緋鯉
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デンマンさん。。。お久しぶりです。。。どういうわけで急に私をお呼びになったのですかァ〜?
あのねぇ〜、芳江さんが登場する記事が何年かぶりに読まれたのですよ。。。ちょっと次のリストを見てください。。。
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■『有閑マダムとゴッホ』
これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で11月16日の午前3時41分から午後1時16分までのアクセス者の記録です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。
あらっ。。。 11月16日の午前11時28分に GOOGLEで検索して 有閑マダムとゴッホ を読んだネット市民が居たのですわねぇ〜。。。
そうです。。。実は、東京の港区西麻布に住んでいる梶原美咲(かじわら みさき)さんが読んだのです。。。
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あらっ。。。和服が似合うきれいな方ですわねぇ〜。。。西麻布の高級住宅地に住んでいるのですかァ〜?
そうです。。。美咲さんは日本画の私塾に通って日本画家をめざして勉強しているのですよ。。。
。。。で、どのように記事を見つけたのですか?
次のように検索したのです。。。
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■『現時点での検索結果』
■『有閑マダムとゴッホ』
"有閑マダム" ゴッホ 徒然ブログ と入れて検索したのですわねぇ〜。。。
そうです。。。
私は"有閑マダム"ですかァ〜?
それほど深く考えないでください。。。あのねぇ〜、美咲さんも、彼女のクラスメートも「徒然ブログ」の常連さんなんですよ。。。クラスメートが『有閑マダムとゴッホ』を読み、「面白いことが書いてあるから、美咲さんも読んでみたらいいわよ」と彼女に勧めたのです。。。そういうわけで美咲さんは、言われたように "有閑マダム" ゴッホ 徒然ブログ と入れて検索したのです。。。
検索結果のトップに出てきたリンクをクリックしたのですか?
そうです。。。すると次のページが表示されます。。。
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■『実際のページ』
■『有閑マダムとゴッホ』
上のページは、僕が10月20日に呟いたツイートを自動的にまとめて表示したものです。。。
10月20日の午前1時5分から午前4時5分まで 70回も呟いたのですわねぇ〜。。。真夜中じゃありませんか!。。。デンマンさんは真夜中にも関わらず眠らずに呟いたのですかァ〜?
いや。。。ちゃんと眠ってますよ。。。上の時刻は日本時間です。。。バンクーバー時間は16時間遅れているので前日、19日の午前9時5分から午後12時5分まで呟いたのです。。。
美咲さんは、どのツイートをクリックしたのですか?
上のページのトップのツイートをクリックしたのですよ。。。
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紫のアンダーラインが引いてある短縮URL をクリックすると次のツイートのページが出てきます。。。
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■『拡大する』
■『実際のページ』
赤枠で囲んだリンクをクリックすると次の記事が出てくるというわけです。。。
有閑マダムとゴッホ
私は日本画家と呼ばれるほど大それた人物ではありませんわ。
いや、いや。。。謙遜しないでくださいよ。確かに日本で“日本画家”と言えば、日展で入選したような有名人かもしれませんが、僕は言葉が本来もっている意味で芳江さんが日本画家だと思っているのですよ。
それって。。。どう言う事ですか?
だから、日本には日本画家と言われている人が結構たくさん居るかもしれません。マスコミに取り上げられて、一応名前が知られているような。。。でもねぇ、僕が名前を知っている日本画家なんて2人か3人ですよ。それ以外は取り立てて素晴しい日本画を描く人なんて居ませんからね。。。物まねがほとんどで、独創的な日本画を書く人は極めて少ないですよ。
でも、私は日本画家と言われるためには、つたない絵ばかりを描いていますわ。
いや、いや。。。謙遜しないでくださいよ。芳江さんの日本画が福井県の絵画展で入選したことを僕は知っていますからね。
でも、田舎の絵画展ですわ。
日展であろうが、田舎の絵画展であろうが、良いものは良いのですよ。少なくとも芳江さんの日本画が絵画展に出て、その良さを認めた人が居た。そのことが素晴しいのですよ。
そうでしょうか?
