デンマンのブログ

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野生女児

2023-11-16 02:52:41 | 歴史四方山話


 

野生女児

 


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デンマンさん。。。、野生女児 というのは どのような女児のことですかァ~?


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まるで原生林の森で狼に育てられたような女の子ですよ。。。

そう言われてみると、実際に狼に育てられた女の子が居ましたよねぇ~。。。

 


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。。。で、今日は、このオオカミ少女のことで語り合うのですか?



いや。。。上のクリップに出てきたオオカミ少女のことではないのですよ。。。でもねぇ~、狼に育てられなくても、人間が野生児になってしまうことがある。。。

人間社会の中でも、野生児になってしまうことがあるのですか?

そうなのです。。。実は、この野生女児 を取り上げたのは、次の映画を観たからなのです。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』


 



 



マイケル (Michael)

 


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『マイケル』は、マルクス・シュラインツァー監督の2011年のオーストリアのドラマ。
犯罪者の視点から見た有名なナターシャ・カンプシュ事件に似ている
2011 カンヌ映画祭でコンペティションで初公開されました。
シュラインツァーの初監督作品である。

 

あらすじ (ネタバレ注意

映画の主人公は保険ブローカーで、物静かで気取らない生活を送っている。
防音の地下室でヴォルフガングと呼ばれる 10 歳の少年を監禁している。
その少年を性的虐待するけれど、それ以外では父と息子のような関係である。

夕方、マイケルが仕事から戻るとドアに鍵をかけ、ブラインドを閉める、
その後で、ヴォルフガングは夕食とテレビを見るためにリビングルームに入ることができる。

事故で入院するが、マイケルはやがて退院し、ヴォルフガングの元に戻る。
ヴォルフガングが病気になったとき、マイケルはウォルフガングが死んだ場合に備えて、森の中に墓を掘る。
しかし、彼は回復する。

少年は両親に手紙を書き、マイケルが郵送すると言うが、マイケルはそれを送らず、ウォルフガングに嘘をつき、両親は彼を返してほしくないと告げる。

時々マイケルは、誰も彼らを知らない行楽地に少年を連れてゆく。
ある時、マイケルは友達と数日間スキー旅行に出かけ、留守中、ヴォルフガングのために余分な食料を残す。
少年の部屋には水、トイレ、簡単な調理設備、テレビが備わっている。

ヴォルフガングが孤独であるのを見て、マイケルは別の子供を連れてくることを約束する。
それで、マイケルは二段ベッドを事前に組み立てる。

マイケルは別の少年を誘拐しようとする。
しかし、少年は父親から呼び戻され、父親は見知らぬ人と一緒に立ち去ったことを叱る。
マイケルはヴォルフガングに、彼の友達を作ることは成功しなかったと告げる。

ある日、ヴォルフガングは沸騰したお湯をマイケルの顔に投げつける。
マイケルの目が一時的に見えなくなるけれど、少年は逃げることに失敗する。
火傷を負ったため、マイケルは車に乗って医師の診察を受けようとするが、その途中、事故で亡くなってしまう。

葬式の後、マイケルの母親はやがて少年を発見することになる。




(デンマン訳)

SOURCE: 「Michael (2011 Austrian film)」
From Wikipedia, the free encyclopedia


 



あらっ。。。子供を誘拐して監禁し、親子を装(よそお)いながら少年に性的虐待するというハレンチなことをするのですわねぇ~。。。



そういうことです。。。実は、この映画は実際に1998年にオーストリアで起きた事件に基づいて作られたのですよ。。。その事件では誘拐されたのはナターシャという10歳の女の子。。。8年間監禁された。。。

 



オーストリア少女監禁事件

 


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オーストリア少女監禁事件は、1998年3月2日、オーストリア・ウィーンにおいて、当時10歳の少女ナターシャ・カンプッシュ(Natascha Kampusch、1988年2月17日-)が誘拐された事件。

