紫式部は妾か?(PART 2 OF 3)
祗王の夢は儚(はかな)く露と消えて…
白拍子になってしまいましたわア~。
うふふふふ。。。
デンマンさんが小百合さんのために
出ろっつうんでござ~♪~ますわよう。
ええっ? どうしてかって。。。?
苔にハマッている小百合さんのために
美しい苔のある風景をお見せしなさいって
言われたのでござ~♪~ますわ。
そう言う訳で、祗王(ぎおう)寺を紹介しますわ。
美しいでしょう!
苔の美しい庭がいいですよね。
その向こうに見えるのが祗王寺でござ~♪~ますわ。
祗王や清盛の仏像がまつられているのですゥ。
法然上人(ほうねんしょうにん)の門弟・良鎮によって
建てられた往生院の境内地にあったのですが、
往生院が荒廃した後は小さな尼寺として残り、
祗王寺と呼ばれるようになったのでござ~♪~ます。
でも、江戸末期に廃寺となってしまったのですわ。
明治28(1895)年に当時の府知事であった北垣国道さんが
茶室を寄進して再建したのでござ~♪~ます。
現在では大覚寺の塔頭(たっちゅう【わきでら】)となっていて、
紅葉の名所、また、
平家物語の悲恋物語の舞台として知られているのです。
平清盛の寵愛を受けた白拍子・祗王が、清盛に捨てられた後、
妹の祗女とお母さんと仏御前(ほとけごぜん)と
過ごした寺でござ~♪~ますわ。
このお話は「平家物語」・祗王に詳しく描かれています。
小さな庵と苔が美しい庭園を見ていると、
「平家物語」の時代にタイムスリップした気分になりますわ。
嵐山の奥のほう、竹と楓(かえで)に囲まれた、
どこか女性的な感じを受ける草庵でござ~♪~ます。
庭は苔のジュウタンで覆われ、
蹲(つくばい)を流れ落ちた水が小川となり、
楓の足元を大きくうねりながら流れてゆくのですわ。
紅葉の見ごろは、少し遅めの12月上旬でござ~♪~ます。
なぜなら、庭苔の緑に、散り始めた紅葉が
朱をさして美しいからですわ。
デンマンさんとご一緒に見たいものですわぁ~。
おほほほほ。。。
では、平家物語「巻第一 祗王の章」の
あらすじをお話いたしますわ。
ところで白拍子というのは、平安時代後期に活躍した、
一口で分かりやすく申し上げるならば、
芸者のような者でござ~♪~ますわ。
このように白の水干(すいかん)に
立烏帽子(たてえぼし)、白鞘巻(しろさやまき)という男装で
「今様(いまよう)」と呼ばれる歌を謡(うた)いながら、
男舞(おとこまい)と呼ばれる舞(まい)を
舞(ま)うのでござ~♪~ます。
白拍子であった祗王は、時の権力者・平清盛の寵愛を受け、
彼の館で幸せに暮らしておりました。
あるとき、清盛に歌舞を披露したいという
別の白拍子が現れたのです。
その者が仏御前(ほとけごぜん)だったのですわ。
ただの白拍子に過ぎない仏御前を
清盛は追い返そうとしました。
でも、遠路はるばるやってきた彼女を見かねて、
心の優しい祗王がとりなしたのでござ~♪~ますわ。
それで、仏御前は清盛に舞を見せることになりました。
しかし、これを見た清盛は心を奪われ、
仏御前を寵愛するようになってしまったのでござ~♪~ます。
皮肉なものでござ~♪~ますわねぇ~。
男と言うのは本当に浮気なものでござ~♪~ますわ。
祗王の座を奪う気持ちのない仏御前は
辞退しようとしました。
しかし、それに気づいた清盛は、
邪魔な祗王を追放してしまったのですわ。
本当に悲しい事でござ~♪~ますゥ。
萌え出づるも
枯るるも同じ
野辺の花
いづれか秋に
あわではづべき
館を出る祗王がせめてもの忘れ形見にと
詠んだ句でござ~♪~ます。
さらに翌春、清盛は退屈している仏御前を
慰めるためといって、
祗王に仏御前の前で舞を披露することを強要したのです。
祗王は、あまりの屈辱に
死を決意するのでござ~♪~ました。
しかし、五逆罪になることを母親が説き、
やむなく祗王は清盛の館へ向かうのです。
仏もむかしは凡夫なり
われらも遂には仏なり
いずれも仏性具せる身を
隔つるのみこそ悲しけれ
このように謡(うた)いながら舞い踊り、
諸臣の涙を誘ったのでござ~♪~ます。
祗王は都に居れば、
また同じような思いをしなければならないと、
母、妹と共に尼となり、嵯峨の山里で仏門に入るのでした。
当時、祗王21歳、妹の祗女は19歳、
母の刀自(とじ)は45歳でござ~♪~ました。
ところが、ある秋の夕べ、
仏御前は祗王の元を訪れたのです。
なぜ。。。? どうした事でござ~♪~ましょうか?
実は、祗王の運命を自分に重ねて世の無常を思い、
仏御前は、清盛の館を抜け出して
尼となっていたのでござ~♪~ます。
それからのち、祗王一家と仏御前は、余念無く仏道に励み、
みな往生の本懐を遂げたのでござ~♪~ます。
めれんげさん、いかがでござ~♪~ますか?
女の身として涙なくしては読めないですよね。
おほほほほ。。。
『愛憎と苔寺 (2008年10月7日)』より
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