実は僕も絵を描くのですよ。日本画はやった事がないけれど、水彩画と油絵はやった事があります。彫刻もやった事があって美術に関しては素人ながらも玄人(くろうと)はだしなところがあると、自負しているのですよ。うへへへへ。。。
この和歌は、小学校だけしか出ていない僕のお袋が作ったものですが、その歌のイメージから日本画的な情景を僕がコラージュしてでっちあげたモノです。つまり、このようなモノを見せて僕が何を言いたいか?と言うと、ただ芳江さんを煽(おだ)てているのじゃないと分かって欲しいからですよ。少しは絵の心得が僕にはある。芳江さんの日本画を批評するぐらいの経験がある、と言いたいのですよ。素晴しい美術作品も結構見ている。
デンマンさんも海外の美術館を見て回ったのですか?
そうですよ。これまでに34カ国を旅しましたからね。美術館に足を運ぶのも僕の趣味ですよ。芳江さんも暇があれば海外に出向いて美術館巡りをしながら絵の勉強をしていたのですよね。
そう言われてみれば、ずいぶんと美術館巡りをしましたわ。ルーブル(パリ)、オルセー(パリ)、プラド(マドリード)、メトロポリタン(ニューヨーク)、エルミタージュ(サンクトペテルブルク)、ロンドン・ナショナル・ギャラリー、フィンセント・ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)、。。。思いつくままでもこれだけ巡りましたから。。。
そうですか。。。ゴッホ美術館にも行きましたか。僕もアムステルダムでゴッホの絵を見ましたよ。でもね、絵だけを見るとつまらない絵だと僕は正直、思いましたよ。
ゴッホの絵が。。。つまらない。。。つまらない絵ですか?
そうですよ。ゴッホが生きている間では、たったの1枚だけしか売れなかった。その程度の絵ですよ。
デンマンさん。。。マジですか?
もちろんですよ。僕は大真面目ですからね。。。ゴッホの絵が死後あれだけ有名になって人気が出たのは、ゴッホの弟のテオの妻(ヨハンナ)が居たからですよ。
テオの妻が、なぜゴッホの絵が世に出た事と関係しているのですか?
ちょっと次の囲み記事を読んでみてくださいよ。
フィンセント・ファン・ゴッホ
(Vincent van Gogh)
(1853年3月30日 - 1890年7月29日)
ゴッホは絵を描きはじめてから亡くなるまでの10年間に、およそ1600点もの絵を描いています。
そのうちの約200点を収蔵するのがアムステルダムにある、ゴッホに関しては世界最大のフィンセント・ファン・ゴッホ美術館です。
この美術館は1973年に開館され、現在の館長は、その名もフィンセント・ファン・ゴッホさん。
画家・フィンセント・ファン・ゴッホから数えて4代目、ゴッホの弟テオの曾孫に当たる人です。
フランス南部のアルルでのゴーギャンとの生活に失望し、自分の耳を切り落とすという事件を起こした後、ゴッホは、アルル近郊のサン・レミの精神病院に収容されます。
以前からゴッホの生活を支えていたテオがこの時次の手紙を書いています。
「愛する兄上様、まだ調子が良くないと聞いて、とても悲しい。
僕の方は、いよいよヨハンナと幸せな生活を始めます。
だから余計に兄さんが悲惨な生活を送っていると聞いて、
心が痛みます。」
一年後、ヨハンナが次の手紙を書いています。
「親愛なる義兄上様、一大ニュースをお伝えします。
来年の冬、たぶん二月頃、子どもが、それも男の子が生まれます。
テオも私も男の子に違いないと思っています。
私たちはその子に、フィンセントという名を付けようと思っています。
きっと、男の子に違いありませんから・・・ 」
ゴッホは1600枚あまりの絵を描いていますが、しかし、生前に売れたのは、たったの一枚。
彼の生活と創作活動は、彼の無二の理解者であった弟テオの仕送りによって支えられていました。
しかし、ゴッホは自らにピストルを向け、命を絶ちます。 37歳でした。