ナターシャは8年間、ヴォルフガング・プリクロピル(Wolfgang Priklopil、1962年5月14日 - 2006年8月23日)に監禁されていたが、2006年8月23日に男の家から脱出し、ウィーン近辺で警察に保護された。
その後、男は列車飛び込みで自殺した。

事件以来、ナターシャは、事件の後遺症を抱えつつ、正常な生活を送ろうと努力している。

2010年9月16日に、監禁生活の苦悩を綴った自叙伝『3,096 Days』を出版し、自らの体験とともに、警察の杜撰な捜査に対する批判を綴った。
2011年には、自伝の印税と寄付金を使ってスリランカに小児病院を建設。
同作は2013年に映画『3096日』としても公開された。

日本では、2020年1月15日放送の『ワールド極限ミステリー 3時間SP』(TBSテレビ)にて、当事件の特集が放送された。




出典: 「オーストリア少女監禁事件」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



逃げられて良かったですねぇ~。。。でも、失われた8年間は取り戻すことができませんよねぇ~。。。で、ナターシャさんが野生児になってしまったのですかァ~?



いや。。。ナターシャさんじゃないのですよ。。。実は、こういう監禁事件を調べると数え切れないほどある。。。次の事件の被害者が野生女児になってしまったのですよ。。。

 


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あらっ。。。生まれてからまもなくジーニーちゃんは13年間も監禁されてしまったのですか?



しかも、監禁したのは実の父親だった。。。ジーニーちゃんは、父親以外の人と言葉をかわしたこともない。。。父親も、ジーニーちゃんとは ほとんど喋らなかった。。。

そのままジーニーちゃんは13歳になってしまったのですかァ~?

そうです。。。

 



ジーニー (隔離児)

 


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ジーニー(Genie、1957年4月18日 - )は、13歳まで部屋に監禁されて育ったアメリカの少女。
カスパー・ハウザーのように、人間社会の中にありながら人間関係の中から全く隔離されて育った孤立児である。

また広い意味での野生児(人間社会から隔離された環境で育った子ども)に相当する。
なお、ジーニーはプライバシー保護のための仮名である。ジーニ、ジェニーと表記されることもある。

 

救出されるまで

ジーニーは1957年4月、カリフォルニア州の家庭に4番目の子どもとして生まれた。
ただし上の3人の子どものうち2人は虐待が原因の肺炎や血液型不適合ですでに死亡していたため、ジーニーの兄弟は兄が1人いるだけだった。

生後1歳2ヶ月頃、医師に「正確には分からないが、発達が遅れているかもしれない」と診断され、それを過剰に意識した父親クラークはやがてジーニーを部屋に監禁するようになった

ジーニーは暗い裸電球一つの寝室の中で便器付きの幼児椅子にしばりつけられ、体のほとんどの部分を父親自らが作った締め具により拘束された状態で裸のまま放置された。
夜は寝袋の中に入れられることもあった。

父親は音に敏感だったため、ジーニーが少しでも音や声をたてると彼女を殴った。
食事はベビーフードとオートミール、たまに卵が与えられた。

彼は、こういったジーニーとの接触の時けっして言葉をかけず、かわりに野生のイヌのように吠えたり唸ったりした。

また、爪を伸ばして彼女をひっかいたり、歯をむきだして彼女を威嚇した。
ドアの外で父親が唸ったり吠えたりする恐ろしい音が、部屋に閉じ込められていた数年間にジーニーが聞いた殆ど唯一のものだった。

母親アイリーンは目が悪く、父親に対して逆らうことができず、他の誰かに相談するために電話をかけることも満足にできなかった

ジーニーへの虐待は長期間続き、父親は母親に対して「ジーニーが12歳まで生き延びたら、彼女を助けてやる」と約束していたが、実際には彼女が12歳になっても約束は守られなかった。

1970年、ジーニーが13歳半になったころ、母親は父親との激しい口論の末、ジーニーを連れて家を脱出した。
ジーニーと母親は祖母の家で3週間過ごしたあと、援助施設を訪れ、事件が発覚した。

