デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

紫式部は妾か?PART 2 OF 3

2009-06-02 03:26:18 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

  
紫式部は妾か?(PART 2 OF 3)


祗王の夢は儚(はかな)く露と消えて…



白拍子になってしまいましたわア~。

うふふふふ。。。

デンマンさんが小百合さんのために

出ろっつうんでござ~♪~ますわよう。

ええっ? どうしてかって。。。?

苔にハマッている小百合さんのために

美しい苔のある風景をお見せしなさいって

言われたのでござ~♪~ますわ。

そう言う訳で、祗王(ぎおう)寺を紹介しますわ。



美しいでしょう!

苔の美しい庭がいいですよね。

その向こうに見えるのが祗王寺でござ~♪~ますわ。

祗王や清盛の仏像がまつられているのですゥ。

法然上人(ほうねんしょうにん)の門弟・良鎮によって

建てられた往生院の境内地にあったのですが、

往生院が荒廃した後は小さな尼寺として残り、

祗王寺と呼ばれるようになったのでござ~♪~ます。

でも、江戸末期に廃寺となってしまったのですわ。

明治28(1895)年に当時の府知事であった北垣国道さんが

茶室を寄進して再建したのでござ~♪~ます。

現在では大覚寺の塔頭(たっちゅう【わきでら】)となっていて、

紅葉の名所、また、

平家物語の悲恋物語の舞台として知られているのです。

平清盛の寵愛を受けた白拍子・祗王が、清盛に捨てられた後、

妹の祗女とお母さんと仏御前(ほとけごぜん)と

過ごした寺でござ~♪~ますわ。

このお話は「平家物語」・祗王に詳しく描かれています。

小さな庵と苔が美しい庭園を見ていると、

「平家物語」の時代にタイムスリップした気分になりますわ。

嵐山の奥のほう、竹と楓(かえで)に囲まれた、

どこか女性的な感じを受ける草庵でござ~♪~ます。

庭は苔のジュウタンで覆われ、

蹲(つくばい)を流れ落ちた水が小川となり、

楓の足元を大きくうねりながら流れてゆくのですわ。

紅葉の見ごろは、少し遅めの12月上旬でござ~♪~ます。

なぜなら、庭苔の緑に、散り始めた紅葉が

朱をさして美しいからですわ。

デンマンさんとご一緒に見たいものですわぁ~。

おほほほほ。。。

では、平家物語「巻第一 祗王の章」の

あらすじをお話いたしますわ。

ところで白拍子というのは、平安時代後期に活躍した、

一口で分かりやすく申し上げるならば、

芸者のような者でござ~♪~ますわ。



このように白の水干(すいかん)に

立烏帽子(たてえぼし)、白鞘巻(しろさやまき)という男装で

「今様(いまよう)」と呼ばれる歌を謡(うた)いながら、

男舞(おとこまい)と呼ばれる舞(まい)を

舞(ま)うのでござ~♪~ます。

白拍子であった祗王は、時の権力者・平清盛の寵愛を受け、

彼の館で幸せに暮らしておりました。

あるとき、清盛に歌舞を披露したいという

別の白拍子が現れたのです。

その者が仏御前(ほとけごぜん)だったのですわ。

ただの白拍子に過ぎない仏御前を

清盛は追い返そうとしました。

でも、遠路はるばるやってきた彼女を見かねて、

心の優しい祗王がとりなしたのでござ~♪~ますわ。

それで、仏御前は清盛に舞を見せることになりました。

しかし、これを見た清盛は心を奪われ、

仏御前を寵愛するようになってしまったのでござ~♪~ます。

皮肉なものでござ~♪~ますわねぇ~。

男と言うのは本当に浮気なものでござ~♪~ますわ。

祗王の座を奪う気持ちのない仏御前は

辞退しようとしました。

しかし、それに気づいた清盛は、

邪魔な祗王を追放してしまったのですわ。

本当に悲しい事でござ~♪~ますゥ。




萌え出づるも

枯るるも同じ

野辺の花

いづれか秋に

あわではづべき



館を出る祗王がせめてもの忘れ形見にと

詠んだ句でござ~♪~ます。

さらに翌春、清盛は退屈している仏御前を

慰めるためといって、

祗王に仏御前の前で舞を披露することを強要したのです。

祗王は、あまりの屈辱に

死を決意するのでござ~♪~ました。

しかし、五逆罪になることを母親が説き、

やむなく祗王は清盛の館へ向かうのです。




仏もむかしは凡夫なり

われらも遂には仏なり

いずれも仏性具せる身を

隔つるのみこそ悲しけれ



このように謡(うた)いながら舞い踊り、

諸臣の涙を誘ったのでござ~♪~ます。

祗王は都に居れば、

また同じような思いをしなければならないと、

母、妹と共に尼となり、嵯峨の山里で仏門に入るのでした。

当時、祗王21歳、妹の祗女は19歳、

母の刀自(とじ)は45歳でござ~♪~ました。

ところが、ある秋の夕べ、

仏御前は祗王の元を訪れたのです。

なぜ。。。? どうした事でござ~♪~ましょうか?

実は、祗王の運命を自分に重ねて世の無常を思い、

仏御前は、清盛の館を抜け出して

尼となっていたのでござ~♪~ます。

それからのち、祗王一家と仏御前は、余念無く仏道に励み、

みな往生の本懐を遂げたのでござ~♪~ます。

めれんげさん、いかがでござ~♪~ますか?

女の身として涙なくしては読めないですよね。

おほほほほ。。。




『愛憎と苔寺 (2008年10月7日)』より


 (すぐ下のページへ続く)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 紫式部は妾か?PART 3... | トップ | 紫式部は妾か?PART 1... »

コメントを投稿

日本人・日本文化・文学論・日本語」カテゴリの最新記事