弟テオは、その半年後、兄の後を追うように、病気で亡くなります。
ヨハンナにとってはショックでした。
画家としての成功を夢見た兄。
それを信じ、支え続けた弟。
ふたりの願いは、その死後に実現することになります。
遺志を継いだのは、テオの妻・ヨハンナでした。
ゴッホに書いた親しみのある手紙が残っています。
実は、ヨハンナとゴッホはあまり仲が良くなかったと言います。
それは想像がつきますよね。
自分の夫が一生懸命になってゴッホの生活を支えている。
ヨハンナにとっては面白いはずがないのです。
それで、ゴッホとは口論になった事もしばしばだったとか。
ゴッホがピストル自殺を遂げた事も、そのような訳でヨハンナには気になっていたのです。
夫の死後、兄弟の手紙を読むうち、ヨハンナは、ゴッホの生き様に魅せられていきます。
1914年、700通にも及ぶゴッホの手紙とテオの手紙をまとめ、書簡集を出版しました。
何度もゴッホの絵の展覧会を開きます。
そしてそれ以後、ゴッホの絵は評価を高めることになるのです。
ヨハンナが居なかったらゴッホは現在これだけ有名になっていなかったと僕は思いますね。つまり、ゴッホの絵の素晴しさを、ヨハンナの感動を通して見ているのだと思いますよ。要するに、ゴッホの絵は、ヨハンナの感動を通して見ない限り、味わいつくせないものがあると僕は思いますね。
そうでしょうか?
ゴッホの絵を見る限り、絵がそれ自体に価値があるようには思えない。やはりゴッホの生き様を見ない限りゴッホの絵の値打ちが僕には分からない。それと同じように、僕は芳江さんの生き様を見てきましたからね。芳江さんの絵を僕は、ちょうどヨハンナがゴッホの絵を見るように見ることができるのですよ。
つまり。。。つまり。。。ヨハンナがゴッホの生き様に感動したような。。。その。。その同じような感動をデンマンさんが。。。デンマンさんが私の人生を見て。。。私の絵を見て感じたと言うのですか?
そうですよ。
まさかぁ~~。。。?
芳江さんは自分が生きてきた人生だから、つまらないと思っているかもしれないけれど、僕の目にはずいぶんと劇的な半生ですよ。
そうでしょうか?
芳江さんの半生
福井で生まれ育った芳江さんは東京で学生時代を過ごした。
茨意県出身の真理子さんと親友になる。
30を越したばかりの芳江さんは、初婚の相手に嫁ぐのは無理だと自分で決めて中学1年生の男の子(和夫君)の父親である山本武雄さんに嫁ぐ。
山本さんは乳癌で妻を亡くした建設会社の社長でした。
中学1年生の和夫君と芳江さんはうまくは行かなかった。
明らかに和夫君は亡くなった母親への思いが強く、芳江さんに対して初めからよくは思っていなかった。
もともと父親の再婚には反対していたフシがある。
和夫君は芳江さんが可愛がっていた猫に毒をもって殺してしまった。
そのことを和夫君が中学生の同級生に自慢げに語っていた事から担任の先生が知ることになって、重大な事件になる前に(つまり、毒を盛って芳江さんを殺すような事件になる前に)何らかの対策を立てた方が良いと、わざわざ芳江さんを訪ねて忠告してくれた。
結婚3年後、山本武雄さんは肺癌のために死去。
筆頭株主の芳江さんは建設会社の社長職を継ぐ。
和夫君は親戚の者に引き取られて暮らすようになる。
バブルがはじけ建設業界の不信を見越した専務が芳江さんのために事業をまとめて業界から撤退する事を助言する。
芳江さんの人柄と、苦労の多い仕事だと言うことを理解したうえでの温情ある助言でした。
まだ業界が不振に落ち込む前の決断だったので、土地や証券等が良い値で売れて、かなりのまとまったお金が芳江さんの懐に入った。
“有閑マダム”になった芳江さんは趣味で始めていた日本画を本格的に勉強し、日本画の先生に師事をする。
福井県の絵画展で入選する。
お金持ちの有閑マダムが入選したと言うので、女性門下生からイジメにあう。
