ハルヴァ@行田
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デンマンさん。。。 行田市に帰省してハルヴァを食べたのですか?
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やだなあああァ~。。。他人事のように言わないでくださいよ。。。小百合さんと一緒に食べたじゃありませんかァ~! だから、こうしてハルヴァのことを書く気になったのですよ。。。
でも。。。、でも。。。、どうしてハルヴァに拘(こだわ)るのですかァ~? それほど美味しいお菓子ではないではありませんかァ~。。。
まさか行田市でハルヴァに出会うとは思わなかったのですよ。。。僕が子供の頃は、バナナは高級品で、まだ自由化される前だったのです。。。もちろん、ハルヴァなんて聞いたこともなかった。。。
デンマンさんは、太平洋戦争中のことを言ってるのですか?
やだなああああァ~。。。小百合さんは若いけれど、僕とそれほど年が離れているわけではないのですよ。。。僕も小百合さんも戦後生まれなのです。。。そういう悪いツッコミは入れないでくださいねぇ~。。。
分かりましたわ。。。
10月20日は久しぶりに秋晴れの素晴らしい天気でした。。。さきたま古墳公園でピクニックをして、小百合さんが「キツネうどん」を作ってくれた。。。
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デンマンさん!。。。ハルヴァのことを書くのに、どういうわけで「きつねうどん」を持ち出すのですか?
だってぇ~、小百合さんが作ってくれたでしょう!
即席の「きつねうどん」のドンブリにお湯をかけただけのことですわァ~。。。ハルヴァと「きつねうどん」では、まるで三味線とエレキギターを一緒に弾くようなものではありませんかァ!
とにかく、「きつねうどん」を食べてから、小百合さんが「業務スーパー」に寄ってゆきたいと言ったので、僕はついて行ったのですよ。。。
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店に入ってゆくと輸入品のコーナーがあった。。。
デンマンさんは「業務スーパー」に輸入品のコーナーがあると知らなかったのですか?
小百合さんに言われるいまで忘れていましたよ。。。ヨーロッパ直輸入の冷凍食品の並びの棚を見ていたらハルヴァに目が留まった。。。
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デンマンさんにとって、ハルヴァがそれほど珍しいのですか?
特に珍しいと言うわけではないけれど、僕にとっては特別な思い入れがあるのですよ。。。
その思い入れというのは、どういうことですか?
ちょっと次の検索結果を見てください。。。
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■『現時点での検索結果』
ハルヴァ デンマン と入れて検索すると 1,440件もヒットするのですよ。。。
あらっ。。。デンマンさんが書いたハルヴァの記事がズラズラと金魚のウンチのように連なって出てくるのですわねぇ~。。。うふふふふふ。。。
そうなのです。。。2016年からしばしばハルヴァのことを書いているのだけれど、まだ一度もハルヴァを食べたことがない。。。
それで、「業務スーパー」の輸入品コーナーでハルヴァを見て感激したのですか?
そうですよ。。。どうしても食べてみなければならないと思ったわけです。。。
なるほどォ~。。。それで、デンマンさんは気に入ったオモチャを欲しがる幼児のように、買って欲しいとせがんだわけなのですわねぇ~。。。
別に小百合さんにせがんだわけじゃないけれど、長年の夢がかなったような気持ちで買い物かごにハルヴァを手にとって入れたわけですよ。。。
でも。。。、でも。。。、いったいどういうわけで それほどハルヴァにハマったのですか?