1970年11月17日、新聞がジーニーのことを報じた。
両親は児童虐待の罪で告訴されたが、父親は出廷を命じられた11月20日に拳銃で自殺した。

 

救出後の生活

ジーニーは救出後、ロサンゼルスの子供病院に収容され、そこでしばらく過ごした。
当初は身長137cm、体重26.7kg

これまでの人生の大半を椅子に拘束されて過ごしてきたために筋力が無く、歩いたり走ったりすることはおろか立つこともできなかった
また、固形物を咀嚼できず、排泄の習慣も無かった。言葉を話すことはできず、ごくわずかな簡単な単語や命令文を理解できるのみだった。

歩けるようになってもその方法はぎこちなく、「うさぎ歩き」(bunny walk)と呼ばれる奇妙な歩行になってしまった。
つばを吐き続ける癖やところかまわず自慰を繰り返す癖もなかなか直らず周囲の人たちを困らせた。

ジーニーの住処はその後めまぐるしくかわっていった。
ジーニーは、ジーン・バトラーという養護学級の女性教師と仲良くなり、1971年7月7日からしばらくの間、一時的に彼女の家で生活したこともあった。
バトラーは正式にジーニーに里親となる申請を行ったが却下された。

その後、心理学者のデービッド・リグラーとその妻マリリンが里親になることが決定し、1971年8月13日にジーニーはリグラーの家へ引っ越した。
マリリンの指導によってジーニーは食事の作法などを少しずつ身につけていった。

1974年には国立精神衛生研究所が研究費の打ち切りを決定する。
翌1975年6月、リグラーは里親をやめることを決意し、ジーニーは母親のアイリーンに引き取られる(アイリーンは1971年夏に手術を受けて視力を取り戻していた)。

ジーニーは母親になついてはいたものの、母は彼女の乱暴なふるまいに耐えられず、11月7日には新しい里親に引き取られることになった。
その家では今までになく厳しく躾がなされ、ジーニーは母親に会うことを許されなかった。

ジーニーはストレスから退行しはじめ、身につけていたはずの生活習慣も捨て、言葉もあまりしゃべらなくなった。
この状態に危機感を持ったカーティス(言語学者)がリグラーらをけしかけて、1977年4月、ジーニーを病院に入れさせる。

2週間後、ジーニーはまた新しい里親に引き取られるがそこでの生活も長くは続かず、クリスマスの頃には2度続けて引越してさらに新しい里親に引き取られる。
その後、1978年3月20日には母親アイリーンが娘の監督権を取り戻し、ジーニーは知的障害者のセンターで暮らすことになった。

2008年現在、ジーニーはカリフォルニア南部の施設で暮らしている。
アイリーンは2003年に死去した。

 

ジーニーの言語獲得

ジーニーは、ふつうの子どもが言語を習得する時期にほとんど話し言葉に触れることができなかった貴重な事例として、世界中の科学者(心理学者や言語学者)の注目の的となった。

言語獲得の臨界期仮説を検証する絶好のチャンスと考えられた。
言語学科の大学院生だったスーザン・カーティスは1971年6月にジーニーと出会い、彼女が言語を学んでいく過程を記録し、論文として発表して1977年に出版した。

しかし、論文のタイトルで、ジーニーのことを「野生児」(Wild Child)と表現したことが母親アイリーンの反感を買ってしまった。

ジーニーは二語文まですぐに話せるようになった。
通常の子供の場合、二語文を話せるようになるとそこから一気に上達するようになることが知られているが、ジーニーの場合はそこから先の進歩がなかなかみられなかった

また文章を極端に省略してしまう癖があり、「省略博士」と呼ばれたりもした。
過去のことをある程度話せるようになると、ジーニーは監禁されていた頃に父親に棒で殴られていたことなどを語ったりした。

カーティスが「両耳分離聴覚テスト」と呼ばれる検査を行ったところ、ジーニーは言語の刺激に対して右脳が活発に反応した(非言語的な刺激についても右脳の反応が活発だった)。