芳江さんの学生時代の親友・真理子(独身)さんがカナダのノース・バンクーバーで日本レストランを経営してうまくやっていた。
真理子さんの友達の貿易会社の女社長・順子さん(カナダ人と結婚)と3人でカナダの不動産投資を始める。
順子さんが独断ですべてを取り仕切っている事から芳江さんは不信感を募(つの)らせてゆく。
悪者は順子さんだったが、どういうわけか親友の真理子さんは順子さんを庇(かば)う。
芳江さんは孤立して悩む。
この不動産に絡む不正事件の相談に乗って欲しいと言うので共通の友人を通して紹介されたのがデンマンだった。
デンマンが中に入って事件が大きくなる前に問題が解決。
順子さんの不正がバレて、真理子さんと芳江さんは仲直りする。
日本画の腕を磨(みが)こうと芳江さんは世界の美術館めぐりを始める。
将来は真理子さんが持っているノースバンクーバーの家に一緒に住んで絵を描きながら余生を過ごそうと計画を立てる。
そのような矢先に真理子さんが脳梗塞(のうこうそく)で倒れる。
左半身が不自由になる。
レストランは友人に売却する。
ノースバンクーバーの家も売却する。
芳江さんの老後の夢も、はかなく消えてしまう。
カナダでは天涯孤独の真理子さんは入院して心細くなり、茨城県の実家の妹を頼って日本へ帰る。
しかし、妹の家族とうまく行かず、芳江さんが福井から駆けつけて、友達が経営している介護施設に入寮させる。
芳江さんのカナダでの老後の夢はたたれてしまったけれど、現在、真理子さんが入寮している福井の施設を時折訪ねてはリハビリを援助している。
僕が見たり聞いたりした芳江さんの半生を箇条書きにすればこのようなことになるのですよ。もちろん、これだけで芳江さんの半生を言い尽くすことなんてできません。でも、芳江さんの劇的な半生を要約する事はできますよね。ゴッホは自殺してしまったのだけれど、芳江さんの場合は毒殺されそうだと心配する学校の先生までが出てきて助言してくれた。芳江さんが苦労しているのを温かい目で見守ってくれていた人が居たのですよ。ちょうど、ヨハンナが夫とゴッホの書簡を読んで感動したように。。。
そうでしょうか?
僕は福井に行った時に、実際にこの目で芳江さんが描いた日本画を見ていますからね。芳江さんの半生を思い浮かべながら絵を見たとき、僕はやはり、絵からある種の感動を受けたものですよ。
どのような。。。?
例えば、ゴッホの絵はうまくはないのですよ。小学生が描いたような絵もありますよ。でもね、その色使いとか構図のゆがみなど、ゴッホの人生を思い浮かべると、その激情がキャンバスに踊っているような印象を持ちますよね。ゴッホの人生を絵の具にしたのがあの絵だと思いますよ。
それで、私の絵はどうだったのですか?
芳江さんの半生を思い浮かべるとき、いい加減に書いていないことが実に良く絵に表れていましたよ。うん、うん、うん。。。良く描き込まれているなあああぁ~ 熱心さと言うか。。。努力の跡が見えましたよ。。。
私の絵はあまりうまそうではないようですわねぇ~?
あのねぇ、絵は上手いとか下手とか。。。そういう見方で見るべきじゃないと思いますよ。
。。。で、どのように見るのですか?
描き手の性格だとか人生が見えると、絵もずっと味わい深く奥の深いものに感じられてきますよね。
でも、いちいち描き手の性格だとか人生を知ることはできないでしょう?
だから、世に知られなかった“ゴッホ”はたくさん居たと思うのですよね。ゴッホの場合にはヨハンナが居たわけですよ。ヨハンナが夫とゴッホの書簡を読まなかったら、ゴッホは永久に1枚の絵だけしか売れなかった貧しい無名の画家として歴史には残らなかったはずですよ。
ゴッホには運があったという事ですか?
違いますよゥ。感動を与えるような人生をゴッホが生きたという事ですよ。その感動がヨハンナに通じてゴッホの絵が見出されたのですよ。
それで、あたしの絵はどうなるのですか?