ちょっと次の小文を読んでください。。。
米原万里
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誕生 1950年4月29日
死没 2006年5月25日(満56歳没)
ロシア語同時通訳・エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家である。
著作には、『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』、『魔女の1ダース』、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』、『オリガ・モリソヴナの反語法』などがある。
日本共産党常任幹部会委員だった衆議院議員・米原昶の娘として東京都中央区の聖路加病院で生まれる。
大田区立馬込小学校3年生だった1959年(昭和34年)、父が日本共産党代表として各国共産党の理論情報誌 『平和と社会主義の諸問題』編集委員に選任され、編集局のあるチェコスロバキアの首都プラハに赴任することとなり、一家揃って渡欧した。
9歳から14歳まで少女時代の5年間、現地にあるソビエト連邦外務省が直接運営する外国共産党幹部子弟専用の8年制ソビエト大使館付属学校に通い、ロシア語で授業を受けた。
チェコ語による教育ではなくソビエト学校を選択したのは、ロシア語ならば帰国後も続けられるという理由だった。
ソビエト学校は、ほぼ50カ国の子供達が通い、教師はソ連本国から派遣され、教科書も本国から送られたものを用いる本格的なカリキュラムを組んでいたという。
クラスの人数は20人を越えると二つに分けるなど、きめ細かい教育だったが、最初の約半年間は、教師や生徒が笑っていても言葉がわからず、「先生の話すことが100パーセント分からない授業に出席し続けるのは地獄」だったと述懐している。
1964年(昭和39年)11月、ソビエト大使館付属学校を第7学年で中退し日本に帰国。
1965年1月、大田区立貝塚中学校第2学年編入。
日本の試験が○×式あるいは選択式であることにカルチャーショックを受けた。
ソビエト学校はすべて論述試験だったからである。
プラハの春(1968年)が起こったのは日本へ戻った後の、18歳のときだった。
東京外国語大学外国語学部ロシア語学科に入学、この頃に日本共産党入党。
1975年3月に同大を卒業し、同年4月、汐文社に入社。
1976年3月、同社を退社し、同年4月、東京大学大学院人文科学研究科露語露文学専攻修士課程に進学。
1978年3月、同修士課程修了。
大学院在学中の1985年(昭和60年)、「東大大学院支部伊里一智事件」に連座して党から除籍処分を受けたが、死亡時『しんぶん赤旗』訃報欄には、党歴無記載ではあるが掲載された。
後年(2002年5月13日)、逮捕直前の佐藤優に米原は「私は共産党に査問されたことがある。あのときは殺されるんじゃないかとほんとうに怖かったわ。共産党も外務省も組織は一緒よ」と語っている。
また、日本共産党から離れた後「今の社会の仕組みや矛盾を説明するのに、カール・マルクスほどぴったりな人はいないわよ。絶対的とは言わないけれど、今読むことのできる思想家の中では、あれほど普遍的に世の中の仕組みや矛盾をきちんと説明できる思想家は他にいない」とたびたび語っていた。
1980年ロシア語通訳協会の設立に参画し、初代事務局長となる。
TBSのテレビ番組『シベリア大紀行』という番組で、厳寒期の平均気温がマイナス60度になるヤクーツクを取材し、厳冬期のシベリアを一万キロにわたり横断。
この経緯をテレビ番組のみならず、児童向けの『マイナス50°Cの世界 寒極の生活』(1986年)として著した。
1983年(昭和58年)頃から第一級の通訳として、ロシア語圏要人の同時通訳などで活躍。
特にペレストロイカ以降は、ニュースを中心に旧ソ連・ロシア関係の報道や会議の同時通訳に従事する。
1990年1月、エリツィン・ソ連最高会議議員(当時)来日にあたって、随行通訳を務める。
エリツィンからは「マリ」と呼ばれ、大変可愛がられていた。
2003年から2006年の死去まで、ロシア語通訳協会会長を務める。
晩年は、肉体的にも精神的にも負担の多い同時通訳からは身を引いて作家業に専念した。
またTBSのテレビ番組『ブロードキャスター』にコメンテーターとして出演していた。
卵巣癌を患い除去したが1年4ヶ月で再発し、2006年(平成18年)5月25日に神奈川県鎌倉市の自宅で死去した。
エピソード
趣味は駄洒落と下ネタ、そして犬や猫と暮らすこと。
親しい友人のイタリア語同時通訳者の田丸公美子も駄洒落と下ネタが得意で、米原は田丸に自分の渾名「シモネッタ・ドッジ」なる称号を献上、田丸は米原を「え勝手リーナ」(エカテリーナ)と呼んでいた。
かつてモスクワで橋本龍太郎から強姦未遂の被害を受けた逸話を、評論家の佐藤優が米原本人から聞いた話として
ロシア語通訳の米原万里は大きな瞳で筆者を見つめ「私橋龍に襲われそうになったことがあるの」と言った。
橋本龍太郎・元首相はエリツィンとの会談で通訳してもらう内容について相談したいと米原万里を3部屋続きのプレジデント・スイートに呼び出し暫く打ち合わせたが途中から様子が変わり米原万里に迫ってきたということだ。
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「ほんと怖かった。やっとの思いで部屋から逃げ出したわ。
仕事にかこつけて呼び出しておいて迫るのは男として最低だわ」
と米原万里は続けた。
と、著書『インテリジェンス人間論』に記載している。
出典:「米原万里」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あらっ。。。元首相の橋本龍太郎さんは、米原万里さんに破廉恥なことをしようとしたのですわねぇ~。。。
そうなのですよ。。。
でも、この破廉恥事件とハルヴァがどのように関係しているのですか?
