がいました。

それを見たイザナギ神は恐れおののき、
黄泉の国から逃げ帰ろうとしました。

すると、イザナミ神は、
「よくも私に恥をかかせましたね。」
と言って追いかけてきました。

イザナギ神は、千人で引くほどの重い大きな岩で、
黄泉比良坂を塞ぎ、イザナミ神と、
その岩を間に置いて向かい合って立ちました。

イザナミ神は、言いました。
「いとしい私の夫よ。
あなたがこのようなことをするのなら、
あなたの国の人を一日千人、殺しましょう。」

イザナギ神が応えました。
「いとしい妻よ。
あなたが千人殺すなら、
私は、一日に千五百の産屋を建てよう。」
こういうわけで、
一日に必ず千人死に、
千五百人が生まれるのです。

こうしてイザナミ神は、
黄泉津大神という名になりました。

この話に出てくる黄泉比良坂は、
出雲国の「伊賦夜坂」 のことであると言われています。


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どうして2つの話が これほど似ているのか? 卑弥子さんは どう思いますか?



偶然ですわ。

あのねぇ~、偶然にしてはできすぎているのですよ。

だってぇ~、“オルフェとユリディス(Orpheus and Eurydice)”のお話はギリシャの神話でしょう! 「イザナギとイザナミ」のお話は日本の古代の神話ですわ。 ギリシャと日本という距離を考えれば、偶然だとしか言いようがござ~ませんわァ。

あのねぇ~、よ~く考えてみてください。 時間も距離も越えて『黒いオルフェ』という映画か 1959年に作られた。 つまり、“オルフェとユリディス(Orpheus and Eurydice)”という話には、それほど人の心に訴えるものがある。

つまり、ギリシャ神話の“オルフェとユリディス”というお話が  「イザナギとイザナミ」のお話の出所だとデンマンさんは言うのですか?

もちろんですよ。 ちょっと次の小文を読んでみてください。

 

なぜ厩戸王子なの?



 


母親の穴穂部間人皇女が宮中を見回るうちに、馬屋の前で産気づき、そこで出産したからという逸話が日本 書紀などに見られます。
これはキリストの生誕を彷佛とさせます。

実際、キリスト教の一派であるネストリウス派が中国に伝わったのは唐の時代ですから、後世それを拝借して太子の誕生を脚色したのではないか、という説があります。

確証はないけれど、面白い話ですね。


 



上のようなウェブページを見かけますが、果たして確証がないのだろうか?私が初めてこの話に出くわした時には、 「必ず関連があるはずだ」、という思いに駆られたものです。
なぜか?
すぐに正倉院の宝物が思い浮かびました。


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世界で最も古くガラスが作られたのは,紀元前2300年代以前にさかのぼると言われています。
また、カットによってガラス容器の表面を飾る技法は、 紀元前8世紀ごろ始められたと言われています。
バビロニアのサルゴン王(紀元前722-705)の時代に透明なガラスが出来、カットの技法により削り出し、容器に仕上げる方法が発達しました。
この技法はペルシャのアケネメス王朝(紀元前558-331)のガラス工芸にも受けつがれ、素晴らしいガラス器を生み出すことになります。

ペルシャのササーン王朝時代(226-651)には、アケネメス時代のカットグラスが更に発展し、盛んに製作されるようになりました。
私たちが訪れる奈良の正倉院に現存する、上に示した紺瑠璃杯(こんるりはい)は、このササーングラスの一つです。
(現物はもう少し色が濃いです)


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正倉院というのは、ご存知のように聖武天皇の宝物などを収めた校倉(あぜくら)造りの建物です。
同天皇が没した756年にはすでに建立されていたということが、 最近の研究によって分かりました。
この上に示した紺瑠璃杯(こんるりはい)は4世紀か5世紀に作られたらしいのです。
従って、もし、4世紀に作られていたとすれば、それが、何百人かの商人の手を経て300年から400年かかって、上のシルクロードをたどりながらペルシャから大和へもたらされたことになります。

ということは、もうこの当時から、ペルシャから大和に至る人の流れがあったわけです。
物が運ばれるということは、同時に珍しい話や面白い物語なども、商人の口を通して伝わってくるわけです。
キリストが生まれたのは、紺瑠璃杯が作られた時よりも更に300年程前です。
従って、キリスト生誕にまつわる話が商人の口を通して、聖徳太子が生まれるかなり以前に日本へ伝えられたとしても、時間的に十分考えられることです。

秦氏の祖・弓月君(ゆづきのきみ)