僕がニューヨークで芳江さんの個展を開きますよ。
マジで。。。?
芳江さんがその気になればの話ですが。。。
『有閑マダムとゴッホ』より
(2007年12月12日)
日本で個展を開くと言えば、大変な事のように思えるけれど、ニューヨークで個展を開くのは、たいした事じゃないのですよ。。。もし、ニューヨークのどこでも良ければね。。。(爆笑)
そうなのですかァ〜?
問題は、その個展を成功させるかどうかですよ。。。それがオーガナイザーの腕の見せ所です。
でも、私の日本画が見る人に それほどの感動を与えるとは思いませんわァ〜。。。。
あのねぇ〜、芳江さんは謙遜のし過ぎです。。。上の記事でも書いたように、僕は芳江さんの作品を見ているのですよ。。。それが冒頭にも掲げた緋鯉(ひごい)です。。。
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この日本画は、芳江さんの苦悩に満ちた半生のあとで描いたものですよ。。。ゴッホの絵には生活の貧困や、精神の錯乱が絵に塗り込められているけれど、僕が好江さんの「緋鯉」の絵を見て驚いたのは、苦悩に満ちた芳江さんの半生を乗り越えた心の静謐(せいひつ)、その中で繊細に、細心に、気持ちを込めて、一心に描き込んだという入魂(にゅうこん)の努力が見て取れる。。。
そう言ってもらえると嬉しいですわァ〜。。。
そういうわけだから、芳江さんの作品を選び抜いてニューヨークで個展を開きましょうねぇ〜。。。
そういう夢のような話が実現するかしら?
あのねぇ〜。。。昔の人(上杉鷹山)は言いました。。。
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為せば成る為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の為さぬなりけり
そういうわけだから芳江さんも、これから世界に羽ばたいてねぇ〜。。。
羽ばたけるかしらァ〜?
千里の道も一歩からです。。。その一歩を踏み出してねぇ〜。。。
【ジューンの独り言】
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ですってぇ~。。。
あなたも、山本芳江さんの話を読んで日本画に興味を持ちましたかァ〜?
ええっ。。。「そんなことはどうでもいいから、もっと楽しいことを話せ!」
あなたは、そのように強い口調で私にご命令なさるのですかァ〜?
分かりましたわァ〜。。。では、ちょっと次のクリップを見てくださいなァ。。。
思わず笑ってしまいますわ。。。
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ええっ。。。? 「犬や猫のことは どうでもいいから他に もっと面白い話をしろ!」
あなたは、更に あたくしに そのような強い口調でご命令なさるのでござ~ますかァ~?
分かりましたわァ~。。。
デンマんさんが興味深い記事を書いています。。。
もし時間があったらぜひ下の記事の中から面白いと思うモノを読んでください。。。
ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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■ 有閑マダムとゴッホ
卑弥子さんの代わりに出て来ましたわ。
ネットには愚かな人がたくさん居ますよね。
パンツにコカイン君は、相変わらず
下らないコメントを書いていますわ。
FC2のてんね君はデンマンさんのことを
告げ口する事に生きがいを感じているようでした。
でも、今では、そうする事の愚かさに
気づいたようですわ。
えっけん君と太田将宏老人は
ムカついたままコメントを書いてしまいます。
みっともないコメントになるだけです。
ええっ?そんなことより、
もっと面白い話がないのかって。。。?
デンマンさんのゴッホのお話だけでは
物足りないのですかぁ~
だったらね、メチャ面白いお話を
あなたにおせ~♪~てあげますわ。
ちょっとこれ見てぇ~。
聖徳太子のお母さんがペルシャ人だった、なんて信じられますか?
デンマンさんがその事について書いているのですわ。
ど~お。。。
ちょっと面白いと思わない?
もし関心があったら次のリンクをクリックして読んでみてね。
■ 『聖徳太子のお母さんはホントにペルシャ人だったの?』
わたしも読んだけれど、結構面白いのよ。
あなたも上のリンクをクリックして読んでみてね。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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