右利きの人であれば言語を処理するのは左脳の場合が大多数である(ジーニーも右利き)が、ジーニーは言語を右脳で主に処理していると考えられる。
このことから、臨界期をすぎると左脳で言語処理をすることができず、右脳がその役割に果たすようになる可能性が考えられる。

しかしジーニーは異常な脳波からも発達障害が示唆され、言語獲得理論に関し参考になるかどうか疑われる。
こうした点が研究助成金が停止された主な理由である。




出典: 「ジーニー (隔離児)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



このジーニーちゃんを言語学者が調べた結果、人間というのは幼児の頃に周りの人たちと言葉をかわさないでいると、言葉の習得が遅れるか、悪くすると、言葉を習得することができなくなるということを確認したのですよ。。。



それは、想像がつきますわァ~。。。だって、天才と呼ばれる作曲家や演奏家は、もう小さな頃からピアノを弾いたりバイオリンを弾いたりしているでしょう? 高校生になってからピアノを習ってプロになったという話は聞いたことがありませんもの。。。

確かに、そうですよ。。。だから、小さな頃の言葉の学習や、音楽の学習は実に大切なことなのですよ。。。ある時期をすぎると言葉の学習は極めて難しくなる。。。

それは私も同感ですわァ~。。。

ジュンコさんは小さな子供の頃からカナダで育ったので、完璧にバイリンガルだけれど、僕は20歳を過ぎてからカナダにやってきましたからねぇ~。。。20年カナダで暮らしていても、未だにネイティブのようには話せませんよ。。。

でも、デンマンさんは大学でコンピューター・サイエンスを教えていたではありませんか?

そういう専門的なことを教えることだできるのですよ。。。なにしろ、生徒は知らないのだから。。。でもねぇ~、映画を観たり、パーティーで雑談するとなると、カナダ人と対等に観ることも話すことはできません。。。口喧嘩はできるけれど、自然に冗談をうまく喋ってみんなを笑わせることは無理です。。。

そうなのですかァ~?

普通の人にとって、外国語は、少なくとも中学生の頃までに覚えないと、まずバイリンガルになるのは難しいと思いますよ。。。




初出: 2022年10月15日



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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも、英語は中学生から大学生まで少なくとも6年間は勉強したでしょう?

カナダ人や、イギリス人、アメリカ人と、英語で冗談を言い合うことができますか?

ええっ。。。 「できるはずがないだろう! そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。 じゃあ、面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。


天智天皇は暗殺された

定慧出生の秘密

藤原鎌足と長男・定慧

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?



ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


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『潮吹き』

『ヨッパライが帰ってきた』


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『後家殺し』

『奇想天外』

『下女のまめは納豆』

『オペラミニ』

『三角パンツ』

『サリーの快楽』

『ラーメン@ゲブゼ市』

『安心できない@病院』

『ブルマー姿@自転車』

『女性の性欲研究』

『頭のいい馬』


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『トランプ@マラウイ』

『きれじ』

『コッペパン』

『くだらない話』

『大蛇が破裂』

『グルーヴ』

『タスマニアデビル』

『女と反戦』

『裸女に魅せられ』

『素敵な人を探して』

『カクセンケイ』

『博士の異常な愛情』


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『パレートの法則』

『こんにちわ@ブリュッセル』

『いないいないばあ』

『食べないご馳走』

『10分間に900件を越すアクセス』

『5分間に340件のアクセス』

『縦横社会』

『村上春樹を読む』

『パクリボット』

『露出狂時代』

『露出狂と反戦』

『オナラとサヴァン症候群』

『検疫の語源』

『共産党ウィルス』

『馬が合う』

『オックスフォードの奇人』

『風馬牛』

『未亡人の苦悶』

『群青の石deロマン』

『露出で検索』

『テレポーテーション』

『露出狂』

『第6感』

『大邱の読者』

『無重力の性生活』

『純子さんのクローン』

『肥後ずいき使用感』

『アナスタシア』

『検察が裏金作り』

『冤罪のからくり』

『タグ読み読者』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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『HIRO 中野 せどり スパマー』

 


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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