米原万里さんが彼女の著書の中で次のように書いているのです。。。
トルコの蜜
小学校3年生の秋、両親の仕事の都合でチェコスロバキアのプラハに移り住んだ。
学校の帰り道、学友たちと駄菓子屋によって買うお菓子の人気ナンバーワンが“TURETSKIJ MED” 直訳すると、「トルコの蜜」 すなわちトルコ蜜飴だったのだ。
ヌガーをもう少しサクサクさせて、ナッツ類の割合を多くした感じ。
並みのキャンディーやチョコレートじゃ太刀打ちできないぐらい美味しい。
なのに、ロシア人のイーラは言う。
「これなら、ハルヴァの方が百倍美味しいわ」
「そのハルヴァっていうの、食べてみたい」
「えっ、ハルヴァを知らないの。 じゃあ今度、モスクワに帰ったときに買ってきてあげる」
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夏休み明けの9月1日、イーラは約束を果たしてくれた。
ちょうど靴磨きのクリームが入っている缶のような形とサイズの青い容器。
蓋に白字で “хaлва” とだけ書かれてある。
今も青い丸い缶に“NIVEA”と白地で書かれたニベア・スキンクリームの容器を見るたびにイーラが持ってきたあの缶を思い出す。
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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
73 ページ 『旅行者の朝食』
著者: 米原万里
2002年6月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋
つまり、「これなら、ハルヴァの方が百倍美味しいわ」というのを読んでデンマンさんは食べてみたいと思ったのですか?
そうです。。。いけませんか?
デンマンさんは意外に単細胞的なところがあるのですわねぇ~。。。
小百合さんは上の文章を読んで食べてみたいという気持ちにならないのですか?
デンマンさんからこの話を聞く前に読んでいたら食べたいと思ったかもしれませんわ。。。
。。。で、食べた感想はどうでした?
特徴的な食感があって、これまでの甘いお菓子とは違いますけれど、「ハルヴァの方が百倍美味しいわ」と言ったロシア人のイーラは、とてもまずいトルコのお菓子を口にしたのでしょうねぇ~。。。
うん、うん、うん。。。そうかもしれません。。。
ところで、元首相の橋本龍太郎さんは小太りな女性が好みなのですわねぇ~。。。
いや。。。上の米原万里さんの写真を見てそう思ったのならば、お門違いです。。。元首相の橋本龍太郎さんが米原さんに迫った時には、次のように若々しく痩せていたのですよ。。。
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初出: 2020年10月24日
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【卑弥子の独り言】
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ですってぇ~~
あなたはハルヴァを召し上がったことがありますか?
日本の甘いお菓子とは食感がかなり違います。
ぜひ、輸入品コーナーで探して食べてみてください。
ええっ。。。「甘いものは嫌いなんだ。。。。そんなことより 他にもっと面白い話をしろ!」
あなたは、あたくしに そのようにご命令なさるのでござ~ますかァ~?
分かりましたわァ。。。 あなたがそのようにおっしゃるのであれば、
2020年元旦にバンクーバーで第100回寒中水泳があったのでござ~ますわよう。
その模様をお見せしますわねぇ~。。。
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ええっ。。。 「寒中水泳など つまらんから、もっと面白い話をしろ!」
あなたは、さらに、そのような強い口調で あたくしにご命令なさるのですかァ~?
分かりましたわァ~。。。
個人的なお話ではありますけれど、
次の検索結果を見てくださいまし。。。
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■『拡大する』
■『現時点での検索結果』
「卑弥子 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。
つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわよう。
うふふふふふふ。。。
あなたも、ビックリするでしょう?
ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわァ。
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どうでござ~ますかァ?
ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?
どうしてよう?
ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?
あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、
最後には上のようなおヌードになるのですわよう。
信じてくださいましなァ~。。。
ところで、小百合さんが なぜ「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのか?
ご存知でござ~♪~ましょうか?
なぜ。。。?
実は簡単な事なのですわよう。
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小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわァ。
そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。
現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。
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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。
そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。
軽井沢・雲場池の紅葉
軽井沢のイルミネーション
秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩
とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。
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ィ~ハァ~♪~!
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ローズヒップ(rose hip)とは
バラ科バラ属の植物の果実。
つまり、バラの実です。
ローズヒップ生産のため、バラの特定品種、
特にRosa canina(ドッグ・ローズ)が栽培されています。
ハイビスカスとブレンドしたハーブティとして飲用されることもあります。
また、ローズヒップオイルは食用油として、
ジャム、ジェリー、マーマレードにも用いられるほか、
スキンケアにも用いられます。
こんなエピソードがありました。
第二次世界大戦中、
イギリスはドイツ海軍Uボートの海上封鎖により
オレンジの輸入がストップしたのです。
ビタミンCの補給ができなくなったのです。
それで、英国の学童たちは生垣に生えている
ローズヒップの採集を命じられました。
ローズヒップティーにして飲んで
ビタミンCを補給したのですって。。。
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なんだか信じられないようなお話ですよね。
ところで、英語の面白い話を集めました。
時間があったら覗いてみてください。
■ 『あなたのための愉快で面白い英語』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。
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