日本書紀」応神天皇14年条に、弓月君(ゆづきのきみ)が百済より人夫120県を領(ひき)いて「帰化する」とあって、この弓月君を「新撰姓氏録」では秦氏の祖としています。
しかし、この弓月君とは、一体どういう人物だったのでしょう?
この人について調べてみたいと思います。

京都には太秦(うずまさ)と呼ばれる土地があります。
太秦(だいしん)とは中国語ではローマ帝国のことを、そう呼びます。
紀元前221年に始皇帝がうち立てた秦という国は、すでに述べたとおり、ペルシャ人を通して西アジアの文明をたっぷり取り入れています。
中国人の目には、西方にあると言う点で、太秦(だいしん)と秦は関連のある国として映っていたのかもしれません。

紀元前207年に、この秦が滅びます。
この滅亡の民の一部が朝鮮に逃れ、秦韓に住んだといわれます。
この人たちの長者が弓月君(ゆづきのきみ)で、応神天皇の時代に、この一族が大挙して日本へ渡来してきました。
弓月君は融通王とも呼ばれる秦氏の祖で、すでに述べたように、応神14年百済より帰化したと書紀に載っています。
秦の始皇帝の5世の孫ともいわれ、のち波多姓を賜っています。

秦氏は、ユダヤ人の景教徒だった?

この「弓月」には、どのような意味があるかと調べてみると、「ユヅキ」は、「ユダ」のことで、太秦の「ウズ」も同じ意味ではないかと述べている研究者がいました。
太子の死後、腹心の秦河勝は追善のため太秦に広隆寺を興しました。
この秦氏の「ハタ」も、司教を意味するヘブライ語「パトリアーク」からきたものだ、と言います。

ハタとは、ネストリウス派では全教会の総主教のことをそう呼ぶそうです。
太秦はイエスを意味するヘブライ語「イシュ・マシャ」から来たものだとも言われています。
このようなことから、秦氏は、ユダヤ人の景教徒だったのではないかと述べています。

また、広隆寺には「伊佐良井の井戸」がありますが、これはイスラエルのことだ、と言う説があります。
この寺域には、また、大酒神社という社(やしろ)があります。
もともとは大闢(だいびゃく)神社といい、この大闢とはダビデのことをいうそうです。
しかも、太秦には非常に珍しい三柱鳥居というのがあります。
ユダヤの「ダビデの星」を模したものだそうで、これは、また、キリスト教の三位一体を表すとも言われています。

なんとなく眉唾くさいと思いながら調べてゆくと、次のような記述に出くわしました。
世界中の神殿で、日本の神社に似たものは紀元前10世紀頃のイスラエル王国のものしかないそうです。


イスラエルの檜づくりの神殿には鳥居に似た二本の柱が立っていました。

神官は禊(みそぎ)をし、白の着物を着て、神に酒と初穂を捧げました。

また、柏手(かしわで)を打って拝みます。

しかも、清めに塩を使い、榊(さかき)に似た小枝でおはらいをしました。


こうしたことから、 日本神道は古代のユダヤ人が持ち込んだと、昭和初期、小谷部全一郎という人が言い出しました。




『なぜ厩戸王子なの?』より
(2003年8月3日)


 



どうですか、卑弥子さん。。。 古代のユダヤ人が“オルフェとユリディス”という話を持ち込んだとしても決して不思議じゃないでしょう!?



つまり、古事記を編纂させた藤原不比等が その話を基にして 「イザナギとイザナミ」の話を作らせたのでござ~ますか?

そうですよ。

でも、なぜ。。。?

だってぇ、考えてもみてください。 1959年に“オルフェとユリディス”を基にして『黒いオルフェ』を映画にした人が居るじゃないですかァ~! 藤原不比等も、この話を『古事記』に載せれば“ウケル”と思ったのですよ。

でも、それは ちょっと考えすぎではござ~ませんかァ~?

いや。。。 これまでの話を素直に読んでくれば 卑弥子さんだって なるほどと納得できるでしょう!?




初出:2014年9月6日 



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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
あなたは どう思いますか?

ところで、エジプトのギザのピラミッドは誰が何のために造ったのか?
知っていますか?
伝統的な歴史家の解釈では、古代エジプト人がファラオのお墓にするために造ったということになっています。

でも、最近、人類学者、地質学者、土木技術者、天文学者、地球物理学者、考古学者、自称歴史学者などによる、新たな発掘や、発見などから、ピラミッドがファラオのお墓であるという解釈は退(しりぞ)けられているのでござ~ますわ。
少なくとも、ギザのあの3つのピラミッドは墓ではないという見方が大勢を占めています。

それに、いつ頃 あのギザのピラミッドが造られたのか?
いわゆる“エジプトロジー学会”の言うところではピラミッドは 2575BC から 2150 BCにかけて造られたということになっています。

しかし、この考え方にも疑問を持っている研究者は多数いるのでござ~ますわ。
例えば、ギザの三大ピラミッドおよびナイル川の(当時の)流れ、そして他の多数のピラミッドとの配置に着目し、ピラミッド群は現在から1万500年前の天体の配置を模したものであるという説もあります。
すなわち、ナイルが天の川で、三大ピラミッドがオリオン座のベルト、即ち中央を横切る三つ星に相当、他のピラミッドも星の位置に対応しそれを反映しているということです。
三大ピラミッドのうち、メンカウラー王のピラミッドが他の2つの頂点を結んだ線からずれている点、大きさも他の2つよりも小さいことについて説明する有力な説とも言われています。
ただし、この説はいわゆる“エジプトロジー学会”では認められていません。

ちなみに、聖書は地球の年齢を約6,000年と教えています。
おそらく一部の狂信的な聖書信奉者を除いて、地球の年齢が約6,000年だと考えている人は居ないでしょうね!
つまり、ダーウィンの『種の起源』が1859年に出版される以前は、多くの人が地球の年齢が約6,000年だと考えていたのでござ~ますわ。
それから、まだ200年経っていません!
驚きですわ。

要するに、“エジプトロジー学会”の定説は、言ってみれば“聖書の教え”のような教条主義に陥(おちい)っているようですわねぇ。
そのような教条主義から脱却して、意欲的で、自由な、創造的な発想でエジプトロジーを考える動きがすでに始まっています。
次に示すビデオ・クリップは3時間以上に渡る長いものですが、そのような人たちによる 新しいエジプトロジーの動きです。
英語ですが、映像がふんだんにあって、講義はありません。
実に興味深いビデオです。
3時間見る価値がありますわァ。

なぜ。。。?
かつて、戦争のない平和な世界を出現させた高度な文明を持った人たちが、この地球上にいたのですわ。
その人たちのことが次のビデオクリップには出てきます。

 



 


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どうでした?
上のビデオを見ると、最近のエジプトロジーの動向と未来が見えてくると思いますう。

ところで、エジプト文明も面白いですけれど、日本の古代も面白いですわよ。
たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいね。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。
ぜひ 覗いてみてください。

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。
卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本を良い国に…』

『エロい熟女』

『アッと驚くマキアベリ!』

『良寛さんの顔』

『あなたの中の阿修羅』

『蝦夷って悪い意味?』

『伎楽は呉の音楽?』

『呉越の謎』

『紅のボートピープル』

『蕎麦屋と忠臣蔵』

『ピンクと桃色』

『妻の不貞』

『卑弥子さん、ご指名ですよ!』

『カン違い大岡越前』

『ロマンのカシオペア』

『カシオペアの現実』

『エロい徳子を探して』

『紫式部と皇国史観』

『エロい道鏡と薬師如来』

『天平の麗しき淑女』

『元からの饅頭』

『なぜ唐に留まったの?』

『下着美人』

『一所懸命』

『ねぇ、ねぇ、ねぇ効果』

『遊女と三つ子』

『布袋さんの魅力』

『今、エジプトに?』

『鍋かむり祭り』

『日本人はどこから来たの?』

『卑弥子も待ってます』

『卑弥子の源氏物語』

『源氏物語もエッチなのに』

『失意の紫式部』

『めちゃムカつく足枷』

『床上手な女になりたい』

『日本へ、紀元前のメイフラワー号』

『日本の死海文書』

『今さら聞けない、床上手』

『兄妹の恋と大乱』

『えっ、ヒトラーはベジタリアン?』

『外人に乗っ取られた日本?』

『失われたバレンタイン』

『軽井沢夫人@日本王国』

『都知事になれなかった男』

『落選男の正体?』

『カナダはカエデの国なの?』

『海外飛躍遺伝子』

『ふるさとは遠きにありて…』

『芭蕉と遊女の出会い』

『芭蕉と遊女が…あれぇ~!』

『宮沢りえと3723人の観客』

『血のつながり』

『チョー有名な三角関係』

『日本の真ん中』

『デンマンの死@玉淀』

『血の絆』

『イジメられたら?』

『アタマにくる一言をかわすには』

『顔文字がダメなら?』

『日本の一番長い日』



軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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